のんちゃんのつれづれ

「福岡演劇の今」<http://f-e-now.ciao.jp/>の管理人のblogです。

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(「市原幹也氏のセクハラについて(2/4)」より)

5.小劇場界の反応

(1)演劇団体

劇作家協会
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Shoko 🦋Kawada‏ @heraheramegane · 12月24日 
市原幹也氏の件を重く受けとめ所属する日本劇作家協会(@jpa_office)に反ハラスメントの声明・ガイドラインの作成を提案しました。行動を起こさない限り世界は変わりません。ロイヤルコート劇場が参考になりそうです。北村紗衣先生(@Cristoforou)にご協力いただきました。感謝 #MeToo #HowIWillChange
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(2)小劇場演劇関係者

《SuzukiReiji氏》
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SuzukiReiji‏ @suzurejio · 12月21日
セクハラなんて曖昧な言葉は使わない、性犯罪だ。それを犯してしまった人が知り合いだからといって批判を緩めるべきではない。さらに、わたしは人間として破綻した芸術家が美しいものを作りうることは理解しているが、市原幹也さんの作品/活動はその類ではない。人をつなぐ場を作る人ではなかったか。

この点に関して、断じて生ぬるい擁護をするべきではない。また、糾弾することでは済まない。彼が一人ひとりに謝罪し、一生かけてでも賠償するべきだ。だが、そのことと「もう二度と演劇に関わるな」というのは別のことだ。そのような発言を複数の人がしているが、そこに潜む理屈はいったいなんなのか。
別の業界ではまたやらかしてもよいが、演劇界を汚すなということか。もしくは演劇界どころか世界からいなくなってくれと暗に言っているのか。

わたしの愛する松井周や岩井秀人を例にするまでもなく、ダメでクズな人間を登場させつつ、そいつらを否定するどころか、なんとかその人が存在してよい世界を描きだしたり、どうしようもない彼や彼女を赦す方途を浮かび上がらせたり、どうにか愛しうる可能性を示してきたのは演劇ではなかったか。
もちろん単に「ダメさへの寛容」というだけでは無責任な理想論で、再犯というだれにとっても不幸な事態も十分に起こりうるだろう。わたしの知る彼の聡明さからはあまりに愚かなというだけでなく思慮に欠けた犯行だと思えることから、性依存症の可能性も高いのではないかと思っている。

しかるべき医療にかかり治療プログラムやピアサポートグループにより、回復には時間を要するだろう。でも、いつか演劇界に帰ってくることは否定されるべきではないのではないか。これまでのように楽しく朗らかな表現はもうできないのかもしれない。演劇自体が苦行のようなものになるのかもしれない。
でもそれは、もう演劇を楽しく朗らかにできなくなってしまった人たちにあなたがしたことの代償だ。一生をかけてでもするべき償いとは、彼女たちへの損害賠償のみならず、あなたと同じように過ちを犯した人たちが、それでも生きていくための道を模索することだ。そしてそれが演劇だっていいじゃないか。

演劇にはそのような力があるはずだ。彼を排除して演劇界の潔癖さを貫くなんてことに使う力は、性暴力の被害者が尊厳を取り戻せるような表現を探求することに使ってもらえないだろうか。加害者が生き直せる可能性を示すことに用いてもらえないだろうか。お願いだから。
そもそもそんなことが起こらないような、あらゆる暴力が無力化され/換骨奪胎され/バカバカしくなって、なんでもいいから消えてなくなるような表現をみせてくれないだろうか。今回のことで、市原さんにより真摯な対応がなされるべきなのは言うまでもないが、演劇の度量だって試されているのだと思う。

ちなみに、わたしは訳あって性犯罪にはとても不寛容な人間だと自覚している。そして、彼の活動は遠くから見ていて自分の活動と通ずるものを感じていたからこそ、落胆が激しい。それでも、彼のツイートへのリプライがあまりにもひどいので、書いてしまった。断じて彼の罪を擁護したいわけではない。

