フィリピンの反日感情(2)戦後編 に続く。

「写」
渡討三三作命甲第一二一号別紙
八月以降作戦及警備に関する細部の指示

十一、軍の威容整ひ且軍紀風紀厳正なるは即ち地方官民をして益々皇軍を信頼し積極的に我に協力せしむべき捷径なると共に一面彼等従来の崇米思想を皇国依存に転換せしむべき好個の宣伝なり
然るに作戦已に久しきに亘り一面殺伐放縦の気風を生ずると共に他面惰気厭戦の悪風を馴致するの虞あり、而已ならず各部隊共極めて広範囲に兵力を分散し特に本属以外の各種部隊を包擁しある関係上之が監督指導困難なる実情あるを以て将来益々志気を振興し愈々軍紀を振作し就中掠奪強姦等非違行為の防止には格段の留意を要す
然れ共万一不祥事の発生に方りては毫末も之を握り潰すことなく厳重に之を処断し将来此の種事件の頻出を防止するを要す

昭和十七年八月六日
支隊長 永野亀一郎

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レファレンスコードC13071899800(17枚目)
比島>防衛>イロイロ憲兵分隊作命綴(部外) 昭和17年6月8日~17年11月11日

配備変更に際し兵団長要望 十月三日

二 宣伝に就て
我が担任区域内には今尚匪徒の宣伝に乗ぜられ我が真意を了解せず匪徒を援助又は之と通謀しあるもの多し。・・・
 
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レファレンスコードC14020509400(5枚目)
垣(第16師団)部隊 関係書類綴 昭16.12~17.12

最近匪情に鑑み警備上の注意 一七、一〇、一七、

最近「パンパンガ」州に於て自動車の襲撃二件(内一は憲兵隊)我が分哨近傍の役場襲撃等其の行動活発を加へつゝあり。従来地区内匪徒は日本軍に対しては専ら退避無抵抗なりしに比し右事件は全般的に「ゲリラ」攻勢企図の一徴候と察せらる。・・・

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レファレンスコードC14020509300
比島>進攻>垣(第16師団)部隊 関係書類綴 昭16.12~17.12

昭和十七年十月十九日
討伐要領
第十一独立守備隊

一四、情報蒐集の為知事町村長を利用するに当り彼等の内には表面日本側に服従し裏面に於て敵側に通じある者少からざるを以て我が企図を察知せられざる様特に注意すること
 
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レファレンスコードC14020723800(11・12枚目)
匪首捕獲の参考 S17.12.25

昭和十七年十月十九日
討伐要領 追加
第十一独立守備隊

二、積極的討伐を成さず歩哨若くは分哨の数を増加して守備のみに専念する時は敵は我が守備線の外方に自由に横行し遂に我が歩哨又は分哨の間隔より進入して民家を焼き我が部隊を狙撃するに至り我が部隊としては兵が膠着し手も足も出ざるに至るに付歩哨分哨を配置して警戒することは必要なるも受動に陥らざる様必ず積極的討伐を実施する様指導するを要す

三、我が小部隊を配置する時は敵は遠巻きに我を包囲し我をして之を射撃し弾薬を射ち盡さしめ然る後前進して我を射撃し我に大損害を与へる戦法を採る事多し此の際我が部隊は多くの場合敵の手に乗り遠距離より射撃し少しも敵に命中せざるに拘はらず直ちに弾薬を射ち盡し如何ともし難きに至りたる例最近に於て頻々たり故に今後は斯の如く敵が遠巻きに包囲したる場合には決して遠距離より射撃せず百米以内に敵が近接するに非ずんば射撃せざる様注意するを要す

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レファレンスコードC14020723900(3・4枚目)
匪首捕獲の参考 S17.12.25

渡集団作戦主任者会同に基く連絡事項
昭和十七年十月三十一日渡集団司令部に於て作戦主任者の会同を開催せられ其の内容中各隊に通報すべき事項を左に記述す。

一、軍司令官の注意事項
2、近時比島の治安は好転逆転反覆しあり甚だ遺憾とするところなり。軍の任務より考へて比島の治安は速かに安定せしむるを要す。

二、軍参謀長口演要旨
3、近時敵兵匪は誘致、掩撃、伏兵等の巧妙なる戦法を採用し我は相当の損害を蒙りつつあり
此の種企図を事前に封殺撃破すること必要なり。
4、粛清討伐の実施に当りては防諜の処置厳ならしむるを要す。
目下に於ける比島地方庁官公吏は何れも灰色的色彩を有し彼等の語るところは其の詳細に亘り敵兵匪に通ずるものなるを承知し指揮官以下相戒めて防諜観念に徹するを要す。
5、重要国防資源開発の為の人員施設及資材の直接警備並に重要物資の集貨収買等の警備に関しては既に要望しあるところなるも最近之等の人員資材等の襲撃せらるるもの尠からざるは軍隊として真に止むるを得ざる事情の存するものあらんも克(以下無し)
四、雑件
5、軍憲兵隊よりの連絡
ホ、「マニラ」市に於て検挙せる「ゲリラ」団の本部要人に付調査せるに其の「ゲリラ」隊に加入する動機は極めて単純にして左の如き事情なり。
a「バタン」陥落の際白旗を掲げあるに拘らず射撃せられ或は俘虜になりたる後日本兵に殴打せられたるを恨とし護送中逃亡して「ゲリラ」隊に加入す。
へ、比島人は一般に尚親米思想濃厚なり
十月二十六日の「サンタクルース」諸島北方洋上に於ける南太平洋海戦の戦果を比島人に話したる時彼等は一瞬悲痛なる表情を為したる後破顔巧言令色するもの相当に多し
ト、通敵行為を為せる官公吏の処分に関しては当時の環境(敵匪に囲まれ乍ら事務を執り在りし事情)と彼の意志とを検討し後害を残さざる如く処分する様憲兵を指導せられ度。

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レファレンスコードC14020509300(23枚目~)
比島>進攻>垣(第16師団)部隊 関係書類綴 昭16.12~17.12

第三 戦斗に影響を及ぼしたる気象地形及住民地の状況

三、「リザール」州は「マニラ」に近きに不拘従来より住民の思想治安状態共に悪きにして「アンチポロ」の出身なる「マルコス、アウガスチン」少佐(後中佐)之の地に拠りて「ゲリラ」隊を組織するや各町村長土民悉く彼に協力し今尚米軍の再来を信頼しある状態にしてために情報の蒐集、討伐行動共に困難なりしも後半皇軍の真意を理解するに及び協力するもの顕れたれ共積極性を欠き充分ならず

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レファレンスコードC13071541100(2・3枚目)
歩兵第20連隊 第1大隊戦闘詳報 昭和17年8月1日~17年12月31日

「ビサヤ」地方憲兵服務指示

一、異民族戦軍紀の確立を目下の急務とす
・・・然らば現地民の協力を得る手段如何
(1)排米依日心の昂揚
(2)日本人こそは比島人と手を握り相協力すべき民族なることの認識付与
は比島に於ける建設戦に於て絶対必要なる要件とす
而して第一項は屡次に亘る皇軍の戦捷により米国の到底我敵にあらざることを逐次認識しつつあるを以て追々了解し来るべきも第二項に於ける日本人と手を握る点に於ては尚幾多の難色を示しあるのみならず状況は仲々好転せず此の原因は種々あらんも隊長の考へる処にては次の二点にあり即ち
(1)日本軍は所謂無茶をやり恐ろしきものなりとなすこと
(2)日本軍の比島民族性の把握不可
第一項に就きては比島人の大部が抱きある感情にて抗日分子が抗日意識を抱くに至りし原因を探求し、郵便物の検閲を実施する際等明瞭に其の事象を把握するを得るものなり・・・

二、憲兵の対策
四、防御的心理を脱し攻撃精神及企図心を旺盛ならしむること
最近に於ける比島各地の匪情を徴するに秘かに指令して戦線統一を策し我の意表に出づる場合無しとせず(「モロ」討伐隊或は「ミンドロ」討伐隊等の事例)・・・

六、一層匪情を審かにするを要す
島内交通復活化及び各地兵匪の連携巧妙化に従ひ従来の如く局地的情報処理を許さゞるものあり・・・

九、治安を紊る原因を軍自ら作らざること
1、厳重処分の禁止
厳重処分は原則として絶対禁止するところにして交通其外真に已むを得ざる事情あり且つ本職の認可したるものと雖も其の実施に於て細心の注意を以て臨むを要す
2、焼打、暴行の厳禁
米国の比島統治初期に於て経験せる事象よりするも明瞭にして作戦上一部民家の焼却の如き場合にありても相当処置を講ぜざる可からず

一一、敵勢力圏内に行はれたる官公吏の通敵事犯処理を妥当ならしむること

・・・
右指示す
昭和十七年十一月十五日
比島憲兵隊長 長濱彰

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レファレンスコードC14061256300(2枚目~)
 比島>防衛>第14軍憲兵隊参考書綴 昭17.10.4~17.11.15
 
「軍事極秘」印
渡集参乙第一七九号
渡集団情報記録作第一〇八号(自一二、三 至一二、一〇)
(14A)昭和十七年十二月十二日 渡集団司令部

第一 敵兵匪及友軍の状況

要旨
二、敵兵匪は各部隊の積極果敢なる不断の討伐諸工作に依り各方面共逐次撃滅せられ或は投降帰順し漸次粛正せられつゝあるも一部残存敵兵匪は勢力挽回を図りつゝ「ゲリラ」行為を続行しあり。特に「ビサヤ」地方に於ては抗戦意志鞏固にして頑強に抵抗しつゝあり

各地方の状況
「マニラ」市
大東亜戦争一周年に方り米軍来援或は「ゲリラ」隊蜂起等「デマ」各所に流布せられありしも我が至厳なる警戒に依り頗る平穏に経過せり
 
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レファレンスコードC13071364200(4・26枚目)
比島>防衛>渡集団(14軍)情報記録綴 昭和17年12月3日~18年10月10日

極秘
自動車襲撃事件の教訓
昭一七・一二・一八
垣部隊本部

当兵団今次作戦の大なる教訓の一は表面治安既に良好なるが如き地区内に於てすら屡〃自動貨車乗用車の襲撃されあることなり。而して事件の顛末を仔細に調査するに、警戒心に乏しく事前の準備亦不十分にして襲撃を受くるやその処置適切ならず彼にして易々として目的を達成せしめ悠々遁走するに委せし事例多し。・・・

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レファレンスコードC14020724600(2枚目)
匪首捕獲の参考 S17.12.2

昭和十七年十二月二十日
「ラユニオン」州粛清工作の教訓
西地区警備隊 本部

第一、「ラユニオン」州対日抗戦組織の特性
「ラユニオン」州対日抗戦組織の主要なる特性左の如し
一、匪民合一
「ラユニオン」州に於ける抗戦組織の中核は「バーネット」の統率せし米比極東軍歩兵第百二十一連隊にして
1、我討伐並に宣伝宣撫の徹底を欠きしと
2、之に乗ずる敵匪が対民衆宣伝の滲透に成功せ(?)んとに依り親米思想深く透徹しありて米国心酔の迷夢覚めず皇軍の武力を過少に評価し米軍再攻を信じ州知事「カマチョ」以下各町村長を始め全州娄〔ママ〕く「バーネット」匪に加担し匪官民合一しあり
之がため情報の蒐集は極めて困難なる状況にありて陰に匪勢猖獗を極むと雖〔原文「口+虫」〕も外観極めて平穏を装へり。即「バーネット」は此の潜在性を利用して我警備兵力の減少を待ち蠢動を企図しありたり。

第三「ラユニオン州粛清状況(十月初旬以降)
其の二 各時期に於ける粛清状況
一、第一期(十月初旬)
1、討伐状況
イ、北部「ラユニオン」州討伐(自十月二日至十月五日)
ロ、南部「ラユニオン」州討伐(自十月七日至十月十二日)
ハ、右討伐は我断乎たる態度を以て極めて峻厳に実施し通匪行為者の一刀両断兵匪の家屋の焼却等を敢行し当時殆ど通匪しありし全住民をして震撼せしめ以て匪民分離の第一歩を踏み出さしめたり。

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レファレンスコードC14020725300(3・4・20枚目)
匪首捕獲の参考 S17.12.25

「軍事極秘」印
渡集参乙第一八三号
渡集団情報記録作第一〇九号(自一二、一一 至一二、二〇)
昭和十七年十二月二十二日 渡集団司令部

第一 敵匪状及友軍の状況
其の一 要旨
二、「ビサヤ」方面の敵兵匪は井上部隊の果敢なる討伐に依り各所に撃滅せられ逐次山地方面に圧迫せられつつあるも依然米軍再来を盲信し之れを基礎とし住民を強制応募せしめ勢力拡充を図りつつ「パナイ」「セブ」「ボホール」島に於て積極的に活動頑強に抵抗しあり

其の二 各地方の状況
南部呂宋地方(大場兵団)
四、「インファンタ」仮町長「フェロ、ソラド(?)」は「ストロフ」大佐に通じ「ボ」島「マルコス」中佐に至る物資輸送を幇助しあるものの如し

「ビサヤ」地方(井上部隊)
一、「ビサヤ」地方の敵兵匪は依然米軍再来を盲信し之れを基礎とし住民を強制応募せしめ勢力拡充を図りつつ「パナイ」「セブ」「ボホール」島に於て積極的に活動し頑強に抵抗しあるも我が連続果敢なる討伐に依り逐次山地方面に圧迫せられつゝあり

