和久田
「戦後73年。
新たな証言です。」
二宮
「こちらの男性医師。
終戦前後、朝鮮半島や満州で、ソ連兵などから性的暴行を受け、妊娠した女性たちの中絶手術を行ったと証言しています。
しかし、その記録はほとんど残っていません。
医師の告白から浮かび上がったのは、歴史から葬られた戦争による性被害の実態でした。」
和久田
「戦後73年。
新たな証言です。」
二宮
「こちらの男性医師。
終戦前後、朝鮮半島や満州で、ソ連兵などから性的暴行を受け、妊娠した女性たちの中絶手術を行ったと証言しています。
しかし、その記録はほとんど残っていません。
医師の告白から浮かび上がったのは、歴史から葬られた戦争による性被害の実態でした。」
リポート:小林さやか(NHK福岡)
私が訪ねたのは、鹿児島に住む1人の医師です。
九州大学の産婦人科医だった、昇勇夫さん、101歳です。
昭和21年から翌年にかけて、引き揚げの途中で性的暴行を受けて妊娠した女性の中絶手術に関わったことを告白しました。
昇勇夫さん
「中絶は禁止されているのは承知のこと。
罪をかぶってでも助けてやりたい。
そういう気持ちが先にあった。」
当時、中絶は、富国強兵の施策のもと、法律で原則禁止されていました。
九州大学が行った中絶手術は数百に上るといいます。
昇さんたちが手術を行ったのは、佐賀県内の療養所でした。
栄養状態も悪い中、妊娠後期にならないと妊娠に気付かない人も多く、手術は困難を極めたといいます。
手術に関する詳細な記述が別の医師によって残されていました。
当時の中絶手術は、医師としての倫理観を超えるものでした。
昇さんたち医師の心にも深い傷を残したといいます。
昇勇夫さん
「嫌ですよ。
嫌だけどさ、僕らが助けなかったら、あの女性をどこに持って行きようかね。」
ソ連軍による満州や朝鮮半島への侵攻。
その際、行われた性的暴行については、これまであまり知られてきませんでした。
その実態を、記録した資料を見つけました。
大陸から長崎県の佐世保港に引き揚げてきた女性たちの被害を、国の委託を受けた相談員が聞き取った内容がまとめられています。
“三名位のソ連兵が、昼間定めておいた女を連れ行きて暴行を加えた。”
他の引き揚げ者を守る代わりに、日本人によって、ソ連兵に差し出された女性もいました。
女性たちの被害を目撃した人もいました。
今の北朝鮮から引き揚げてきた、福岡県に住む、五十嵐順子さん、89歳です。
五十嵐順子さん
「夜中に、お母さん助けてという声が聞こえるんですよ。
ああ、連れて行かれるんだって。
助けに行くわけいかないでしょう。
こっちの身も危ないですからね。」
当時17歳だった五十嵐さんも、危うくソ連兵から暴行を受けそうになったといいます。
五十嵐順子さん
「脱げっちゅうわけです。
ブラウス、脱ぎました。
もう自分でわからないくらい暴れたんです。
たったったっと入り口から出て。」
ぎりぎりのところで逃げ出し、無事だった五十嵐さん。
その後も、ソ連兵から身を隠しながら日本へたどり着きました。
なぜ、ソ連兵による女性たちへの性的暴行が、ほとんど知られていないのか。
取材を進めると、国が秘密裏に中絶手術を指示していたと指摘する資料にたどりつきました。
“国が命じた妊娠中絶”
当時、手術に関わった昇さんの上司が、今から30年前に、国の指示の内容を記した文章が残されていました。
この中で、国の思惑は、ソ連兵の子どもの出産を水際で食い止めることにあったと指摘しています。
国の関与をほのめかす資料が他にも残っていました。
昭和28年に海外の研究者が発表した論文です。
当時の厚生大臣や占領軍が関わり、「ソ連兵の子どもを産ませてはならない」という意図があったことを示唆しています。
国の指示で中絶手術に関わった昇さん。
昭和26年、ふるさとの鹿児島に戻り、開業しました。
家族にも手術のことは話せなかったといいます。
唯一、後輩の医師に宛てた手紙の中だけで苦しい胸の内を明かしていました。
“あの仕事は国策とは申しながら、特に産婦人科医の倫理として、終生心に残る悲しい出来ごとでした。”
100歳を超えた今、初めて取材に応じた昇さん。
その理由をこう話しました。
昇勇夫さん
「犠牲になったのは女性なんかでしょ。
国が負けとって犠牲になったのは、そういう女性なんか。
ああいう時代もあったっちゅうことは、若い人にも分かってもらわないといけないなと、だんだん感じるようになった。」
胎児の命が奪われ、妊娠した女性や医師らをも長年苦しめ続けた戦争。
繰り返してはならない過去を、若い世代に知ってほしいと、昇さんは強く願っています。
二宮
「当時、国が中絶手術を医師に指示したのは本当か、厚生労働省に取材したところ、『資料が残っておらず、わからない』との回答でした。」
和久田
「記録が残っていないために事実そのものが忘れ去られたり、戦後の補償ができなくなったりするという事態も招きました。」
二宮
「だからこそ戦後から70年以上たって、101歳になるまで告白できなかった昇さんのような証言をしっかりと受け止めて、埋もれた歴史を掘り起こしていくことが大事だと思いました。」