プロフィール

ニックネーム:
なるみん
血液型:
ガタガタ
出身地:
群馬県
お住まいの地域:
茨城県
未既婚:
未婚
出没地:
近所のスーパー
出身校:
高卒
ホームページ:
http://ameblo.jp/narumin500/

Q & A

定番

最近ハマっているものは?:
Egirls命
ブログの更新頻度は?:
毎日
座右の銘は?:
他人の立場になって考える

好き嫌い

好きな女性タレントは?:
ミポリン、ごくみ、鮎川真理
好きなアーティストは?:
ミュシャ
好きな雑誌は?:
ラジオライフ
好きな映画は?:
グリース、サタデーナイトフィーバー
好きな曲は?:
バイバイベイビー(青山KING&QUEENで唯一曲名を覚えた
好きな色は?:

その他

何をしている時が幸せ?:
読書
どうしてもこれだけは譲れないものは?:
巨乳
世界最後の日、あなたは何をしていますか?:
その時のまま
今一番欲しいものは?:
ダンスが踊りたい
今、旅行でいきたいところは?:
70年代の原宿ホコ天
1ヶ月毎日食べるとしたら何?:
チャーハン
○○依存症です:
覚せい剤依存症

自己紹介

覚醒剤,危険ドラッグ,止められない君に贈ります




先日紹介した「新薬物ガイドライン」を我が国初薬物依存症療法スマープを開発した松本医師のコメント記事をそのままUPする。

松本医師とは何度かあっており松本医師は今我が国の精神科医で最も薬物対策に力を入れている精神科医の先生だ、中々イケメンでしょww

松本 俊彦 (まつもと・としひこ)

 国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部 部長
 1993年、佐賀医科大学卒業。横浜市立大学医学部附属病院精神科助手などを経て、2004年に国立精神・神経センター(現、国立精神・神経医療研究センター)精神保健研究所 司法精神医学研究部室長に就任。以後、同研究所 自殺予防総合対策センター副センター長などを歴任し、2015年より現職。日本アルコール・アディクション医学会理事、日本精神科救急学会理事、日本社会精神医学会理事。
 


辱めは薬物犯罪を減らせるか――イデオロギーか、サイエンスか

薬物事件報道ガイドライン

 今年の1月末、私は、薬物依存症の当事者や家族、支援者とともに、厚生労働省の記者クラブでメディア関係者に薬物事件報道ガイドラインを提案させていただく機会を得ました。
 この活動に参加したのは、昨年、芸能人・著名人の薬物事件が相次ぐなかで、異様なまでに過熱した報道が、薬物依存症治療の現場に無視できない影響をおよぼしていると痛感する出来事があったからです。

 たとえば、ワイドショー番組では、タレントに逮捕された人の業績を辱めるようなコメントをさせ、街頭インタビューの「がっかりした」「ファンをやめます」という声を拾いつつ、事件を報じました。すると、番組を 観み た薬物依存症患者の多くが、強く自分を責めるとともに社会における居場所のなさを痛感し、治療意欲を失ったのです。それだけではありません。番組で流される「注射器や白い粉」のイメージカットを目にした患者のなかには、遠のいていた渇望が目を覚まし、薬物を再使用してしまった人もいました。
 「回復を目指して頑張っている患者の足を引っ張らないでほしい」――そのような思いから、薬物事件報道ガイドラインの必要性を感じたわけです。
 幸い、私たちの主張は記者の方々にはおおむね理解が得られ、いくつかの新聞で記事にもしていただきました。しかし、一部からは批判もありました。 曰いわ く、「どうせ治らない薬物依存症の治療に力を入れるより、新たに薬物依存者を作らないことに注力した方が効率的ではないか。それには、取り締まりの強化に加え、薬物犯罪をおかした人への社会的制裁こそが抑止力となるのではないか」。
 なるほど、と思いました。これが一般人の率直な感想なのでしょう。
 実際はどうなのでしょうか。社会的制裁という、「辱め」と「共同体からの排除」は、薬物犯罪の防止に有効なのでしょうか。
薬物戦争敗北宣言

 国内メディアは不思議と取り上げませんが、いま世界中の多くの国が、かつての薬物依存症者を辱め、排除する政策を反省しています。
 歴史的に見ると、最初に「辱めと排除の政策」をとったのは米国でした。1971年、ニクソン大統領は、ニューヨーク市における薬物乱用者の増加を憂い、「米国人最大の敵は薬物乱用だ。この敵を打ち破るために、総攻撃を行う必要がある」と述べ、薬物犯罪の取り締まり強化と厳罰化という「薬物戦争War on Drugs」政策を開始したのです。
 