四、最近に於ける各島の状況左の如し
(一)「パナイ」島
警備隊の積極果敢なる討伐に依り山地方面に圧迫せられ兵器不足、食料入手愈々困難となりしものの如く稍々消極的になりつゝありと雖も依然抗戦意志鞏固にして頑強に抵抗しあり
「イロイロ」平地は殆ど敵なく住民も続々帰来しつつありて着々復興しつつあり
又「アンチケ」鉱山付近の敵は執拗に反撃しつつあるも付近要地は確実に確保しあり
(二)「ネグロス」島
「ネグロス」島は我が徹底的討伐に依り一般に消極的となり漸次安定しつつあり特に南部地方は尚若干の匪団あるも概ね安定し治安は着々確立せられつつあり然れども北部地方に於ては放火など頻発にして未だ安定しあらず
(三)「セブ」島
警備隊の飛行隊及海軍の協力に依る果敢なる討伐に依り「セブ」北方の兵匪は逐次山中に圧迫せられつつありと雖も分哨襲撃交通妨害通信線の切断等其の活動依然積極的なり
「セブ」―「ナガ」間装甲列車は十九日より運転を開始せり
(四)ボホール島
同島の兵匪は目下「ビサヤ」地方中最も積極的にして特に西部「タグビララン」周辺に於ては分哨行政府官庁の襲撃、親日比人の殺害拉致等頻繁にして益々悪化の傾向にあり
(五)「レイテ」「サマール」
本島兵匪は依然消極的にして大なる活動なきも「レイテ」島「オルモック」付近の兵匪は我が駐屯小部隊及連絡車を襲撃する等稍々活況を呈しあり

「ミンダナオ」島(生田部隊)
一、残存兵匪は警備隊の連続果敢なる討伐に依り逐次山地に遁走し一般に治安は着々確立せられつつあり
然れども残存兵匪は依然米軍来援を盲信し之を基礎とし住民を煽動勢力挽回を図り各地に小蠢動を続行しあり 特に「ラナオ」湖周辺不逞「モロ」及敗残兵匪は其の勢力及西「ミサミス」州方面の策動と相俟って侮るべからざるものあ

三、本旬に於ける各地方の状況左の如し
(三)「カガヤン」方面
当地方治安概ね安定しあるも「バリンガサク」(「カガヤン」東北地方)付近に根拠を有する匪団は稍々活発に活動しありて該匪団には「ラナオ」付近「モロ」一部進入しあると米人の煽動と相俟って逐次計画的組織的となりつつあり
(五)「ラナオ」西「ミサミス」方面
前旬に引続き大なる変化なく表面静観的なるも「ミサミス」を策動中心地となし「ラナオ」湖周辺及「コロムブガン」(「ラナオ」湖西北方)「ミサミス」付近に分散配置し爾後の活動を画策中なるものの如く其の根強き親米思想及勢力は侮るべからざるものありて守備隊は厳に監視中なり

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レファレンスコードC13071364300(4枚目~)
渡集団(14軍)情報記録」綴 昭和17年12月3日~18年10月10日

匪首捕獲及び投降工作の要領
実例並に其の教訓
昭和十七年十二月
垣部隊本部

4、案外に身近の者或ひは官吏にして通謀しあるもの多きを以て特に討伐前に於ける企図の秘匿●充分の注意を要す

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レファレンスコードC14020725000(9枚目)
匪首捕獲の参考 S17.12.25

「軍事極秘」印
昭和十七年十二月二十五日
於情報主任将校会同席上
比島憲兵隊本部 児玉中佐 発言要旨

過去一年間に於ける比島治安の跡を回顧し将来の対策に及ぶ
第一 序言
●●占領地に於ける治安対策が威武を中軸として施策さるべきは当然の事なるも比島に於けるが如く軍事的、政治的、思想的、経済的、社会的幾多複雑錯綜せる原因に依り治安の悪化を来しつつある場合に於ては之等各分野に於ける施策を合理的に調整統合する総合対策を以て臨むに非ざれば治安の恒久的安定を求むること困難なるべし。況や比島に於ける治安安定の目標が単なる
不逞分子の粛正を以て満足すべきものに非ずして今次聖戦の大乗的目的を具現すべき統治の基礎工事としての重要なる建設的意義を有するのみならず治安維持の中心たるべき武力のみに就て観るも将来情勢の変化に依りては最も威力を必要とする時機に極度に切詰めたる兵力を以て防衛の全きを期せざるべからざる困難なる情勢の到来をも一応考慮内に入るるの要あるに於ておや。

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レファレンスコードC14061179600(2枚目~)
パラワン憲兵分隊 警務書類綴 昭17.10.14~19.7.9

「軍事極秘」印
警備会報 二月六日

一、軍紀、風紀、内務及教育につきて
5、民心の把握に著意し特に独立を許可せられ喜びある現状に鑑み此の時に充分に行ふこと必要なり
之が為背信行為を絶無ならしむべし日本は信義の国なるを兵自ら自覚すると共に彼等に之を示すを要す
「パナイ」島に於ける治安悪化の原因の一も背信行為にあり又物を「ネギル」精神を捨て価値のあるものを正当に求むべし

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レファレンスコードC13071868900
左警備隊.警備日報.会報綴 昭和17年10月~18年11月

ビナロナン憲高第四九号
流言調査に関する件報告
昭和十八年八月三十日 ビナロナン憲兵分駐所長
ダグパン憲兵分隊長殿
首題の件左記報告す

左記
一、一般状況
八月中東部「パンガシナン」州に於て憲兵の知得せる流言左の如し
●米軍再来に関するもの   二件
●日本軍敗戦を伝へるもの 二件
●経済関係のもの       三件
●其の他に関するもの    一件
計八件にして先月に比し件数内容等殆ど変化なく之等流言の出所は「マニラ」方面より帰来せる者に依るもの新聞「ラヂオ」等に依る戦況「ニュース」等を臆側〔ママ〕杞憂せるもの及経済逼迫に依るものにして米軍再来、日本軍敗戦等に関するものは「マニラ」方面より帰来せるものに依るもの大多数を占めあり
詳細別紙の如し

二、流言に依る反響
特異なる反響は認めざるも米軍再来に関しては未だに其の実現の早からん事を願ふが如き言動を洩しあるものあり亦直接流言には依らざるも食糧米は各町に於て不足を告げ価格も高騰の一途を辿り現在一俵二五比-三十比(配給米に非らず)を示して下層階級住民間に相当の生活不安を与へあり

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レファレンスコードC14061263000(1枚目~)
第1野戦憲兵隊関係史料 昭17年

軍事極秘
治安月報(一月) ※1943年
第十四軍憲兵隊

治安月報(十二月)
一、要旨
○敵潜水艦により「ミンダナオ」島匪首フェルテックに対する兵器弾薬及謀略宣伝文の揚陸搬入事実の発覚は敵側謀略の活発化を証明しありて厳重警戒を要す。
ラウレル大統領の施策に対する一般の協力態度は消極的にして官公吏は亦保身に汲々としある等、吏道の刷新、政治推進力の強化を要するものあり。
○経済情勢は愈々深刻性を帯び食糧殊に米国の不足は敗匪の策動と相俟ち民心不安を不平、反感へと変移せしむるの傾向を辿り各種施策上も亦看過し得ざるものあり。
○「タラワ」「マキン」島に於ける皇軍の玉砕及南太平洋各戦線等に於ける敵反攻の熾烈化は経済生活の逼迫と結び付け米軍再来を云々盲信し或は之が希望的観測を為す等親米思想への還元を想はすものあり。
○「マニラ」市は表面平静を保ちあるも旧市外〔ママ〕地区に於ける旧「ガナップ」党員の殺害拉致事件等散髪し又不逞分子の潜入策動の徴なしとせず。依然限界を要するものあり。
○比警の職権濫用、特に収賄行為は逐次良民の反感を増大せしめつつあり。又敗匪との通謀乃至は依存するものあるが如き形跡を認めらるるは遺憾なり。
而して職務に忠実を欠き警察官としての能力乏しきもの漸く顕著なるは訓練所入所銓衡に当り質より量に重点を置くに起因するものと察知せらる。

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レファレンスコードC14061251400

鎌報第一号
宣伝工作状況に関する件報告
昭和十九年一月四日 ラグナ地区警備隊長
垣第六五五〇部隊参謀長殿
首題の件に関し別紙の通り報告す

別紙
一、(略)
二、最近「ラヂオ」の「デマニュース」を耳にする為か或は匪団の行ふ「デマ」宣伝に眩惑せられる為か密偵の報告を総合するに住民の大分は今猶米軍再来説を信じありて南方に於ける偉大なる我軍の戦果も信用せず各警備隊より配布する宣伝用ポスター新聞等も余り信ぜざるが如し
特に甚だしきに至りては米軍再来の暁現在使用中なる軍票も其の価値を失するに至るべしとの甚だしき言辞を弄しある者ある状況なり
三、「ラグナ」州一般の民情を総合するに住民は新比島建設の急務は相当承知しあるも一方には米軍の「デマニュース」も礼潜〔ママ〕し米国の悪口は衷心より決して口に出さぬ状況なり・・・

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歩兵第33連隊 (鎌田隊)発翰綴 昭和19年1月4日~19年10月11日

パラワン憲高第四号
治安月報(一月) 昭和一九・一・二五 パラワン憲兵分遣隊
一、総合判決
◎軍の討伐及諸工作に依り残匪の活動消極的となりたるも各残存匪は集結統合の気運に在りて厳戒を要す
◎州内各界層に新比島確立に邁進せんとの気運に向ひつゝあるも未だ一般に独立及び党派的対立に認識不足なる為従来の悪弊たる党派的対立に随するの虞なしとせず。殊に庶民層に在りては徒に眼前の事象を云々し未だ全面的協力気運等見受けられず
◎生活必需物資不足に依る住民の生活は益々深刻化し殊に米穀の逼迫は脅威的不安を助長せしめありて治安上注目の要あり

二、一般状況
(四)政治情勢よりする治安観察
・・・一月六日州選出国会議員エニゴ・ペニヤは議会の状況等に付演説を為したる処参集人員約三〇〇名在り政府の施策及方針に就き述べたる後一般民衆に対し積極的協力を促したる処民衆は州庁幹部及施策を誹謗し動揺せり
(九)官民思想動向の推移
・・・然れ共現実の生活窮迫事態を捉へ依米思想を払拭し得ざるもの大多数にして之が為残匪の宣伝に乗ぜられ私かに手先分子として活動するものなしとせず住民思想の推移に関しては厳視の要あり
四、所見
残匪の策動は愈々巧妙となりつゝあり之に伴ふ住民の偏見的態度は稍々もすれば残匪に乗せられ反日に移行するやも計り難く且生活必需物資の逼迫に伴ふ民心の動揺は不断の警戒を要するものあり

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レファレンスコードC14061188900
パラワン憲兵分隊資料 昭19.1.8~19.9.28

軍事極秘
治安月報(一月) ※1944年
第十四軍憲兵隊

治安月報(一月)
一、要旨
(六)住民の思想は親日協日へと転換濃化啓蒙指導に努めつつあるも各種事情に禍せられ依然遅々たるものあり。又一部要人及智識階級等の親米思想の根本的払拭は容易ならざるものあるを想はしむるものあり。

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レファレンスコードC14061252300(3枚目)

パラワン州北部「ゲリラ」隊幹部会議状況 文書入手 確度甲
一月七日「パラワン」島北部「テニチアン」に於て警備隊の匪団幹部逮捕の際押収せる文書中自十二月二十日至一月二日匪団幹部十二名参集会議せる記録文書を発見せり
内容は・・・

四四年一月一日
開会午前八時三十五分、 閉会午前十一時八分
ラグラガロン大尉
既に南部からの籾の供給に就てトムバガ中尉に話してある 又自分は此処に籾を持ち来る為南部に帆船を運ぶ派遣する様に「クヨ」「アグタヤ」「カガヤンシリオ」の町長に連絡してある

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レファレンスコードC14061189000
パラワン憲兵分隊資料 昭19.1.8~19.9.28

「軍事極秘」印
渡集参乙第二五六号
渡集団情報記録(乙)第一四八号(自一月二十一日至一月三一日)
昭和一九年二月一四日 
渡集団司令部

要旨
一、比国大統領布告に基く大赦令試行期間は一月二十五日を以て終了す 末期に於て相当多数の投降を見たるも兵器の供出僅少にして且主要匪団は益々勢力の拡充を策しつゝあり 又既投降者中有力者の殆ど大部は知事町長等の懇願に依り偽投降せるものと観察せらる
比島側は数万の投降者ありと発表せるも殆ど大部は良民又は採るに足らぬ雑輩なり

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レファレンスコードC13071365000(3枚目)
渡集団(14軍)情報記録(乙) 昭和18年12月20日~19年6月20日

「軍事極秘」印
謀略遊撃戦の一例
昭和十九年二月十五日
渡集団司令部 

共産匪等の行動活発なるのみならず民衆武装の組織十分且その活動活溌にして諜者及僅少兵力の行動至難なる状況下に於ては偵諜網の構成は困難なり該困難性に眩惑しつつあるときは主力を以てする偵諜開始を速かならしむることは望むべくもあらず
各中、小隊は果敢なる積極主動性を発揮し斬新卓抜なる創意の下に謀略遊撃戦を徹底的に展開し以て武装匪等をして回避遁竄せしめ民衆武装を破摧し部落民に対する威力宣伝の効果を獲得しつつ迅速に偵諜拠点を構成し整々たる秘密戦を指導するを要す

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レファレンスコードC13071367300
第14軍関係情報資料綴 昭和19年
 
