ジョヴァンナさんの記事に、古代オリエント博物館のツタンカーメンの記事が書かれていました。
「オリエント」という響きだけでも、頭の中に様々な想像を駆使することができます。
砂漠とラクダを思い浮かべる人、香辛料の香りに嗅覚が刺激される人、色鮮やかな中東のドレスに魅惑される人、はたまた「オリエント急行」を思い浮かべる人もいるかもしれませんね。オリエントとは東洋へのいざないへの呪文なのです。
本題はあくまでツタンカーメンなのですが、記事を読んで一つ気になることがありました。
古代オリエントの人は、他人のよこしまな視線を跳ね返すために目の形のお守りを作って身に付けたそうです。
これを見て、
「ああ、あれか!」
と。
私が思い出したのが、これ。
トルコのお守りです。トルコに旅行した人なら、見たことないとは言わせないというほど、お馴染みのグッズです。何かわからないまま見ると、少し気味悪さすら感じます。
イスタンブールのバザールを歩いていると、どっからか
「メンタ~マ、オマモ~リ!」
という日本語らしき声が聞こえてきたのですが、これがその「メンタ~マオマモ~リ」です。とにかく「メンタ~マオマモ~リ」が強烈すぎて、つい最近までこれの正式名称を知りませんでした。なぜならば、旅人の間でも「トルコの目ん玉のお守り」でみんなすぐわかってしまうから。
イスタンブールのバザールなら、今でも「メンタ~マオマモ~リ」で通じるんじゃないですかね!?
これは正式名称をナザール・ボンジュウ(Nazar boncuğu)と言い、トルコ、つまり本場オリエントに古くから伝わるお守りです。青いガラスに中心から青色・水色・白色の着色で目玉が描かれ、邪視から災いをはねのけると信じられています。ナザールは英語で「イーブル・アイ」と言い、やはり邪視除けとなっています。
トルコ人は、「現住所」はアナトリアだが「本籍地」は今でもモンゴル平原としているように、元々は北アジアの騎馬民族です。中国の文献には、「突厥」という名前で出てきます。
それが西へ移動、だいたい1,000年くらいかけて今のアナトリアに落ち着いたのですが、西モンゴル生まれのトルコ人にそもそも邪視除けの習慣はなかったはず。しかし、古代オリエントのDNAが、オリエントとは民族的つながりのないトルコに受け継がれているわけですね。
ツタンカーメンの話に戻ります。
ジョヴァンナさんの記事のはてブで、私はこんなコメントをしました。
古代エジプトの王の墓が並ぶ「王家の谷」に、ツタンカーメン王の墓があります。私も実際に行き、その目で見てきました。
しかし、全く記憶に残っていないのです。ツタンカーメン王の墓=古代エジプト文明=世界四大文明、教科書で習う栄光の歴史のはず。しかし全く記憶にない。
要するに、それほど「つまらなかった」ということです。あまりにつまらなすぎて、側頭葉に長期保存する価値すら見いだせなかったのでしょう。その「つまらん」という思いが、このコメントに込められています。
それを受けたジョヴァンナさんの返信がこれ。
しかし、このレスが返ってきた時には既に、エジプト旅行をした時の「旅ノート」をめくっていました。
旅ノートの効用
私の旅ノートは、トルコで買ったノートを使って書き始めたものです。通常は中身の公開はしません。しかし、ジョヴァンナさんのたってのリクエストとなれば、ここは恥ずかしながら少し公開といきましょう。
今はデジカメやスマホで、気軽に写真が撮れるようになり、かつその場で発信できるSNSなどのツールも花盛り。「インスタ映え」という言葉もすっかり定着しました。
画像や映像で残すことも重要ではありますが、その時に感じた気持ち、感情を文字に残すということも、旅の楽しみであります。
完全ではないですが、私の20年前の旅の記憶が比較的鮮明に残っているのも、受けたカルチャーショックもさることながら、やはり文字で残したということが大きい。
文章や筆跡を見ただけで、その時の記憶が浮かんできます。仮に浮かばなくとも、
「角の売店で買ったコーラは100円だった、ラッキー」
と書いておくだけでも、情報としてノートに残ることとなり、いわばアナログHDDとなります。
「おせちもいいけどカレーもね」ではないですが、「インスタ映えもいいけれど、ノートに感情を書き取るのもね」と私は言いたい。
