![小袋成彬](https://img.buzzfeed.com/buzzfeed-static/static/2018-03/20/6/asset/buzzfeed-prod-web-05/sub-buzz-11023-1521542867-1.jpg)
小袋成彬
アーティストの小袋成彬(おぶくろ・なりあき)が、4月25日にファーストアルバム「分離派の夏」でデビューする。プロデューサーは宇多田ヒカルだ。
《この人の声を世に送り出す手助けをしなきゃいけない――そんな使命感を感じさせてくれるアーティストをずっと待っていました》
歌姫・宇多田にかくも言わしめる才能。その魅力の源泉を探るべく、BuzzFeed Newsは小袋にインタビューした。
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坊主で野球部
1991年、埼玉に生まれた。繊細そうな見た目からはあまり想像がつかないが、小中高と野球に打ち込んできた。
「坊主頭で、がっつりやってました。自分の社会性みたいなものは、そこで培われたと思います」
小学校でアコースティックギター、中学でエレキギターを手にしたが、このころはまだ、「聴く専門」。野球の比重の方が大きかった。
「中学の野球部ではトレーニングマネージャー、忘れちゃったけど高校でも何か役職があったんですよ」
「文化祭の委員長をやったり、組織をまとめるような役回りが多くて。組織マネジメントとか、人材管理に興味がありましたね」
![「坊主頭で、がっつりやってました」](https://img.buzzfeed.com/buzzfeed-static/static/2018-03/20/7/asset/buzzfeed-prod-web-06/sub-buzz-17461-1521544266-1.jpg)
「坊主頭で、がっつりやってました」
大学は経営学部
そうした関心が高じて、立教大学の経営学部国際経営学科に進学。当時は「実務的・実践的」なことに興味があり、自宅でとっていた日経新聞を暇さえあれば読んでいたという。
本格的に音楽に取り組み始めたきっかけは、就職活動に失敗したことだった。『ポパイ』や『クーリエ』のような雑誌をつくりたくて出版社を受けたが、結果ははかばかしいものではなかった。
「これだけ音楽を聴いてきたし、いっちょやるかと。でも、そのためにはまず、経済的に自立する必要がある。親に学費払ってもらって、プータローしながら音楽をやるなんて、良心の呵責がありましたから」
「音楽で経済的に自立して、親を安心させないといけない。だから僕、音楽を『やりたい』って思ったことは過去に一度もなくて。『やらなきゃな』という感じでしたね」
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小袋成彬 1stアルバム「分離派の夏」ティザー映像
請求書を書くのも楽しい
大学4年でR&Bユニット「N.O.R.K」を結成する。ほどなくして音楽レーベルの「Tokyo Recordings」も立ち上げた。
「N.O.R.Kでは別のレーベルにお世話になっていたんですけど、自分自身でも、もっとできることがあるだろうと。それで、レーベルを始めたんです」
CDはどうやって店頭に並ぶのか。流通の基本さえ知らないままの手探りのレーベル経営だったが、徐々に軌道に乗せていった。
「そのうち業界の仕組みがわかってきて、原価だとか粗利だとか。CDを発送したり、店舗にサンプル盤を配りに行ったり。いまだに請求書を書いてますからね。ハンコを押して、郵便局に行って。楽しいですよ」
「僕は何をつくっているんだろう」
![「音楽である理由、音楽である意味がわからなくなってきたんですね」](https://img.buzzfeed.com/buzzfeed-static/static/2018-03/20/7/asset/buzzfeed-prod-web-08/sub-buzz-24741-1521544344-1.jpg)
「音楽である理由、音楽である意味がわからなくなってきたんですね」
そうこうするうち、編曲やプロデュースの依頼が次々に舞い込むようになる。しかしそれは、新たな葛藤の始まりでもあった。
「プロデュース業やっているうちに、音楽である理由、音楽である意味がわからなくなってきたんですね」
「アーティストがつくってきたデモをちょちょっとやって。世間が共感しそうなものを投げかけて、数字になって出てくる。果たして、僕は何をつくっているんだろうという思いがありました」
アーティストと衝突
次第にアーティストとぶつかることも増えた。
なぜその歌詞を選んだのか尋ねる小袋に、あるミュージシャンは「こっちの方が共感を得られるから」と答えた。
「その瞬間に僕は怒り出して。何言ってんだ、だったら歌うのはお前じゃなくてもいいじゃないかって」
