1.これまでの経緯
・2017.12.27に薙野信喜が「市原幹也氏のセクハラについて(3/4)」を書いた。
https://blogs.yahoo.co.jp/naginon/65945523.html ・ 2017.12.28に野村政之氏が「今回のセクハラ問題から」を書いた。 https://note.mu/nomuramss/n/ncf6decc718eb ・2017.12.29に野村政之氏が「今回のセクハラ問題から」に追記を書いた。 https://note.mu/nomuramss/n/ncf6decc718eb ・2017.12.31にけんちん・F氏が「今そこにいる、一万人の市原幹也」を書いた。 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1964416782&owner_id=1846031 ・ 2018.1.4に野村政之氏が「けんちん・F氏の作り話」を書いた。 https://note.mu/nomuramss/n/n37d71df645c1 ・2018.1.5に薙野信喜が「市原幹也氏のセクハラについて:“演劇センターF”の不誠実な対応」を書いた。 https://blogs.yahoo.co.jp/naginon/65953618.html ・2018.1.6に野村政之氏が「演劇センターFの対応」を書いた。 https://note.mu/nomuramss/n/n75410ccc74e4 ・2018.1.6に野村政之氏が「けんちん・F氏の作り話」に追記を書いた。 https://note.mu/nomuramss/n/n37d71df645c1 この記事は、上記のやり取りを受けている。
2.「今そこにいる、一万人の市原幹也」と「けんちん・F氏の作り話」について けんちん・F氏「今そこにいる、一万人の市原幹也」と野村政之氏「けんちん・F氏の作り話」の、どちらに妥当性があるのかを見ていく。これは薙野の見解である。
(1)「人間として最低の部類に属する」について
野村政之氏は市原幹也氏のセクハラのことを聞いて、次のように感じたと「今回のセクハラ問題から」に書いている。 *** 「何やってんだ?」「あり得ない」「俺にだって青年団の仕事のあっせんなんかできないのわかってただろ?」「私は加担していない」・・だいたいそんなことで、ぐるぐるしていました。 *** この文言から野村政之氏がほとんど、市原幹也氏のセクハラ事件の自分自身への影響をどう食い止めるか、ということしか考えていないことがわかる。 セクハラの被害者とその関係者のことに触れていないことは、読んでいても異様だ。そこに考えが及ばない野村政之氏を「最低の部類に属する人間だ」と感じられたとしても、それはしかたのないことだ。 (2)「電話」「会話」について
野村政之氏は市原幹也氏とのコンタクトについて次のように「けんちん・F氏の作り話」に書いてけんちん・F氏を非難している。 *** 唖然とする内容です。「電話」「電話」「会話」・・ 私は、告発があって以降一度も、電話で、あるいは対面で、市原氏と声を交わしたことはありません。 私のブログでの記述はこうです。 「19日に謝罪文が公開され、翌日、市原くんから、被害者の方への謝罪と、私に対して詫びるメッセージが届きました。どう返したらいいか正直わかりませんでしたが、とにかく被害者の方のことを思うと、私自身、許せるものではない。一方でSNS上は罵声の大騒ぎになっている。「友人として、これからの誠意ある行動を期待する」という言い方で「死ぬな」という念を送るしかありませんでした。」 *** 「『友人として、これからの誠意ある行動を期待する』という言い方で『死ぬな』という念を送るしかありませんでした。」という言い方は不明瞭で、「友人として、これからの誠意ある行動を期待する」という具体的とも見える書き方だと、直接会って話した、あるいは電話で話したと取られてもしかたがない。心に思っただけなのか実際に行動したのかをもっと具体的に書くべきだ。自分の文章の不正確さを棚に上げても他人を非難してもしかたがない。 普通に考えれば、市原幹也氏のセクハラ告発後、市原幹也氏と直接会うことも電話もなかったということのほうがよっぽど非常識だろう。けんちん・Fさんのまちがいはむしろ好意的とさえいえる。 (3)結論
詳細に思いを語っているけんちん・F氏に対して、野村政之氏はけんちん・F氏の上げ足取りに終始している。野村政之氏の次の要求はすべて不要である。 ・記事の削除 → 不要 ・ウソをついたことをどう受け止めているのかの釈明 → 不要 ・私を「最低の部類に属する人間だ」と思ってしまった読者たちへの訂正連絡 → 不要 ・私に対する相応の謝罪 → 不要 3.野村政之氏のわたしへの非難
野村政之氏は「けんちん・F氏の作り話」に次のように追記して、わたしを非難している。 一観客として、主張を持ってブロガーの活動をしておられるのはとても良いことだと思っています。私はそういう方が増えたらいいなと常日頃から考えてます。
ですから、一観客であることを理由にして、社会的立場を脱しうるかのような言い方はしないで頂きたかったと思います。 私はこのブログで最初から「おもしろいからリツイートした」というような雑な態度に対して注意を促しています。 舞台の表現の問題ではありません。演劇にお金を払っているから認められるということとは別の、信用、名誉の毀損にかかわる部分です。 言論的な活動をされたいなら、都合よく観客であることを逃げ道にせず、発言するのでなければ誰のためにもなりません。 まずその構えを改めてから、この問題に対峙していただきたいと思います。 *** いいがかりで、余計なお世話の悪あがきだ。 「一観客であることを理由にして、社会的立場を脱しうるかのような言い方はしないで頂きたかった」とあるが、そんなことはしていない。 「おもしろいからリツイートした」とは言っていないし、どうツイートしようと個人の勝手で、もともと他人からとやかく言われるようなことではない。わたしは、興味のあるものは内容に必ずしも同意しなくてもリツイートする。
「演劇にお金を払っているから認められる」というのではなくて、お金をもらっている側がちゃんと責任を果たせということだ。“演劇センターF”は責任を果たせていないではないか。なのにこんな反論はしてくる。他人にいろいろ言える立場かよく考えたがいい。
4.終わりに
野村政之氏は2018.1.5に次のようにツイートしている。
*** 僕は学校の頃から、いかがわしい人や孤立してる人ともなるべくうまくやろうとしてきたので、今回もそうしてきたんですが、やっぱりそれなりにいかがわしい人たちなのかなと、評判が流れてきている。それでもなお罪を憎んで人を憎まずなんだが。 *** このツイートがわたしに向けられたものであることは、流れから見てすぐにわかる。こんな卑怯なことをよくぞやる。非常に悪質なツイートだが、野村政之氏に謝られた覚えはない。
野村政之氏が下劣な人間であることがわかったから、今後野村政之氏とのいっさいのやり取りを拒絶する。
(以上) |
この記事に
叩かれるべきは市原幹也なのに、おじさんが別な叩くところ見つけて喜んでいるようにしか見えない。
馬鹿じゃないの。このやり取りを見て被害者の何が救われるんですか??
2018/1/7(日) 午後 0:16 [ あほばっか ] 返信する