『司馬遼太郎が語る日本 未公開講演録愛蔵版』を読んで
1、 当時を生きた人の証言として 「軍人がだいたい昭和11年ごろから天下を取ります。軍人は日本を支配していたのではなく占領していたと、かって書きましたが、今でも私はその実感を捨てきれません。」(P185) 「日本軍の 嘘の言語 が滅亡に走らせた」(P185) 「日本の軍隊は国民に対し、たくさんの新聞を使い、ラジオを使いましたね。膨大な言語量でした。しかも教育の現場でも大変な言語量を費やした。 しかも全部といっていいほど、嘘だった。」(P188) 「軍が日本を支配し始めたのは昭和12年頃からで、末期に比べればまだましでした。昭和18年以後の2年間の言語は空疎を通りこしていましたんね。」(P192) 「大正12年の関東大震災で、大杉栄が甘粕正彦という憲兵大尉に殺されます。・・・軍は甘粕を庇い懲役刑になったものの、やがて満州に送ってしまう。やがて甘粕は満州において絶大な権限を握る人物になって行きます。」 (P196) 「大杉栄は無政府主義者であってべつにそういう気分(共産主義)の人ではないのですが・・」(P197) 「満州軍閥の頭目だった張作霖(ちょうさくりん)はご存知のように日露戦争では日本軍のいわば走狗でした。・・・日本は張作霖をバックアップして来たのに、張作霖は日本の糸を断ち切って独自に動き始めた。昭和3年、北京に行って大元帥になって、帰ってくる途中、関東軍の謀略により、乗っていた列車が爆破されて死ぬ。」 (P197) 「食料についても、考えられないのですが、糧を敵に求むという方針さえありました。 要するに現地で調達しろという。これは正規の軍隊の思想ではない。中国で言うところの匪賊に近い」(P202) 「戦前の日本人もまともな人の方が多かったのですが、昭和10年に統帥権が眼に見えない形で日本を占領して以降は、どう考えてもまともな時代ではありませんでした。」(P203) 「民度が低いとは私も思いたくありませんが・・・」(P203) 「独裁者を出さない独裁でした」(P203) 「いったい昭和期の軍人(軍の中枢にいた人)に愛国心があったのだろうか。」(P203) 「満州事変を起こし、太平洋戦争を起こし、途中ノモンハン事件をやり、その前に張鼓峰事件をやった。これを一人の人が全部考えて指図したのなら、その人が悪かったということに出来るのですが、そうではない。 日本の軍部は独裁的になって行きました。しかし独裁者を出さない国であり、独裁者なき独裁でした。 ですから、だれが悪いと言えない昭和史の苛立ち、昭和元年から20年までの歴史を見る時の、えもいわれぬいらだちの一つはそこにあります。」(P204) 「大阪の醤油問屋、道明寺屋の息子富永仲基ですね。日本の大乗仏教のお経はお釈迦さんが自身で説いたものではないと主張しました。・・・いまだに踏襲され、容認されています」(P208) 「昭和元年から20年まで話をずっとして・・・いまだに思う事はひとつです。あれは日本だったんだろうか?」(P208) 最近になって「関東軍の謀略による満鉄爆破はウソだ」なんて言う歴史学者が出てきました。 こう言うのを「歴史修正論」と言います。 大した事を言っているのではなくて、昔の関東軍が言ってた事を今の時代に掘り返してまた言っているだけです。 そしてそれはウソなのですが、信じる人もいるようです。 司馬遼太郎の話がなぜ、いいのかと言うと、一連の流れで理解しているからです。 例えば満鉄爆破については、。 「満州軍閥の頭目だった張作霖(ちょうさくりん)はご存知のように日露戦争では日本軍のいわば走狗でした。・・・日本は張作霖をバックアップして来たのに、張作霖は日本の糸を断ち切って独自に動き始めた。昭和3年、北京に行って大元帥になって、帰ってくる途中、関東軍の謀略により、乗っていた列車が爆破されて死ぬ。」(P197) と述べて、その事件の流れを教えてくれる。 