「軍事極秘」印
昭和十九年二月情報(防諜)主任者会同 主任参謀口演要旨
昭和十九年二月二十日
第十四軍司令部

一、情報勤務に就て
3、鹵獲品の提出に就て
・・・特に敵潜水艦に依り新兵器搬入せられある状況に鑑み之が調査利用を迅速なる提出に努められ度

五、謀略に就て
・・・而して現に全島特に「ミンダナオ」島を中心として蠢動しある匪賊の活動は頓に激化を予察せらるゝ情勢に鑑み之が対策は…

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レファレンスコードC13071366100(6枚目)
比島>防衛>第14軍関係情報資料綴 昭和19年

「極秘」印
パラワン憲高第一四号 昭和一九・二・二四
情報
カガヤンシリヨ諸島(パラワン州)の状況 取調状況 確度乙

二、経済情勢
該地域の生活必需物資逼迫は其の極に達しあるものゝ如く衣類及食糧は他島よりの輸入殆んど無く住民の衣類は帆船用帆及「マギ(?)」植物性繊維○より○同様のものを採取使用しあり
住民の主食は米穀僅少の為木芋(キャッサバ)玉蜀黍バナヽ等を用ひあるも之亦産出僅少にして飢餓の状態に在るものゝ如し
「註」「カガヤンシリヨ」島住民は従来専ら帆船に依る沿岸運輸を業とし生活必需物資は他島より移入しありたるものなり 

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レファレンスコードC14061189900
パラワン憲兵分隊資料 昭19.1.8~19.9.28

「軍事極秘」印
防諜主任者会同席上に於ける防諜に関する参謀口演要旨
昭和十九年二月
渡集団司令部

「軍事極秘」印
防諜班長説明要旨
一、南方諸地域に於ける敵諜報謀略の特性
二 比島に於ける敵諜報謀略の特性
一、精神的支援
1 敵の諜報謀略要員は米軍再来を盲信しあり
2 敵の諜報員は残置謀者大部分を止め永年各部面に亘り親交を有す
3 最近敵潜水艦よりの物資補給を受けつゝあると共に遊撃隊又米濠島内多数無線に依り(?)対米依存大なり
4 比島要人中未だ新比島の現況に覚醒せず
徒に米の短波放送を盲信し敵側諜報員との連絡密(?)なりと判断せらるゝもの多数あり該要人に依り保護せられあり

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レファレンスコードC13071367900(4枚目)
比島>防衛>第14軍関係情報資料綴 昭和19年

軍事極秘
治安月報(二月) ※1944年
第十四軍憲兵隊

治安月報(二月)
一、要旨
(一)軍の積極果敢なる討伐により匪団は逐次潰滅又は組織を破摧せられ治安は良好に向ひつつあるも近時南方戦局の推移と相俟ち敗匪の蠢動活発化の傾向にあり。殊に「ビサヤ」「ミンダナオ」各島敗匪の活動積極的となりつつあるは厳戒を要す。
又米人フェルテックを首魁とする各地潜伏米人の群小匪の糾合並び組織の拡充画策は愈々巧妙深刻なるものありて之等米人の速急且徹底的剔抉弾圧を要するものあり。
(二)敵潜水艦の兵器弾薬の搬入及揚陸謀者との連絡は確実なり。又最近米濠に於て教育せる比人等無線謀者の多数揚陸を判断せらるるものありて敵無線の探査撲滅潜艦寄泊地の覆滅に更に努力を要す。
(三)中部呂宋地方に於ける警察隊兵器弾薬の掠奪被害及隊員の投匪等漸増の●なしとせず。一部警察隊員の通匪事実と照合し厳視を要するものあり。
(四)政府の潰職官吏断罪法の制定等綱紀緊粛に関する態度真摯なるものあるを推知せらるるも窮通打開、自立自営の気魄に欠け要人以下の治安確立●食糧問題解決に対する態度も依然消極退嬰的にして自己保身にのみ汲々とし敗匪援助又は之等と妥協せんとするの気配あるを窺知せらるるものはるは注視を要す。
(五)経済情勢は益々深刻悪化の傾向を辿り殊に飯米の不足物価の暴騰は愈々住民生活を脅威し各種不平不満を増大せしむるのみならず反日不穏の言動に出ずるものなしとせず注視を要す。
(六)敵反攻激化に伴ふ敗匪の執拗なる「デマ」宣伝に眩惑せられ住民の思想稍々動揺せしめあるの観なしとせず。殊に政府要人以下の曖昧態度、一般住民の生活問題より発する米軍再来希求言動は注意を要す。
(七)「マニラ」市に於て退院獲得其他連絡に暗躍画策中の敗匪は三十数個に達しあり。之等敗匪は米軍再来又は空襲時の一斉蜂起を企画せるものの如く憲兵は全貌把握の上一斉検挙を目指し目下鋭意内偵中。
(八)前月末検挙せる「CIO」中佐及米人宣教師を中心とする抗日不穏文書配布犯人一味の取調により全比島諜報網の組織並に潜入米人謀者及敵潜水艦との連絡、其他政府要人、有力者に対する敵の策動状況等一部真相事実を判明暴露し来りたる等事件は逐次進展しつつありて比島防衛上之等関係政府要人並に宗教関係第三国人に対し断乎たる対策を必要とするに至れり。
本事件関係者の検挙総人員一〇四名に達し引続き捜査中なり。

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レファレンスコードC14061253300(1枚目~)

「極秘」印
比憲高第一五〇号 昭和一九、三、六
比島憲兵隊本部
(カバナツアン憲兵分隊報)
情報
時局問題に対する「カバナツアン」地方民心の動向
一、要旨
カバナツアン憲兵分隊に於ては女学校生徒二百余名に対し憲兵干与を秘匿し仝校邦人教師をして無記名にて所感文を徴せしめ対時局動向を観察せるが
米軍の再来を希求妄信しあるもの 六〇%
現実の苦難は戦争のためなりとし日本軍を呪咀〔ママ〕するが如きもの 三〇%
●日本軍の真意を理解し大東亜民族としての自覚に徹しありと認めらるゝもの 一〇%
等にして一般民情を窺知せらるゝと共に将来の施策上好個の資料たりと認めらる
 
二、主なる所感文内容
●何故東洋人が此処に来たか 彼等が来ない前は幸福であり「ゲリラ」も居なかった、日本軍が比島を独立さしたが喜んで居るものは少ない、我々は日本を期待出来ない
●黄色人種でなく我々は他の人種の来るを待っている
●日本軍は「ハイスクール」から他へ移って貰らいたい、又真に我々の事を思って呉れるなら風雨や暑さから救われるように一日も早く「ハイスクール」を開けて貰らいたい又日本人は女性を卑下する傾向がある吾々は只米軍の来ることを期待するのみ
●戦争は我々を不幸にした我々は三ヶ年も苦しみ今尚苦しんでいる何故か?住民の中には一日の食事も充分に摂って居らないものが沢山居る・・・・
物価は日一日と昂騰する何故其の様になるか?
月給取が四十円や五十円でどうして家族を養って行くことが出来るか、お前達は此の残忍悪辣なものを知っているか
●今年中に戦争が終らないと物価は益々高くなるし我々は餓死するばかりだ私も「ゲリラ」になりたい、そして日本軍と戦争したい、そうすれば日本も軈て「スペイン」の様になるだろう
●比島は日本より独立を与へられたが此の独立は永いことはないと思ふ
●戦前は自由な生活で書物等も如何なるものでも読むことが出来た戦前の生活に一日も早く帰へりたい
●日本人は女性を卑下するが比島の習慣は男女を尊敬せねばならぬ比島では一家の男子は統治者で婦人は女皇である
「スペイン」は此の習慣に反したので比人が反抗した
●日本軍は言葉が判らぬため罪なき人を殺したり又比人の顔を平手打をしたりした 日本軍は「ビール」を呑んで歩き娘に出会ふと肩に手をかけて冗談をする、日本軍ならこそ我慢をする
●日本軍は我々の校舎を奪った早く返して欲しい、そしたら協力する
●我々は現在生活上経済的に精神的に最も苦しい難関に逢着しているそれは誰のためで又どうしてか、日本人の来島に依り違った風習が比島人に与へられた悪影響は恐ろしい
●亜米利加は我々に享楽と怠惰を教へた日本は我々に勤労と大東亜民族の自覚とを教へた日本は東洋の母である
我々は始めて産業発展の重要性と勤労の尊さを知った
●日本人は生活様式及風習、歴史、舞踊等を我々に教へて貰らひたい
斯くすることに依って日比両国の間柄は益々緊密化するものと信ずる

三、其の他参考事項
1、最近の戦況及「マニラ」方面に於ける防空諸施設の整備等により近々米軍来襲せんとの臆測を有するもの大部にして日本の苦戦は軈て米国の勝利なるべしとの感を抱くもの尠からざるものあるを窺知せらる
2、中等学生中には邦人教師に対し日本の政治形態及天皇とは如何なるものなりや、自爆自刃の意義を質問する等其の都度説明しあるが一般に了解し得ざるものゝ如しと(了)

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レファレンスコードC14061199500(1枚目~)
パラワン憲兵分隊 警務書類綴 昭19年

極秘
最近に於ける比島事情
昭和十九年三月三十一日
大本営陸軍部

第一 概説
比島は独立後も尚親米(依米)思想各階級層に普く底流し牢固として抜くべからざるものあり、加ふるに近時食糧を始め、諸物資の窮乏並に物価の高騰は一般民衆をして益々不安を助成せしめ且つ敵側宣伝の激化巧緻と相俟ち昔日の自由主義的生活を憧憬せしむるに至らしめ、対日信頼協力は極めて消極的にして敵匪の活動益々活発なるものあり。軍政撤廃後に於ける比島政府の政治力の薄弱、行政技術の貧困及官公吏の義務奉仕観念の稀薄等は政治的成果向上の為大なる障碍となりつつあり。
又一千八百万の比島民は其の種族、宗教、言語極めて複雑にして剰へ華僑及混血児の特異なる存在は比島の国家的団結の強靭性を失はしめあり。
更に歴史的植民地的なる思想、文化、経済の基盤に上塗りせられたる米国的高度物質文明は比島民特に「インテリ」層をして怠惰にして窮乏に耐ふるの念なく、圧制に対し徒らに饒舌的反抗心強きものとなしありて、大東亜戦争遂行上比島の戦略的地位に鑑み大に注意を要すべきところなり。

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レファレンスコードC14020710900(1枚目)
最近に於ける比島事情 S19.3.31

パラワン憲高第三〇号
昭和一九 四 二五
パラワン憲兵分遣隊

治安月報(自三月二十六日至る四月二十四日)
一、総合判決
●比島側の施政物資不足に伴ひ其の弱体を暴露し民心不安と敵反抗激化に伴ふ各種「デマ」宣伝に眩惑せられ曖昧なる態度に出で容易に進展せず稍々もすれば米軍再来を希求すが如き徴なしとせず注意を要す

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レファレンスコードC14061191600(1枚目)
パラワン憲兵分隊資料 昭19.1.8~19.9.28

「軍事極秘」印渡集参乙第三四六号
渡集団情報記録(乙)第一五五号(自六月一日至六月十日)
昭和一九年六月二十一日 
渡集団司令部

要旨
三、比島警察隊の通匪行動に●しては厳に警戒中なるも●●の之が投匪工作の滲透は相当根強きものあり最近兵器携行逃走者の頻発せる傾向あるは注意を要す

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レファレンスコードC13071365000(3枚目)
渡集団(14軍)情報記録(乙) 昭和18年12月20日~19年6月20日

軍事極秘
渡集参乙第三五四号
渡集団情報記録(乙)第一五六号(自六月十一日至六月二十日)
昭和十九年七月三日 
渡集団司令部

中南部呂宋地方(勤兵団)
一、比律賓警察隊(?)本部「ルフォ。ベルナド」中尉及「ソテロエスペロン」軍曹の●れる比島警察隊員に関する心的動向観察左の如し

1 現在警察隊士官の大部分は元「ゲリラ」隊士官にして依然親米的なり
2 士官達(?)の比律賓共和国並びに日本に対しての●力は誠実ならず
3 米軍若し比島に上陸せば大部分の●察官は日本に協力せず一時●に●避(?)し然る後米軍に再び協力せん
4 警察隊兵士の殆どは親(?)「ゲリラ」的にして「ゲリラ」との交戦(?)を●まば・・・(●者報確度乙)

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レファレンスコードC13071365400(5枚目~)
渡集団(14軍)情報記録(乙) 昭和18年12月20日~19年6月20日

「軍事極秘」印
駿参乙(情)第一号
情報記録 昭和十九年七月十一日 バギオ

第一 要旨
近時太平洋方面に於ける敵反攻の熾烈化欧州第二戦線の実現等一般情勢の急迫化に伴ひ愈々米軍再来を盲信せる管内残匪は急速なる自己地盤の拡大を凡ゆる手段を盡して匪徒の獲得に努むる一方彼等の再建工作●●隘路となりつつある兵器の獲得に関しては其目標を比島警察隊員に指向し之が襲撃拉致等其行動逐次露骨となりつつあり而して一部比島警察隊員に在りては秘かに米比軍系匪団と密絡寧ろ積極的に之が援助をなしあるもの等を散見せらるる状態にあり最近西地区方面に於て稍々多発しある敗匪の比警察襲撃事件に徴するも一部比警は何等之に抵抗することなく寧ろ妥協的に兵器を提供せる疑なしとせず又南地区方面に於ても共産匪に対しては強圧手段を以て臨み徹底的討伐を敢行しあるも米比軍系匪団に対しては稍々同情的態度に出で討伐等に方りても極力之との交戦を回避し或は暗々裡に之を逸脱せしむるが如き行動を看取せられつつありて将来之が誘掖指導上注視を要す

