ain 二月七日、東京・飯田橋の富士見区民館で「アイヌ文化から北方諸島問題を考えるトンコリと語りの夕べ」が開催された。

二月七日は「北方領土の日」とされている。一八五五年に当時の江戸幕府と帝政ロシアがこの日に結んだ日露通好条約によって千島列島のエトロフ島とウルップ島の間が両国の国境と定められたことを根拠に、現在ロシア領となっているエトロフ以南の「北方諸島」を「日本固有の領土」と主張し、「日本への返還」を求めるキャンペーンが展開されてきた。しかしこうした「北方領土返還」運動は、先住民族であるアイヌ民族の自決権を無視し、日ロ両国の先住民族に対する植民地主義的侵略、差別と同化の歴史を正当化するものだ。

二〇〇七年九月には国連で「先住民族の権利に関する宣言」が賛成一四四、反対四(アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド)、棄権一一という圧倒的多数で採択された。日本も条件付きで賛成票を投じた。さらにG8北海道・洞爺湖サミットを前にした二〇〇八年六月には「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が国会で採択され、政府もそれを追認した。しかし日ロ間の「領土問題」交渉では、自決権・自治権を有する先住民族としてのアイヌ民族の意思はまったく無視されている。

こうしたあり方に抗してアイヌ民族の先住民族としての権利を回復する闘いを支持する立場からこの日の集会が準備された。



集会では、制作が進められているアニメーション映画「七五郎沢の狐」の冒頭部分が映し出され、制作者の杉原由美子さんがこの作品についての思いを語った。この映画は狐のカムイ(神)が住んだ土地に産業廃棄物の処分場ができたことで、そこから立ち去らざるをえなくなるという創作ユーカラ(神謡)のアニメ化で、全編アイヌ語で語られる。それは自然とともに暮らしてきたアイヌ民族の生き方の意義を思い起こさせるるものになっている。

司会の本多正也さん(グループ“シサムをめざして”)がカラフトアイヌの歴史について説明した後、「アイヌ・アート・プロジェクト」の版画家・結城幸二さんが「文字を持たず、国を作らず、『神』である自然の一部としてあったアイヌ民族の精神文化」と、それが日本に同化される中で奪われた過程を、静かに、時には激しい言葉で語り、その自らの文化を取り戻して自立していく展望を語った。

「アイヌ民族とはいったい何者であるのか。先住民族であるということが常識とはなっていない。アイヌはあいさつの際に、『イラムカラプチ』という言葉を使った。直訳すれば『あなたの心に触らせてください』という意味だ。『あなたの本音に触れたい』ということで翻って『私も本音で語ります』ということになる。一つの集落の中でウソや見栄があればその集落は成り立たなくなる。だから本当の気持ちをしゃべりあおう、という意味だ。ここにアイヌの精神文化の一つの現れがある」。

「いまカラフト・アイヌ(エンチゥ)は、天然ガス開発によるエネルギーマネーで、自分たちの精神文化を奪われ、解体の危機にある。経済が文化をこわした。自然とともにあるというところから物事を考える必要がある」。

「確かにアイヌは二〇〇八年の先住性を承認されたが、アイヌの中では次のビジョンを描き出せていない。多くの予算が北大に流れ、北大がアイヌ文化のステーションのようになっている。すべて北大の中で政策が決められようとしている。しかし旧土人保護法の際も北大が政策の発信基地になった。いま同じことが行われようとしている。しかしなぜ北大は自分たちがやってきたことを謝罪できないのか。私たちはアイヌが間違っていなかったこと、アイヌとして生きてきたことの証を求める。私たちが民族としてのあり方を奪われた百数十年前にさかのぼってメスを入れてほしいのだ」。

「アイヌ民族は、自分に対する自信を奪われてきた。そこから酒におぼれ。家庭内暴力をふるい、自殺者を多く生み出した。自分がアイヌであることを忌み嫌ってきたのがアイヌ民族にとっての近代だった。本当のことを語らないと人間は進歩しない。人間力を高める必要がある。原発事故は、人間が自然を壊すことによって自分たちを壊していったことを示した。人間が神になろうとしたのが原子力エネルギーだった。しかし人間は神にはなれない。『神』とは自然なのだ」。



結城さんへの質疑応答のあと、結城さんと同じ「アイヌ・アート・プロジェクト」に所属する福本昌二さんのトンコリ演奏に合わせて、結城さんが語りを行った。トンコリとはカラフトアイヌの民族楽器。二人は昨年一二月にフランスのノーベル文学賞作家ル・クレジオさんの招きでパリのルーブル美術館で、ミロのビーナス像などを背にトンコリの伴奏に合わせ「ホロケウカムイ(オオカミ)の語り」を披露した。

風に吹かれた森のざわめきのようなトンコリの響きと結城さんの語りに、参加者は静かに聞き入った。

(K)