「これ、僕が完全に悪いんですけど、当時はそれぐらい思い詰めて、尖ってましたね」
「当時」と大昔のことのように振り返っているが、たった2年ほど前の話だ。
プロデュースや編曲に飽き足らなくなった小袋は、目まぐるしいスピードで変化と進化を重ねていく。その契機のひとつになったのが、宇多田との出会いだった。
宇多田から感じた「芸術の営み」
![宇多田ヒカル](https://img.buzzfeed.com/buzzfeed-static/static/2018-03/20/7/asset/buzzfeed-prod-web-08/sub-buzz-24786-1521544443-1.jpg)
宇多田ヒカル
初めて顔を合わせたのは2016年。宇多田のアルバム「Fantôme」の収録曲「ともだち with 小袋成彬」を、ロンドンでレコーディングした時のことだ。
「宇多田さんが18年やってこられた芸術の営みを肌で感じて、『これじゃん!』って。あの時、音楽家ってこうあるべきじゃんって思ったんですね」
「『人がこう思うから、こういう曲をつくってやろう』という意図がまったくなくて、あくまで自分の慰みとしてつくっている。そういう芸術家に会ったのは初めてに近い感じで」
「僕の勝手な評論」と断りつつ、宇多田の印象をこう語る。
「内在するものと向き合って、再解釈・再認識する。そこに他者をまったく入れず、ただ己のために向き合っていく。僕にはそういう風に見えました」
「やっぱり世界にはこういう人がいるよなって。いままで僕がもがいてきたことは、間違ってなかったと思えたんですよ」
宇多田との共通点
![「LonelyOne feat.宇多田ヒカル」](https://img.buzzfeed.com/buzzfeed-static/static/2018-03/20/7/asset/buzzfeed-prod-web-07/sub-buzz-15842-1521544496-6.jpg)
「LonelyOne feat.宇多田ヒカル」
小袋も宇多田も、ともに作詞・作曲・編曲までトータルでこなす手腕を持つ。
「ラーメンがマズかったとして、麺だけ替えればおいしくなるのかっていうと、そうじゃない。油の絡みがあって、具があって、スープの味だって色々ある。そういう話ができるのは、結構うれしかったですね」
宇多田に日本語詞での楽曲制作を勧められたこともあり、小袋は吹っ切れたように曲づくりに没頭する。
できあがった音源を宇多田に送って聴かせたり、テレビ番組で共演したり。交流を重ねるなかで、「一緒にできたら面白いね」という言葉がだんだんと現実味を帯び、宇多田によるプロデュースが決まった。
4月のアルバム発売を前に、1月17日には「LonelyOne feat.宇多田ヒカル」を音楽ストリーミングサービスで先行配信。4月4日からは「042616 @London」「Selfish」「Summer Reminds Me」の3曲も追加配信される。
世界を変えるのではなく
世界を変えよう、新しい音楽をつくろうと躍起になった時期もあったが、いまは違う。
「それより、自分自身が変わって『なぜいま鳥が鳴いたんだろう』と思う方が、よっぽど人生が豊かになる」
見えないものに思いをはせる想像力の尊さを悟り、かつて重視していた「実務的」なことの一切が嫌になったという。
「あ、でも日経新聞は電子版で普通に読んでますよ(笑)。『私の履歴書』面白いですよね」
行雲流水
![「世界を変えるより、自分が変わる」](https://img.buzzfeed.com/buzzfeed-static/static/2018-03/20/7/asset/buzzfeed-prod-web-03/sub-buzz-1404-1521545633-1.jpg)
「世界を変えるより、自分が変わる」
歌手であり、作編曲家であり、プロデューサー。経営的なセンスもある。多面的で、とらえどころのない男だ。
インタビューをしていても、予想通りの答えが返ってくることはまずない。ようやく実像を捉えたかと思うと、するりと抜け出してイメージを脱臼させる。
淡々と、飄々と。水や雲のように絶えず形を変えつつも、奥底には揺るぎない核がある。わかりやすい「物語」やステレオタイプに回収されることを拒む、確固たる意志を感じる。
「やりたいことをやる、という人生ではないですね。ただ必要に駆られて、目の前の課題をこなしてきた」
「理想とか、抱負とかないです。正直言うと、夢もない。ただ振り返ると、自分のまったく想像し得ない方向に来ている気はします。だから、いまは『やらなきゃいけないこと』をやろうと」
Ryosuke Kambaに連絡する メールアドレス:ryosuke.kamba@buzzfeed.com.
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