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レファレンスコードC14061214600(1枚目~)
ツゲガラオ憲兵分隊 情報綴 昭19.7.3~19.12.3

「極秘」印
南総報比宣伝情報速報第十三号
本情報は比島に於ける宣伝情報勤務者服務上の参考に資する為配布するものとす

「マニラ」の近況 
昭一九、八、三一 南方軍情報部

二、アメリカ軍のマリアナ諸島上陸成功に伴ひ、アメリカ軍がマニラ乃至比律賓群(?)島の一角に上陸を敢行するは今や容易なりとマニラ市民は信じてゐる

四、又到る処で非常事件勃発乃至は戦闘開始の際日本軍隊が●烈な手●に出はせぬかと市民は極めて憂慮し危惧してゐる模様である。一般市民は平穏に法規に●っていても、二、三のものが敵意を示し、或は●性行為に出でんか、無辜の市民も生命の危険に頻〔ママ〕すべしと、憂して居る、何らか不測の事件起り、日本軍が弾圧の挙に出たる際●は一人の不良分子の犯行も無辜の市民の安全に関はるであらうと懸(?)念されて居る、

五、次に地方民情であるが、地方匪賊の首魁は大抵住民の顔見知りであることは周知の事実である。匪首は所在を匿くしてゐるとか身元を一般民に秘す如き怪人物では決してない。住民たちはよく顔は分ってゐても後難を怖れて誰も地方当局へ注進したり警察へ訴へたりしない。その手下に拐帯されて殺されぬまでも危害を加へられる為に匪首のことをとかく言ふを恐れてゐる、その屡々やる掠奪行為に至っては匪団の小隊はゲリラと同●である。彼等の不法行為はゲリラに名を借りて行はれる。住民から金銭衣類その他必需品んを強奪し時には戦後支払乃至弁償を約する受領証まで渡すとの事である。

六、州知事、市長、警察署長の中には己が生命を保証する為不良分子の親玉と「球遊び」をやってゐる者があるといふ。「球遊び」とは州の官吏や巡●将校が匪賊の親分に偶然出会った時、断(?)乎峻烈の処置を為さずして却って友情的助言を与へる事を意味するらしい曖昧語である。若し官憲が法規に照して断乎処罰せんか、忽ち彼は無頼の徒の危害に瀕すべく、従而彼らは身の安全を懸念してゐるのである。

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レファレンスコードC14061238700
レガスピー憲兵分隊情報綴 昭18~19年

「極秘」印
南総報比宣伝情報速報第十七号
本情報は比島に於ける宣伝情報勤務者服務上の参考に資する為配布するものとす

北呂宋(中、西)民情の一端 
昭一九、八、三一 南方軍情報部

最近北部呂宋方面より帰来せる宣伝工作員の報告に依れば同方面の民情に関する断片情報左の如し
 
一、「ボントック」周辺の日本警備隊の訓練しあるを見たる、土人達(イゴロット及イロカノ族)は日本兵の体躯は貧弱なり、例へ日本兵三名にて向ひ来るも一名にて克く之を倒す事を得べしと豪語し、自族の優越感を誇示したり。
斯の如き土人達に対して日本軍の質的優秀性を深刻に印象付ける如く宣伝の要あり

二、最近「バギオ」上空に高度高く飛来せる標識不明の飛行機を見たる市民一般は米機来ると歓喜しありたり。 

三、市場に於て物価高き理由を試問するに商人たちは異口同音に軍票が故なりと説明しあり。

四、最近「ゲリラ」の出没活発となり、特に知事、町長等要職にあるものを脅迫しあり。為之要人は恐怖を抱き皇軍部隊の駐屯地付近に移転し、その被〔ママ〕護を受くべく希望しあり。
「ラウニオン」州知事、「バウアング」町長、「ナルバガン」町長等之なり。

五、「バギオ」に於て開催中の兵隊美術展に就て
目下「バギオ」文化会館に於て兵隊美術展を開催しあるが展覧絵画中、特に高橋兵長(文展三回入選)及原田上等兵の書きたる花鳥、風景等を主題とせる日本画は頗る評判よく、その繊細なると美麗なる点に見物人は悉く驚異の眼を見張り「果して日本兵の書きしものなるや」の疑問の声を発し、而して其の事実を納得するや賞賛を惜しまず長時間観賞を続けるの状態なり。
近時日本兵の生活貧弱なりとし、或は又日本兵の文化程度低し等住民の日本兵に対する認識極めて浅弱なる現況に於て日本兵の文化的才能を高度に発表提示せしは頗る効果あり意義大なりしものと云ふべし。而して一部に於ては感歎の余り払下げらるるものならば価格は幾何にてもよき故是非購入致し度等と希望しあるものあるが如し。

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レガスピー憲兵分隊情報綴 昭18~19年

パラワン憲高第六六号
 パラワン警察隊の状況に関する件通牒 
 昭和十九年九月二十五日 パラワン憲兵分隊長
 パラワン防衛隊長殿
 昭和十九年九月五日ビサヤ憲兵隊長依命(一九・九・五・二二飛行団依頼電第四七五号)に依り首題の件左記通牒す

左記
一、比警隊員の状況
(一)保有隊員に付て
昭和十八年三月二十日「マニラ」 より州占領後最初の警察隊要員として四級監察官サンチャゴ・ボニフエ(当二十八年)以下二六名著〔ママ〕任し以後数回の要員到着に依り遂〔ママ〕次其の兵力を増強し定員数将校以下一四九名(将校七 下士官兵一四二)を優に及べり、然共数次の討伐に依る戦死・行方不明、転籍及投匪、免官せられたる者将校以下五九明(将校三 下士官兵五六)にして現保有隊員は将校以下九〇名(将校四 下士官兵八六)なり

(二)思想動向に付て
比警隊員は元比軍「バタアン」攻略戦時の釈放俘虜を包含し主として現地に於て応募したるものにして一般に未だ従来の自由主義的旧弊を脱却し得ず最近殊に物資不足に依る給与低下に一部幹部以下に在りては常に不満を蔵し為に警察能力極めて消極的にして顰蹙〔ママ〕せる経済情勢を憶測し同性は遂〔ママ〕次対日離反に●行しあるを窺知せられ現在迄即ち保身の為投匪せる者五(下士官及兵)通匪せる者三(兵)免官せるもの二(将校)あり其の他職権利用不正行為を為すもの等散発比警隊長は其の都度処分しあるも将来の動向厳に注意を要すべきものあり

(三)戦死・転籍・投匪・通匪・免官及行方不明者の状況
月日    階級 員数 区別 摘要
18・7・13 少尉  1  戦死 「バブヤン」にて敵匪と遭遇戦死す
18・7・13 兵   9  戦死 「バブヤン」にて三名「パニテヤン」にて六名敵匪と交戦し死す
18・8・5/29 下士官 2 転籍 将校訓練所入所の為
18・9・14 兵   1  右同 転任
19・2・12 伍長  1  投匪 「アボルラン」にて素行不良にして賭博同僚の金子を窃取投匪す
19・3・30 伍長  1  戦死 「リサール」河渡河の際敵と交戦々死す
19・4・1  兵    1  投匪 「カラマイ」にて素行不良上官に不満を有し通匪投匪す
19・4・30 軍曹  1  免官 通匪敵前逃亡
  〃   兵   2  〃  訓練精神欠如
  〃   兵   2  〃  通匪
19・5・3  少尉   1  〃  指揮官としての責務放棄の為
  〃   准尉   1  〃  同右(「カラマイ」にて)
  〃   兵  33  行方不明  「カラマイ」に於て敵側に捕獲或は行方不明となる
19・5・4  兵  1  投匪  「タイタイ」日本警備隊付となり匪襲前日行方不明
19・7・3  兵  2  〃   所在匪化地に家族を有し血縁感情の為投匪す

計59名

(中略)
五、所見
叙情の如く比警の素質能力稍々向上の域に達したるを認めらるゝも今尚自由主義的意識潜在しありて之が向上は容易に期し難く戦局の推移と共に思想動向厳に監察指導の要あり(了)

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「軍事極秘」印
パラワン憲高第六九号
憲兵月報(自八月二十六日 至九月二十八日)

第一 保安に関する事項
一 一般情勢
(一)戦局逼迫に依り敵匪の活動は頓に活発化し米軍再来に呼応一斉峰〔ママ〕起を企図しあるものの如く日本軍襲撃事件の発生等厳戒の要あり
(二)本期敵潜水艦の出没は減少しあるも敵匪帆船の跳梁は益々露骨なるものあり又官民にして前比島政府希求的通信を為すもの有る等対日離反に移行しつゝありて愉安を許さゞるものあり
(三)「フエルト・プリンセサ」及飛行場付近居住官民は経済的困窮と逼迫せる戦局を察知危懼し農繁期に藉口逐次山間僻地に避難する等州事務は自然停止の已む無き状態に在り比警又服務漸次消極的となり敵匪の各種策動に乗ぜらるゝ公算大にして動向厳戒の要あり
付記「パラワン」地区防衛隊長と協議し軍飛行場及軍駐屯地周辺居住民を敵機爆撃圏外指定区域に移住せしめ州事務を続行せしむ
(四)住民の自給自足に依り目下収穫期を控へ米国不足は稍々緩和しつゝあるも生活物資不足に依る物々交換経済は益々活発化し之が為軍票価値は著しく下落せしめあり之が治安に及ぼす影響大にして注意を要するものあり

五 政治並に軍情
八月末日州知事イニゴ・ペニヤは「マニラ」中央部に出張し検事フェリキスブランコが代理として施政を統御しあり。然乍ら一般官吏は最近頓に逼迫せる戦局を察知米軍再来を憶測収穫期に籍口職務を抛擲山間僻地に避難しあり。之が為州庁事務は自然停止の状態に在り
比警又前記同様疑懼的観念を抱持其の服務益々消極的となり逐次其の動向対日離反に移行しあるを窺知せられ爾後の動向厳戒の要あり。憲兵は防衛隊と協議し住民の指定地集家工作を構〔ママ〕ずると共に比警の軍司令対策の速〔ママ〕進を図り裏面監察を厳に実施しあり。

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パラワン憲兵分隊資料 昭19.1.8~19.9.28

パラワン憲高第七二号 
「パラワン州比警の武器携帯党与投匪に関する件報告「通牒」
昭和十九年十月十三日 パラワン憲兵分隊長

●「パラワン」州警察隊「アボルラン」分屯隊長セベロ・バルデスコナ小〔ママ〕尉以下四十一名は九月二十七日武器を携帯部落有力者と共に「パラワン」島南部メーヨル匪に投匪す
●十月十一日「ミンテス」分屯警察隊長ドミンゴ・カルホネル少尉以下三十名は防衛隊「ミンテス」に行動せるを知るや武器を携帯山中に逃走せり
状況左記報告「通牒」す

一、比警の分屯状況
・・・本年四月警備隊は交代の為同地駐屯を徹〔ママ〕収したるも警察隊は依然該地に於て前任務を続行此の間「ミンテス」北方約五〇粁「カラマイ」分屯隊は本年五月二日敵匪の襲撃を受け全滅的打撃を被りたるも「ミンテス」及「アボルラン」分屯隊は現在迄数名の投匪者を観たる外大なる発生事故等無く概ね順調に服務し来たるが最近戦局の推移に伴ひ態内部は相当浮動し警察隊員の動向も遂〔ママ〕次悪化しありたり。