《落雅季子氏》
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落 雅季子‏ @maki_co · 12月18日 
見てしまった以上、無視はできません。それは、SNS上に限らない私の行動方針です。

落 雅季子‏ @maki_co · 12月19日 
我慢は美徳じゃない。つい先日、編集者たちと #MeToo タグでツイートするのは躊躇われる……という話をしたばかりだけれど、被害は実はその時よりも何年もあとになってじわじわ悔しさがひろがることがあると、34歳になった今分かることもある。ああ、あの時私はナメられて貶められていたんだ、と。

小劇場界隈は本当に小さな土壌だから、告白には本当に勇気がいる。文字通り、命がけのことになる。ただ、差し出がましくも伝えたいのは私は #MeToo としてツイートする全てのひとの味方でありたい。私は人と人として、誰とでも向き合いたい。
「人として」という言葉を使ったのには意味があります。女性だけでなく男性もトランスジェンダーも、ありとあらゆる「人」の味方でありたい(非常に難しいことだが)という気持ちです。

(落 雅季子さんがリツイート)
荒ぶるマティッコ・ポーロ‏ @maticcco · 12月19日
全く同じ気持ちです。Explatを立ち上げ、いろいろな相談を受けてきました。ほとんど名前は出せないものばかりです。そして「身内に甘い」この日本社会に対し、相談者と一緒に悔しい思いをしてきました。だからこそ今回の告白の背景にある大きな決断と勇気を思い、孤立させてはいけないと思いました。

友人であろうと、家族であろうとやったらダメなことはダメです。自分は当事者ではないからと、スルーすることはできます。だけどそうやって周囲で起こっていることを見過ごしてきた結果が今の日本社会のいろんな問題につながっていると思います。私は「現状を変えるために行動する人」に寄り添いたい。
そしてまた過ちを犯してしまった人も、真摯に反省し、当事者同士で解決したらそこからやり直したらいいんだと思います。失敗しても、そこから学び、立ち上がって、再スタートできる、そういう社会をみんなで作っていくべきなんじゃないかと思います。
***

落 雅季子‏ @maki_co · 12月19日 
まあ私は会社員時代にもさまざまな出来事ありましたし、その時は自分なりに波乗りしてきたつもりだったけど結局はそうじゃなかったし、最終的に辞めた理由はホモソーシャルなチームの暴力性に耐えられなかったからだし、フリーになってからはジェンダーについてより考えるし、まだまだ発展途上です

落 雅季子‏ @maki_co · 12月20日
男性は55歳でも初めて父親になることが、できる。(他意はありません、事実です)

落 雅季子‏ @maki_co · 12月20日 
(RT)ひとつ思うのは「二度と関わってほしくない」と私は思わないということだ。罪と罰の範囲を、個人の発言によって決めると歯止めがきかなくなる。そこには注意深くありたい。もちろん、被害に遭った方の気持ちが最優先。
現代社会は罰の範囲が決まっていないから、地獄。

落 雅季子‏ @maki_co · 12月21日 
WE SHOULD ALL BE FEMINISTS.

落 雅季子‏ @maki_co · 12月21日 
市原さんから端を発した問題について、連投します。【フォロワー減っても構いません】
まず今回の告発をなさった女性は誰からも貶められることがあってはなりません。セクハラパワハラは、女性に被害者が多く、男女差別が背景にあり、理解にも男女格差があるため、男女差別の文脈が絡んできがちですが本当は男女関係なくある構図で、しかも日本の舞台芸術(日本だけじゃないけれど)社会ではある種のカリスマや大御所と呼ばれる人に「権力」が生じるため、特にフリーランスのパフォーマーはハラスメントを受けやすいです。

語弊を恐れず言いますが「市原幹也さん」クラスだからこそ明らかになったわけで本当に言えないまま泣き寝入りして芸術の世界を去った人、逆手に取ったつもりで渡り歩いている人は多くいるでしょう。全てを明らかにせよとは言いません。傷口を無理に開かせることはないとも言えます。しかし傷をさらけ出して訴えかけた人がより傷つくことがあってはいけない。

