レトロゲームレイダース(青春)

レトロゲームについて、ほっこり&もっこりする思い出話

【レトロゲームの話】ファミコンブームという熱気と、狂乱の宴のはじまりと、宴の始末の話。

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1983年からはじまったファミコンブームは、少しずつ日本中に広がっていきました。それは、おもちゃ屋にとっては4000円台の売上(ソフト1本分)が面白いように入ってくるというこれまでにない状況であり、どんな田舎のオモチャ屋さんの店主も瞳が「¥」の字になっていた気がします。

 

今回は、1980年代の片田舎の町がファミコンブームを受けてどのような状況だったのかを、思い出しながら書いていきたいと思います。

 

 

これは、私が小学生の頃の話。

田舎だった私の町に本格的なファミコンブームがやってきたのは1985年。ファミコンが発売された2年後、『スーパーマリオブラザーズ』の発売によって、いよいよファミコンの知名度が上がってきた頃だったと記憶しています。

 

まず、オモチャ屋さんについて。

私の町には2つのオモチャ屋さんがありました。いわゆる昔ながらのフツウのオモチャ屋さんです。


ファミコンブームによって何が変わったか。レジの近くのショーウィンドウが大きくなりました。そこにあったショーウィンドウには、これまでゲーム&ウォッチ、LSIゲーム、LCDゲーム、麻雀卓、花札などが置かれていたのですが、それらが隅に追いやられ、すべてファミコンゲームに変わりました。

 

ファミコンカセットのパッケージがショーウィンドウにズラーっと並んでいるのです。その様子は壮観でした。原体験として焼き付いているので、いまだにそういう陳列をしているブックオフに出会うと、ワタクシ、胸が熱くなります。

 

やがて、ショーウィンドウの上に小さなブラウン管テレビが置かれるようになりました。映し出されるのは、新作ゲームのデモ画面です。個人的な思い出としては、ハドソンの『チャレンジャー』の1面、暴走する特急に飛び乗るシーンデモは、格好良すぎて、面白そうで、鼻血が出そうでした。


後で聞いた話だと、ゲームセンターのゲームと違って家庭用ゲームに商品アピールのデモ画面はいらないと当初考えられていたらしいですが、営業サイドからの強い要請で作ることになり、それが子どもたちに大当たりしていたようです。

 

ショーウィンドウに並べれば並べるだけ売れるわけですから、玩具店としてはばんばんソフトを入荷させるわけです。しかし、ゲームの発売数もどんどん増えてくるわけで。自店在庫と作品人気に疎い店主の店のショーウィンドウは、新作ゲームが上のほうで輝く一方、旧作ゲームがその下に地層のように幾重にも重なり、1988年頃からは大量の在庫を抱えていくのでした。ファミコンソフトは単価の高い買取商品なわけで、その在庫は小さな町のオモチャ屋さんの経営をどれだけ圧迫したのでしょうか。

 

次に雑貨店について。

つい先日まで、タワシや洗剤ばかり売っていたお店にも、急にファミコンソフトが並ぶようになりました。ジャイアンの実家でゲームが売られている状況です。


レジの後ろの棚にファミコンソフトが並べられ、レジの前で注文するという流れです。ただ、ウチの近所の雑貨店は、たぶん卸会社の営業に騙されたと思うのですが、取り揃えた作品がすべてディスクシステム作品。ラインナップは、『消えたプリンセス』『聖剣サイコカリバー』のみ。なかなか渋いチョイスです。そのため、早くから在庫がたまっており、またディスクシステムが早めに縮小したため、その在庫は20年くらい置かれ続けることとなります。

 

本屋さんについて。

ファミコンブームで一番トチ狂ったのが、駅前にある本屋さんでした。もともとは、書籍と文房具を扱う小学校御用達の健全なお店だったのですが、ファミコンが儲かると知るや急に経営方針を大転換。レジのあるショーウィンドウはすべて中古で買い取ったファミコンゲームが並びました。私の町に「中古ゲーム」という概念を持ち込んだのは、この本屋だったのです。

 

さらに、この店は書籍の売場を大幅に縮小すると、タイマー付きテレビとファミコン&ディスクシステムを20台くらい設置。30分200円(だったと思う)でゲームができるという商売を始めました。これがヒット。田舎の町で空前の大ヒット。しかも、時間内はゲームを変えホーダイ。今でいう時間制のゲームバーみたいなシステムでした。そのゲームも最新作から旧作まで幅広く取り揃えられており、ゲーム少年少女にとっては夢のような場所でした。私がディスクシステムの『ゼルダの伝説』に取りつかれ、学級裁判にかけられた件の場所は、このお店です。

 

しかも、斜め前にあるオモチャ屋さんと競合しないように、その本屋が取り扱っていたのは中古ソフトだけ。新作は発売日からその店でプレイできるのですが、「新作はおもちゃ屋さんで買ってね」と、自作ポスターに書かれていました。でも、「遊び終わったソフトは当店に売ってね」とも。いい感じの共存関係が作られていたのでしょう。

 

子どもたちも、4500円クラスの高い出費となるゲームソフトの購買に失敗はできませんから、その本屋さんの30分ゲームで購買予定のゲームを実際にプレイしてみてから親にせがむ、という流れが作られていったのです。

 

賢明な読者のみなさんは察しがつくかもしれませんが、この本屋と玩具店の共存関係は長く続きませんでした。


なぜなら、本屋のほうが圧倒的に儲かるからです。オモチャ屋さんの話の時に在庫について触れましたが、近くの店で実際にプレイができるわけですから、子どもたちはハズレのゲームを買いません。結果、玩具店で売れるのは売れるゲームだけに。それ以外のソフトは在庫として残るようになりました。


いらなくなったゲームは本屋さんが中古で買い取り、新作よりも1500~2000円安い価格で売るので、やっぱりオモチャ屋さんの新作ゲームは売れません。また在庫が増えていきます。


一方、本屋はいつの間にか世界名作文集など教育にいい売れない商品を取り除き、教育に悪いゲーム攻略本のラインナップを充実させることに。中古ゲームを買う際にも「この攻略本があるとクリアできるよ」と、チキンナゲットのようにセット購入を勧めてきました。


ゲームが動くたびにすべて本屋さんにお金が入っていくわけです。うまい仕組みを考えたものです。しかし、富を独り占めする存在はムラ社会では疎まれるもの。そして業務内容も付け入られるスキが多かったのも事実です。


何があったか、明確なことは分かりません。でも、何かがあったのは確かです。圧力か。指導か。制裁か。そして、不思議なことに、たび重なる悲劇がこの本屋を襲います。

 

まず、小火さわぎがありました。

次に、経営者が入院しました(事故という噂)。

さらに、あれだけ盛況だった30分ゲームが急になくなりました。

さらにさらに、中古ゲーム買取販売が突然なくなりました。

新品の本が置けなくなりました。

気がついたら古本屋になっており、スタッフが総入れ替えに。

やがて閉店しました。

 

わずか半年~1年くらいの間の出来事です。一体何が起きたのでしょうか。子どもの頃は意味不明でしたが、大人になった今はなんとなく分かります。これは、深入りしちゃダメなやつだと。

 

本屋が機能しなくなったため、私たちはふたたびおもちゃ屋に入り浸るようになりました。以前、私たちにアルキメンデスをやたら勧めてきたおばちゃんが笑顔で笑いかけます。

 

「ゲームは新品が一番やで。中古に関わるとロクなことにならん」