これは、国内・国外問わずすべてにおいて有効です。メモる習慣がない人は、一度「旅ノート」をおすすめします。「旅」といっても、一泊以上のではなく、未知の場所を1時間ウロウロするだけでも、十分な「旅」です。
ノート・メモの取り方は人それぞれ。私は絵のセンスが幼稚園児以下だから文字で書いているだけで、絵が得意な人はイラストで残せばOK。
正直、ブログネタがないー!と言っている人ほど、メモを取ることをおすすめします。さらに言えば、書を捨てて街へ出ることも。
その時は何気に書いただけでも、数カ月後あたりに見直してみると、記憶が発酵されるのかネタになることあります。
実際、私は20年後の旅ノートをブログネタにしているのだから。
ツタンカーメン王の墓
王家の谷にあるツタンカーメンの墓は、もう腹立たしいほどの「世界三大ガッカリ」。旅ノートにはどう書いていたのか。ボロカスに書いてるんやろな・・・と思って開いてみると。
王家の谷のツタンカーメン王の墓は、特別料金40エジプトポンド(当時¥1200円)なのだが、入ってみると実に下らん。
副葬品はみんなカイロに持って行かれたせいか、あるのは棺だけ。これでこの料金はボッタクリというより詐欺である。ツタンカーメンに思い入れがある人と、(金が有り余ってる)ブルジョアの人以外は入る価値ゼロ。
(私の旅ノートより)
案の定、けちょんけちょんにdisっていました(笑
ボッタクリを越えて詐欺とまで言い切ってしまっている始末。約20年前とはいえ、誰やねんこんなボロカスに書いたのは・・・って自分自身でした。
そりゃ記憶に全く残ってへんわけやわ。
ルクソールという街
ツタンカーメン王はじめ古代エジプト王朝の王の墓は、「王家の谷」という場所にあります。
その観光の最寄りの町が、ルクソールという所になります。王家の谷の周囲はペンペン草一本生えない砂漠ですが、ナイル川沿いにあるルクソールは緑の絨毯ということが、上の航空写真からわかります。「ナイルの賜物(たまもの)」と言うように、ナイル川が運ぶ肥沃な土と水がエジプトを潤わせているのですが、ナイル川から一歩離れると一面の白砂の地獄ということが、この写真からわかると思います。
地図だけ見ると、この距離なら歩けそうに思えます。しかし、砂漠の熱さと乾燥をナメてはいけません。見た目だけは鳥取砂丘と変わらんのですが、その感覚で白沙の海に漕ぎ出すと、自分がミイラになります。そして数百年後、あるいは数千年後に「発掘」されることになりかねません。
では、ルクソールの街はどんなところだったのか。
私の旅ノートにはこう書かれています。
ありとあらゆるものすべてがツーリスティック。すべての人間がボッてくるといっても決して言い過ぎではない。子どもまでも金をせびってくる。エジプト一、いや世界でも屈指の「邪悪な」街であろう。
(中略)めちゃくちゃ暑い!!(中略)10月だったが、昼間は40℃近くもありそうな猛暑。それでも(地元の人に言わせれば)「not hot」だそうだ。「冬」でこれだから、夏に来るとどんなものか想像もしたくない。
(私の旅ノートより抜粋)
またもやけちょんけちょんですな。暑い、ぼったくる、ツタンカーメンはがっくりと、ええとこないやん(笑
ノート内にある「ツーリスティック」とは、当時のバックパッカー用語で、「悪い意味で観光客慣れしている、観光客からぼったくることしか考えていないような「邪悪」さ」というニュアンスです。決して良い意味ではありません。
ルクソールがどれだけ「ツーリスティック」か、またもや私の旅ノートが語ってくれています。
まずは、当時ようやく発達し始めたインターネットでしたが、ネットカフェのぼったくりぶりがヤバい。25Eポンドは当時のレート(1Eポンド=30円)だと¥750ですが、旅ノートによるとカイロのネットカフェの相場は10Eポンド。記述どおり2.5倍バリューです。
エジプトは20円くらいでメシが食えたので(ただし、マズさは世界屈指)、750円がどれだけぼったくりか。
ルクソール市街地の手書きマップと、主なお店の紹介です。
しかし、よく見ると・・・
「ぼっ(たくっ)てくる」
「ツーリスティック」
の文字ばっかり。みそかすに書いている割には記憶が不思議なくらいないのですが、店という店がぼったくってきたのでしょうな。
