東京都内在住の30歳、岡崎(仮名)と申します。
今、都内の一等地にある法律事務所で弁護士のアシスタントをしています。
仕事内容は、海外の代理人に送るレターの作成と、契約書の翻訳の作成・確認です。
残業が多く、大変なこともありますが、
ビルの高層階から見える都心の夜景がすごく綺麗で、夜景を励みに毎日頑張っています。
こう言うと、たいていの人からはこう言われます。
「いいな~。」
「私も都心の高層ビルのオフィスで働きたい!」
「英語を使う仕事ってかっこいい!」
初めて会う人からは、私は順風満帆な人生に思われるようです。
しかし、私の人生は決して順風満帆ではなく、辛い思いもたくさんしてきました。
今回は、みなさんに私の大学卒業から今までの道のりをお伝えします。
どこにも採用されず落ち続けた人生
私は、2011年卒です。
そう、リーマンショックによる就職氷河期に加え、
東日本大震災の混乱の中、大学を卒業した世代です。
私は大学時代に一年間ロサンゼルスに留学しており、留学生として過ごした経験と英語力を活かし、大学職員になって留学生支援や海外の大学との協定締結に携わりたいという夢を抱いていました。
また、のんびりとした大学の雰囲気が好きだった、という理由もあります。
しかし、「安定」「高収入」「仕事が楽」という評判(実際には異なります)の大学職員は大人気の職業であり、
国立大学法人も、私立大学の採用試験も倍率が高く、ことごとく落ち続けました。
大学でなくても留学生支援はできるだろうと思って受けた独立行政法人の研究所の採用試験にも落ち、
私は目の前が真っ暗になりました。
30歳になった今だと、「もっと視野を広げていろいろな企業の採用試験を受けてみればいいじゃない」
「新卒で大学職員になれなくても、まずは経験を積んで第二新卒で改めて採用試験に臨めばいいじゃない」と思うのですが、
22歳当時の私は、夢だった大学職員になれなかったことで精神的に参り、ひきこもりになりました。
ひきこもりのまま、大学を卒業し、そんな私を心配した両親に実家がある東北に連れ戻されました。
実家でもひきこもり生活を数か月続けました。
両親は、私に何も言いませんでした。
地元での生活を経て
しばらくすると、精神的・肉体的に元気になってきました。
何かしたい、働きたい、と思うように。
東京に未練を持ちながらも、「このまま地元・東北で生涯を終えるのも良いかもしれない」と思い、地元のハローワークに行きました。しかし介護やトラックドライバーくらいしか求人がなく、田舎のまともな仕事は公務員しかないことに気づきました。
「来年の公務員試験を受けよう、でもまずは公務員の世界を見てみたい」と思い、
地元の市役所の臨時職員(3か月任期)になることに。
市役所の方々には非常によくしてもらい、楽しい時間を過ごすことができました。
しかし、市役所の方々を見ていると、人間関係が閉鎖的であること、市民からの目が厳しく冷たいこと、
英語を使った仕事がないことから、一生ここで過ごすのは考えられないと思い、
任期満了を待ち、他の仕事を探すことにしました。
次は、県立図書館の非常勤司書(1年任期)になりました。
外国図書専門の職員の求人を見つけたのは幸運でした。
英語のみならず、フランス語やスペイン語など、さまざまな外国図書を扱うことができ、非常に楽しかったです。
しかし、1年の任期の終わりに近づきつつあったある朝。
大雪が降りました。
東北では、大雪は珍しいものではなく、冬の通常業務に雪かきが組み込まれています。
吹雪の中、終わりの見えない雪かきをしていたところ、不意にこう思いました。
このままじゃいやだ!
館長や副館長からは、1年の任期が満了した後も任期を更新してあげるから図書館に残らないか、と誘われていました。
しかし、晴天の冬空の東京が恋しくてたまらなくなり、私は再び、東京に戻ることを決意したのです。
諦めたらそこで試合終了ですよ
当時まだ24歳。第二新卒枠が使えました。
あらゆる転職サイトや転職エージェントに登録しました。
当時2013年の始めです。
まだ、世の中は不景気を引きずっていて、役所、
しかも非常勤職員から東京の民間企業への転職は無謀のように思えました。
「約1年の役所の職歴じゃ、ご紹介できる求人はありませんよ!」
いくつかの転職エージェントからははっきりとこう言われました。
しかし、ここであきらめるわけにはいきません。
渋る転職エージェントに履歴書と職務経歴書の添削を頼み、ブラッシュアップさせ、転職活動を続けました。
絶望しつつあったある日、大手転職サイトで大手法律事務所の求人を見つけました。
未経験歓迎!第二新卒歓迎!
外国語ができる方求む!
法学部出身でもないし、私の職歴じゃ、到底無理だろうな、と思いつつも、まずは応募してみました。
すると翌日、「明後日面接に来れますか?」と返信が来ました。
慌てて新幹線のチケットを予約し、有給を申請し、履歴書と職務経歴書を持って日帰りで面接に行くことになりました。
上野駅から東京駅の車窓を見ながら、久々の東京に胸が高鳴りました。
やっぱり、私は東京が好きだ
東京に戻りたい
こう思いながら、都心の高層ビルにある、法律事務所のオフィスを訪ねました。
面接官は、所長と、パートナー弁護士、そして事務責任者の三名でした。
面接は驚くほど和やかに進み、その夜に電話で内定をいただきました。
東京に戻れるんだ
そう思うと、涙が止まりませんでした。
まるで嘘のような変化
あれから5年が経ちました。
引きこもりをしていた自分がまるで嘘のように、毎日バリバリと働いています。
法律の知識は、所内の研修制度が整っていたため、なんとかなりました。
年収も、役所の非常勤職員時代の 3倍 になりました。
友人や同僚と都心のおしゃれなカフェで談笑している自分が信じられません。
初めて会った人、会う人には、
私が都会出身で留学経験があり、高度な仕事に就いている、素敵な女性に思われるようです。
しかし実際は東北のド田舎出身で、ひきこもりや所の定収入の非常勤職員をしていた過去がある、苦労人です。
以前の私と現在の私は、まるで別人です。