二、比警の投匪状況
投匪年月日
(一)「アボルラン」分屯隊 昭和十九年九月二十七日
   「ミンテス」分屯隊 昭和十九年十月十一日
(二)投匪者並携帯武器
アボルラン 少尉2 伍長6 兵33 小銃24 弾薬780 拳銃3 弾薬12
ミンテス  少尉1 軍曹1 伍長3 兵25 小銃23 弾薬1,130 拳銃2 弾薬9
計 少尉3 軍曹1 伍長9 兵58 小銃47 弾薬1,910 拳銃5 弾薬21
(三)投匪前後の状況
(一)「アボルラン」分屯隊
「アボルラン」警察分屯隊には少尉セベロバルデスコナを長とし少尉エウセビオソレタ以下四〇名(計四十一名)分屯しありたるが九月二十七日長バルデスコナ少尉は部下隊員三九名(兵器弾薬被服全部携行)及村内有力者八名と共に「パラワン島南部匪化地に逃走せるが逃走に際し同地分屯
隊少尉エウセビオソレタをして「プエルトプリンセサ」所在警察隊本部に出張分屯隊員の俸給を受領せしめ帰隊後直に追随する旨遺留書を「アボルラン」村長ドロテオソベラノに手交せり。少尉エウセビオソレタは帰隊後警察隊長より受領せる俸給六千円を携行前記「アボルラン」村長と共に十月三日南部匪化地に逃走せり。
「アボルラン」住民の言に依れば該地分屯警察隊長セベロバルデスコナ少尉は逃走時に「アボルラン」全住民に対し口頭を以て『住民は直に匪化地山中に逃避せよ。若し之に反する者あれば射殺す』と恐喝せりと。
『註』「パラワン」地区防衛隊(憲兵協力)は同地分屯警察隊徹〔ママ〕収の為十月八日「アボルラン」に出動せるも逃走しあり周辺部落を捜索するも住民を見ず。
(二)「ミンテス」分屯隊
「ミンテス」警察分屯隊には少尉ドミンゴ・カルボネル以下三三名分屯しあり。十月十日長カルボネル少尉は伍長レステトエビナ及兵ロレトマラバトを指揮し連絡並俸給受領の為「プエルトプリンセサ」所在警察隊本部に出張せるも当時「アボルラン」警察隊の投匪等より警察隊長は俸給を支給せず。翌十一日防衛隊は分屯隊徹〔ママ〕収の為カルボネル少尉を同行せしめ「ミンテスに出動したる処同地比警は防衛隊の到着を知るや北部山中に逃走し「カルボネル少尉は之が捜索の為付近部落に赴きたる儘帰来せず。『註』防衛隊は部落周辺を捜索中比警伍長ベンハミン・トトンバンガ一名を逮捕す。
三、原因と認むべき点
「ミンテス」に於て捜索中逮捕せる比警伍長ベンハミントンバンガの取調に依れば最近戦局の推移に米軍再来逼迫を敵匪宣伝に依り窮地し敵匪の活動活発化に伴ひ現在比警の立場並米軍再来時比警の運命等を臆測投匪前「アボルラン」及「ミンテス」警察分屯隊幹部に於て穏〔ママ〕密裡に投匪画策し機を窺ひ居たるものの如く之が主なる原因左の如し。
(一)現在の戦局我に不利なり
(二)米軍再来時比警の悲哀的運命
(三)比島宣戦布告に伴ふ比警の前線配置を臆測
(四)敵潜水艦揚陸兵器に依り敵匪装備の充実に脅憾
(五)警察隊長の独善主義に憤満〔ママ〕
四、其の他
比警投匪後「アボルラン」分屯警察隊庁舎内に於ける不穏落書主なるもの左の如し。
○比島の自由を得んが為起つ時は来た
○米軍近く来たる我々の任務重大なり
○ボニフエーの大馬鹿者の首を切れ
○警察隊長ボニフエーを射殺す生命惜しければ我の下に降れ
○宣戦布告はしても装備無き比島に何等戦ふ力があるものか
○我々は今日まで日本軍にだまされた
五 処置所見
(一)述(原文旁「求」)上の如く比警は敵側の対比進攻に伴ふ敵匪の活動活発化に依り現在比警の立場と将来の運命を臆測浮動しあり服務能力極めて消極的にして将来戦局の逼迫に伴ひ敵匪に通ずる公算大なるを以て速に比警を解散せしむるの要あり
(二)「パラワン」州警察隊現在員は十数名なるが之等の中に在りても通匪容疑あり目下憲兵に於て取調中なるが現在の人員並に素質等より活動能力無き為解散せしむるを可と思料す。
(三)警察隊長サンチャゴボニフェは対軍信頼感を有するも自己独善主義に依り部下に対し無関心なる為幹部以下に在りては相当反感を抱持し居たり。
四、「パラワン」地区防衛隊(大林隊)に在りては「アボルラン」及「ミンテス」比警分屯隊の投匪に依り南北敵匪に備へ「イナガワン」(プエルトプリンセサ基点南方五五粁)「バクンガン」(プエルトプリンセサ基点北方二十五粁)に各々警備兵約二ケ分隊を配置し警備に任じ憲兵は極力匪情収集に努め警備の直接援護に努めあり。(了)

報告先 抜一〇六三〇部隊長・ビサヤ憲兵隊長
通報先 威九一五〇部隊長・威一八四五〇部隊長
    威一〇六八九部隊長・威二九四四部隊

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パラワン憲高第七五号
発送先 
抜一〇六三〇部隊長 ビサヤ憲兵隊長 威九一一五部隊 威一八四五〇部隊 パラワン地区防衛隊 威九一五〇部隊 海軍九五五部隊 威二九四四部隊
昭和一九・一〇・一六 パラワン憲兵分隊

情報(原文入手確度甲)
「パラワン」州比警「ミンテス」分屯隊比警巡査フランシスコ・セラルデ(投匪未逮捕)は投匪に際し住民に依頼せる通信文(押収)の内容より得たる情報に依れば
一、最后の勝利は米軍にあり
二、米機の「プエルト・プリンセサ」空爆時一斉蜂起す
等の内容を記述せる蔑視通信文(原物訳文)を押収せり
(別紙原物訳文参照)
(了)

別紙
一九四四年十月十四日午后九時 於ミンテス比警分駐所
サルバシヨン様
親愛なる君よ
今吾々「ミンテス」に分屯して居る警察隊員全部は北部に居る吾々の同胞の米軍部隊に加入して居る。それと云ふのは最后の勝利は米軍にあるからだ。近く「パラワン」「プエルト・プリンセサ」を空爆せんとする米機の来襲を待って吾々部隊は一斉に蜂起し大挙して在「プエルト」駐留日本軍を急襲する計画になって居る。戦闘場所は「タクブロス」温泉場付近で「プエルト」基点より六粁から十二粁迄の間に於て開始せらるゝ筈なり。
今こそ吾々の平和自由比律賓建設に立つべき時が到来したのだ。諸君は此の戦禍を免れん為「プエルト」より山中に避難する様希望す
以上は日本軍に絶対秘密に頼む。そして此の文書内容を話す可き人物の選択に誤り無き様。解読後焼却のこと。
以上

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駿参乙(情)速第十五号
情報速報 昭和十九年九月二十九日(?)
比島政府宣戦布告に対する反響(「バギオ」憲兵隊報)

一、要旨
比島屡次の空襲に引続き今次ラウレル大統領の宣戦布告に対し民心は極度に動揺の兆を呈しあり
1、米軍再来は目睫に迫れりとなし一般民衆は預金の引出を為しあり
2、米軍再来の際日本軍票の無価値となるを虞土地購入食糧物資の買溜に狂奔しあり
3、食品物資の買溜偏在に基き飛躍的暴騰を為し主食品たる米は一俵三千比にて富有〔ママ〕階級者或は一部「バイアンドセル」にて金儲けせる者の所有する所となり下層階級者間にては殆ど入手し得ざる状況なり
4、今次宣戦布告に対し青壮年及既投降将校間に於ては再度徴集せらるゝに非らずやと戦々兢々としあり
5、「バギオ」市空爆或は米軍再来にあたり比島の再び戦場●せらるゝを危惧し一部の者に於ては山間に逃避しあり
6、敗匪は今次情勢に有頂点〔ママ〕となり蠢動活発化すると共に一斉蜂起準備に狂奔しあり
7、今次参戦に対し其の九十五%は反対の状況にあり

二、反対者の状況並特異なる行動
1、上層階級は戦宣〔ママ〕布告に対し悲観厭戦的言動を洩しあり
2、参戦布告に依り却って比警の如きは兵器携行逃走を刺戟せざるや其因は必ずしも米軍再来を迎合するものに非らず釈放俘虜の大半を以て占めある比警が逃走するは日軍上陸の際「バターン」半島や比島各地に於ける参戦の体験から来る恐怖の余りと思はるものがある(比警幹部四の言)
3、もう一度軍政施行されることを望む 比島政府自体に於ては此の事態は処置不能だ軍政を回復するか市或は政府の力に依って物価の高騰を取敢ず抑製〔ママ〕すべきだ(雑貨商五の言)

三、枢軸国及第三国人在「バギオ」華僑の状況
四、参戦に好感を有する一般民の状況

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ツゲガラオ憲兵分隊 情報綴 昭19.7.3~19.12.3

比島方面作戦経過の概要
昭和三十二年五月調製
引揚援護局

第一 比島の一般状況に就て
・・・比島人はスペイン統治三百年、アメリカ統治六十年の結果西欧文明就中アメリカ物質文化の影響を可成り強く受けてゐる、白人特にスペイン人とのミステーサが多く政治家、財界人等比島の有力者中その過半数は多少の差はあれ何れも白人の血を受けてゐると云って過言でない。一般に白人崇拝の念強く形式的アメリカ模倣が旺んで義務心を伴はぬ権利のみを主張する事多く其の考へは功利的で又感情が強い。

第二 比島作戦の特質
二 現地住民は終始反日抗日的であった
比島人の対白人感情に就ては既述の通りであって比島住民の大部は日本軍の比島占領以后に於ても終始反日的感情を抱懐してゐたものの様である。これが為比島に於ける米軍の諜報、謀略活動は極めて容易であって比島と比島外米軍との無線連絡は日本軍占領下に於て数次の討伐にも拘はらず絶えず行はれ、又我が方の単独若くは少数兵に対する殺害、襲撃事件等は随所に発生し車輌の運行妨害多く特に作戦末期頃においてはゲリラ活動スパイ活動は其の頂点に達し我が作戦に齟齬蹉跌を来した事は誠に甚大なものがあった。
「レイテ」島作戦兵団中に生還者の僅少なのは全くこれ等「ゲリラ」部隊の活動に依り傷病者に至る迄総て殺害せられるに至った結果に外ならない

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比島方面作戦経過の概要

別冊其の一
比島軍政の概要(素案)
史実部

四 行政
(一)民心動向
日本軍の上陸より「コレヒドール」要塞陥落に至る迄は四十年に亘る米国施政の教育に依り日本に対し一般に好意を有せず行政府要人に於ても止むを得ざる協力程度の域を脱せざるものありたり。然れども同島陥落は日本の力を現実に認識せしめたると上陸以来の日本の真意闡明は逐次浸透し対日依存及協力の態度漸次積極的となり来たれり。
 
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南方作戦に伴う占領地行政の概要 昭和21.5

フィリピン市民は、みんな敵だったんですよ。ふと振り返ると、垣根からピストルがむけられていることもありました。アメリカは占領時代に善政をしいて、道路や学校作ったんです。ところが日本は、フィリピンから毟り取ることはあっても与えることはなかったんですよ。フィリピン人は私たちにも平気で、マッカーサーは帰ってくるといっていました

住民協力は必須なのにそれまでの日本軍の統治はそういう事を考えていなかった。戦っているのは米軍でフィリピンではないはずなのに、全てが米軍の味方となっていた

大阪毎日新聞 1942.11.10-1942.11.24(昭和17)
大東亜共栄圏内指導者へ (1〜9)

精神革命運動起せ
 ヴァルガス長官、さるにても、戦争という巨大な嵐の中から建設を進め、戦ったものたちが協力して日比提携をなすことはたやすいことではありません、比島人のうちにも大東亜戦の真意義を解せず、当面の日比協力が如何にあるべきかについて認識の足らざるものも多いことと存じます、いつかも申上げたように大東亜戦は大東亜の民族解放戦であり、この目的貫徹は戦いに勝つことが先決要件であります、従って戦いに勝ち抜くことは全東亜民族の第一義務であり、このために犠牲をともにし、戦いつつある主力日本に物心両面から協力せねばなりません、なお日本を理解せざる比島人あらば、私は次のことを長官を通じて申上げたいのであります 
 比島は日本に戦を挑んだ、アメリカに踊らされたとはいえ戦を挑んだので、日本に敵対せるものは皇軍に殲滅されてもよいのである、殲滅されてもいささかの文句もいえないはずであるしかるに皇軍は比島の敵対にも拘らず、その東亜的更生と繁栄を祈念した、また俘虜を解放し職を与えるなど驚くべき寛大なる取扱いをしています、比島人は感泣すべきであると思う、日本は何故にかかることをなしたか、大東亜戦は大東亜の諸民族の東亜的更生を目ざしているからである、その前提は戦に勝つことであり、戦に勝つために一切をあげて対日協力をなすことが更生比島の大義名分なのである 
 長官はこの意義を十分理解していられるが、一般比島人にさらに徹底させて頂きたいと思います、そしてこれには比島人の精神革命が必要であります、比島の幸福は日本との協力のなかからのみ生れます、これを体得するにはアメリカ的な、浮薄な過去の比島人のサイコロジーでは困難でありましょう、新しい時代は新しい精神から生れます、比島の精神革命とそれがための大運動の展開が必要であります、長官はすでに地方遊説においてその運動に着手されたわけであります、この運動はやがて比島人がスペイン、アメリカへの隷属時代に出来た悪い諸性格の修正にもなり、西欧的な視角からでなく、自己発見の意義における真の「東海の真珠」を作りあげる基礎となりましょう 
 ヴァルガス長官、私は長官の健康と御奮闘を祈ります 
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10106672&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1
 
大阪毎日新聞 1942.12.1(昭和17)
新比島建設戦譜 (1~4)
大本営陸軍報道部派遣東日政治部員 栗原広美

執拗の米側のデマ
五月六日、米比東亜総司令官ウェーンライトは投降し、その翌七日、コレヒドール島の完全攻略はなった、敗将ウェーンライトはラジオを通じて全比島米比軍に「戦争は終った」と降服を通達したのであった、ところがルソン島の山間部、ビサヤ地方などに徹底抗議を呼号して□□した米人将校がかなりあった、それに比島兵の同情者や、無知蒙昧な反日ゲリラ戦の名に魅力を感じる無頼漢、戦争による失業者などが従った、米国が敗戦しては食って行けない一部の恩給生活者なども参加したといはれている、かれらは逃亡に際して山中に少数の短無電気を携行して行った、それで濠洲の敗走将軍マッカーサーと連絡して指令を仰いだり、米国のデマ放送を聴収したりした、食糧の欠乏や、雨季明けや、米国一流のデマ宣伝などの諸条件が重なり合って、こうした敗残部隊の□動ゲリラ戦が八月下旬ごろから甚だ小規模ながら各地に現われはじめたのである、コレヒドール攻路に次ぐ各地の戡定作戦も順調に進み約三ヶ月間、無風地帯の観あった此島の治安は物凄く悪化したように感ぜられ出したのであった、しかしながらそれも所詮は小規模の旋風の如きものでしかない、神速俊敏なわが討伐作戦のため、敗残米人指揮官はつぎつぎに投降或は逮捕され、短波無電気も押えられ日毎にその勢力は痩せ細るばかりである、元来が武器、弾薬、兵員等の補給のないルンペン部隊のことだけに、実力のガタ落ちは疑うべくもないのである 
[写真(栗原派遣員)あり 省略] 
米国のデマ放送は執拗に宣伝した‐九月には比島に上陸奪還するぞ、と、次いで、十月にする、十一月にする、十二月にする、遂には明年一月の上陸説など持ち出してしきりに喚き散らすのである、敗将マッカーサーは宿舎のマニラ・ホテルを出てコレヒドール要塞に逃げ込んだとき、ホテルの支配人に「なあーに、またすぐマニラへ戻って来るよ、自分の部屋には手をつけずにそっとして置いてくれ」といったそうである、嘘か実か彼等の心中は忖度すべくもないが奇妙な宣伝がまことに巧みで軽佻浮華の嫌いのある、うそを平気でいい、政治的陰謀に興味を感じる比島人の性格に迎えられる傾向が強いようである、こんなところにも比島治安問題の秘密がひそんでいるようだ、しかしながら百、千の虚構の宣伝も、結局一つの事実の前には敵し得ないのである 

