またしても非原理的で反摂理的な暴言を語られた真のお母様

柳慶明

 

3月16日、米国ラスベガスで行われたFamicon 2018において、真のお母様は、また、非原理的で反摂理的な暴言を語られた。真のお母様は、お母様によって天一国という新しい時代が出発したのに、食口たちが成約時代に留まっていてもいよいのか。と叱咤され、神の摂理において、再臨主よりも重要なのは神の血統を持ってきた独生女の出現であるというとんでもない主張をされた。また「長子」という概念は、東洋の伝統(儒教文化)であると規定され、長子は、真の父母を中心とした伝統が立てられれば大祭司長のような立場になるだけであり、真の父母の後継者、もしくは相続者といった概念はないという詭弁も付け加えられた。神の摂理と原理、そして真のお父様の教えによると、そのような内容は真のお母様がいかに高慢であり、無知であり、偽りの欲望に満ちた方なのかを天下に自ら暴露するようなものである。

 

 

真のお母様のFamicon 2018におけるみ言葉の3つの問題点

 

まず第一に、その日、真のお母様が語られたみ言葉は、神の摂理歴史を完全に歪曲されている。神の復帰摂理の目的は創造目的の実現である。創造目的は、神を中心とした夫婦と子供からなる四位基台、すなわち「神を中心とした家庭」である。アダム家庭はそのような神の創造目的を実現しなければならない歴史的位置にいたが、サタンを中心とした家庭を成し、神の創造目的が実現されなかった。そのアダムに代わって、第2のアダムとしてこの地に来られた方がイエス様である。しかしイエス様は神を中心とした家庭を立てることができず、再臨の約束を残して亡くなった。神の摂理歴史は、真のお父様が来られることによって旧約と新約を越え、約束が成就される成約時代に入った。真のお父様は、真のお母様を選択し、聖婚され、善の子女を生むことにより人類史上初めて神の直接主管が立てられ、神を中心とした理想家庭、すなわち真の家庭が立てられた。しかし、それで終わりではない。真の父母様と真の家庭が定着し、それを基盤に神の主権が国家、そして世界に拡大されなければならない。つまり、モデル的平和理想家庭と平和理想世界王国を建設しなければならないのである。それがまさに天一国時代であり、2013年の基元節の約束の意味である。

 

しかし真のお母様は神の摂理を捨て、真のお父様を裏切られた。また、長子権を持った顯進様と他の兄弟たちの間の秩序を崩壊させることに先立たれた。これにより真の父母様と真の家庭は定着できず、神主権の平和理想世界王国の建設は延長され、真のお父様は聖和されてしまった。

 

このような歴史的な過ちの中で、真のお母様による今回のFamicon 2018におけるみ言葉は、真のお母様の脱線がどれ程であるのかを赤裸々に見せている。真のお母様は、お母様が誕生することによって新約時代が終結され、真のお母様と一つになった真の父母が登場することによって成約時代が宣布されたのであると、神の摂史をことごとく歪曲された。そして、真のお母様が2013年の基元節を宣布され、天一国時代を出発することによって成約時代が終わったという全くでたらめな主張までされた。このような主張は、創造目的を実現するために人類歴史を導いてきた神の摂理歴史全体を完全に否定するものであり、真のお父様ではなく真のお母様が摂理の中心人物であるという妄想でもある。真のお母様の反摂理的行動に唖然とするだけである。

 

真のお母様は、摂理がお母様を中心に進められるという間違った考えを一日も早く正さなければならない。真のお母様が自己中心的なアジェンダを放棄しないかぎり、6000年前、サタンと一つになって神のみ旨を崩壊させたエバよりも大きな罪を犯した女性として人類歴史に記憶されることとなるだろう。

 

第二に、真のお母様によるその日のみ言葉は、独生女アジェンダが聖書の証拠と自然法、そして原理に反するものであることを明らかに示した。アダムとエバの創造が記録された創世記2章19節から23節の内容をみると、アダムがすべての生き物の名前をつけた。そのようなことができる理由は、アダムがアイデンティティの根である種を持っているからである。そして神は、アダムの助け手がいないので、アダムのあばら骨を取って女を作られた。そしてアダムは「これは私の骨の中の骨、肉の中の肉である。これを男からとったので女」としようと言ったのである。アダムが種を持っており、女はその種から始まった。これは、エバのアイデンティティがアダムとは関係なく独立的に規定されないということを意味している。

 

自然界を見ても種はアイデンティティの根を示す。そのため、リンゴの木の種を韓国に蒔いても、日本に蒔いても、米国に蒔いても、どこに蒔いても蒔かれた種からは必ずリンゴの木が育つ。種がリンゴの種であるため、環境が変わってもその種によってリンゴの木というアイデンティティが維持されるのである。

 

原理的にも同様である。男性と女性は神の二性性相をそれぞれ代表して作られた。堕落した人類であったために女性にとっては不平等な社会が形成されたが、本然の男性と女性は平等である。男性は男性として、女性は女性として、神の男性像と女性像をそれぞれ代表して作られた尊い存在である。男性は権威、力、血統など、神の男性像を代表して創造された。女性は恩恵、無条件的愛、生命など、神の女性像を代表して創造された。男性と女性は違う形に創造され、お互いに真の愛を中心にお互いに補い合う関係を結ぶようになっている。

 

「救援摂理史の主な目的は、神の愛と生命の種を持った息子、メシアを送ることである」(「み言葉選集」285巻p.24 1997.4.19)。そして「その息子によって失敗したエバを代身する女性が立てられ、神の娘として再創造されるのである」(「み言葉選集」482巻p.275 2005.1.14)。その女性がまさに真のお母様である。そのような位置に立てられた真のお母様は、人類を代表する女性の役割をしなければならない。すなわち、神の女性像を実体的に現し、後世のための女性像の正しい先例を立てなければならないのである。

