昨年末にアップされた、サイボウズの青野慶久社長のこのツイートを読んで衝撃を受けた若者も多いのではないだろうか。
本書はこの文章から始まる、これからのあるべき働き方の指針となる啓蒙書である。ここに書いてあることはほぼ正しい。そして、それは心ある人なら誰でも薄々分かっていることである。我々は皆、もう旧来の日本型会社システムがワークしなくなっていることに気づいている。
しかしながら、世の中全体がおかしい時には、常識的な大人は、若しかしたら自分が間違っているのではないかと思ってしまう。「王様は裸だ」と言うのは難しい。それほど人間というのは社会的で右顧左眄してしまう動物なのである。
そこに、そのおかしさを論理的にキチンと説明して、我々の進む道を啓示してくれる指導者が現れれば、世の中は一気に変わる。それが青野氏であり、本書なのである。
青野氏は言う、「私たちが楽しく働けないのは、会社の仕組みのせいなのではないか。会社がモンスターのように私たちを支配してしまっているからではないか」と。
会社というのはフィクション(想像上の人)である。そのフィクションがいつの間にか我々の人生を支配するようになってしまった。だから、もう一度、自分の人生について主体的に考えてみよう。そのために、サイボウズもその代表取締役である自分も変わるから、ということである。
近頃の日本を見ていると、「制度疲労」という言葉に全てが集約されるように思う。財務省の文書改ざん問題、東電・東芝など伝統的大企業の迷走、頻発するセクハラ・パワハラ問題など、数え上げたら枚挙にいとまがない。
今、政府で議論されている働き方改革の議論にしても、皆、どう考えてもおかしいと思っている。
サイボウズは、「働き方改革、楽しくないのはなぜだろう。」と世に問うキャンペーンを始め、昨年9月の日経新聞に「お詫び」の全面広告を出した。そこには次のように書かれている。
“とにかく残業はさせまいとオフィスから社員を追い出す職場、深夜残業を禁止して早朝出勤を黙認する職場、働き改革の号令だけかけて現場に丸投げする職場。なんですか、そのありがためいわくなプレミアムフライデーとやらは…。私たちが伝えたかった「働き方」とはそういうことではないのです。
”
私は本書を読んで、昨年8月に東京大学の安冨歩教授が書いた、『ブラック企業は日本社会の「立場」主義が生み出している』の一文を思い出した。その中に、なるほどと思う次のような文章があった。
“企業に入れば、名刺を持ちます。私は大学卒業後、住友銀行(当時)に入行しましたが、客先では「住友さん」と呼ばれたものです。名作アニメ『機動戦士ガンダム』では、ひ弱な青年・アムロが、カッコいいモビルスーツ・ガンダムに乗り込んで活躍する様が描かれていましたが、これはサラリーマン世界で「住友銀行」といった強力な名刺を持った若造の表象です。そして、個性を伸ばしながら一人前になるのではなく、「住友マン」であることを徹底的に叩き込まれます。
”
私も大企業に勤めていた時は、「○○さん」というように、企業名で呼ばれることが多かった。特に、大きな会議の場では企業名で「○○さんのご意見は如何ですか?」などと聞かれることが多いように思う。
大企業の役員をやっていた時には、接待の席などでしばしば、「○○さんはすごいですね」などと会社名であからさまなお世辞を言われたが、いつも心の中で、「それは会社の話であって、私の話じゃないでしょ?」と思っていた。要は立場対立場で会話しているので、話は全然弾まないし、面白くも何ともないのである。
でも、そんな自分も若者達に働きがいのある職場を提供できていたのかと反省することがある。結局、会社というモンスターの片棒を担いでいたのかも知れないと。
そうした意味で、糾弾される側のおじさん世代を代表して言えば、ここはおじさん達も頑張り時なのである。「我慢レース」の勝者として旧体制を死守するという意味ではなく、若者達と一緒に新しい時代を築いていくために。
先日、私の若い友人が、SNSで次のような投稿をしていた。
“『若者にもっと挑戦して欲しい』という50-60歳代に畏れながら申し上げたいのは、本当にそう思っている人は、『僕も若い人に負けないように頑張っているんだ』と言いますよ、ということ。
”
AI(人工知能)やブロックチェーンなどのIT技術の発達によって、今、求められていて、そして現に起きているのは、1から2や10から100を生み出す漸進的な変化ではなく、0から1を生み出す革命的な変化(ゼロ・トゥ・ワン)なのである。そして、それに伴い、社会にも大きなパラダイムシフトが生じている。
私自身、50歳代半ばで一旦、人生に区切りをつけて、今、新しい事業に取り組んでいるが、いつまでも、若い人たちに「僕も頑張っているんだよ」と言えるような人生であり続けたいと思っている。
今話題の東芝に代表されるような大企業も、元を辿ればベンチャー企業だった。そこには明確な夢や目標があって、皆がその実現に向けて邁進していたのだと思う。それがいつの間にか、組織の存続自体が目的化してしまい、そこで働いている従業員は置き去りにされてしまったのだろう。
そういう意味で、青野氏は企業が長く存続すること自体を良しとする日本の風潮にも異を唱え、次のように言う。
“「カイシャは永続すべきである」と言われることがありますが、私はそれには賛成しかねます。これからの時代、もっとカイシャは作りやすくて、解散しやすいものになると思っているからです。だから、理念が弱くなってしまったカイシャは、むしろ早くリセットしてしまったほうがいい。
”
企業社会を取り巻く今の状況を明治維新頃に例えるなら、1868年3-4月の江戸開城の直前だろうか。第二次世界大戦に例えれば、1945年5月のドイツ降伏から同年8月の日本降伏の間位であろうか。そんな時代に、今、我々は立ち会っているのである。
私生活においても、選択的夫婦別姓を認めない現在の法律は憲法違反であるとして裁判所に提訴した青野氏は、例えて言うなら、平成の坂本龍馬だろう。龍馬のように、「日本を今一度せんたくいたし申候事」などと格好良い台詞は言わないが、理系出身の経営者らしく理路整然と、「伝統を守るべき」という意見に対しては「明日からチョンマゲな」と返すなど、時にはユーモアを交えて淡々と語る口調が、今の時代に求められる新しいリーダー像を体現しているのだと思う。
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