『NieR: Automata』“触った瞬間に楽しい”アクションへのアプローチと、ヨコオ氏の考える“ゲームの自由”、そして隠された密かな願い【GDC 2018】

ゲーム開発者向けの国際カンファレンスGDC(ゲーム・デベロッパーズ・カンファレンス)で行われた、『NieR: Automata(ニーア オートマタ)』についての講演の模様をお届けする。

 先日、発売一周年を迎えたアクションRPG『NieR: Automata(ニーア オートマタ)』。現在アメリカのサンフランシスコで開催中のゲーム開発者向けの国際カンファレンス、GDC(ゲーム・デベロッパーズ・カンファレンス)で、ヨコオタロウ氏とプラチナゲームズの田浦貴久氏が講演を行った。

 講演は、前半はアクションについて田浦氏が、後半は本作における“自由”についてヨコオ氏が解説する形の二部構成で行われた。

前半パート「触った瞬間に楽しいと思えるアクションを作るために」

 田浦氏はまず『ニーア オートマタ』のアクション要素について、“触った瞬間に楽しいと思える”アクションを目指したと語る。それを実現する上で取ったアプローチは、まず“1. 理想をイメージする”、そしてできてきたものに対して“2. 的確な指摘を行う”、それを踏まえて“3. 細かい調整をくり返す”という3段階によって成り立っているという。

1. 理想をイメージする

 まず「理想をイメージする」というのは、これから作るゲームにおいて何が「いい」という判断で、何が「悪い」という判断になるものなのかを最初にちゃんと決めておくということ。もちろんこれは対象とするプレイヤーやタイトルによって変わるため、ここで話されたのはあくまで『ニーア オートマタ』でのケースだ。

2. できたものに対して的確な指摘ができるか

 そして次に作っていく中で、その理想を念頭に置きながら、何が良くて何が駄目なのかを判断し、指摘していく。いい悪いを感じる要因は、アニメーション、反応、ビジュアル、サウンド、画面に出ているすべてが対象になりうる。

 中でもプラチナゲームズとして『ニーア オートマタ』で強く意識されていたのは、「入力に対するレスポンスをよくする」ことだったそう。これはプレイヤーの入力に対してアニメーションが再生されることと、攻撃判定などが発生して“アクションの結果”が示されるまでを含む。

 例えば回避やジャンプなどの頻繁に使われるアクションは(そうしない方がいいと判断した場合を除いてほぼ)いつでも出すことができるようになっている。ジャンプ中でも回避アクションを出したりできるわけで、出したいアクションが出ないというストレスを除いている。

 また攻撃アクションでは、攻撃ボタンを押したらすぐにアクションが発生し、その結果やエフェクトもすぐに伝わるようになっている。2Bが待機状態から通常攻撃を出した時は、アニメーションが動いて攻撃判定が起こるまでは毎秒60フレーム中の10フレーム、0.16秒しかかからないという。

3. 細かい調整のくり返し

 できあがってきたものが駄目だった場合、調整を行うことになる。ここでは引き続きアニメーションを例に、ツールの画面を交えつつ実例が紹介された。

 示された開発ツールは、キャラクターアニメーションに対してフラグを設定していくというもの。フラグは64種類ほどあり、一例を挙げると「追尾可能」というものがある。

 これがある攻撃アニメーションに対して有効になっていると、一定範囲内に敵がいた場合に、その方向を向いて攻撃を行うようになる。これにより正確に狙わなくても、ある程度敵をいい感じに攻撃できて、つまり気持ちいいアクションを体感できるわけだ。

 ツール上ではどこからどこまで有効にするかのフレームを指定することができ、一般的には早い段階で有効化する。有効フレーム数は短すぎると当たらなくなり、長すぎると動きがおかしくなる。アニメーションの長さは技などによって異なるため、この設定は自動化せずにひとつずつ手作業で設定されているとのこと。