こういうのを知っておけば、修正論のばかな説に騙されないですむ訳です。 修正論者達の説は前後のつじつまが合わないものが多いからです。 日本軍に対してもそうです。 「昭和元年から20年まで話をずっとして・・・いまだに思う事はひとつです。あれは日本だったんだろうか?」(P208) 「いったい昭和期の軍人(軍の中枢にいた人)に愛国心があったのだろうか。」(P203) と述べて辛らつに批判しています。 最近の歴史修正論者達は、「大日本帝国は、侵略戦争をしたのではなく、アジアの植民地からの解放のために戦ったのだ。朝鮮併合の植民地支配も合法的なもので、善政であった・・・」などと述べて、大日本帝国とその戦争を賛美しています。 しかし、司馬遼太郎の眼には「昭和の始めから、日本は狂っていた」と映っていました。 1923年生まれの司馬遼太郎は、右翼と軍部の台頭期に少年期を過ごし、2年間の兵隊生活を送っています。 その時代を生きた人の証言としてここで取り上げました。 2、 「御先祖様は皆、善い人」と言う意見
歴史修正論を唱える人たちによると「先祖達がそんな悪い事をしているはずがない」と言います。
「日本人はすばらしいし、やさしい人が多いし、そんな日本人に酷い事を言って批判するのは反日日本人だ」と。
これは実に原始的な先祖崇拝なんですね。
それで彼等は、その先祖崇拝の考えに沿った歴史記述だけを証拠として吸収して行きます。
その考えに合わないものは、全て「反日である」として排除する。
こうして「ゴーマン」とか「田母神〇」とか「新しい歴史教科書を作る会」とか「嫌韓流」とかを教祖とする擬似宗教のようなものが生まれている。
教義は要するに「大日本帝国はいい国だった」です。
「大日本帝国はすばらしい国だったのに、戦争に負けたからアメリカに「東京裁判史観」を押し付けられて、南京虐殺なんてやってない事をやった事にされてるし、満鉄爆破はソ連がやったんだし、朝鮮は日本のおけげで近代化できたんだ。慰安婦なんてただの商売だったんだから文句言うのがおかしい。・・・」とか言うお経を唱えている。
”いやいや、今の日本じゃなくて一昔前の日本は全然違う体質を持つ国だったんだよ。史実を見ればそれが分かるはずだ”
と述べると
「そんな古い考えに捉われていないで、もうそんな事否定されてるでしょ。日本軍はアジアの解放のために戦ったし。朝鮮では善政でした。」なんて言う。
ここで歴史修正論の主張が出てくるわけです。 あげくに「もっと勉強してください」などと言う。
これには少しむかつきますね。
「ろくに勉強もしてないような青二歳のガキが・・」なんて口に出そうになる。
この「大日本帝国賛美教」の特徴はサンケイ新聞の読者であるか、又はサンケイの関係する出版社の出す本の意見を無条件に信じている事です。そして韓国併合については、以前の江藤元長官の問題発言「日本は植民地に少しは良いこともした」━なんか眼じゃない発言をしている。「少し」どころか日本人はいい事ばかりやったと
言うのです。そして自分達と意見が合わない相手には、人格攻撃や乱暴な事を言うのも一つの特徴です。
一昔前の左翼みたいな感じです。
左翼文化人の中には、理屈では無く人格攻撃に走る人が結構いましたが、あれと良く似ている。
だから、一個の擬似宗教なのです。
大日本帝国を賛美すると言う事は、帝国が信奉していた〔アマテラスをはじめとした神々〕を彼等も信奉しているわけです。
だから自民党、作る会、田母神、ゴーマン、サンケイ新聞、などを裾野とした擬似宗教なのだという事です。
彼等はこうした司馬さんの語る言葉を聞いて、どう思うのですかね?
ちゃんと当時の人たちの書いたものを読んでいれば、その主張のばからしさが分かるはずですが・・・
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