内閣情報部「写真週報」351号 1944年12月13日

「御紋章と小銃・・・自己の身命を顧みず小銃を尊重擁護する至高の精神もまたこゝに発するのであって」(p7)
https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M2006070616411057931
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私達の重機関銃隊には馬が十頭所属しており、雪の中での馬の手入れや飼育は大変な仕事で、古兵からは「貴様達より馬が大切だ」と叱られながらの手入れでした。(p438)野田

S分隊士 学徒出陣で来たB大出身中尉。「飛行機一機作るには七万円もかかる。貴様たちのような者を訓練しなくても一銭五厘でもっと優秀な奴がいくらでも集まる」と一銭五厘の価値も無い奴らだとののしる。兵の命は鳥の毛よりも軽い奴らだとののしる。兵の命は鳥の毛よりも軽かった。(p117)杉浦http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/11onketsu/O_11_113_1.pdf

昭和十六(一九四一)年四月、徴兵検査を受け、甲種合格で、現役兵として、昭和十六年十二月十二日、朝鮮歩兵第七十六連隊に入隊、第一機関銃中隊自動車班に編入されました。同年十二月二十二日、洪儀に着き、直ちに国境の警備に就きました。 昭和十七年一月八日は陸軍記念日に当たり、夜、兵団長閣下の閲兵、訓示がありました。訓示では「君たちは消耗品である。不足すれば一銭五厘のはがきを出せば、いくらでも兵を集められる。日本国は物資が乏しいため兵器と被服を大切に、ことがあれば一週間でウラジオストックを攻撃する」と言明された。(p88・89) 荒明

師団長は訓示の中で「ソ連と始まれば、ウラジオを一週間で陥落させる」「兵隊は消耗品」などと言っていました。(p373)荒明
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/11onketsu/O_11_373_1.pdf

 そして呉軍港に碇泊している輸送船に乗船を完了した。ただちに出航である。客船ではなく貨物船である。設備はお粗末なもので、牛、豚並みである。この輸送船で思ったことは、静岡の第三十四連隊では、「お前達は一銭五厘並みだ、歩兵銃の弾丸は消耗品でもお前達より高価である。一発の弾丸でも貴重だ」と言われたことを思い出し、なるほど荷物並みで人間扱いではない、これが戦争かなと思った。(p114)竹内http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/12onketsu/O_12_108_1.pdf

 私の入隊した部隊は、輓馬の重砲隊であった。班には三十頭近くの馬がいたと記憶している。馬部隊では、馬をとても大切にした。「お前たちは一銭五厘でいくらでも来るが、馬はそういうわけにはいかない」とよく言われたものだ。兵隊は一銭五厘の切手を貼った手紙で集められるが、馬を集めるには沢山のお金がかかる。実際馬部隊では、馬に故障が起これば行動は出来ないのである。(p140)松井
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/11onketsu/O_11_137_1.pdf

 初年兵教育は満州でした。一月十六日に広島練兵場に集合させられ、一路満州国ハルビンまで連れていかれました。独立歩兵第一七四部隊に入隊し、星一つの新兵教育が始まりました。「お前たちは一銭五厘の葉書でいくらでも集まるのだ」という言葉と理不尽なビンタに泣いたことは今でも忘れられません。(p211)
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/10onketsu/O_10_211_1.pdf

そして上官は他の者に向かって「よーし下りろ、みんなようく聞け、お前達はこれから言うことを聞かないとバッターで思う存分打ってやる。一人二人たたき殺しても一銭五厘のハガキ一枚で来ているんだ。言う事を聞かないとたたき殺すぞ」と威嚇した。あとでそのバッターを見ると「海軍精神注入棒」と書かれていた。(p445)渡部
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/15onketsu/O_15_443_1.pdf

