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死者の街
ヒルク教国。
北大陸南西部に位置する四つの国の内の一つ──ヒルク教を信奉する者達が集う国。
大陸でも有数の大国であるレブラン大帝国と北の国境で接するものの、彼の国からの多大な干渉を受けずに発展してこられたのは、偏に二つの地形によるものだ。
一つは北大陸の内陸部まで深く切れ込んだ南西部を分断する内海、ビーク海。
そしてもう一つが険しい山並みが連なり、南東部を分断するルーティオス山脈。
そのルーティオス山脈の中の一つに希少なミスリル鉱床を有するアルサス山と呼ばれる山の裾野に広がるのが、ヒルク教国の首都である聖都フェールビオ・アルサスだ。
ここは現教皇がこの国の実権を握る前、この地を治めていたアルサス聖王国の首都でもあった街で、その歴史はかなり古く、趣のある建物が建ち並ぶ聖都中心部は内外から「古都」とも呼ばれ、それはこの街の住人の誇りでもあった。
この世界に於いて、一昔前の人の住む街は魔獣の被害や領土争い、権力闘争による戦火など、幾度も破壊され、焼失し、その風景を刻々と変える事が常であった。
しかし人族の世でヒルク教が布教し始めると、それに伴って権威を象徴する為の荘厳な教会を建築する技術が培われ、それがやがてヒルク教と共に各地へと広がり、優美でありながら堅牢な造りという、今の建築技術の基礎ともなった技術が各地に根付いていった。
その建築技術の中心でもあったこの聖都フェールビオ・アルサスの中心部は、初期に建築された建造物が数多く残っており、それらがこの古都の風景を創り出している。
中でも目立つのは古都の中心部に建つ一際高い荘厳な建物で、それはこの地に暮らす人々の信仰を一心に集めるヒルク教の大教会だ。
街の中心部に聳え建ち、幾本もの鐘楼塔を持つその大教会は、聖都の街壁の外からでもその壮麗な姿が覗ける程で、聖都を訪れた者の目を否が応無く引き付ける。
そんな美しい街並みが並んでいる筈の古都は、今や多くの建造物の装飾はあちこちが崩落し、一部は既に瓦礫の山と化すなど、かつての街並みは見る影も無くなっていた。
この地に在ってヒルク教を礎に繁栄してきた巨大宗教都市──聖都フェールビオ・アルサスの街中には人の姿は無く、人々の喧騒が消えたそこはまるで巨大な廃墟のようだ。
そんな静寂が支配する廃墟の中に、一際目を引く存在が立っている。
身長は遠近感が狂っていて正確には分からないが、五十メートル程はあるだろうか──周囲の建物がまるでおもちゃのような大きさで初めにそれを見た時、我が目を疑った。
それを一言で言い表すなら巨人だ。
南大陸で遭遇したのも巨人だったが、こちらの巨人に比べれば小人もいい所だ。
目を凝らして巨人の表面を見れば、幾体もの人間が数珠のように繋がり、それらが溶け合うようにして巨体を造り出している様は、かつて異形となったチャロス枢機卿の姿によく似ている。
恐らくあれらの巨人達の肉体を構成しているのは、この聖都に暮らしていた人々なのだろう。
街の住民の全てがあの巨人の餌食になったかどうかは不明だが、もし仮にまだ聖都内で隠れ潜んでいる者がいないとも限りない状況で、街ごと巨人を吹き飛ばすような事は慎んだ方がいい。
まさかヒルク教皇にこれ程までに巨大な不死者を造り出す力があったのは想定外だ。
サルマ王国の王都ラリサ解放に三日という時間を掛けたが、もしかするとその時間的猶予がこの悲劇的な怪物が生み出される要因になったのではないか。
しかし、今更そんな事をここで言っても仕方がない。
聖都フェールビオ・アルサスは壊滅した──それが目の前の事実なのだ。
ブラニエ辺境伯の陣頭指揮の下、サルマ王国の王都ラリサの解放は彼の領軍とエルフ族の戦士と刃心一族の助けもあって順調に進んだ。
平行してデルフレント王国の王都リオーネも不死者掃討と生き残りの救助が行われた。
王都リオーネの方は生き残りが少なかったのだが、王都ラリサは意外と多くの者達が不死者の手から逃れていたようで、かなりの数の生き残りを救出できた。
辺境伯の言によれば、それでも生き残ったのは街の人口の三分の一以下だろうという事だった。
