(前回から読む)
『母さん、ごめん。』の著者、松浦晋也さんと、NPO法人「となりのかいご」の代表理事、川内潤さんが、松浦さんがお母さんを介護した現場である、ご自宅で「会社員の息子が母親を介護する」ことについて、語り合います。自分の親が心配な担当編集者のYも絡みます。
川内:これも松浦さんの連載と本で、何度も強調されていることですが、目の前で母親に起きていることの原因が、認知症とか介護とかいう状況だ、と認識するというのがまず難しい。ただの年相応の物忘れと思うし、思いたいわけですよ。不可逆的なあの病気、というふうに考えたくないじゃないですか。
Y:まして男子の場合は、それの意味するところは「永遠の安全地帯が崩壊しつつある」ことですからね(※第3回「男性必読!貴兄が母親に辛く当たってしまう理由」参照)。
松浦:思いたくないですね。僕も「母がどうもおかしい」と7月の頭に気がついて、「これは介護が必要そうじゃないか」と疑ったのが9月の末ですから、その間で7、8、9月と……3カ月空いている。
川内:介護保険とか、介護に関して何かを相談しようとするなら、自分の母親を「要介護」というカテゴリーで認識せねばならない。それには気持ちの余裕が必要だけど、非常に取りづらい。どれくらい難しいかというと、実は、我々介護職をしている人間が、自分の親を見るときにも同じことが起きることはあります。
Y:えっ。意外です。
川内:認知症という症状を客観的に勉強し、ある程度いろいろな方の症状を把握できるんだけれども、自分の親に関しては、できる限りそれを拒否したいわけです。松浦さんとまったく同じです。やっぱり相談すらできない。人に言って自分の弱みをさらしたくない、言ったところでどうなるんだ、という気持ちになる。いやいや、それ、自分はいつも「ダメだよ」と、他人様に言っていることでしょう、みたいなことなのに。
松浦:そうなんですか……。では、素人ではまして無理ですね。
介護のプロこそ、肉親を介護してはいけない
川内:もう1つ、私たち介護職が習う心構えの中に、「自分の親こそ、自分が持ったスキルでケアをしたいと思う気持ちを、どこかに持っているかもしれない。だけど、それは絶対やってはならない」ということがあるんです。
Y:そうなんですか? これも意外ですが、なぜなのでしょう。
川内:なぜなら絶対に「いいケア」ができないから。そして、できてない自分を自分で責めるから、です。なぜできないかといえば、これまた、プロであっても必ず「母ちゃん、しっかりしてくれよ」という、皆さんと同じ気持ちが出るから。そしてそれが、「僕はプロとして何をやっているんだろう」という敗北感となって、さらに苛まれるわけです。
Y:二重にきちゃうのか、ひえー。
川内:「一番やっちゃだめなことを分かっていて、やってしまったね、プロなのに」ということになる。それぐらい実は難しいことなんですね。
いかに早く介護のことを自分事として捉えるか、ということは重要で、松浦さんの本も、早めに認識して相談することの大事さを訴えてくださっている。これはものすごく正しいし、読んだ方は幸運だと思うくらいです。
でも逆に言えば、本や、こういうウェブの記事などでの手がかりがないままだと、非常に難しい。会社員で遠隔地だったりすると更に難しい。例えば北海道に実家があります、九州にありますといったときに、行くとなると当然手間が掛かる。手間が掛かるというのもあれですけど、有給を何日取るんですかと。
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