ライフコラム

子どもの学び

慶応大に進学した“ビリギャル” その後の物語

2014/5/6

 その代わり、さやかさんにとっての学びは、「いろんな人に会い、そこから様々な経験をしたこと。授業よりも、それで自分がもっと成長できるのが魅力だったので」。生活の中心となったのはサークル活動。1922年設立の伝統ある広告学研究会に所属した。ミス慶応コンテストを主催する、学生サークルの草分けだ。

ビリギャル 小林さやかさん

 フリーペーパーを発行したり、湘南の葉山で海の家の運営をしたり、ミスコンの裏方をしたり。それこそ、名古屋にとどまっていては体験できなかったことに関わり、会えなかったような「キラキラした人」たちと交わった。

 名古屋時代によく遊んだ友人たちは、ほとんどがキャバクラ嬢になったという。中にはお店のナンバーワンに上り詰めている子も。一方で、慶応のサークルの同期からは、起業して億単位の年商を稼ぐという人が現れた。「キャバ嬢の方が低レベルだなんて全然思っていなくて、全く真逆の人たちを両方知っている私は、そこが自分の強みだと思っている」

 職業に貴賤(きせん)はないはずだが、それでも両方を等価と見られるさやかさんの視線は、確かに人間としての幅広さを示すものだろう。その本人が就職活動で目指したのはサービス業だ。

 大学時代、東京・下北沢の人気居酒屋でバイトした。2時間待ちでも入りたい人が列をなすほど、料理と、スタッフの接客の良さが評判の店だった。その体験が人と関わるサービス業を仕事にしたいという思いにつながる。リッツ・カールトンについて書かれた本に感銘を受け、東京ミッドタウンの同ホテルにアポなし突撃をし、「ここに入れて下さい」とフロントで訴えたこともある。もちろん「中途採用しかしていません」というつれない返事で撃沈したのだが…。

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