生き残った人数が多いと言う事は、救出後の揉め事も相応に多く、特に生き残った貴族達の対処には手を焼かされたが、自国の大貴族であるブラニエ辺境伯が陣頭に立ち、有無言わせないエルフ族、獣人族の連合戦力がそれらの勢力を封殺して事なきを得た。
そんな王都ラリサの解放に充てていた戦力も、ヒルク教国の聖都攻略の為にほとんどの兵士や戦士を移動させたので、ブラニエ辺境伯を良く思わない連中が再び動き出すかも可能性があった。
ディラン長老はそれを見越して、治安維持に残ったブラニエ領軍の支援としてエルフ族の戦士を若干数、残してきたと言っているので恐らく大丈夫だろう。
不死者に街を占拠されていた時より、解放した後の方が管理が面倒になるなど、人の敵はいつの世も人なのだなと妙な納得をしてしまった。
あの王都ラリサの解放をディラン長老の言葉通り二日で行い、翌日を休息日にしたその日、自分は以前と同じくフェルフィヴィスロッテの背に乗ってヒルク教国の首都を目指した。
部隊の転移移動の為の座標設定が目的であったが、敵情視察という意味合いもあった。
その時に訪れた際の聖都は、近郊から街壁を望む程度の様子見であったが、今のような巨人が街中に立っている様子はなかった。
あれ程の巨体であれば聖都の街壁外からでも十分に目視できた筈だ。
ヒルク教皇の力がどれ程のものかは不明だが、あれだけの巨体の化け物を生み出すのに、一日掛からずに生み出せるというは、なかなかに考え難い。
それが可能であれば、デルフレント王国に教皇が居た時点で、あの街の住人達を今のような巨人に造り変えてしまえば、今後の侵攻も随分と楽になっていた筈だ。
考えられるとすれば──、
聖都に【転移門】の座標設定をしに訪れた際、ヒルク教皇にできるだけ此方の動きを悟られないように、聖都付近に到る手前でフェルフィヴィスロッテの背から降りて、そこから地上を転移魔法の【次元歩法】を使って街の近郊まで移動したのだ。
その為、上空から街の様子を偵察する事ができずに、街壁の外から遠目に街の様子を確認するにとどまったが、その時に見た聖都は街壁外に無数の不死者が跋扈し、壁の向こう側を覗く事は叶わなかった。
あの時、巨人はまだ地下か、身を伏せた体勢でいたのかも知れない。
《うちも長い事生きてきたつもりやったけど、あんな気持ちの悪いもん見たんは初めてやわ……》
そう言って喉の奥から不快げに、それでいて威嚇するような唸り声を上げたのは、眼下の巨人をも上回る巨体を有した龍形態の龍王、フェルフィヴィスロッテだ。
今自分が居る場所はフェルフィヴィスロッテの背中の上で、彼女には聖都攻略の直前に聖都の偵察の為、上空をこうして旋回して貰っていた。
龍王は本能的に不死者を嫌う傾向があり、彼女は眼下に立つ巨人の姿に明確な嫌悪を表して、いつになく不機嫌そうだ。
その巨人は、遠目から見ればまるで皮膚が爛れたような姿に見え、それが聖都の街中に二体──立ったままの姿で僅かに首を巡らせて、此方の動きを追うような動作を見せている。
顔の部分の目と口にあたる箇所にはまるで木の洞のような大穴が開いており、人の肉によって形成された生々しい身体でありながら、表情はまるで無機質な仮面のような姿は不気味以外のなにものでもない。
「何ともぞっとしない姿であるな……」
「きゅん! きゅん!」
聖都の街中にのそりと佇むその人肉の巨人を見下ろしながらそんな感想を呟くと、首元に巻き付いているポンタも威嚇するように巨人に向かって鳴く。
「もう少し寄って街中の様子を見たいが、巨人の対空能力が未知となれば、あまり迂闊に近づく事はできんな……フェルフィヴィスロッテ殿──」
これ以上、上空から観察して得られるものはないと判断し、一旦皆の所へ帰還しようと声を掛けようとすると、彼女は大きく翼を傾けてその高度を下げ始めた。
《ほなら少し様子見に下りるさかい、しっかり掴まっときや》
フェルフィヴィスロッテはそう言って有無を言わせぬ形でどんどんと高度を下げ、やがて巨人の姿は徐々に自分の視界の中で大きくなっていく。
と、此方のそんな動きを察知してか、巨人の顔が此方を補足し、その木の洞のような口部分に相当する穴から黒い球体のようなモノが発射された。
ドヒュ!!