あなたがたは、伊藤詩織さんのレイプ事件がもみ消されそうになった時に政府に怒りのツイートをしたのではないですか? それなのに話が自らの主戦場である舞台芸術に及ぶと口を噤むのはなぜですか? そして私があえて強い口調でこうして書いているのはなぜだと思いますか?
いいですか、あなたがたの発信力および影響力などというものは、たとえ小劇場界に多少のものはあるかもしれませんが、社会全体から見たら塵ほどのものでしかありません。誰もあなたのことなんか知らないから安心しなさい。その上で立場上どうしても話題にできないのであればそれがあなたの限界です。
もちろん、私のように誰もかれも声を上げることだけが戦い方ではないと分かっています。誰にも強いることはしません。それこそ暴力だからです。これは「私」のスタンスです。それ以上でもそれ以下でもありません。私は女ですが、仮に男であってもこう言える自分でありたいから言っています。

昨夜、青年団平田オリザさんの声明に対して「演劇に二度と関わってほしくない」とは言わないでほしかった、と私は書きました。
少し話が飛びますが、これは私が法学部出身であり、罪形法定主義を叩き込まれて育ち、なぜ極悪人にさえ国選弁護人がつくのか、それは国家と個人というあまりに大きな力の差を持つもの同士が法廷という場でフェアに裁かれるためのシステムなのだと村岡啓一先生という方に習った真のリーガルマインドに基づく発言です。
性暴力や脅しは刑事か民事で片付けるかはそれぞれでしょう。しかし、仮にも平田オリザさんという「大御所」(もちろん青年団の規定は立派です)が市原幹也さんに対してあのような声明を出し、より彼を追いやることになればそれは取り返しがつかないことになります。

現代社会は、匿名SNSの発展により、罪と罰が無限にループしてどこまで行っても許されないのが問題だと、かつて横浜の中華店で今は亡き危口統之氏が私に語ってくれたことがありますその危口さんの言葉を私は忘れることはありません。誰に対しても、期限や範囲の限定されない罰を負わせることは、してはならないのです。被害者の心の傷が癒えることがなくとも、謝罪や償いがなされれば人は再スタートを認められるべきなのです。

私は、あえて自然に目に入る以上の他者同士のリプライは追っていません。私だって好き好んで消耗したくないからです。でも、きちんと読んでいただければ、私が何を問題だと感じてこの連投をしているかわかってもらえると、それくらいはわかってもらえると、信じています。
私はまだまだ駆け出しで、実績も少ないしいわゆる権力も持っていません。でも、強い背骨があります。だから語ります。これで誰かに疎まれようとも別に痛くない。こういう「私」を明らかにしたところで離れる人も嫌がる人もいて、でもこれが私だから。誰かに好かれたくて発言してるわけじゃないから。

この私の背骨の強さそのものが、男女や年齢を問わず人のヴァルネラブルな部分を刺激し、時に傷つけることがあることも、知っています。でも言えずに泣いている人の代わりに、私はいつでも声を上げる準備はできています。以上です。ありがとうございました。
***

(3)演劇センターF

《藤原ちから氏》
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藤原ちから‏ @pulfujiko  12月20日
これ(注)を書いたのが月曜で、me tooのことも書きましたが、火曜の朝には文字通りどん底に突き落とされました。今日はさらにどん底底な気分です。でもこの現実から始めるしかない。
まだ胸がつまって頭がぐるぐるしています。自分の考えを述べなければならない立場にあるとは思っています。少し時間をください。

なんだろう深夜2時、下北沢に放り出される。この町もずいぶん変わった。いや変わらないのか。東京はこんな時の懐はそこそこ広いなと思う。まあそこそこね。今から朝までは、亡くなった彼らのことを考えたい。
みんな心底傷ついてるなと思う夜。今まで生きてきた時間のある大事な部分が否定されたようで心臓がめくりかえるような感覚。力尽きてカプセルホテルで眠る。隣のおっさんのいびきの規則正しさにかろうじてすがりたいのに、それすらも安定しない歯がゆさ。無力だ。