戦時下の比島民心
今度新たにやって来た日本が何をおみやげに持って来たか、彼等はそれを知りたがっている、物の判った指導者階層は新しい比島建設の精神こそ日本の最大のおみやげだと信じている 
[写真(ヴァルガス長官)あり 省略] 
しかし日本軍が比島に上陸し、米比軍を追い払った後に戦時下の不可避、必至の運命ともいうべき苛烈な経済的困難が登場して来た、戦争は峻厳にしてすべてを変貌させずには置かない、従来の生産組織と機構とはわが国の戦争遂行意思にもとづいて当然変改を加えられるべきはいうまでもない、同時に戦時下比島の経済生活は一種の鎖国経済への移行を伴う、このような戦争と経済生活の激しい相互関係を正しく理解するには比島人一般の知的水準は低いのである、他国依存主義の病根のゆえに、比島民心は総括的に見て戸惑いしている様子が窺われる 
たいした深味も根底もないのが彼等である、戸惑い足ぶみをしている比島民衆もはっきり筋金の入った不動のわが軍政の下に、□然として同調せしめるのはさして困難でないと思われる 

※「おみやげ」については以下同趣旨の記事あり
大阪朝日新聞 1942.6.21(昭和17)
徳川頼貞侯に聴く
送れ、近代日本の姿
つき纒う混血文化の暗影にメス
[写真あり 省略] 
 
【マニラにて扇谷特派員二十日発】新生比島の文化はいかに再建せねばならぬだろうか、この問題を携えて来比中の徳川頼貞侯を訪れた、爽かなスコールの晴れあがった軍政下の比島人の生活感情、文化をじっと見つめてきた徳川さんは占領地の文化工作を「私は軍政の地ならし政策だと考える、だがここでは比島に関する幾つかの問題を内地の文化人に提示するだけにとどめる」と前置きし記者の間に静かに語り始めた=写真は徳川侯 

問 比島にきた最初の印象について 
徳川侯 比島には十五年前に一度訪問、その後もフィリッピン協会長として絶えず接触していたがこんど来て見てその文化水準の上っているのに驚いているが東洋の一角に重いがけぬアングロサクソン文化、それも極めてスポイルされたアングロサクソン文化の臭いをかいでいるという気持です。 
問 なにか具体的な体験がおありですか 
徳川侯 道路、ダンス、音楽、学校ことに普通教育の徹底、これはしばらくおいて田舎に出てほんの椰子の葉で掩われたニッパ・ハウスをのぞいてみてもそこにわれわれはミシンとアルバムを見出す、そして人口六十万のマニラでは東京でもちょっと珍しい十いくつもの壮麗な映画館と十いくつもの大学、専門学校が設けられている、インテリは口を開けば独立問題を論じ 「スペインは宗教を、アメリカは道路と教育をわれわれに与えた、日本はなにを与えるか」 とはやくも求める声だ、そしてバタアンに出掛けてみると戦友が渇いているのに水筒を開けぬ比島兵であり、炎天下にカルマタの馬がたおれているのに手伝おうともしない比島市民だ、エゴイズムの発揮、この原因を私は直接にはアングロサクソン流の教育、情操教育の欠如と間接にはここの特殊な歴史、混血文化に由来すると思う 
問 小学校の歴史の本をみると比島創生史の神話から一足飛びに十六世紀のマゼランの項に移って中間の十何世紀が空白だが・・・ 
徳川侯 そこなんです、南方のどこでも固有の文化、たとえばヒンズー的文化をもっているが、比島にはスペインとアメリカとそれに原住民の混血した文化だけです 二つの体験を話しましょう、国立図書館にでかけたら館長が貴重品としてリザールの革命小説ノーメンタンジュールを見せてくれた、比島の独立に関する本が何とラテン語で書いてあるんです、マニラの商工会議所に出かけたら会則に比島人を妻とするものは会員としないという、大統領のケソンがスペイン系、副大統領オスメニヤが支那人系の混血児、世界中で比島ほど混血児が幅を利かせ尊敬されているところはない、悲しいことではないですか 
問 そのままでいいんですか 
徳川侯 だから私は民族学というものにもう少し力を入れたらどうかと思うんです、比島固有の民族タガログ、ビサヤ、イロカノ、モロそういった比島民族をわれわれはもっと深く掘り下げて見る必要がある、そしておそらく彼らの中に保有している習慣ことに 家族制度といったものの中に東洋的なものがあると思うそのよい部分を振興して行くことです 
徳川侯 人を見て法を説けということです、映画についていえば前述のごとく南方には四季がないのですから季節の細かい変化、情緒なんていうものは分らない、単に奇妙にうつるだけです 今の段階で欲しいものは 近代日本の機械化を示す日本の文化映画だ、たとえば飛行機のズラリと並んだ写真や大工場、大ビルジングの並んだ都市風景が欲しい、何しろ戦争前までマニラの方が東京より遥かに大きいと教えこまれている市民だ 
問 内地の文化人に対して・・・・・・ 
徳川侯 コレヒドール、バタアン陥落のとき聞いた話だが陸海軍にはそれぞれある一つの要塞をいかに攻撃するかということばかり三十年もジッと考え研究していた人がいたそうだ、そしてそういう人の研究と努力がこんどの花々しい戦果となって現れたのだと思う、だがわれわれ文化人の中に三十年比島の文化をいかに再建すべきかと考えて来た人は果して幾人いるだろうか、遅播きながらわれわれは比島はもちろん南方各地について今後突込んだ組織立った研究を起して行くべきではないかと思う 

大阪朝日新聞 1942.12.1-1942.12.3(昭和17)
比島軍政を現地に視る
開戦一周年を迎えて

徹底的治安粛正進む
バタアン、コレヒドールの陥落についで、ビサヤ地区(比島中央の島□地方)の戡定作戦後は、ほとんど全比島の治安は粛正され、平穏であったが、八月末ごろから投降を肯せず山中に逃避した米比軍の敗残兵がルソン、ビサヤ各島で蠢動をはじめた、またその首魁は無電で濠洲の米軍と交信し、その指令を仰ぎ、相当計画的治安の攪乱を企てているもののごとくである 
治安悪化は主として奥地深く逃亡した敗残兵が、雨季とともに食糧不足が甚だしくなったこと別に大した思想的根拠はないがゲリラという名に英雄的魅力を感じて附和雷同し易い比島人が少くないこと、戦争に□□□者の続出、従来の恩給生活乃至は米国と利益関係の多い比島人が米国への復帰を望んで、敗残兵にシンバ的行動をもって加担しているというようなことが原因とみられている 
かくの如く比島の治安は満州、支那の治安問題とは根本的に性格を異にしている、武器弾薬などの補給も全く杜絶され、□□の山中な密林中を逃げ廻っているのだからやがて食糧、マラリヤ、その他の悪疫などによって自滅する運命にあり、比島治安の粛正は時期の問題というべきである、現在警備各部隊の競争的討伐によって、徹底的粛正が行われており、討伐の方針もその首魁を殲滅して根こそぎ壊滅せしめるという方法がとられている、すでにルソン島では米比敗残兵の指揮者が続々と捕えられている一面、軍政の浸透も促進し経済的秩序も漸次回復、生活の安定と相俟って今年中には大体治安は粛正確立をみるものと期待されいてる、また主要都市はじめ各部落では、はやくも保甲制度が組織され治安確保、物資配給などに貢献している 
 
米、執拗のデマ宣伝
ただ治安上もっとも注意を要することは米国の巧妙執拗なデマ宣伝である、もともと比島人は何といっても四十年間の米国の愛撫的統治に育まれ、米国崇拝の思想は骨の随までしみ込み、米国思慕の念は一朝一夕に払拭することは不可能である、したがって米国の宣伝は百%の効果を収める好条件に恵まれ□□わけである、すでに短波受信□は禁止されているけれども、□□こからと□□□□□□□□□□□のデマ宣伝□□□□□□□□□□って治安粛正の大きな□となっている、現地軍当局は放送、映画、ポスター、印刷物などによってこれを撃破する宣伝対策を行ってはいるけれども宣伝戦の戦果はなかかな困難である 
大東亜戦局の推移が直接比島の治安に重大影響を及ぼすとはもとよりであるが、ソロモン海戦、南太平洋海戦の大戦果に引続き西南太平洋の戦局が微妙な波紋を比島人に与えていることは、注目に値する 

大阪朝日新聞 1942.12.3(昭和17)
僻陬山岳地に蠢動の比島残敵大部を●滅
わが陸軍の討伐大戦果

大本営発表(二日午後六時三十分)比島方面帝国陸軍部隊は曩に全群島を攻略したる後尚陬僻不便の山地等に拠り蠢動しありし米比敗残兵に対し引続き討伐を行いつつありしが既にその大部分を●滅せり、去る八月以降十月に至る三か月間の総合戦果中主なるもの左の如し 
(一)敵の遺棄死体三千九百四十五(二)俘虜二千九百十八(三)鹵獲品 機関砲三十三門、重軽機七十一挺、自動小銃百五挺、その他銃器七千四百五十八挺、各種弾薬約百万発、自動車四十四台

治安急速に確立す

大東亜戦争一周年記念日を前に比島における米比敗残軍の大部分が掃滅されたことが大本営発表によって明らかにされたが、短時日の間にかくも治安が急速に確立しつつあることはまさに驚異的というべく、執拗に比島内部の攪乱をはからんとする米のデマ宣伝を事実によって完封したものである
さきにわが陸軍部隊の勇戦奮闘によって比島全軍島の攻略が成った後も、頑冥なる米比敗残兵は僻陬不便の山地等に拠り蠢動をつづけ、これがため比島の治安はとかく攪乱され勝であり、この間隙に乗じてアメリカはデマ放送を行い比島建設に少なからざる障碍を与えていた
新比島建設に念願するわが陸軍部隊としてかくのごとき状態を一刻も許し得ざるに鑑み全群島の攻略を了えたわが精鋭は疲労をものともせず直ちに掃蕩に入り、酷熱□□を克服して各所に敗残兵を虱潰しに把握撃滅につとめ、その労苦がいまや結実として右の発表となったのであり、なお残存する少数の敗残兵も支那大陸などとは異なり後方連絡が絶たれ、武器、食糧の補給も後援続かぬ状態にある以上近く完全●滅にいたるは明らかである 
さきにスペインはその三百余年にわたる比島統治に終始苦杯を嘗め続け、またアメリカの比島征服に当ってもアギナルド将軍の率いる比島軍が執拗にゲリラ戦を続けた歴史を顧みても、投降せる米比東亜総司令官ウェーンライトが去る五月七日に全比島の米比軍に降伏勧告を行ってより僅か七か月足らずにして敗残兵の掃蕩がほとんど成ったという治安回復の迅速さは驚くべきである、比島は今やわが皇軍に協力してヴァルガス行政長官のもとに再出発をなしつつあるが、右のごとき治安回復の急速なる進展は軌道に乗りつつある比島建設に一段と拍車をかけるものである

本格的建設期へ 比島軍政監部総務部長談
【マニラ特電二日発】アメリカの□絆を脱し東亜共栄圏の一環にかくすべく比島再建の大業は去る一月軍政施行以来快速調をもって進捗しつつあるが、開戦一周年を前に比島軍政監部総務部長○○大佐は軍政の現段階について左のごとき談話を行いもっとも憂慮された治安も遠からず米匪の完全掃蕩をみ軍政の強力な浸透によってその目的とする重要資源の開発は急速に達せらるべき運命を力説した
一、本格的建設について 大体比島軍政は南方占領地域中でも特殊の性格をもったものであり、またその運営においても非常にむつかしいものがあろうと思う、マレー、ジャワと異って軍政監部の下部組織として比島現政府があるということは将来の政治形態についてもっとも慎重に考慮せねばならないからである、また現段階についていえばいよいよ本格的な建設に入ったといえる
一、治安の現況 現在もっとも重要な問題は治安の確立である、すべての軍政施策は治安の確立をまってはじめて実現されるものでこれに全力を挙げている次第である去る五月バタアン、コレヒドール作戦終了後各地とも大体順調に粛清向上された、地域的に見るとルソン島内にあった残匪はわが真意を悟って最近続々と投降し、約一千五百名が皇軍の恩情のもとに収容されてほぼ平静の状態にあり一時憂慮されたミンダナオのモロ族の波瀾も漸く静まり、ビサヤス地方のセブ、パナイの敗残匪に対して徹底的な武力討伐を行った、これらの敗残匪はなんら思想的の背景がなく、かつ海洋で隔絶されいてるためその間連絡も出来るし討伐は比較的容易であると信ずる
[写真(比島戡定作戦に活躍する陸軍部隊勇士(陸軍省提供)東京本社電送)あり省略]

