Slackのスレッドが嫌いという人の気持が少しわかった気がするという話
つい最近Kosuke Ogawaさんのツイートでスレッド機能があまり好きではないというのがあって、これ、何でだろうって少し気になって考えてたんですよね。
で、続きのツイート
「毎回ポチポチしないと内容が確認できなくて不便」というツイートを見てちょっとこれも意味がわからないな、と。自分の場合は毎回ポチポチしてるなんて思ったことがないわけです。
そして、他の人のツイートも同じような事を言っているのを見つけました
このツイートの場合は「開いてしまったりして」と書いてある。この感情は共通したもののように感じたわけですよ。
ここで、「スレッド開いて損した」という感情に至る流れを推測して整理してみると次のようになるのではないかと思います
自分に関係あるかな -> スレッドを開く -> 関係ないじゃん
こういうフローを繰り返してるためになぜスレッドなんて使うんだろうという気持ちになるんじゃないかと。
前提が違うんじゃないか説
先述のフローになるのって前提がそもそも違うんじゃないかと思うので、自分の使い方を整理すると次のようになります
自分に関係がある内容はメンションされる -> メンションされたら見に行く(スレッドならスレッドを見る)
つまり私の前提として自分にメンションされていなければ自分に関係がないことだとして気にしません。直接的な言い方に変えると、スレッドがあってもわざわざ開きません。
もちろん、メンション付け忘れられてることもあるけど、そういった場合は相手が再度メンションしてくれることのほうが多いからそれを信頼しています。だから、自分の場合は関係があるかどうか分からないスレッドは開かないし、さらに関係あるかどうか分からないチャンネルにはなるべく参加しないようにしています(そういうチャンネルから抜けたいけど抜けるとメッセージが痛々しいから抜けはしないけど)。
関係フィールドというか関係性の強さについて
もうちょっと言い方を変えてみると、実は物事の大抵のことは自分と関係があるのかもしれない。メンションされてないけど自分に関係してることってのはあるとは思う。だからといって自分が干渉できるかというとそうでもなかったりもする、気にしないようにするっていうのも必要じゃないかと思うんですよね。
話題が発展したり発散することもある
スレッドにしろ何にしろ話題は発展したり発散する。だけどそれで自分に関係がありそうになると自分にメンションされることのほうが多いと思うんですよね。だから発展したり発散されたらそれはそれでスレッドを使わないという運用はしないですね。
例えとしては、チャットの機能の追加の話題での中で、不具合や課題を見つけたとして、そういうときはGitHubにメモリリークのissueを立てて話を分離する。
そういうふうに、チームでやり方の合意を取る。最初から合意を取ることはできないだろうけど、やってるうちにこれは話題が発散してしまったら別のストック型のツールで整理していればその方法を取るようにしますね。
(今の)自分の考えのまとめ
- 自分に関係あるかどうかは会話の誰かがわかっているはず、自分に関係あれば自分をメンションに含めてるはず
- 話が発展したり発散して自分に関係があるようになったらメンションされることが経験上多い
- Slackはフロー型なので当然話が発散したり発散することに対して弱いので、別のツールで情報を共有するように会話の中で提案する
- 上記の前提に立つための運用がされるように徐々に方向性を決めていく