《っ!?》
発射された得体の知れない黒い球体は巨人の身体に比例して大きく、鈍い音と共に吐き出されたソレが真っ直ぐにフェルフィヴィスロッテと彼女に乗る自分へと向かって飛んで来る。
フェルフィヴィスロッテはそれを巧みに躱すが、外れた黒い球体はそのまま放物線を描いて遥か後方の土地に着弾すると、その周囲一帯が何やらどす黒い“何か”に侵食されて、周囲を異様な景色へと変化させた。
当たればタダでは済まなそうだと、その光景を目の当たりして思わず首を竦めて身震いしていると、同じくその光景に目を奪われていたフェルフィヴィスロッテが驚愕の声を上げた。
《死の穢れを直接撒き散らすなんて、聞いた事ありまへんえ!?》
彼女が口にした“死の穢れ”はエルフ族が不死者を見分ける際に見る、不死者が放つ特有のオーラのようなものらしいが、今まで自分はそれを見る事はできなかった。
しかし、巨人が放った黒い球体は、自分の目にも明確に見える上に、さらに着弾した際の周辺の変化は誰の目にも明らかだ。
普段見る事のできないような“死の穢れ”が自分の目にも視えるという事は、単純に考えてそれが通常より濃いという事を表しているのではないか。
もしそんな強力な“死の穢れ”に接触してしまえばどうなるか──実際に試したいとは思わない。
そんな想像していると不意に首元に巻き付いていたポンタが此方の注意を促すように鳴き始めた。
「キュン! キュン!」
ポンタのその鳴き声に促されるように後方に向けていた視線を前方へと戻すと、巨人がその巨体をゆっくりと動かし、足元の街並みを破壊しながらさらに黒い球体を此方に向けて放ってきた。
ドヒュ!! ドヒュ!! ドヒュ!!
連続で繰り出されるその黒い球体は、高度を下げていたフェルフィヴィスロッテへと向かって次々と放たれ、それを躱そうとフェルフィヴィスロッテが空中で華麗な身のこなしで躱す。
しかし、その急激な制動に背中に乗って張り付いているだけの自分は、堪らず彼女の背から手が離れて空中へと放り出されてしまった。
「ぬぅぅぅぅぅぁあぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「きゅ~~~~~~~~ん!!」
放り出された時の衝撃でくるくると回転しながら地面へと向かって落下していくのを感じて、何とかして体勢を立て直して、地上のどこかに転移魔法で移動しようと試みる。
しかし高速で錐揉み状態ではなかなか転移先の照準が捉えられず、だんだんと地上が迫って来るのを感じて最後の足掻きをしようとした瞬間、横からの襲撃に襲われて、辺りに視線を向けると丁度目の前にフェルフィヴィスロッテの爬虫類のような縦長の瞳孔と目が合った。
《アークはん、ほんますんまへんな。とりあえず向こう戻るまでの間、我慢しとくれやす》
そう言って語るフェルフィヴィスロッテに自分はどうやら空中で見事咥えられたようで、傍からみれば巨大なドラゴンに喰われている最中に見えなくもない状況になっていた。
今回は流石に肝を冷やしたと胸を撫で下ろすが、巨人の攻撃の脅威は終わっていない。
二体の巨人は巧みに連携しながら、黒い球体をフェルフィヴィスロッテの進路に割り込ませるように放ち、彼女を容易に上昇させる隙を与えないという見た目とは裏腹に高度な戦いを仕掛けているようだった。
フェルフィヴィスロッテの方も時折、以前に闘技場で戦った際に見せた光球を幾つか生み出し、それを巨人へと向けて放って黒い球体の迎撃と、巨人への攻撃を試みている。
巨人へと着弾した龍王の光球は相手の身体の一部を吹き飛ばしはするが、すぐにその穴を埋めるように巨人の体内から幾人もの人間が湧き出し、攻撃で開いた大穴を埋めていた。
どうやら高い再生能力を有しているらしい。
黒い球体への攻撃は、龍王の光球と相殺するなど威力はかなりあるようで、二体の巨人による黒い球体の波状攻撃はフェルフィヴィスロッテを以てしても凌ぐのに苦労している。
やがて追撃に放たれた幾つもの黒い球体の一つが躱せない軌道を描いて飛んでくるのを見て、咄嗟に彼女に向けて魔法を発動させた。
