藤原かおりさんは42歳でカルビーの最年少執行役員に就任した 「女性の活躍なしに成長はない」という松本晃会長の方針の下、組織のダイバーシティー(多様性)化を進めるカルビー。2017年4月時点での女性管理職比率は24.3%に達し、20年までに30%という目標も達成できそうな勢いだ。執行役員を含む役員全体に占める女性の数は21人中7人と、日本の上場企業としては際だって高い。ヒット商品になったシリアル「フルグラ」(1991年の発売当時の名称は「フルーツグラノーラ」)の事業を躍進させた藤原かおりさんもその一人。カルビーでの大躍進は「仕事人生で一番」と語る、痛恨の失敗から始まった。
■「もっと声をはれ」とよく言われる
2017年、42歳でカルビーの最年少執行役員に就任した。売上高30億円規模のフルグラ事業を5年で約10倍の300億円規模にまで拡大した実績から、いかにも強そうなタイプを想像していたが、実際に会ってみると、拍子抜けするほど、声の小さな女性だった。
「いつも、もっと声を張れと言われるんです。取材に来る方たちからはよく、イメージと違うと言われます」
幼稚園生のころは「いつも一番遅く出てくる」と親に叱られていたそうだ。おっとりしているように見えて、「仕事の決断はめちゃくちゃ速い」(広報担当者)。フルグラはここへ来て販売の伸びが鈍化していることが指摘されているが、打開策はすでに練ってあるという。
「データを見ると、3カ月以内にフルグラを1度以上購入した人の割合は、19歳から69歳までの成人男女のうち1割しかいません。のびしろはまだある。米国で1.2兆円あるといわれるシリアル市場が日本ではまだ600億円ですから、これを1000億円まで伸ばすことができれば、国内売上目標の500億円も達成できます」
声は小さいが、かみしめるように発する言葉の端々から芯の強さが伝わってくる。
■転職してすぐの大失敗で「社内失業」状態に
藤原さんはカルビーに入社して間もなく、「仕事人生で一番大変だったと思うぐらいの失敗」を経験している。担当していた栄養調整食品を1年で生産終了させてしまったのだ。
商品企画に関与していないとはいえ、ブランドマネジャーとして言い訳はできない。生産終了の意思決定が下った後、工場に説明しに行くと、「なんでやめるんですか!」と悲痛な声があがった。「力足らずで本当に申し訳ありません」と、ただひたすら謝るしかなかった。
転職して来てすぐの失敗。周囲の冷たい視線を浴びたことは想像に難くない。さすがにこたえ、しばらくは「どうしようかなと思っていた」という。
「社内失業ですよね……」
そんな状況のなか、当時の上司から「フルグラをやれば?」と言われた。フルグラは、藤原さんが入社する以前から、松本会長がその可能性に目を付けていた商品だった。
チームの総入れ替えに合わせてフルグラのマーケティングを担当することになった藤原さんは「これで結果を出せなかったら辞めよう」と思っていた。
「『また失敗するなよ』と思っていた人は多かったと思います。松本も内心はそう思っていたんじゃないでしょうか。言葉には出しませんけれど、雰囲気でわかりますから」
■数字が証明していた「伸びしろ」
営業からの無言のプレッシャーも感じていた。それでも冷静でいられたのは、フルグラの可能性を数字が明確に示していたからだ。
フルグラ事業の売上高は5年で約10倍の300億円規模にまで拡大した 「新しい事業に着手する際はいつもそうするのですが、まずはデータをひと通り眺めました。気づいたのは、配荷率の低さ。そもそもフルグラを置いている店舗が少なかったんです。一方、置いている店の回転率はよかった。だから、商品力は高いなと感じました。当時、フルグラの売り上げは30億円でしたが、30%だった配荷率を70%まで上げれば、国内売り上げ目標の100億円はいくという見通しが立ちました」
■旭硝子での貴重な体験
データの見方は、新卒で入った旭硝子で教わった。1997年、慶応義塾大学法学部を卒業して旭硝子に入社。製造研修を経て、2年目から電子事業の戦略企画を担当する部署に配属された。