 同年十月、神戸軍管区の人は神戸山手小学校において壮丁検査を受ける。私は甲種合格になる。
 同年十二月一日付で西部第五十一部隊、姫路第十師団野砲兵連隊・第四中隊四班(中隊長片山中尉)に入隊。一〇センチ榴弾砲の挽馬部隊であった。
 「初年兵の心得五カ条」
第一 早めし、早がけ、早ぐそ
第二 要領を旨とすべし、員数の確保
第三 地方弁を使うな、そして大きな声
第四 軍馬は兵器、陛下からの預かりもの。兵隊は一銭五厘(ハガキ一枚)の消耗品だ
第五 軍隊は、メンコの数(食事の事)。
右五カ条を旨とすべし、だった。・・・(p473・474)

 軍隊では馬は大切な兵器である。何事にもまずお馬様が優先である。各中隊には専属の厩があり、馬当番がそれぞれ一頭ずつ割り当てられる。生き物であるだけに管理が難しい。特に馬は腸が細く長いので飲食のチェックが大切である。水すい嗽そうと称して、一日に二回以上水飲み場へ連れ出し、一口・二口・三口と喉を鳴らしながら飲むのを確かめ、何回飲んだかを当番下士官に報告、記録して健康の管理をするのである。
 朝は兵科の者より三十分早く起床し、厩でまず馬糞の回収、寝草干し、金櫛による馬体の手入れ、蹄蹉の手入れ、そして飼葉(岩塩を充分いれる)を与える。すべて終了後に、兵隊の朝食になる。何事でも朝飯前の一仕事と云うが軍馬に関しては重労働だった。
 また廊下不寝番ともなれば、徹夜で自隊の馬の管理を二人で担当するのだ。当番士官の巡察があるので怠けることはできない。初年兵を体験して、つくづく人間に生まれたのを情けなく思うのであった。(p474・475)柏井

令状は臨時召集令状で「昭和十三年八月二十日、宇都宮野砲第二十連隊に入隊せよ」でした。・・・
 入隊、即、教育係将校と下士官教育係助手の上等兵が全員を整列させて、第一声「貴様等達は一銭五厘の兵隊だ。只今から各任務教育に就くが充分に心して国家国民のために活躍せよ」でした。・・・
 野砲隊は砲手班と弾列班とに分かれますが、共に軍馬が原動力です。馬の手入れや運動が一番大切で、少しの休養も無く苦労しました。前述の如く兵隊は令状一本(一銭五厘)ですが、軍馬は「天皇陛下から預かる宝物である」といって、たて髪、尻尾の先、脚の蹄にいたるまで丹念に手入れを命ぜられ大変苦しい思いをしました。(p242・243)乙川
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/10onketsu/O_10_241_1.pdf

 私は昭和十八(一九四三)年徴集兵で、甲種合格となり、昭和十八年十二月初旬に久留米の第十八師団(菊)山砲兵第十八連隊に入隊しました。(p410)
 馬を使う部隊では人より馬が尊重されます。たまたま馬の扱いが悪く負傷でもさせたら「貴様ら兵隊は一銭五厘でいくらでも補充できるが、馬様はそんなわけにいかないんだ、この野郎!」と悪口雑言の上、目から火の出るビンタを見舞われました。心の中では「弾は前からだけではないぞ」と憤懣を吐き出したものです。(p411)田中

特に馬の手入れは人間より先にやらねばなりません。人間は一銭五厘の葉書で召集出来るが、馬は兵器だとよく言われて、絞られたものです。(p24)中嶋

 馬の取り扱いは古兵から「お前ら兵隊は一銭五厘だが馬は生きた兵器だ」とやかましく言われながら仕込まれました。特に水飼いが大切で朝昼晩と毎日馬が飲んだ水の量を記録して報告せねばなりません。それから消化状態を調べるため、湯気の出る馬糞を絞って水分を抜き、広げて麦が何粒残っているかを調べねばなりません。
 隊の馬は十二歳から十五歳で人間の四倍が馬齢ですから相当老馬でした。しかし人間を見るのは達者で、私ら新兵を馬鹿にして言うことを聞きませんが、古兵下士官を見ると途端におとなしく、言うことを聞くので腹が立ち、上官のいないことを確かめて馬小屋掃除用のほうきで思い切りブン殴ってやりました。(p246)斉藤