しかしわたしはこんなクズだのカスだの死ねだの言われる人にさえも届くような作品をつくりたいしそんな文章を書きたいとも強く思っている。芸術は他にどこにも行き場がない人の最後の砦であってほしい。ひらかれていてほしい。ぽかんと。おやすみなさい。
よしクリスマスまでカラ元気だしていこう
(注)【連載】ひとつだけ 藤原ちから編(2017/12) 
   http://www.engekisaikyoron.net/hitotsudake_f_201712/
「(抜粋) あるいはハッシュタグ #me tooでの様々な告発はここ日本でも徐々に現れつつある。タブーを醸成してきた日本の「空気」は、こういった新たな告発の動きを抑圧しようと働くだろうが、もはや、そうやって押さえつけるのは無駄だよと思う。さすがにもうこんなぬるま湯のような「空気」の中になんて生きていたくない、息をさせてくれ、細かい思想信条の違いはさておいて、せめて息をさせてくれ。そういう声を止めることは、もはや誰にもできない。」
***

《野村政之氏》
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野村政之‏ @nomuramss · 12月20日 
セクハラ・パワハラの事件が身近で起きるのは今回が初めてではない。いつもがっかりさせられる。私は誠意を持った行動を本人に求めています。

野村政之‏ @nomuramss · 12月22日 
今日の主宰からの定期便は事前に見せてもらいました。僕もこの件ようやく自分の頭が整理できてきたのでそのうち書きます。
***
〔野村政之氏の見解が発表された 2017.12.30追記〕
  今回のセクハラ問題から|野村政之|note  (2017.12.28)
   https://note.mu/nomuramss/n/ncf6decc718eb

(4)九州の演劇人

《平嶋恵璃香氏》
***
平嶋恵璃香(ブルーエゴナク)‏ @erika00xx · 12月18日 
#MeToo というタグが沢山回ってきて、やっぱりそうだよねという気持ちになった。被害にあった、ということで被害者がいかに理不尽に叩かれるか、そのことに怯えているかが分かればいい。。発言した方々が発言しなければ良かったとなりませんように。本当に本当にそう思います。
「そういう被害に合うのは可愛いから。女性に恨まれるよ?自慢して性格悪いからやめたら?」みたいなことを二十歳くらいのときに男性に言われたことを思い出した。最悪。。もう自意識過剰に防衛していくしかないと思ってる。。自意識過剰ってバカにされるけど、まだそっちの方がいい。#MeToo

そして「そういうこと発言しない方がいいよ、消しなよ」といわれることに恐れている。自意識過剰でしょ?いや実際言われてきたからそういう考えになるの。。発言しない方が得するとわかって黙っていたし、めちゃくちゃ怖いから発言できない。正直、男性も、女性も怖い。
何かあった時に第一声で『そんな格好してるからじゃない?』は酷い理不尽。これは女性からも言われる。でもきっと言われて来たんだその人たちも。。多くは性的な対象に見られたことを信じたくなくてできるだけ忘れようとする、声をあげた人もそうじゃない人も安心して眠れますように。#MeToo

ソワソワしてしまう。有名人ではないけど匿名でない私は周りや団体や関わっているものに気を使っている。それは当たり前だけど、だからどうシームレスにこう言った話題も発言できるかが大事だなと思う。特別なことではないんだ。
***

《泊篤志氏》
(2017.12.29追記)
***
泊篤志〔飛ぶ劇場〕‏ @tmr_atc · 12月18日
彼がセクハラを告発されている事について。そういう事が度々あってるらしいとはぼんやり聞きつつ放置してきた我々にも責任があるのではないかと思い始めた。具体的な内容がだいぶ想像を超えていた。ちょっとそれはあまりに非道いだろう。
と思うようになったのは自分に今、娘がいるからだろうな。そういう事に敏感になったし、今回のも虫唾がはしった。恋愛でゴタゴタしてるのとは明らかに違う。あれは立場を利用したハラスメントだ。

