昨年ノーベル経済学賞を受賞した行動経済学派のリチャード・セイラー教授が、その近著『行動経済学の逆襲』(原題:"Misbehaving")(邦訳、早川書房、2016)の中で次のような体験を語っている。
1990年代前半、あるメディア企業の経営幹部(事業部長など)を対象にセイラー教授が行った講演でのエピソードである。
成功確率が50%でその場合は200万ドル儲かるが、残り50%の確率で失敗した場合には100万ドルの損失が発生する事業案件がそれぞれの事業部門でもち上がったとしたら、「あなたはそれを実行しますか?」とセイラー教授は23人の部長さんに尋ねた。
すると、実行すると答えた部長さんはたった3名だった。
次に講演を傍聴していたCEOに尋ねたところ回答は「全部やらせる!」だった。なぜなら、全23件の期待収益は1150万ドル(=(200万ドル×0.5-100万ドル×0.5)×23)である一方、全部が損失になる確率は極めて低いからだ(リスク分散効果)。
なぜ多くの部長さんが十分な期待利益のある案件を実行しないのか。出席者のある部長さんは「成功すれば称賛されて3ヵ月分ぐらいのボーナスが余分にもらえるだろうが、失敗すれば解雇される可能性が高いからだ」と答えたという。
つまり企業全体としては23件全ての案件を実行するのが合理的な選択であっても、部門毎に仕切られ(これを「狭いフレーム」と呼んでいる)、かつリスクテイクに見合ったインセンチブがないと、合理的な選択からは乖離した望ましくない結果が生じるということだ。
多数の事業部門に分かれた大組織がリスク回避的になる一般的な原理をよく示している。
ここからは私の議論だが、おおむね1990年代以降、日本の大企業でも事業部制や成果主義の導入が進められた。
こうした変革が各事業の特性に合わせた人材配置や組織運営、業績に基づく信賞を可能にする上で一定の合理性はおそらくあったのだろう。しかし、同時に副作用として狭いフレームから生じる「リスク回避病」を助長してしまったのではなかろうか。
しかも米国では1990年代以降、CEOのみならず経営幹部に対して、巨額のストックオプションによる報酬が普及し、経営幹部のリスクテイクに対するインセンティブは強化された。ところが日本では「成果主義」が強調される一方で、そうしたインセンティブの付与は弱かった。
そのうえ、米国の企業カルチャーはトップダウンで「全部やれ!」と命じるCEOがいるが、部長レベルからボトムアップで上がってくる事業案件を経営のトップが承認するだけの傾向が日本の大企業では強いとなれば、ますます「リスク回避病」が深刻になる。
例えば日本の総合家電企業は1980年代まではその質と価格で世界を席巻したにもかかわらず、1990年代以降は斬新な製品が登場する頻度がひどく落ちたと言わざるを得ない。
例としてiROBOT社のロボット掃除機のルンバが登場してブームになった時、「どうして同種のものがもっと早く日本企業から登場しなかったのか?」と感じた。
後日読んだ記事によると、同種のアイデアは日本の企業にもあり、技術的に全く実現可能だったが、ロボット掃除機が例えば家庭の仏壇にゴツンと当ってロウソクの火が倒れて火事になるリスクなど考えて二の足を踏んだという。
音楽のダウンロード配信ビジネスなども、「著作権法との抵触問題が…」と日本企業が二の足を踏んでいるうちにiTunesなど米国企業に席巻されてしまった。
こうした変化の全てが、上記の「リスク回避病」で説明できるとは思わないが、ひとつの要因として働いたのではなかろうか。