 迫撃砲の部隊は軍馬に迫撃砲を分解して乗せて行動するので、軍馬は大事な兵器で、兵隊より大切にされた。その当時は、兵隊は二銭の葉書一枚で召集できるが、馬は高価であった。(p43)村井

当日は秋田第十七部隊第二大隊長笠原中佐宅に一泊(笠原大隊長は戦
死した姉の夫の上官で、夫の生前から親族同様のお付き合いさせていただいていたので、奥様のご好意でお世話になる)しました。
 翌八月一日朝、第十七部隊の門をくぐると衛兵から祝いと激励の言葉を頂き身の締まる思いがしました。・・・
 同日第二大隊行李班に編入されました。・・・
先輩から「馬は銃砲同様兵器である。自身の世話より先ず馬の餌付け、手入れをし馬の健康管理に当るよう」と言われました。(p307)
 とくに前述の通り、馬は輜重隊の貴重な兵器ですので毎日朝夕の世話は欠かせません。要領の悪い者、動作の鈍い者は、自分の洗面、食事も落ち着いて出来ないほどの地獄社会で、私も入隊前は馬とは一切縁が無かったのですが、先輩の親切な指導を受け、何とか先輩並みにこなせるようになりました。(p307・308)山内(松川)
 
 昭和十八(一九四三)年四月十日、熊本市西部第二十一部隊野砲隊に現役入隊しました。第四中隊に編入され、中隊長は北森鶴雄中尉、第一内務班長野田一二三軍曹、寝台列長・塚原敬造兵長でした。(p231)
もし疝痛でも起こしたら当番に当った初年兵は夜も眠らず藁で腹を擦り続けなければなりません。もし一頭の馬を死なせたら、野砲隊に取っては大変なことで、「貴様達はハガキ一枚出せばすぐ補充出来るが、馬は一年間の調教が必要だ」と、古兵より何度か聞かされたことを覚えています。(p233)猪俣

連隊の中の桜が咲き始めた頃、私達は移動を命ぜられました。行く先は北満の満州第一〇八部隊、大村連隊の主力があります石門子の本部と聴きました。(p318)
大隊には約百頭の馬がおりますので馬の手入れも大変でした。厩の中の馬糞の片付け作業、蹄の馬糞のえぐり作業、馬への食糧の与え方、水の与え方、馴れるまでの苦労は大変でした。古年兵からは口を揃えて「馬は大切な兵器だぞ、貴様達は一銭五厘で何ぼでも補充できるが、馬はそうゆう訳にはいかんのだぞ」と叱られました。
 たしかに食べ物、水のやり方で「疝痛」になる恐れがありますので、皆が注意しました。私は石川子に二年近くおりましたが、外出は一回もしませんでした。理由は馬が心配でした。万一馬が「疝痛」にかかったら班全部が心配するからでした。天皇陛下から頂いた大切な兵器を一頭でも死亡させてはならないと言う心配が一日たりとも頭から離れませんでした。(p319)田浦
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/15onketsu/O_15_317_1.pdf

 一期の検閲も終った頃、歩兵第六十九連隊に動員が下り保健隊は解散し原隊に戻った。しかし保健隊にいた者は留守部隊に遺される、とのこと。何の面目あって家郷にまみえんとばかり准尉殿に泣きすがり、ようやく野戦隊に編入され、指揮班要員となる。・・・
 軍隊生活中、失せ物の員数合わせには苦労した。また兵器は歩兵の生命、いや命よりも大切なものとして扱われる。「兵隊は一銭五厘の葉書一枚で集まるが、兵器は天皇陛下よりお預かりしたものである。絶対に損傷してはならない。ましてや紛失するがごときは最大の不忠と心得よ」と。(p242)畠嶋

この時は、野砲に配属になりましたが、馬を大切にするため、「兵隊は一銭五厘、馬は二〇〇円」と言っていたし、「弾は前ばかりではないぞ、後ろからも来るぞ!」などとおどかしたので、野砲の将校は、配属されている我々に対し、あまりやかましく言わなくなりました。我々が逆におどかしたのは、自分の身を守るために言ったのですが、効果があったわけです。(p266)松崎http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/12onketsu/O_12_264_1.pdf

