「霧氷少年」のその後は、元の木阿弥

「愛国少年」として「北京の夢」は叶ったが…

2018年3月23日(金)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

1月に「氷花男孩」(霧氷少年)として有名になった8歳の王福満君のその後は…(写真:Imaginechina/アフロ)

 1月8日に中国のSNSである“微信(WeChat)”に投稿された、霧氷を頭髪に付着させて白髪の老人のように見える“氷花男孩(霧氷少年)”と題する写真で、8歳の“王福満”は一躍有名になった。

零下9度の山道を走り、一躍人気者に

 王福満は雲南省の東北部に位置する“昭通市”の管轄下にある“魯甸県”の“新街鎮”にある“転山包小学(転山包小学校)”の3年生である。1月8日の朝、彼は学校の期末試験に遅れないようにいつもより早く家を出発し、零下9度の凍てつく気温下で4.5kmの山道を懸命に歩き、家を出てから1時間後にようやく学校へ到着した。試験開始に間に合っただろうかと、心配しながら教室の後ろのドアを開けて中に入ると、一斉に振り向いた級友たちは彼を指さして笑い声を上げた。それは王福満の頭髪が付着した霧氷で白髪の老人のようになっていたからであった。

 

 試験に遅れないように極寒の中を必死に歩いて来た王福満に感動を覚えたクラス担任の教師が、教室に入って来たばかりの王福満の姿を写真に撮り、その写真に“氷花男孩(霧氷少年)”という題名を付けて微信に投稿した。この写真が微信ユーザーの注目を集め、それがネットに転送されて評判となり、さらにはメディアが報じたことで、王福満は一躍時の人になったのだった。この経緯の詳細については、2018年1月19日付の本リポート『「霧氷少年」が露わにした中国“残留児童”問題』を参照願いたい。

 

 転機となった1月8日の朝、王福満はいつものように4.5kmの山道を歩いて学校へ通っただけだったが、担任教師が登校したばかりの彼を撮影した写真を微信へ投稿したことにより、王福満は思いがけず世間の注目を集めることになったのだった。“氷花男孩(霧氷少年)”というという言葉の神秘的な響きと、写真の中の王福満のあどけない表情が人々を魅了し、彼は突然“紅人(人気者)”になったのだ。それでは、その後の王福満はどうなったのか。中国メディアが報じた王福満に関連する記事を取りまとめると以下の通り。

オススメ情報

「世界鑑測 北村豊の「中国・キタムラリポート」」のバックナンバー

一覧

「「霧氷少年」のその後は、元の木阿弥」の著者

北村 豊

北村 豊(きたむら・ゆたか)

中国鑑測家

住友商事入社後アブダビ、ドバイ、北京、広州の駐在を経て、住友商事総合研究所で中国専任シニアアナリストとして活躍。2012年に住友商事を退職後、2013年からフリーランサーの中国研究者として中国鑑測家を名乗る。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント

いただいたコメント

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

閉じる

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

営業利益率は業界の中では高い方だと説明しています。ただ、全産業の中では決して高くはありません。

町田 公志 SGホールディングス社長