日本敗戦⇒朝鮮戦争
今月6日に「隣を知らなすぎる外相」を書いたが、それに関連して日本の敗戦から朝鮮戦争勃発に至る年表を作ってみた。森友文書贋作ニュースに追われて塩漬けにしていたものをここで。
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1945/8/15 日本敗戦詔勅
8/16 独立運動家・呂運亭、朝鮮建国準備委員会準備委員長に選ばれる
8/24 ソ連軍、平壌に進出26日に入城
8/25 米軍の一部、仁川港に上陸(*cでは9/8)
9/2 連合軍最高司令官マッカーサー元帥、北緯38度線を境界線とし、米ソ両軍による分割政策発表
9/6 呂運亭、朝鮮人民共和国樹立宣言。10月10日米軍政長官アーノルド、同共和国否認宣言。現存の政治機構使用した軍政へ
9/19 金日成、元山へ
9/24 米2師団ソウル進駐(*cでは9/8)
10/3 平壌にソ連民政部
10/13 朝鮮共産党北朝鮮組織委員会創立
10/16 李承晩、アメリカからソウルに帰国「一般同胞は余のもとに、余の引導するところに従わなくてはならない」と演説
10/23 中国・重慶から大韓臨時政府,金九一帰国
12/28 米、ソ、英モスクワで外相会議。朝鮮を5年間信託統治下に置く方針を決定
1946/2/8 北朝鮮臨時人民委員会創建
9/6 米軍政、共産党幹部逮捕令
10/2 米軍政、戒厳令布告、10月抗争1947/3/1 済洲島の武装パルチザン蜂起に発展、制圧は57/4まで続く
1948/4 南北連席会議(平壌)を開き「朝鮮のことは朝鮮人どうしの話し合いに任せてくれ」と要求。この会議の南朝鮮代表のうちには、李承晩を除き、南鮮における優秀な人物がほとんど一人のこらず含まれていた(ジョン・ガンサー)
/5 南朝鮮単独選挙強行。金九、暗殺される
1948/8 李承晩、大韓民国成立宣言
1948/9 金日成を首相とする朝鮮民主主義人民共和国樹立。ソ連軍、アメリカ軍撤退。
1949/6 南北72の政党、社会団体によって結成された平壌にある祖国統一民主主義戦線、韓国に統一のための協議開始を呼びかける。李承晩は武力による「北進統一」を叫ぶ
1950/5 第2回韓国総選挙、李承晩派大後退。中間派・無所属が進出、祖国統一民主主義戦線、あらためて統一協議を呼びかけ
6/25 朝鮮戦争勃発
【出典】*
a 金両基『物語韓国史』、b 金達寿『朝鮮』、c 文京洙『新・韓国現代史』、d 油井大三郎『好戦の共和国アメリカ』
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以後は省略するが、南北分断による犠牲者、南北それぞれに発生した難民(自発的移動を含む)、工作員の潜入、拉致被害者など、今でも離散家族問題が横たわっており、その人数ははかり知れないほど多い。
また、米韓同盟による集団的自衛権でベトナムに派兵。現地での暴行行為、戦死者などの経験を持つなど、日本人の関心の外にあることが少なくない。
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