独立歩兵第六十大隊の第三中隊(安徴四河口)に入隊した。そして軽機関銃班に編成され地獄の初年兵教育が始まった。・・・半年か一年先輩の古年兵が「上官の命は天皇陛下の命だ」と言っては、何とか理屈を付けてビンタをくらわせ、「お前らは消耗品だ死んでも一銭五厘(ハガキ代)でいくらでも代わりが来る」と言う。(p31)加藤
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/19onketsu/O_19_029_1.pdf

 入隊して一カ月余りが過ぎ、気力も体力もヘトヘトで、限界である。まだあと二カ月足らずある。体力が持つかと思い、うとうとしておると、カツカツと長靴の音、週番将校の巡察である。銃の点検でカチンと音がする。しまった誰かが銃の装填落しを忘れた
 全員起床、ベット〔ママ〕の前に整列、一八〇センチもあるような将校が仁王立ちになり、「貴様ら、良く聞け。お前達は一銭五厘のはがきで、いくらでも集められる。兵器は国民の税金で造られる大変高価な物である。その兵器を休ませず、お前達だけ休んで良いのか。この馬鹿者。上等兵の初年兵訓練がなっておらん。たるんでおる」と言い捨てて出て行った。それからが大変である。(p133)森川
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/17onketsu/O_17_132_1.pdf

 初年兵の頃、古参兵はよくこんなことを言ったものです。「お前たち兵隊は一銭五厘(郵便葉書の値段)で集められるが、馬は一頭百何十円もするのだ」と、軍隊という所は、人の生命より馬の生命の方が一万倍以上もするのだということで、「価値の高い馬を大切にしろ」と言うことを強調したのでしょう。(p284)山地
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/12onketsu/O_12_280_1.pdf

入隊当日はいろんな手続き等、古兵が優しくしてくれた。軍隊とはこんなものかと思いきや、「お前達は今日から陸軍船舶二等兵である。お前達の身に着けている軍装品は皆、恐れ多くも陛下がお貸しくだされた物である。絶対に粗末にすることは相ならん」と厳しい訓示である。(p126)米重
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/11onketsu/O_11_124_1.pdf

 消灯ラッパが鳴り響いてきます。「シンペイサンハカワイソウダネー マタネテナクノカヨー」「何をいつまでモタモタしているんだ。早く寝ろッ」と怒鳴られる。休む間もなく働き通しのうえ、怒鳴られ叱られ殴られて一日が終わります。
 カチッと音がします。「第二班の初年兵!起きろッ」やっと疲れた体を横にしての寝入りばな、整列した自分たちを不寝番の古参兵が睨みつける。「貴様たちは、よくものうのうと寝られるもんだな。この銃は畏くも天皇陛下から授けられたものである。その銃の撃鉄が起きていた、ということはこの鉄はまだ今まで働いていたんだ。鉄を手入れした貴様たちの全員の責任だ。鉄に、あなたを働かせて自分は寝ていて申し訳ありませんでした、と謝れ」(p78)河村http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/13onketsu/O_13_065_1.pdf

編み上げ靴のことを軍隊では「へんじょうか」といいます。編上靴の手入れで春夏秋はさほどではありませんが、冬は本当に泣かされます。零下三〇度以下にもなる兵舎の外で手入れをしなければなりません。
 ご承知かと思いますが、靴底には滑らないように鉄の鋲が沢山打ち付けてあります。冬ともなりますと鋲と鋲との間に雪と泥が詰まり、それがカンカンに凍ってちっとやそっとではとれません。それを取り除くのに竹を尖らせた「竹へら」で取れというのです。しかし竹へらではとても取れるものではありません。そこでナイフでつついて取り除くのです。そこを見つかりますと、「こらッ!初年兵、貴様たちはこの靴を何だと思っておるのか、畏くも天皇陛下から戴いた大切なものだ。ナイフで革に傷をつけたら天皇陛下に申し訳がたたん。竹へらでやれッ!」というのです。「天皇陛下」と言う者もこの時は不動の姿勢をとらなければなりません。
 息を吹きかけたり、こすり合わせたりして手の感覚を甦らせてやるのです。古参兵がいなくなるとナイフでつついて取りますが時間がかかりますし、多少は革底にも傷が付きます。古参兵たちも初年兵のときはナイフを使ったと思い、恨めしくも思ったものです。
 泥を取ると今度は保革油を塗るのですがこれは手指で塗らなければなりません。油ですから手入れを終わった後にセッケンでよく洗わなければなりませんが、そんな暇はありません。いきおい手はアカギレと霜焼けになります。アカギレのところから血を流しながら寒さに震えて手入れをするのです。(p72・73)河村http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/14onketsu/O_14_072_1.pdf