東京新聞 1942.12.7-1942.12.8(昭和17)
比島軍政一年を顧みて
建設強力推進 各産業飛躍的増産へ マニラにて 鈴木(定)本社特派員発

しかし中部諸島ビサヤ地方へは一部の不逞敗残米人匪兵に煽動されて、日本軍政の真意を曲解している住民が残存するので十一月二十日比島派遣軍では断乎たる武力討伐を敢行、遂に全く勘定を見た、むろん一部にはアメリカの欺瞞を未だ妄信する民衆もないではないが、日本軍政の一層の躍進と、新生フィリッピンの成長と共に消えて行く儚ないものだ
ただマニラの如き都会と農村との相違の甚だしい比律賓にあって治安の回復、軍政を滲透させるに就いては一層交通機関の整備と新聞ラヂオの普及が望ましいことである
皇軍のマニラ入城と共に軍政施行の確認が行われ、次いでウァルガス氏を中心とする比島中央行政機関の設立により着々軍政の浸透が進み治安の回復に従って行政機能わ愈よ完全に働かせているのであるが、マニラ、バキオ(ルソン北部)レガスピー(ルソン南部)セブ(ビサヤ地方)タバオ(ミンダナオ地方)の五ヶ所には軍政監支部が設置されて官下数州の知事を統括し、中央の政治力を集約的に伝達下令徹底せしめる機構がとられて来た
また特別州の統合をも行う等着々新政の具体化が行われるに至ったマニラ市制も改められ十一月一日から新市制が布かれた

教育の改革
去る二月十七日比島人教育の根本方針として米英依存思想の根絶、比島文化の建設、日本語の普及、初等教育の普及、実業教育の振興、勤労精神の鼓吹等が明示され、同十八日には学校再開について方針が支持され教科書の改廃も進められている
六月一日から全島で百余校の小学校が開校され、つづいて□学校、師範学校、医科大学が続々再開された、また私立小学校の多くが宗教団体の経営で、方寄った宗教教育が健全なる児童の思想発展を阻む虞もあるため宗教教育は禁止を断行した
これは九割がカソリック教徒である比島人の宗教を否定したことではなく、宗教による宣布教育は大いに活用されているし、唯宗教によって科学的な思想の発達が児童時代から彎曲されることを解放したものである

大阪朝日新聞 1942.8.2(昭和17)
僻村の自動車修理に感服
有望なジャバ人の教育
語る人8 南方派遣軍顧問 永田秀次郎氏
土曜移動談話室

比島は東インドに比べると住民の再教育が余程難しい、それは彼らの大部分を占める青壮年層がアメリカニズムでそこなわされているからだ、多年アメリカ式の浅薄な文化を浴びてきた悪習はいま日本の治下に入って本来の東洋的教育にたちかえっても俄に脱却出来ないものがある
表面的にみるとアメリカはどしどし教育の施設を作って原住民が自由に入学出来る立派な大学まであるが、教育の根本方針が間違っているのだから優秀な子弟が出来っこないなまじ教育があるだけに比島人の方がインドネシア人より遥かに扱い難いと思う、婦人はといえばアメリカ流の男女同権主義で、女だてらに大統領選挙に乗り出しかねまじき鼻息である、東洋唯一のキリスト教国、文明国だと自惚れて来たのだから甚だ扱い難いのである

大阪朝日新聞 1943.5.12(昭和18)
比島民衆はまず大東亜精神に還れ
マニラで 青木大東亜相談

【マニラ特電十一日発】青木大東亜相はさる四月十六日東京出発以来南支をはじめ南方各地の軍政施行状況を視察、十日マニラに到着したが十一日宿舎マニラホテルにおいて日比新聞記者団と会見、左のごとく語った

一、南方各地の建設状況
南方各地とも現地民族が日本の努力に対して非常な熱意をもって協力してやっている、その熱意は満足する程度に、たとえばビルマについては戦争の最前線という感じを深くしたが民衆は戦火の中から起き上りさらに建設に奮起していることは感激に堪えない、ジャワはすでに戦火も収まり平和的な印象を受けたが現地民も挙ってわが方の政策に喜んで協力している、比島はアメリカの物資文明のため影響を受け、経済産業組織も米国本位の伝統に支配されていた、しかし行政府各長官をはじめ有識の士が米国色の残涬を捨て新しい面目に建て直すにはわが国と協力せねばならぬとの決意を固め今着々とその努力の跡が政治、経済その他あらゆる面に現れているのをみて非常に意を強くした、要するに東亜民族精神の繋がりがあるからこそ各地とも挙って共栄圏の建設が順調に進捗しているのである、経済方面も資材難を工夫創意により克服し立派にやり遂げている、戦争遂行中でなかなか期待通りやるのは難しいところもあるが現在の状況では将来に非常な希望と期待をもっている

一、新比島建設の根本目標
根本はやはり精神の建直しにあると信ずる、米国の軽薄な物質文明から堅実な大東亜精神にめざめることである、これあってこそ日本精神に従って協力出来るのである、比島の経済再建設その他もかくてこそ出来る、比島民に最も望むところは精神方面の一大転換である

大阪毎日新聞 1943.5.7(昭和18)
東条首相比島訪問の意義
社説

東条首相を迎えたマニラ市民感謝大会は、同大会の決議において「大日本帝国の任侠的指導と比島及び比島人に対する歴史上その類いなき寛仁なる政策に対し、不滅の感謝を表明するものなり」と結んでいる。それはバルガス行政長官以下良識ある比島人の信念を、率直に吐露したものと、吾等は見る。事実、右の大会において、東条首相が声明しているように「この大戦はわれわれ大東亜十億の民族が、真に道義に立脚して新しい大東亜を建設せんとする一大征戦である」のである。かかる雄偉なる構想と高邁なる理想の顕現を期し、敢て帝国がその国運を賭するということは、文字通りに史上空前の大業である。皇軍の善謀勇戦によって敵アメリカの搾取と桎梏から解放された比島及び比島人が大東亜及び大東亜民族の一環として、新たなる大東亜の建設につき、帝国に対して全面的に協力すべき使命を担っているのは、寧ろ自明の理といわなければならない。
比島および比島人が、この歴史的使命の完遂を期するには、東条首相が親しく比島民に向って指摘しているように、誤れるアメリカ主義を速かに一掃して、民族興隆の源泉である剛健進取の気風を養い、大東亜民族の真の姿に立ちかえることであって、それが着々と具現しているのは、比島及び比島民のために、更に大東亜のために慶賀に堪えない。
東条首相は昨年来既に再度に亘って、比島民が「帝国の真意を諒承し、積極的にわが施策に協力し来るときは、欣然、独立の栄誉を与う」ることを、帝国政府の名において確約している。しかして帝国が信念の実行に当って極めて勇敢であることは、進展する大東亜の建設過程が雄弁にこれを実証している。換言すれば、比島及び比島人の独立は、彼等の努力如何に懸っている。帝国の真意を諒解し、帝国の企図する大東亜建設に向って、全力的に協力するところに、比島独立の顕現が期待される。東条首相の比島訪問は、かかる事態への比島民の認識を更新し、帝国に対する協力の熱意を唆る点において、多大の効果があったであろうと吾等は確信する。

大阪毎日新聞 1943.3.27-1943.3.29(昭和18)
新生ビルマと東亜民族の興隆 (上・下)
(上) 印度よ〝示唆〟を解せよ 比島の日和見政治家反省の秋

・・・しからば、同様にインドの民衆は今回のビルマ独立を直視して虚心坦懐に新興ビルマの示唆するところを諒解しインドの独立運動に見透しをつけるべきではないか、そしてまたフィリッピンの日和見的政治家はこのビルマの新生に深く反省するところがなければならぬであろう

大阪毎日新聞 1943.1.29(昭和18)
首相の演説に応う 半年の苦闘に光
バ・モ長官、今夜感謝放送

協力の実発揮 比島
【マニラ特電二十八日発】東条首相の比島独立に関する再声明は独立の念願に燃えたちひたすら皇軍に協力しつつある比島行政機関に対する影響極めて大なるものがあった今回の東条声明が比島における敗残頑迷の徒に鉄槌を下したことは何よりも意義深いものがありマニラ・ホテルにおいて軍政監はヴァルガス長官以下首脳部に対し
日本は信頼の国である、しかして武士道の国である、一度約束したことは必ず実行して来た国だ、自国の約束を反古にする米英の背信国とは根本的に相違するのである
と喝破し比島人のより一層の努力を要望した、ヴァルガス長官以下は軍政監が要望する三点すなわち兵匪の絶滅、経済再編成への全面的協力、東洋精神の把握に向ってあらゆる努力を結集せんとする決意が現れ、かくて営々として皇軍に協力し来った比島行政機関は一ヶ年振りで再び東条首相の声明によって大なる感銘を与えられたわけである、かくてカリバピ運動 (比島奉公隊)の活動と相俟ち比島一千六百万民衆を一人残らず新比島建設に動員せしめ衷心から協力の実を挙げ比島今後の独立は全く比島人の責任にありと堅く決意したのであった

報知新聞 1942.4.28-1942.4.29(昭和17)
南のこども達
フィリピンの巻 (上・下)

違う風俗習慣 都会と田舎の子
同じフィリピンでも都会に住んでいる子供たちと田舎の子供たちでは、これが同じフィリッピン人かなと思われるほどその風俗習慣が違う都会の豊かな家庭の子供たちは洋服を着て靴をはいて帽子をかぶってランドセルを背負って通学しているから、これを遠くから初めて眺めた人は『おや』と思うであろうが、全く西洋の子供と変りなく、とりわけ米国の子供たちの風俗をしている英語で話し、洋風の家に住み、何から何までアメリカ式でただ違うのは顔の様子と体の色、これだけはどうにもこうにもアメリカ人にはなり得ないところが小学生たちの洋服はみな思い思いの洋服で帽子なども冠っている者は極く少ない、女の子の洋服も何しろ暑さが烈しい熱帯のことだから、下着を着てその上にというのでなく簡単なワンピースの一本建てであるこれをまた田舎へ行くと、何から何までがらり様子が変ってしまう、たとい金持の家でも大人は大抵裸でいる、そして子供にだけは白地のごく薄いシャツのようなものを着せ膝位まである厚地のタピス(半ズボンのようなもの)をはかせている中以下の家の子供はタピスだけはいて上は裸だったり、薄いシャツだけでタピスをはかない男の子もいる、男の子も女の子も跣足で、容易にその両性の判別はつき難いのだが、よく見るとさすがに女の子は髪飾をつけてほんのちょっぴり女らしいやさし味が現れているのである

読売新聞 1942.8.18(昭和17)
新比島の建設を現地に聴く

【マニラにて田上特派員発】アメリカの東亜根拠地であったフィリッピンは一月二日皇軍の輝く首都マニラ占領同時にその圧制を離脱共栄の理想も高らかに大東亜共栄圏の一翼たるべく我軍政下に飛躍建設過程に入っているが本社は鋭意新フィリッピン建設に挺身しつつある各方面の責任担当者に再建の現状を聴いた
軍政監和知鷹ニ少将
軍政監部財務部長小林末雄氏
軍政監部業務総務課長高橋進太郎氏
軍政監部産業部農務課長鵜崎多一氏
軍政監部総務部教育班長内山良男氏
軍政顧問村田省蔵氏
(順不同)

和知少将
従来のフィリッピンの実情からして或る者は親米的、或る者は親日的、或る者は日和見主義者であったことは当然でしかも軍政下或期間の過ぎた現在では表面は皇軍の占領という厳たる事実によって日本との協力なくしてはフィリッピンがあり得ないとは考えていても内面では未だ種々雑多な動きがあり得ることは十分に知り且つ考えている積りである

大阪朝日新聞 1942.8.16(昭和17)
学べ日本語・直せ賭博の癖アジアに還った比島新生の道
土曜移動談話室
語る人(10)T.V.T新聞社長ローセス氏

【問】東亜共栄圏の指導者の一人としての日本に期待するところは?
【答】比島の一般大衆がすでに共栄圏の真意義を認識し新秩序の建設に邁進せんとしているのに今なお一部フィリッピン人の間にはそれを諒解しな□□□があり、最近も相当多数のフィリッピン人が軍法に触れて処罰されたのは悲しむべきことである、こうしたフィリッピン人に対しては断乎たる処置のとられることを希望しているが、同時に一般には日本の理想がフィリッピン人に諒解されそれがまたフィリッピン人の理想ともなるように指導して行きたいまた日本文化の移植が行われて東洋人としてのフィリッピン人が日本文化のよい影響をうけて独自の東洋的なフィリッピン文化をつくりあげたいと思う

神戸新聞 1942.8.14(昭和17)
新比島建設の方途
治安の保甲制度徹底 棉花増産計画直ちに着手
和知軍政監初訓示

三、治安の維持確保
治安の維持はおおむね良好なる経過をたどりつつあるが局部的に未だ十分ならざるものがある推うに治安の維持確立は庶政つ遂行の基底にして瞬時もゆるがせに出来ないので諸子はよく諸般の情勢を洞察し新制度による警察力を掌握しこれが積極的活用を計らねばならない、これがためには先ず部下警察官吏を教養訓練しなければならぬ、新制度に基く警察機構を速かに整備充実し治安の維持に一段の努力を致されたい