ぼったくってくる国は、別にエジプトに限ったわけではありません。しかし、コーラ一缶買うにも値段交渉しないといけないのは、世界広しといえどもこことインドくらいだった記憶があります。
とにかく360度すべてが「ツーリスティック」なルクソールですが、唯一ベタ褒めなところがありました。
ぼったくりルクソール市街地から北東の位置にある、カルナック神殿です。
私の旅ノートでも、いちおうは評価されております。行った記憶ははっきりしているので、まあ嫌な思いやガックリはしなかったのでしょう。
文章中に「エジプトに来たんだなと思わせるような所」と書かれていますが、どんな所なのか。
これは百聞は一見にしかず、画像で堪能下さい。
テレビの歴史番組や旅番組で、エジプトの神殿です!という紹介で出てくる映像そのままです。それもそのはず、その映像のほとんどがカルナック神殿だから。
ちなみに、これは私が撮ったわけではなく、Wikipediaやフリー画像からふんだくってきたものですが、実は写真が一枚も残っていないのです。その理由は・・・ルクソール行き列車待ちの際、カイロ駅で盗られてしまったから。まあ、カメラがない代わりに、文字で残してやろうと旅ノートを書き出したわけなのですが。
ツタンカーメンの黄金マスク
エジプトと言えば、上に挙げたルクソールなどもありますが、やはり
ギザのピラミッド。
エジプトのピラミッドとくれば、この風景を思い浮かべますが、「ギザ」と銘打っているのは、「ギザ」以外にもピラミッドがあるということと、クフ王などのピラミッドは「カイロではない」ということを強調したかっただけです。
隣町と言えばそうですが、「ギザ」とはカイロの隣にある町。ピラミッドはここにあります。大阪で言えば、カイロが大阪市内なら、ピラミッドは堺の仁徳天皇陵古墳のような位置となります。
そして、エジプトのもう一つの目玉が、ツタンカーメンの黄金マスク。
これは有名すぎて説明不要ですが、ツタンカーメン王は若くして亡くなったにもかかわらず、このような黄金のマスクが作られ埋葬されたことから、権威は相当にあったと思われます。
この黄金マスクは、カイロにあるエジプト考古学博物館にあります。「世界四大博物館」の一つと言われ、古代エジプトの秘宝を求めて世界中の観光客がここに集中します。
それ故、イスラム原理主義過激派のテロの標的にもなりやすく、実際に何度か襲撃を受けています。
彼らの目当ては宝ではなく、外国人。エジプトは観光が主要産業なので、外国人を血祭りにして産業にダメージを与える。主な目標は「不倶戴天の敵」なキリスト教徒(≒白人)ですが、20年前ながら日本人もルクソールで観光ツアー団が皆殺しにされています。覚えている人は覚えているでしょう。
主要産業が衰退すると食えない連中が出現し、不満の矛先は政府に向けられる。
そうなれば過激派の思う壺。そんな彼らをテロ組織に囲い込むという魂胆です。
私が行った時も、完全武装の警察官が入り口に立ち、中に入るには荷物検査など、まるで戦争寸前のような物々しい警備でした。
私の旅ノートには、この考古学博物館のことがこう書かれています。
見ごたえはあると思うが、とにかくモノが多すぎる!出土物を無造作に並べているだけのように思える。世界4大博物館の割には説明がかなり貧弱。ここに来る前に古代エジプト史の予習はしておいた方がいい。さもないと何もわからない。
館内は冷房がかかっていないので暑い。ミネラルウォーターを持参しておいた方がいい。2Fのツタンカーメンのマスクは見もの。
(私の旅ノートより)
ここに書かれているとおり、展示物が多すぎてかなりゴチャゴチャしていた印象が強いです。
ここの前にイギリスの大英博物館を訪れており、同じエジプト古代文明ものの展示でも、大英博物館は展示の仕方が計算されており解説も実に詳しい。それに比べると、「本家」は大雑把だなと。
アレキサンドリア
アレキサンドリア(またはアレクサンドリア)・・・都市の名前ランキングがあれば、間違いなく3本の指に入る渋い名前です。理屈抜きで、名前がめちゃくちゃ格好いい。こんなイケメンな名前は、世界にもそう見かけるものではありません。
と画像検索をかけてみると、こんなものが出てきます。
これはZガンダムの戦艦や!!(x_x)ヾ(-_-;)
でも、これもアレキサンドリアなのよねん。私と同世代の大きなお友だちならわかるでしょう。
アレキサンドリアという名前は、古代マケドニアのアレクサンドロス大王にちなんで名付けられました。
