ピンクのドレッドヘアーがトレードマークの褐色の青年、カズ・カーン。彼は上流階級でファッショナブルな身なりで、街の結婚したい男性ランキングでは常に上位。おまけに人気ホッケー選手ときているなんて、カースト上位のセレブリティ。まさに完璧だ。ただし、彼の執事がなぜかトランスフォーマーみたいなロボットだったり、なんとも割が悪そうな悪魔払いの仕事なんてやっていたりさえいなければ。
カズが悪魔払いの一族として街で地位を上げていき、今日の立場を手に入れていた。だから一族の伝統に乗っ取って、ロボ執事のチャールズに乗って空を滑空し、街にはびこる悪魔と戦うのだ! ……でもさ、こんな現代に誰がどんな悪魔に取りつかれるっていうんだ? ブリッジの得意な女の子? ローズマリーな出産をひかえた妊婦? さあこの街で、誰が悪魔に狙われているんだ? ……カズの前に立ちはだかるのはなんと美少女ファッションブロガー。彼女のご機嫌を取るのにカズは超巨大なスイスチョコのトブラローネをお土産に持ってきたりする。誰もツッコまない。緊張感も何もない。
というか、当のカズだって本当に気にしていることは自分の恋のことだったり友達のことだったりとそんなに悪魔払いには乗り気じゃない。一族の地位を守りたい叔母様は悪魔払いの仕事でいつも突っついてくるし、いちいち結婚したい男性ランキングで張り合ってくる金髪男のアルカンジェロがちょっかいを出してくるしめんどうくさいことばかりだ。まったくどうすりゃあいいんだよ? でも大丈夫。困っているときにはロボ執事がどこにいても音楽を流してくれる。さあ、一息つこう。
「ネオ・ヨキオ」ではセレブの学生がおとなしくセレブとして気取れる世界ではないし、おまけに悪魔祓いとして「悪魔城ドラキュラ―キャッスルヴァニア―」みたいに真剣に戦う物語でもなんでもない。一見すれば東京をもじったふざけたタイトルやトレーラーからお察しのように、アメリカ人の作ったワイアードな日本のANIME(英語圏における日本のアニメのカテゴリ表記だ)のパロディみたいに見えるだろう。
でも実際に通して観てみると、はっきりとパロディだなんて言いきれるものでもなかったりする。これが本当にすべて英語圏のスタッフであるならば日本のANIMEのパロディかたどたどしいオマージュなのかと話はわかりやすいのだが、制作しているのはなんと日本国内の制作スタジオの中でも有数のスタジオであるProduction I.Gとスタジオディーンという構成だからどこまでがパロディなのかが曖昧である。両スタジオが近年制作したアニメの質の高さを考えるに、どこかしらに漂っているチープさもわざとやっていると見ていいだろう。
現実のセレブ生活の微妙に生々しいカーストの張り合いだとか対人関係だとか承認欲求やらマウンティングやらをシニカルに切り取ったエピソードが中核にある。なんといってもカズが闘う悪霊だって、相手によっては人気の歌姫に化けたがったりするくらいなのだから。どいつもこいつもセンス競争にいそしんでいるし架空の世界なのに実際のファッションブランドやお酒の名前を挙げていかにも自分は優れているんだってアピールに忙しいんだ。
こうしたパロディともシニカルともつかないセンスは本作の原作者エズラ・クーニグによるところが大きい。バンドのヴァンパイア・ウィークエンドのギタリストとして有名な彼は、バンドでやっている音楽のユーモラスかつシニカル、そしてジャンルを確定させない曖昧な立ち位置を作るセンスをアニメでも発揮している。実際、彼は「ネオ・ヨキオはANIMEかって? ぼくはだいたいカートゥーンって言ってるよ」なんてtwitterで残していたりと、カテゴライズに関して作品同様にどこか煙に巻くような発言をしていたりする。
そんな彼のイマジネーションはどこから来ているのか? DAZEDによるインタビューによるとエズラが好んでいるアニメは「新世紀エヴァンゲリオン」や「魔女の宅急便」といった有名どころが挙がっている。そのなかで興味深いのは「ぼくはアニメで描かれるニューヨークが大好きなんだ」という発言だ。
「ママレード・ボーイ」で描かれるニューヨークでのエピソードや、ハードな警官のアクションを描いた小池一夫原作の「マッド★ブル34」についても語っている。日本人の作ったアニメの中のニューヨークの何がエズラの心を掴んでいるのかははっきりとはしないが、おそらくは日本人の我々が英語圏の人間の作ったアニメ「ネオ・ヨキオ」を見つめるときの恍惚と不安に近いものであると考えている。
特筆すべきは「らんま1/2」への言及だ。第4話では「水に入ると性別が変わったり動物になったりする」なんてそのまんまなネタを軸にして話を作ってしまう。そんならんまのまんまなエピソードの監督を務めるのがなんと本当にアニメ版「らんま1/2 熱闘編」の監督を担当した西村純二というのだから、本当にパロディだかオマージュなのかも曖昧。そのほかにも日常生活をベースにハードなアクションを織り込む構成や、そもそもの高橋留美子ならではのどこか抜けた感じもエズラのセンスに呼応しているとも思うし、「ネオ・ヨキオ」のどこか捉えどころのない作風を理解するのにも納得の作品でもある。
そんな捉えどころのないセンスの矛先は「自分は人よりイケてるんだ」みたいな承認欲求やら他人へのマウンティングやらセンス競争のすべてだ。あのすべてをどこか冷めた目で見つめている。表向きは日本ANIMEのパロディ、でも本当にパロディにしてるのは現代の呪いとも悪魔憑きとも言えるしょうもない承認欲求競争そのものだったりする。全6話、カズが悪魔払いをすると同時に本当に闘っていたのはなんだったのだろうか? でもそんなこといいじゃないか。最終話ではロボ執事がパワーアップしているからすべてチャラだ。さあ、一息つこう。