 またゲームデザイナーが気持ちいいと感じるテンポでなかった場合、アニメーションの再生速度をまずゲームデザイナー側で調整してしまい、それをもとにアニメーション担当のアーティストがモーションの調整を行うというフローも存在するとか。

 差し戻しになってそれだけ時間がかかる形だが、デザイナー側で最初に納得するスピードに調整しているため、全体の調整時間は逆に減っているのではないかと語っていた。

 このように開発期間中は、ツールで設定や調整を行い、それを仮のゲーム画面ですぐに確認し、場合によっては再度調整……というくり返しをずっとやっていたとのこと。それでも(このアニメーションのケースでは)入力に対するレスポンスの良さに気持ちよさを求めていたわけで、理想を実現するために必要な苦労だったというわけだ。

 また絶対の正解がそこにないからこそ、最初に理想とするイメージをしっかり描いておくことが大事なのだそう。

後半パート「自由とは何か?」

 後半のヨコオタロウ氏のパートでは、同作における「自由とは何か?」というテーマについて語られた。

 ヨコオ氏はまず、「高い自由度」といった表現がよく使われるジャンルとしてオープンワールドアクションを例示する。大きなマップでいろんなことができる、そんなイメージだ。

 その上で『ニーア』シリーズ2作は、「オープンワールドとも言えなくもないゲーム」だとヨコオ氏。これはどういう意味なのか?

 実は具体的には『ゼルダの伝説 時のオカリナ』から大きな影響を受けており、中央に平原があって周囲に特徴的なエリアがあるという構造だけでなく、実際に『ゼルダの伝説 時のオカリナ』で中央部分を横断する時間を計測して自作に反映しているほどだとか。

 しかし元ネタの『ゼルダの伝説 時のオカリナ』そのものがそうであるように、その結果できた構造は、『グランド・セフト・オート』シリーズのようなオープンワールドと考えることもできるが、「行き来できる一本道ゲーム」(ヨコオ氏)ぐらいの方が近いと考えることもできる。確かにどちらが当てはまるかは、どこを重視するかによって異なるだろう。

 ここで重要なのは、オープンワールドかそうでないかではない(またこのふたつの見立てにオープンワールドだからいいとか悪いといった上下はない)。話は「高い自由度」を持つとされることが多いオープンワールドゲームとは別の自由を本作が模索していたことに繋がっていく。

 ヨコオ氏は「オープンワールド疲れ」という表現を引っ張り出す。これは大きなマップ、いろんなアイテム、たくさんのクエストといった大作オープンワールドゲームの特徴に、逆に疲れを感じるプレイヤーが出てきたことを指す。

 大量の物量が当たり前になってしまったことで、それが消費しなければいけないもの、「作業」の対象になってしまったのではないか? 「自由度が高いことが、自由があると感じることに繋がっていないのはゲーム特有の現象」とヨコオ氏は指摘する。

 では、そうではない形で自由を感じさせるにはどうするか? ヒントとなったのが、『スーパーマリオブラザーズ』と『グランド・セフト・オートIV』で驚いた経験だ。

 『スーパーマリオブラザーズ』では、1-2ステージなどでタイムやコインなどのUIが表示されている画面最上段に抜けてワープゾーンに行くことができた。ヨコオ氏はこれに気付いた時に、それまでのイメージの枠組みを超えたものが提示されたことでとても驚いたと振り返る。

 一方『グランド・セフト・オートIV』では、そこら辺に歩いているNPCに「話しかけられないこと」に気が付いて驚いたんだとか。JRPGなどでは会話が設定されている事が多いのに、なぜそうなっているのか?