例の件について今日、木村くんや穴迫くんと話してて、「心当たりはないけど、とりあえず自分の名前で検索してみるよね」という話で一致した。
***

《谷瀬未紀氏》
***
谷瀬 未紀 12月21日 1:35 ·
.
オリザ氏が、はっきり書いてくれた。
一時期とはいえ、市原を応援(糧になる舞台にキャスティングしたり)した身としては、申し訳ない気持ちにもなるが、彼のパワハラを認識(もう随分昔)してからは、縁を切って来たので(アイアンシアターと良好な関係を持ち始めたのも、そのせいで市原退陣後)、引き続き接点は持つつもりはない。セクハラの現状は預り知らないところだが、彼を放置して来たことに、少し罪悪感めいたものも感じる。でも、私が何言っても変わらなかったろうとも思う。
ともかく被害に遭った方々の心の傷が、少しでも癒されることを願う。
***

《高崎大志氏》
「演劇は、人民裁判に加担してほしくないし、言論弾圧にも加担してほしくない。」(PINstage高崎大志の「さくてきブログ2」 2017年 12月 22日)
 http://sakuteki.exblog.jp/26257162/
***
 先日、ちょっとショックなニュースをみた。
  それについては、具体的には触れない。
  思うことは色々あるけど、ほんとに演劇は人民裁判に加担してほしくないし、言論弾圧にも加担してほしくないと、そんなことを思った。
  今のSNSの発展はほんとにすごいと思うけど、それを使う人がほんとにそれを使いこなせているのかというと難しいところだ。
  群集心理や、抑制の効いてない個人の発信など、やりすぎなんじゃないかと思うこともある。
  なにか非難をうけるような失敗した人がいたとして、みんながその人に小石を投げる。
  ひとつひとつの小石は小さいかもしれないが、それが100とか1000とか投げつければ、大きな傷になることもありうる。
  実際に、過去にはそうやって自殺に追い込まれたような事例もあった。
  
  これが人民裁判の恐ろしいところだ。SNSでの群集心理と言ってもいいかもしれない。
  その点、法律の規制する裁判はどうだろうか。
  そのシステムは完璧ではないながら罪に応じた罰を与えるシステムがある。その網目も完璧ではないし、国家権力は自らの権力の行使に慎重だから、証拠不十分で悪を取り逃がすこともある。
  しかし、人民裁判というのが本当に恐ろしいもので、虐殺にもつながるものであるし、そこを法に委ねようというのが、人類の獲得した進歩だろうと思う。
  演劇は、こんな人民裁判にホント加担してほしくない。
  そして、言論弾圧。 
  現代において、言論弾圧っていうのは、国家権力がそれをおこなうというよりも、SNS社会がそれを起こしているように思える。
  現代において、言論を抑圧するっていうのは、相手の主張の真意を理解せず、表面的に判断しレッテル貼りして批判することなんだなと思った。
  たとえば被害者の話をよく理解せずに、被害者にも落ち度があったんじゃないかと言って、主張を封じたり。
  加害者の言葉を、よく理解せずに犯罪者扱いしたり。言い分を聞かず情状酌量の余地を一切残さなかったり。
  言論弾圧は、言葉が大げさすぎるけど、これらは、どっちも言論を封じる行為だと思う。
  ちゃんと言い分を聞いてもらえる場があって、その主張を正しく理解してくれたら、それに基づいて批判されるのは全然オッケーなんだと思う。
  そうじゃないレッテルはりが、現代の言論弾圧なんだと思う。
  ほんとに、演劇にはこういう事に加担してほしくない。
  そして、反省して謝罪し、改心している人がいるなら、その復帰の場を奪うような事はホントしないでほしい。
   当事者になった人には、さすがにそこまで言えないけど、当事者じゃない人にはぜひお願いしたい事だ。
***
(「市原幹也氏のセクハラについて(4/4)」へ続く)

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