「【聖光の加護】!!」
その魔法が発動と同時に自分を中心に眩い光が溢れて、それが彼女の身体全体を覆うと、僅かに光る膜のようなものが形成されて、彼女自身が微かに発光したような姿になる。
次の瞬間、フェルフィヴィスロッテに迫って来ていた黒い球体が彼女の横腹に激突し、何かが弾けるような感触と共にその黒い球体が霧散して、彼女が大きく翼をはためかせた。
黒い球体がフェルフィヴィスロッテに着弾する際、巨人達は僅かに動きを緩め、その足が止まった一瞬の隙を突いて彼女は一気に上空へと昇って、二体の巨人から距離を取るように旋回した。
どうやら射程圏外へと逃れられたのか、やがて巨人の攻撃が止んだ。
その巨人の足元は、先程の攻防で巨人が街中を動き回ったおかげで瓦礫の山が築かれており、もしあの中に生存者がいても助かる道はなかっただろう事が窺える。
厄介な敵の存在に眉根を寄せていると、不意にフェルフィヴィスロッテが声を掛けて来た。
《アークはん、さっきのほんま助かったわ》
フェルフィヴィスロッテはやれやれといった雰囲気で巨人に向けていた警戒心を解き、咥えたままの此方に視線を合わせて礼を述べてくる。
【聖光の加護】、周囲の仲間に対して呪耐性と闇耐性を付加する聖騎士の補助魔法を咄嗟に掛けたのだが、彼女の平気そうな様子から見てどうやら効果があったようだ。
効果があったのは呪耐性の方だろうか。
“死の穢れ”を具象化して攻撃する技など、如何にもそれっぽいと言える。
ただ魔法の効果だと思われる身体全体を覆う薄い光の膜が巨人の一撃を受けただけで既に掻き消されたようで、彼女の身体は通常の状態に戻っていた。
「我の【聖光の加護】であの穢れの塊を一度はやり過ごす事ができたが、どうやら一度あの攻撃を受ければ掻き消されてしまうようだ」
眼下に立つ二体の巨人は、その何も映さない木の洞のような穴の開いた不気味な顔を空を飛ぶ此方に向けてその視線が追い掛けてくる。
間違いなく聖都攻略の上でもっとも障害となる存在になるだろう。
あの黒い球体を放つ攻撃も、並みの者なら一撃を貰っただけであの世へ逝ってしまいそうだ。
《一撃でも防げるなら大したもんどす。あれの相手はうちとウィリはんが受け持つよって、アークはんらはあの気分の悪いもんを造り出す元凶を倒してくれはります?》
フェルフィヴィスロッテは眼下に見える不気味な巨人に心底嫌そうな視線を向けながら、此方にそんな提案をしてきた。
確かにあれの相手をできるのは彼女ともう一人の龍王ぐらいだろう。
天騎士で対抗する事も考えたが、フェルフィヴィスロッテらと共闘する場合、天騎士の殲滅攻撃が彼女らを巻き込む可能性が高く、かと言って一人であの巨人二体を相手取るのはかなり厳しいという判断だが、何より聖都を完膚なきまでに更地にしてしまう可能性が高いというのが主な理由だ。
街への被害で言えば、巨人が街中を歩く際の破壊の方が軽微で、生存者が生き残る可能性がまだあるが、天騎士の破壊の後ではそれを望むべくもないだろう。
自分はそのフェルフィヴィスロッテの提案に頷いて返すと、聖都近郊に待機している部隊の下へと一旦戻るように彼女にお願いし、彼女はそれに快く了解してくれた。
彼女が大きな翼をはためかせ、真っ直ぐに目的の場所へと向かうのに身を任せながら、自分は今回の巨人への対策を講じる算段など、聖都の攻め方を協議する必要性を認識していた。
そして肝心のヒルク教皇の姿が見えなかった事も問題だと、腕を組んで唸る。
相手の本拠地であろうヒルク教国の中枢、それを放り出して逃走するだろうか。
教皇の性格が不明な為、もしかすると既に聖都にいない可能性もあるが、あのまま巨人──不死の巨人としか言いようのない存在を放置しておく事もできないだろう。
いずれにしても聖都を不死者の手から解放する必要性がある。
そんな事を考えながら自分はフェルフィヴィスロッテに咥えられた姿のまま、聖都フェールビオ・アルサスの近郊、南東部に待機する仲間の下へと戻った。
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