アレクサンドロス大王はヨーロッパから遠くインドまで遠征したことは、世界史の授業で習ったはずです。
彼は遠征先で、ギリシャ風の都市を作らせ部下を駐在させたのですが、そこを「アレクサンドリア」と、自分の名前を付けさせました。
どれだけ自己顕示欲旺盛やねん、ということはさておき、今でもアフガニスタンやパキスタンあたりではギリシャ様式の都市遺跡が発掘され、「アジア」なのに古代ギリシャの神々の像が出てきます。
また、北パキスタンの「フンザ」と呼ばれる地域の人は、「アジア」なのに金髪碧眼の人が多い地域です。
私もフンザに行ったことがありますが、実際に見ると、イタリア人かスペイン人と言われても違和感なしに納得するレベルです。使っている言葉もヨーロッパ系言語ですし。
しかし、各地に作られた「アレキサンドリア」は、現地に残ったギリシャ人たちも同化し、時代に埋もれほとんどが古代の化石と化してしまいました。
その中でも、世界で唯一残っている「アレキサンドリア」がエジプトのここというわけで*1。
個人的には、ピラミッド外してもアレキサンドリアは行け!というほど。天上に輝く一等星でした。
名前だけでこれだけ気をそそられる・・・アレキサンドリアよ、お前は罪な奴だ。
ちなみに、「アレキサンドリア」という名前は、あくまで英語。ヨーロッパ人向けの名前です。ギリシャ語の「アレクサンドレイヤ」を英語にするとアレクサンドリアというわけ。
これを現地のアラビア語ではどう発音するのかというと、アル=イスカンダリアとなります。
これを見て、あれ?と思った方は察しがよろしい。
では、突然話題は変わって、『宇宙戦艦ヤマト』の行き先は?
イスカンダルですよね。
これ、別に適当につけたわけではありません。イスカンダルとは即ち、アレクサンドロス大王のことで、間接的に「アレキサンドリア」のことだったりします。アレキサンドリアが宇宙戦艦ヤマトにまで飛躍する私のブログの広がりは、もはや14万8千光年まで達しました。
そんなことはどうでもいいとして、実際はどうだったのか。名前だけで絶対行きたい都市ナンバー1だった割には、さほど記憶に残っていないので、だいたいお察しなのですが。
名前はかのアレキサンダー大王にちなみ、かなり格好いいのだが、完全に名前負けしている感じか。かなり期待していたので、裏切られた感じである。(以下画像を読んでね)
(私の旅ノートより)
相当ガックリきたようです。
人間にたとえると、名家のお坊ちゃんと聞いてなんだか憧れたけど、実際会うと中身空っぽやん・・・と幻滅しちゃった系でしょうか。
BEのぶ特選「世界三大名前負け名所」の3つのうち2つが・・・エジプトにあり。エジプト恐るべし(笑)
エジプトの思い出は、ピラミッドあり、ルクソールのぼったくり三昧あり、ツタンカーメンの天国と地獄あり、名前だけはすごかったアレキサンドリアなど、良くも悪くも印象が強いところでしたが、エジプトってどんな所でしたか?と聞かれれば、私はこう答えます。
メシがマズい!!
大切なことなので、もう一度言います。
メシがマズい!!
世界一メシがマズい国と言えば、イギリスが世界的に有名ですが、エジプトも負けてはいない。いや、個人的にはイギリスをしのぐマズさでした。
私が旅ノートでエジプトをdisりまくっているのも、メシの不味さに辟易していたからかもしれない。それほどメシの恨みは恐ろしい、それが言いたいだけです。
ただし、これだけは真剣に言えます。
ピラミッドは死ぬまで一度は間近で見ておいた方がいい。
デカいとは思っていたけれど、想像以上にデカいです。
私は宇宙人や幽霊は基本的に信じない方ですが、ピラミッドを見て思いました。
もしかして、宇宙人って本当にいるのではないか・・・。それほど、ピラミッドは「地球人ごときが到底作れたものではない」レベルのすごさでした。
ピラミッドを見に行くだけでも、エジプトは行く価値ありです。これは断言できます。
ただしメシだけは、お金を出してでも良いレストランで食った方がいいかもしれない。
==言及記事==
*1:アルカイダのオサマ・ビンラディンの潜伏先で知る人ぞ知る存在になった、アフガニスタンの「カンダハル」は、「アレキサンドリア」の「アレキ」が脱落し、「サンドリア」がペルシャ語風に訛ったものだと主張している学者もいます。