 

 1992年度に真のお父様が女性時代を宣布されたのは、この地に真の父母が定着するために、このような代表女性としての真のお母様の役割が重要だからであった。真のお母様が真のお父様と共に真の父母様として立つことができる資格を備えなければならない時代であるというのである。真のお父様が失敗したアダムの代わりに神の男性像を代表する実体となられたように、真のお母様は失敗したエバの代わりに神の女性像を代表する実体とならなければならなかった。

 

しかし、今の真のお母様は、神の摂理において再臨主よりも重要なのは、サタンとは何の関係もない天の血統を持ってきた独生女の出現であると主張される。そして、もしも独生女が生まれなければ、再び来たメシアは真の父母の位置に立つことができないとまで主張されている。これは、聖書の証言と自然法、そして原理のすべてに、根本から違反する主張である。真のお母様の独生女アジェンダは、本然の女性の役割とは全く関係のないものであり、失敗したエバを代身して、復帰されたエバとして勝利しなければならない真のお母様の責任とも無関係なものである。

 

真のお母様の権威は、主観性を転倒して真のお父様よりも上に立とうとする努力では絶対に立てられない。その権威は、神の前に真なる娘の愛、真のお父様の前に真なる妹と妻の愛、真の子女様と人類の前に真なる母の愛を完成し、自然に生じる道徳的権威として現れるのである。真のお母様は一日も早く、危険な「独生女」主張から抜け出し、真の愛の道徳的権威を立てなければならない。

 

第三に、真のお母様のこの日のみ言葉は、長子権の原理的な意味について全く知らない、無知であることがそのまま現れた。神と人間の関係は父子の関係である。父子の関係が持っている特性は、真の愛と真の生命と真の血統の関係である。神と人間の間にそのような父子の関係が結ばれ、また、後代まで続くにあたり、その重要な権限と責任を持つのが長子権である。したがって「本然のエデンの園で、アダムは神の真の愛と真の血統を連結させる長子の立場にあった」({み言葉選集}345巻p.41 2001.5.27)。そして、もしもアダムが堕落しなかったならば、アダムの子女たちがどんなに多くても、長子が系統を引き継ぐようになっていた」(「み言葉選集)301巻p.191 1999.4.26)。

 

イエス様も同様である。「イエス様は神の愛を受けることのできる血統的内容を中心に長子権を持った息子として生まれた」(「み言葉選集)342巻p.265 2001.1.13)。そして「もしもイエスに子女がいたとすれば、長子権を持つ息子が父親の代を受け継ぐようになっていた」(「み言葉選集」231巻p.273 1992.6.7)。

 

このように長子権は、神が立てられた創造原理の概念である。長子権は、神と人間が真の愛、真の生命、真の血統の関係を結び、それを後世に相続する上で代表的な息子が持つ重要な権限である。もしも長子権を立てることができなければ、神と人間の根本的な父子の関係を立てることができず、その関係も後代につなげることができない。それほどに重要なものが長子権である。

 

しかし真のお母様の発言は、このような原理とはあまりにもかけ離れている。無知にも、長子という概念は東洋の伝統(儒教文化)であると規定しているだけではなく、東洋の伝統によると長子が死ぬと次男、三男が長子になるのではなく、長子の長子がその位置に立つと語られた。そして長子の役割は、大祭司長と同じ立場であるというとんでもない主張をされながら、真の父母様の後継者、相続者はいないと語られた。このような真のお母様の主張は、長子権を持つ顯進様を認めようとされない陰凶な計略にすぎない。

 

長子権は真のお母様が決めることができるものではなく、認める認めないという問題でもない。長子権は神が持っておられる神的権利によって決定される。そして、長子権は生まれた順序によって決定されるのではなく、資格のある息子が自然に立てられるものである。真の家庭の場合、孝進様が生きておられた時、神によって既に顯進様に長子権が付与され、真のお父様がそれを公布された。(「み言葉選集」324巻p.142 2000.6.18 「み言葉選集」32巻p.299-300 2000.9.24 「み言葉選集」468巻p.161 2004.9.13 「統一世界」2004.10月号p.381 2004.9.1)

 

結論

真のお母様はその日、聖書のマタイによる福音書を引用されながら、メシアを非難することは許されるが聖霊を冒涜する者は許されないと語られながら、独生女である真のお母様に背く者は決して救われないのであると脅迫までされた。しかし、真のお母様は、お母様が先ず、今どこに立っておられるのか、どのような責任をしなければならない立場なのかを正確に知らなければならない。お母様が立っておられる足元が、百尺竿頭、断崖であるという事実を悟られなければならない。

 

このような状況であるにもかかわらず統一教会の指導者たちは、祝福家庭に「真のお母様は真のお父様と一つである」というカルト教義を教え、真のお母様の非原理的で反摂理的な姿と真のお母様に従う自分たちを正当化し続けなければならないのか。祝福家庭たちはそのような嘘に遊ばれながらも真のお母様に、続けて無条件に従い、愛していると拍手をしなければならないのだろうか。指導者と祝福家庭のそのような態度は、真のお母様を煽り、さらに断崖へと追いやるものである。心から真のお母様のためを思うなら、非原理的、反摂理的な道の断崖の端に立っておられる真のお母様に従うことを止めるべきである。そうすれば、真のお母様の歩みは止まり、後ろを振り返られるだろう。

 

 

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