「当時のことを思い出すと、申し訳ないような気持ちになります。旭硝子が私に残してくれたものはものすごく大きかったと思います。なのに、何もアウトプットできないままに辞めてしまいましたから」
MBA(経営学修士)を持つ上司の下、会社が外部のコンサルティング会社と一緒に開発したプロジェクトに参加する機会も得た。「市場分析をして課題を洗い出し、どのようなアクションプランを立てていくかという手順はそのときに学びました」
「入社2年目の下っ端でしたから、資料作成を手伝うぐらいしかできなかったのですが、それを読んでいるだけで勉強になりました。知らない用語が出てくるたびにどんどん知りたくなって、ファイナンスって何だろう、マーケティングって何だろうと調べていました」
数多くのビジネス書を読んだのも、そのころだ。「三枝匡さん(元ミスミグループ本社社長)の本はストーリー仕立てで読みやすかったですし、大前研一さん(元マッキンゼー日本支社長で、日本における経営コンサルタントの草分け的存在)の本も勉強になりました」
マーケティングの仕事が面白そうだと感じ、その道のプロを目指そうと思ったのも旭硝子時代だという。
「アメリカのシリアル市場は1.2兆円で、日本はたったの250億円。この開きはもっと縮まるはずだ」。フルグラの会議では、松本会長からしばしばこんな檄(げき)が飛んだ。「こわかったですよ」と、冗談まじりに藤原さんは言う。松本会長は決して声を荒らげはしないが、有無を言わせぬオーラがある。そんな松本会長と対峙する際、藤原さんはあることを心に決めていた。
■「できません」とは言うまいと心に決めていた
「フルグラを担当する以上は『できません』とは絶対に言わないようにしようと思っていました。言ったら、『君はもういい、ほかの人に頼む』と言われるだけですから」
執行役員に昇格しても、声の小ささはなかなか変わらないという。 何を言えば松本会長が嫌がるのか、藤原さんは明確に把握していた。伊藤忠商事を経てジョンソン・エンド・ジョンソン日本法人社長などを歴任した松本会長は、日系企業と外資系企業の両方の文化に精通したハイブリッド経営者。旭硝子の後、外資系企業を経験した藤原さんにとってはむしろ、理解しやすい相手だったのかもしれない。ロジックと数字の裏付けがない話を受け付けないであろうということは容易に予想できた。
「とりあえず100億円」と松本会長が掲げた国内売り上げ目標をクリアし、14年、藤原さんはフルグラ部の部長に就任した。すると、今度は「500億円」という、とてつもない達成目標を提示された。
その間、松本会長とのやりとりは「わかりました、やってみます」「これはうまくいきましたが、こっちはダメでした」「じゃ、次はこれをやってみよう」の繰り返し。無数のトライと限りない背伸びの連続を、藤原さんはクリアしてきた。
■「まずは知恵、次に汗、最後にお金」の順番で取り組む
広告費を使って商品を売るのがマーケティングの仕事だと思われがちだが、カルビーではそれはタブーだという。
「『コマーシャルではモノは売れない』と、松本もよく言っています」
どうすればお客さんに買ってもらえるか、「まずは知恵を使え」が松本会長の口癖。「使うのは知恵、汗(をかく)、お金の順番だというのが、松本のポリシーですから」
春と秋の年2回開かれる「ワークショップ」と呼ばれる会議には、藤原さんを含む執行役員以上が参加する。春は7年先を見越した成長戦略、秋は翌年のビジネスプランを話し合う。最年少の立場で発言するのは、正直言って気が引ける。毎回、「よし、言わなくちゃ」「言うぞ!」と、自分を鼓舞しながら話している。
あまりに声が小さくて、最初のうちは「もっと大きな声で話しなさい」とアドバイスされることも多かった。こればかりはなかなか変わらない。松本会長も最近はこの点についてはあきらめたのか、こんなふうに言われたそうだ。
「もういいよ、そのままで」
カルビーのフルグラ事業をけん引してきたマーケティングのプロの藤原さん。「社内失業」を超えて大成果を上げたが、今、さらなる高みを目指して奮闘中だ。
(ライター 曲沼美恵)
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