 消灯ラッパが静かに鳴りひびく。夢の床に就くや、コツコツ週番下士官が巡回しつつ銃の引金点検である。次々と引く。俺は何番目…「よかった」と思う。「カチン」と鳴ると「OO出てこい」で捧げ銃をして「三八式歩兵銃殿、長々と……致しまして申し訳ありません」である。軍隊は馬鹿にならないと勤まらない。(p113・114)持山

すべて天皇陛下よりの御下賜品である、手袋、靴下に至るまで大切に使用せよとの厳しい教育でした。(p202)

 ・・・自分も上官や古兵の銃器を手入れした後に自分の三八式歩兵銃の手入れをして銃架に掛けておきました。突然班長が「ただいまから兵器検査を行う」と抜き打ち検査です。
 その時に自分の銃の床尾板のねじの溝に黄色い泥が入っていました。班長は烈火のごとく怒り「この銃は誰のか」でした。自分が名乗り出ると「馬鹿者」一言いって銃を持って下士官室へ引き返しました。数日前から班長は自分を「いじめ」ていました。西垣少尉(小隊長)は陸軍士官学校出身で、実に立派な陸軍将校です。その彼に私は実に良く可愛がられ「オイ小林ちょっと来てくれ」と何かについて指名されていたのです。それを憎んでの小銃引き上げ事件になったのです。
 班長室へ行って土下座して「天皇陛下より賜りし大切な三八式歩兵銃の手入れが悪く、心よりお詫び申し上げます」といったのですが、班長は知らぬ顔で他方を眺めながら煙草を吹かしていました。私は涙を流しながら一心不乱に、床に頭をつけて「お許し下さい」と一生懸命に懇願しました。
  最後には、どうしてよいか判断を失い、刑法懲罰でも、営倉(ブタ箱)でも軍法会議でもよい。この憎い班長を殺して自分も自決してやろうか、と物騒なことを、瞬間頭に思い描きました。隣の班長の計らいで「今回の不始末は許すが、以後絶対、兵器・武具を大切にせよ」となりました。このことは中隊全員に知れわたり、以後、小銃事件として語られていました。自分はこの苦い体験で「軍隊は運隊だ」ということを確信しました。(p205・206)小林
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/18onketsu/O_18_200_1.pdf

 勇名轟く脇坂部隊の原隊で訓練は猛烈、内務も厳正。「お前らは補充兵、一銭五厘の消耗品じゃ」と、ハッキリ引導を渡され、徹底的にしごかれ錬えぬかれた。(p133)權田
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/11onketsu/O_11_132_1.pdf

 夜の点呼が終わって消灯、床に入れどもおちおち眠れない。週番上等兵が巡視に回ってくる。銃架の銃の引き金を点検する。もし「カチッと」音がすれば、その兵は叩き起され、きつい制裁を受ける。「銃が休んでおらぬのに貴様よくも眠れるか」と。(p251)岩崎

軍人の魂として、自分の体よりも大切にし日夜手入れしてきた武器は、単なる物としてすべて衛兵所の脇に積み重ねられた。(p278)酒井
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/18onketsu/O_18_270_1.pdf

実は、その当時、このことが分かれば確実に死刑にされる菊の御紋章のある銃の木質部を焚いて暖をとり、それで私共は生き延びましたが、それができない多くの戦友達は、この四一〇〇メートルの山頂で凍死してしまいました。(p432)岡田