第263号 2011年12月号「痘瘡様の碑」 の話
例年より暖かな12月を迎えました。世界不況の中、日本のTPP(環太平洋経済連携協定)加入の賛否をめぐり政界は揺れています。これは、加盟国間で工業品、農業品を含む多品目の関税を撤廃する協定ですが、幕末にアメリカから来た黒船が日本に開国を強要したと同じ状況であると貿易開国、平成開国と論議を呼んでいます。幕末には開国か鎖国かで意見が分かれましたが、結局開国をし幕府が倒れました。歴史の流れに逆らうのは難しいです。その後の粘り強い交渉と工夫が必要なように思います。
今月は「痘瘡様の碑」についての話です。
昔から病が人間を襲ったとき、人はひたすら神仏に祈りました。時には流行病で一時に多くの命が失われました。その流行病の中でも最も恐れられたのが天然痘でした。
庶民は天然痘に罹ったら、ひたすら神仏に祈り、まだ罹らない家では天然痘の神がその家に入り込まないように種々のマジナイをしました。
節分に鰯の頭を柊の小枝に刺して軒に吊し(棘があるヒイラギの葉と、臭い鰯を鬼が嫌う)、夏には茅の輪くぐり(罪・穢れ・災厄をカヤに移し無病息災を願う)をしたり、護符を神棚に供えたりしました。江戸時代には、源為朝が流刑になった八丈島には天然痘がないという言い伝えから武者絵に鎮西八郎為朝と大書した護符が作られました。天然痘の神は赤が嫌いということから寝具や病室には赤い布や紙が使われました。
患家では病気が一段落した所で集落の外にある道祖神まで神を送る儀式を行いました。そのような道祖神は次第に姿を消し、今は街中では見ることが少なくなりました。仙台の古地図には国見台病院の近くに疱瘡神社があります。かつては「疱瘡神社」と彫られた石碑があったように思うのですが、今は跡形もありません。
一般に道祖神は街道の交差路に置かれる事が多く、古い街道に天照大神とか少彦名命などと彫られた道祖神が祀られているのを見かけます。
数年まで我が家の近くに「疱瘡様」と彫られた70センチほどの丸い石の道祖神が藪の中にひっそりと置かれていました。民家の駐車場の奥、崖縁でしたので、仙台市教育委員会に保護をお願いしましたところ「いずれ然るべき…」という返事をもらいました。最近、48号線から南側の土橋通り拡幅工事が始まりました。いつの間にか駐車場のあったあの民家を含め多くの家が取り壊され周辺は広々とした空き地になりました。当然、石碑のあった藪もなくなりました。あの痘瘡様は単なる石として、建物のガレキと共に処分されたと考え、もっと強く訴えておくべきであったと深く後悔しました。
最近、かつて石碑があった所に近い三叉路の角に柵で囲まれた小庭が作られ、そこに数個の石が置かれているのを見付けました。近寄って見ますとそこに懐かしい疱瘡様がいました。きれいに洗われ、しばらく陽に当たらなかったせいか色が白くなった石碑に再会して、思わず「お久しぶり、お元気だったのね」と声を掛けました。皆さんも会いに行って下さいますか。診療所から歩いて5分ほどのところです。土橋通りを南下し、突き当たりを右折しますと澱橋への道と北三番丁通りが十二軒丁を通って国道48号線に抜ける三叉路に出ます。その角にあります。
理事長 小田泰子