大阪毎日新聞 1942.8.4(昭和17)
“東洋人”精神に還れ 生活革命断行が緊急
比島人に与う 本間最高指揮官のメッセージ

・・・比島は米国の一部であり、米国はこの主権にもとづき臣民たる比島民を訓練、組織し大軍を編成してわが軍に抵抗した、・・・しかるに余の降服勧告に応ぜざりし数万の比島兵は余の衷情を解することなく最後まで米軍の勝利を信じて無意味なる抵抗をつづけた、この無意味なる抵抗はかれら自身の死傷と同時に皇軍の犠牲を要求した、

余はあえて切言する、諸子が己の生命力を飩みきたったアメリカニズムに対し心髄から離脱、解放されない間比島は漸次精神的に堕落をつづけてついには民族滅亡の危機に導かるるであろう、醒めよ比島民、とくに次代の比島を担当すべき壮青少年よ、翻然として目醒めよ、比島の更生はアメリカ文化の悪影響より離脱して純乎たる東洋人に還ることによってのみ求められる

大阪朝日新聞 1942.8.2(昭和17)
先ず東洋人の自覚を
比島再建へ、本間中将語る

問 宗教対策について
答 モロ族の回教は別としてルソン島はじめ全島に確固たる勢力を占めているカトリックに対しては慎重考慮すべきだろう、アメリカ原住民の宗教対策で得たものは僅か三十万の新教徒だ、各教会は広大な領土と学校と孤児院とを持ち約千八百人の僧侶、千五百人の尼さんの三割から四割までは外国人だ、そしてこの教会系の学校が比島上層階級の子弟を収容しケソンもオスメニヤも宗教学校の出身というから宗教上に対しわれわれが何をもってアジア人たるの意識を昂揚させて行くべきか、それは、初等教育による外はないと思う、比島を顧みて自分は中年層は気力がない、青年層はアメリカ文化に浸潤されている、恃むは少年だと思う、この少年達に日本の歴史、アジア人の自覚を叩き込むのだ、このためには何といっても日本人の教員を送って貰いたい

神戸新聞 1942.5.28(昭和17)
強圧政策を強調
竹井氏を囲んで南方対策懇談会

南方民族政策、華僑対策につき懇談のため神戸商工会議所では南方圏研究所専務理事竹井十郎氏を招き二十七日正午から同所で南方対策懇談会を開催、在神貿易、海運金融関係業者二十余名が出席した竹井氏は南方民族文化の特殊性を強調して・・・と説き南方各民族の対策について
フィリピンは久しく米西両民族の悪影響を蒙って物質万能の思想が強い、彼等が果して日本にどの程度まで感謝の念を抱いているかは疑問であり、その関心するところは生活安定への期待よりないが、現在のわが国としては彼等の物質的生活を従来のまま保持せしめることは耐えられぬところでフィリピンに対しては生活程度の引下、収入の切下等思い切った対策をとらねばならぬ、

大阪毎日新聞 1942.6.2(昭和17)
新生比島の建設方策村田最高顧問に聴く
独立の自覚涵養
資源開発、農業を振興

比島人はいつ独立を許してくれるのかとかどういう形式においてかとか、独立の権利のみ主張するが自ら独立国としての力を養うことを怠っている傾きのあるのは誠に遺憾に思っている、一九四六年の独立条項から約束されている戦前の比島が果してその時が来て独立出来たであろうか、口先だけでは駄目だ、真実をもって実行に実行を重ねてあらゆる文化面から独立の資格を涵養し、東亜の一翼として相応しいような形式を備えることが望ましい、彼ら自身の手の中にこそ独立の鍵があるといいたい

大阪毎日新聞 1942.5.30(昭和17)
始末の悪い"東洋一文明国"
日本は差上げよう『自立の精神』
比島経営学
青嵐宗匠の縦横談

また前に文部大臣をやった男が「米国は教育を比島に与えたがそれは比島の青年を台なしにした、比島に米国式比島人を作るに役立っただけだ、比島人は本来の比島人に還らねばその不幸がますます大きくなる」といっておったがね、やはり比島人に対してはスペイン式でもいかぬし米国式でもいかぬ、東洋人としての比島人らしく指導して行った方が比島人の幸福になるのではないかと思ったまたある時ある日本人が来てスペインはその統治三百年間に比島にカトリックの寺院をくれた、今でも人口二千六百万のうち天主教徒が二千二百万人もいる有様で米国はその支配四十年の間に学校を沢山くれた、日本人は何をくれるかという比島人がいますがどう返事したらよいでしょう
という話、私はこれに対して日本は人から物を貰わずに自立して行く精神を比島に与えよう、と返事するとその人は共鳴していた
比島人の日本人に対する気持は今後だんだんよくなるだろう、何分アメリカの宣伝を真に受けてアメリカが世界一の文明国で東洋においては比島が第一の文明国だと思い込んでいたのだから始末が悪い、あの国際連盟での日本の毅然とした態度に満洲、支那両事変で少しずつ日本を見直してこんどの大東亜戦争となったわけである、今では日本人と間違われることを光栄とするといった気持がだんだん加わって来ている、比島のどこに行っても日本語を研究しようという気風が非常な勢力であるのは結構なことだ

大阪朝日新聞 1942.7.16-1942.7.25(昭和17)
転換途上の比島(2~4)一つの対話

比島のインテリが日本人とみると、すぐ持ち出す質問が今マニラを賑わしている、それはスペインは比島に宗教を与えた、アメリカはわれわれに教育(初等教育)を与えた、そして日本はわれわれに何を与えるかという質問である、これに対する日本インテリの名答は次の如きものとされている
 
そういう質問をしない比島人に君達を作りあげること、比との懐をたのまない自主的なアジア人に還元せしめること、これがわれわれの贈り物だ
この対話は比島人の殊に比島インテリの一つの型を象徴していてなかなか興味深い

大阪朝日新聞 1942.10.15(昭和17)
南方軍政の大躍進
三軍政顧問談

実業教育に重点 東洋精神の建設へ 比島 比島軍政最高顧問 村田省蔵氏談
・・・アメリカ化した比島人は徒に華美な洋服を着しフォードを駆ることをもって最高の文化としていたようである、したがってわれわれの課題はまずこの浮薄なるアメリカニズムの除去と東洋精神の建設にあらねばならない、

大阪朝日新聞 1942.9.12(昭和17)
欲しいのは指導者
比島婦人は絹靴下を待つ
来阪の村田最高顧問談

新生比島の再建に挺身しつつある比島方面最高軍政顧問村田省蔵氏は先月中旬半ケ年ぶりに帰国、中央当局と打合中だったが十一日午前八時五十分大阪駅着列車で西下、有田大逓局長、岡田商船社長ら財界関係者多数に迎えられて新大阪ホテルに入り、正午から同ホテルに開かれた楠本阪大総長、坂間大阪市長ら名士七十五名出席の金曜会懇談会に臨んだ、十五日まで滞阪して同夕刻神戸に立寄った上帰京するが大体来月上旬ごろ再び帰任のはずである、以下は車中住訪の記者との一問一答‐ 

問 現地では比島人の「大東亜教育」が実施されているが、さらに高等、普通教育を通じて日本人の教育家が相当数渡比する必要はないでしょうか……
答 どうしても教育が基本だ、いまいろいろ産業経済上の施設を計画的にやっているが、一方学校教育でもアメリカ色を一切払拭してやる方針を樹てている、しかし一度アメリカ色に染まった連中をすぐ東洋色に染めかえるということは相当困難な話だ、それよりはむしろ無色の児童を新しい教育によって真の東洋人に育て上げる方が容易だ、

報知新聞 1942.7.12(昭和17)
復興したキヤビテ軍港
無言の皇道垂範 比島人の悪弊を一掃

【キヤビテ軍港にて河上海軍報道班員発】わが海軍の新七曜「月月火水木金金」はひとり無敵艦船部隊の過去の猛訓練を物語るばかりでなく、開戦後の戦闘を支障なからしめる後方整備にあたる○○隊もまたこの精神を身をもって実践しつつある、その精神はキヤビテ軍港に働くフィリッピン人職工がケソン大統領の敗北的遺産八時間労働制を主張してやまぬのを無言のうちに同化させ、日比協同労力が半歳を出でずして、かつて米国アジア艦隊の基地として発揮していた能力を遥かに凌駕するまでに復興させた、今やキヤビテはわが南方の護りに一布石となって比島の一角に輝かしい更生の姿を示しているいやしくも軍事施設と見れば仮借することなく徹底的爆撃を敢行したわが海鷲によって全く廃墟と化したキヤビテ軍港がわが海軍の手に委ねられたのは去る一月であった、当時付近の敵はいまだ完全に掃蕩されず小癪にも反撃して来るのを少数の警備隊で撃推し敵機の機銃掃射爆撃も数回にわたって受けた、その中で○○隊はひたむきな軍港再建に猛進したのである、戦域の広くなるに従い現地の○○隊は同地から極めて少数の指導者が赴くのみで人力もすべて現地に求めなければならなかった、そこでキヤビテでは約○○名のフィリッピン人を使用した、そのなかには戦前からキヤビテ海軍工場に働き、一日七ペソを支給されていた熟練工も混っていたが軍政わが海軍は平均○ペソに減額使用したするとアメリカ支配時代はなんら生産的労働なく本国で生産される部分品を単に交換するだけの技術しか持たぬ職夫に手で鉋をかけるのを教え、人夫を職夫に向上させるように訓練し直すわが厚意ある取扱いを悟らず、フィリッピン人たちは目前の廉い賃金への反感を露わにアメリカが植えつけていった個人的な打算主義の一日八時間労働と日曜全休を主張、ブツブツいい出した、その時日本人工員達はこの悪弊をため直すには自らが身をもって示すより途のないのを暗黙のうちに背き合った、それはまた○○長の欲するところでもあったこんな有様で工場施設の復旧は至難の事業であった建築材料の金属製品はすべて場内製造であり、細い金属管一本でも全力運転しなければならず、残存機械とは原理は同じでも形は違えば運転方法も異り作り直しに等しい努力を要した、しかも釘一本内地から送り届けられるのを潔しとせず、すべて現地の資材を活用して工場の整備と一般常住艦船の修理を併行して成し遂げねばならなかった日本人工員たちは艦船部隊と全く同じ気持で土曜、日曜抜きの「月月火水木金金」どころか連日にわたって長い期間夜勤が続けられた、その夜勤に対してなんらの報酬さえ与えられないという事実はフィリッピン人をひどく驚かした、報酬なき献身は全く彼等の考えの外にあったのだ
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00503937&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

 当時のマニラは治安は悪く、防空演習を実施しても市外は暗くならず、吃驚しました。(p332)
 我々の飛行場へ戦隊が飛来した夜は、必ずロンボバタン山の中腹には千個以上の懐中電灯が点灯し、沖の潜水艦に連絡していましたが、これは見事で、きれいな夜の景色で感心させられました。このロンボバタン山は海抜千メートルぐらいです。ゲリラ討伐をしたいのは当然ですが、二百五十人ぐらいの中隊ではいかんともしがたく、切歯扼腕するのみでした。(p333・334)伊藤

いよいよ(フィリピン)独立ということになって、一番大きな問題は、憲法をどういうふうにつくるか、ということでした。・・・当時のことですから、お手本ということになると日本の憲法です。蠟山〔政道〕さんなんかも、そんなお考えだったようですし、・・・しかし黒田(黒田重徳フィリピン方面軍軍司令官)さんは、『・・・ともかく、アメリカはフィリピン人をいじめてはいない。善政を施しているんだから、アメリカ式の自由主義的な憲法じゃないといかん』といいましてね。だから、この方針を受けてできあがった共和国憲法というのは『日本国憲法とアメリカ憲法の中間的な』ものだったわけです。

フィリピンでは、米国在極 東陸軍の降伏(一九四二年五月)後も、各地で投降を拒否したアメリカ・フィリピンの将 兵を中心に、米軍指揮下の正規軍ゲリラ(いわゆるユサフェ・ゲリラ)が組織されたが、 アメリカは、フィリピンの若者たちにゲリラへの志願を呼びかけ、正式登録後、現地指揮 官に従って従軍すれば、フィリピン奪回後、従軍中の未払いの給料を全額支給するだけで なく、将来年金も支払うという宣伝をフィリピン全島で展開していった一八。アメリカ軍は、 戦後、三三万八〇〇〇人(うち十二万人は正規兵として)をゲリラと認定した。
https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/15761/1/0600800101.pdf

- 衆 - 外務委員会 - 61号 
昭和31年07月28日
○菊池委員(菊池義郎) 
・・・われわれは戦争が勃発して日本が南方諸国を占領した直後にずっと向うを回りましてその損害の状況をみんな見て参りました。フィリピンは非常に反日的でありましたために大へんな損害を受けております。日本がかけた損害よりも向うがマッカーサーの命令によってゲリラ戦を展開して、橋をこわす、鉄道を破壊する、それからホテルを焼く、学校までも焼く、そして日本軍の進撃を妨害する、あるいは宿泊を妨害するといったようなわけで、その損害が非常に多い。・・・

 第三十一特根仮入隊者の宿舎は、マニラ市内で民家を借り上げたので約二十人が起居した。その頃のマニラは治安が悪く夜ともなればいたる所で銃声がした。我等の宿舎には小銃一挺が貸与されているだけという心細い状態であった。
 昭和十九年十一月十三日のマニラ大空襲のとき、私は宿舎を出て病院に行く途中の海岸通りで、・・・(p422)村田
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/11onketsu/O_11_419_1.pdf