 そして巨大な予算がある『グランド・セフト・オートIV』なら、サボってそうなっているわけではなく、何か理由があるに違いないと考えた……というのが面白いところ。ヨコオ氏の考えた仮説は、現実世界で実際そういうことをしないのだから、リアリティを追う『グランド・セフト・オートIV』にとってはむしろコレが自然であるということだ。ひいては「自由に空を飛べたり、時速500キロで走れたり、壁を通り抜けたり」は“自由”ではないのが『グランド・セフト・オートIV』なのだという考えに至ったという。

 このふたつの学びを経て導き出されたのが、プレイヤーが「こんなものだろうな」と思う世界の限界を押し広げ、想像の枠が広がる瞬間を感じさせることが“自由”の実感に繋がってくるのではないかということ。

 乗れると思っていなかったものに乗れたり、壊せないと思っていたものに壊せたり。ここでは物量ではなく、認識の広がりがキーになっている。「自由とは過去に獲得されなかった未来の中にある」とヨコオ氏はまとめた。

 では『ニーア オートマタ』では、この理論をどのように実践しているのか? ここからは実際のストーリー構造の大枠が含まれるため、ある程度のネタバレ容赦でお願いしたい。

 目標としては、プレイヤーがそれまで認識していた「枠」の外側を提示できればこの形を作れるはずだ。だが予算には限りがあり、物量作戦は使えない。というわけで逆の発想だ。まず狭い範囲に、プレイヤーに最初に認識させるための枠を作ってしまうのだ。それが世界だと誤認させてしまえば、本当の世界の大きさに出会った時に驚くのは変わりない。

 シリーズでは、同じ世界を何度かプレイすることになる。『ニーア レプリカント』では少年時代を過ごし、青年時代を過ごしてAエンドを見るというのがひとつのセット(これも『ゼルダの伝説 時のオカリナ』からの影響らしい)となり、これがプレイヤーに認識させる内側の枠となる。

 その上でマモノの声を聞けるようになって敵の理由を知ることができるようになると、認識が広がる瞬間が生まれるわけだ。

 しかし『ニーア オートマタ』では、裏ルート的な展開がありうること自体はもう知られているため、同じ手口は使えない。そこで2B編で一度エンディングにしてしまい、9S編で別のエンドを見せる。そのうえでさらに新しい物語を用意することで、「裏ルートが終わったか」と思ったらさらに裏があるという体験になるわけだ。

 時間の関係上いくつかの事例が飛ばされて、最後に提示されたのは、ラストのメッセージ画面。最後の戦闘に苦労するプレイヤーに世界中のプレイヤーからのメッセージが届くというもので、メッセージは(同じように)応援されつつクリアーした人が入力できるという仕掛けだ。

 これはコカ・コーラの“スモールワールドマシン”という企画が土台となっている。対立が続くインドとパキスタンの両国にマシーンを設置し、通信で接続。映像で映された相手国の人と共同でアクションを行うことでコーラを貰える、という仕組みになっている。

 これにならい、当初は『ニーア オートマタ』のメッセージ画面も、仲が良くない国のゲーマーから応援メッセージがやってくることで、憎んでいる国の人も同じゲーマーであることに気がつくというアイデアだったそう。

 しかしそれは「自分の主義主張の押し付けだ」と思ったことで、実際にはランダムな国のゲーマーからメッセージが届くという仕様になっている。ヨコオ氏は「ビデオゲームはクリエイターの主張じゃなくて、プレイヤー自身が選択する自由があるべきだと思っている」と語る。この形式では、実際に何が起こるかの推測は難しい。

 「それが、僕が思う今回のビデオゲームにおける自由でした」もちろん単なる投げ出し型の自由ではなく、この言葉には続きがある。

 「個人的な思いだけで言えば、コカ・コーラの自動販売機に僕が感銘を受けたように、ほんの少しのプレイヤーさんだけでも、遠い国の人のことを少し思ってくれたのなら、僕はとても嬉しいし、そうなることを少しだけ、こっそり祈っています」

 あなたはどうだっただろうか?

終了後、業界のファンから囲まれる両氏。場所を移して、撮影会とサイン会がたっぷり続いた。