堕落し続ける日本人には、理論より情緒のメンテナンスが必要だ<小林よしのりさんインタビュー前編><新・堕落論>


これを読んで、一点だけ疑問に思うことがある。
「感情の劣化」という考え方だ。

感情は、劣化するものなのだろうか?

僕は、感情はいつの時代もどの時代も変わらないと思う。
剥きだしにすると非常に野蛮で、反文化的で、そして理不尽極まりない程凶暴なものだと思っている。

ホッブスは「自然状態」を「フィクション=あり得ないもの」だと断じたが、僕は「あり得る」と思っている。
昨今のネットがまさにそうではないか。
人間の欲望は際限なく、感情の赴くままに行動していてはたちまち凶暴化する。
「理性」や「法」がないと、見るも無残な状態になるのだ。
「ムカつく」「胸糞悪い」という感情だけで、人はたちまち「ポタク」となるのだ。

しかし、その「理性」や「法」もまた、人間が編み出すものだから、限界がある。
その限界に戸惑いながらも、しかしやはり、僕は感情なるものより「筋と道理」を大事にする。
それしか方法がないからだ。

昨日DEBUにもくぎを刺しておいた。
「感情を先に出すな。理屈を出せ。お前の感情がどうなってるかなんて基本知らん」

やはり改めて最近、「俺は悪くない!」「俺の言う通りにしてくれないと俺の心が折れる!」とばかり連呼するプロデューサーが増えたと感じる。
幼稚だ。
お前の心なんかどうでもいい。お前の立場なんかどうでもいい。お前の立場や心を護るためにみんな仕事をしたり、作品を作ったりしている訳ではない。
そんな社会の常識すら通じない。現代は闇だ。

まぁ、去年辺りから「若手を育てる」と決意したので、あまり追い詰めないようにはしたいのだが・・・。


ところで、「我儘2」でも書いたが、僕は本当におとなしく、感情がない子だったらしい。
「右向け言うたら右向く子」だったそうだ。
そのことを昨日スタッフに改めて話して「マジっすかー!?」と本気で疑われたが、そうなのだから仕方ない。
僕でさえ母から聞いて「ええー!?」となったくらいだが、しかし幼少期の記憶の断片を辿ってみると、やはりそうだったのかも知れない。

僕自身に生物的欠陥があるとすれば、それは「感情」がないところだろう。
なくはないのか、先んじて出てこないのだ。
幼少期は、なんか生きた心地がしない程、ポカーンとしていた。
上手く自分の喜怒哀楽を感じることができなかった。
世界も自分も、よう解らんなぁ、と、ふわふわして生きていた。

思春期も、自分の感情をコントロールできない、というより、どこに自分の感情があるのか、良く解らなくなった。
自分は今楽しいのか?悲しいのか?どっちか解らない瞬間がしばしあった。
こういうのは思春期にありがちなことだと長年思ってきたのだが、どうやらそうではないらしい。

中学校の担任の先生からは「君は危険だ。ニヒリストだ」と言われたこともあった。

ようやく感情を表に出すようになったのは、大学で哲学を学んで、「筋と道理」を自分の拠り所にするようになってからだ。
善悪や真偽を確かめると、感情を出してよし!と身体がOKするようになったのだろう。
しかしそうなると、今度はしとどに感情が溢れ出すようになった。「根拠と動機」が見つかると安心するのか、感情が全乗っかりになってしまった。
これはこれで、「ヤマカンはいつもキーキャー言ってる」と思われるようになったのだと思う。

しかし、違う。
僕は今でも、基本、どうでもいいのだ。
もう少し不穏なことを言えば、いつ死んでもいいのだ。

逆にみんなが羨ましい。皆自分を護るのに必死だ。
皆自分の欲望を満たすのに必死だ。
僕はどうしてもそうはならない。そうならないから、こんな人生を歩んできた。
保身とか立場とか気にしない。「筋と道理」、いや言い換えるなら「真実」を見つめている時だけ感情が働き、生きた心地がする。
それ以外の要素にはまったく興味がない。

だからアニメムラにも興味を失ったし、誰から嫌われても屁とも思わない。
感情がそこで動かないのだ。

前の伴侶から最後の方は「あなたはいつも何考えているか解らない」と気味悪がられたが、そういうことなのだろう。
特にプライベートでは、今も喜怒哀楽が消えるのだろう。
確かに気味が悪い。


これを「感情の劣化」というのならば、確かにそうかも知れない。
いや、違うな。
むしろ、ポタクの方が「自然」と言えるのかも知れない。
そりゃあ話が合う訳ない。こっちが「異常」なのだ。


しかし、それでも敢えて言っておくが、感情とは基本野蛮であり、凶暴なものだ。
放置していては人の精神も、社会もおかしくなる。「自然状態」ではいけない。
必ず「筋と道理」によるコントロールが必要なのだ。



因みに『新・堕落論』で小林よしのりが繰り返し言及する「トカトントン」、それは僕の耳にも聞こえている。
「筋と道理」があまりに通らないから、そこに乗せた「感情」まで機能停止に陥り、ポカーンとなるのだ。
これはこれで危険だ。気を付けなければならない。

しかし、もうどうしようもないのではないか?
どこまで人間が信じられるのだろう?

悩みながら進むしかない。