黒井文太郎(軍事ジャーナリスト)

 プーチン大統領は今や、世界にケンカを売る「皇帝」としてロシア国民の圧倒的支持を得ている。タイプとしては、大衆扇動型のヒトラーに近い。ロシアのメディアを支配し、巧妙にロシア国民の心理を操作している。

 もっとも、プーチンは2000年に大統領になった直後から、世界にケンカを売っているわけではなかった。挑戦的な姿勢を明確に示したのは、2011年のシリア紛争からだ。

 それまで国際紛争の処理は米国が主導してきたが、プーチンはそのとき初めて国際社会に正面から逆らい、国連安保理のアサド政権を非難する決議案を拒否権により葬った。プーチンの欧米に対する対決姿勢は、2014年のクリミア侵攻、2015年のシリア軍事介入で決定的となり、2016年には米国大統領選にも介入、今や「世界の敵ナンバー1」と言ってもいい存在になっている。

 プーチンが2000年代、対外的に割とおとなしかったのは、まだロシアの国力が1990年代のどん底時代から回復しきっていなかったからである。2010年代に一気に勝負に出てきたのは、当時のオバマ米政権が「世界の警察」から降り、「米国はもう何も手を出さない」ことが明らかになったからだ。

 ただし、プーチンはその前から、ロシア国内と周辺国に対しては常に強権的なファイターだった。大統領就任直前の1999年には、大統領が重度のアルコール依存症でレームダック(死に体)状態だったエリツィン政権末期の首相として、チェチェンへの軍の派遣を主導し、第2次チェチェン紛争を仕掛けた。

 チェチェンへの攻撃は、一般住民の巻き添えを一顧だにしない苛烈(かれつ)なもので、プーチンはそれを10年間も続けた。2008年にはグルジア(ジョージア)に部隊を差し向けて撃破し、多くの死傷者を出した。軍を直接侵攻させないまでも、2000年代を通じてウクライナで反ロシア派の追い落とし工作を続けた。

ビリニュス中心部にある旧KGBの建物
ビリニュス中心部にある旧KGBの建物
 また、プーチンは大統領に就任すると、エリツィン時代に権勢を振るった新興財閥や野党指導者を、旧ソ連国家保安委員会(KGB)系諸機関の総力を挙げて追い落とし、自らの権力基盤を固めた。

 まずは「メディア王」ウラジーミル・グシンスキーを2000年に逮捕。主要メディアをプーチンが支配した。2003年には石油業界大物のミハイル・ホドルコフスキーを逮捕し、シベリアの刑務所送りにした。ロシア最大の新興財閥だったボリス・ベレゾフスキーは2001年に身の危険を感じてイギリスに亡命し、反プーチン活動を続けていたが、2013年に自宅で変死を遂げた。