その結果はどうだったでしょうか。
 統計データが明らかにしたのは、実に皮肉な結果でした。取り締まり強化に莫大な予算を投じたにもかかわらず、世界中の薬物消費量は増加の一途をたどり、薬物に関連する犯罪やそれによる受刑者、そして死亡やHIV感染症などの健康被害が激増したからです。そして、厳しい規制が闇市場に巨大な利益をもたらし、かえって反社会的組織を大きく成長させてしまっていたのです。
 こうした検証結果を踏まえ、「戦争」開始から40年を経過した2011年、薬物政策国際委員会(各国の元首脳などからなる非政府組織)は、ある重大宣言をしました。それは、「薬物戦争にもはや勝利の見込みはない。この戦争は完全に失敗だった」という敗北宣言でした。さらに同委員会は各国政府に、薬物依存症者に対しては刑罰ではなく医療と福祉的支援を提供するよう提言をしたのです。
 世界保健機関(WHO)もこの動きに呼応しました。2014年に公表したHIV予防・治療ガイドラインのなかで、各国に規制薬物使用を非犯罪化し、刑務所服役者を減らすよう求めるとともに、薬物依存症者に適切な治療、および、清潔な注射針と注射器を提供できる体制を整えることを提案したのです。
 要するに、「辱めと排除」による薬物犯罪の防止は、いまや国際的には時代遅れとなっているわけです。


ポルトガルの薬物政策

 こうした提言の背景には、ポルトガルが行った大胆な薬物政策の成功がありました。
 2001年、ポルトガル政府は、あらゆる薬物の少量所持や使用を許容することを決定しました。これは「合法化」ではなく「非犯罪化」です。つまり、薬物を使用する人たちを刑務所に収容して社会から排除するのではなく、依存症治療プログラムや各種福祉サービスの利用を促すとともに、社会での居場所作りを支援し、孤立させないことを積極的に推し進めたのです。
 
具体的には、薬物依存症者に対する就労 斡旋あっせん サービスの拡充、薬物依存症者を雇用する経営者への資金援助、さらには、起業を希望する薬物依存症者への少額の融資などです。いいかえれば、これまで薬物依存症者を辱め、社会から排除するために割いていた予算を、逆に彼らを再び社会に迎え入れるために割り当てたわけです。
 
この政策は決して気まぐれな思いつきから立案されたものではありませんでした。たとえば、家族や友人とのつながり、仕事や社会の温かさが薬物依存症からの回復を促進すること、そして、若者を犯罪者として矯正施設に収容すると、その後の犯罪リスクが高まるといった、れっきとした科学的知見にもとづいたものでした。
 
もちろん、反対意見もありました。それは、「非犯罪化によって、より多くの若者たちが薬物に手を染め、治安の悪化を招くのではないか」という懸念です。しかし、最終的にポルトガル政府が選択したのは、科学的知見にもとづく対策でした。
 結果的に、この実験的政策は劇的な成功をおさめました。政策実施10年後の評価において、ポルトガル国内における注射器による薬物使用、薬物の過剰摂取による死亡、さらにはHIV感染が大幅に減少し、治療につながる薬物依存症者は著しく増加しました。しかし、何よりも最も重要な成果は、10代の若者における薬物経験者の割合が減少したということでしょう。
 ポルトガルの成功が意味するのは、薬物問題を抱えている人を辱め、排除するのではなく、社会で包摂すること、それこそが、個人と共同体のいずれにとってもメリットが大きい、という事実です。
まちがいだらけの薬物乱用防止教室

 思うに、わが国の敵意に満ちた薬物事件報道を成立させているのは、発信する側・受信する側の双方が持つ、薬物依存症に関する誤った知識と偏見です。そして、それを植え付けられたのは、おそらく学校における薬物乱用防止教育ではないでしょうか。

 私自身、それに携わってきた者として反省を込めていうのですが、薬物乱用防止教室は 嘘うそ が多すぎます。たとえば私自身、「薬物は1回やったら脳が記憶し、薬物の快感が忘れられなくなる」といった話をよくしてきましたが、だとしたら、なぜ重篤な外傷や手術後の痛みに対して麻薬を投与されても、多くの患者は依存症にならないのでしょうか?(実は、依存症になる少数の患者は、体とは別に「心」にも痛みを抱えています)。
 
また、 檻おり に閉じ込められたひとりぼっちのサルに覚醒剤を強制投与し続けると、死ぬまで薬物を使い続ける、という乱用防止教室の定番ネタがありますが、人間はそんな薬物の使い方はしません。孤独に悩む人間が仲間に誘われて、少なくとも最初のうちは仲間との絆を深めるために、仲間とともに薬物を使います。しかも、動物実験で投与される薬物の量は、大抵、人間に換算するとあり得ないほど大量であり、死ぬのは当然です。人間は、少量から慣らしながら徐々に量や頻度を増やしていきます。
 それから、乱用防止教室では、アルコールの危険性が過小視されています。アルコールの有害性については、2010年に英国の神経薬理学者デビッド・ジョン・ナットが『ランセット』誌に発表した有名な研究によって、「様々な薬物のなかで自己および他者に対して最も有害な薬物は、アルコールである」という結論が出ています。
 実際、その通りなのです。すべての依存症患者のなかで内臓障害や脳萎縮が最も深刻なのは、アルコール依存症患者です。アルコールはまた、暴力事件やドメスティックバイオレンス、児童虐待、さらには交通事故にも影響を与えています。それにもかかわらず、多くの人にとって薬物=暴力という印象が強いのは、飲酒下の暴力事件はあまりにもありふれていてニュース・ヴァリューが低い、という報道バイアスによるものです。
 もちろん、薬物が安全だとは少しも思いませんが、薬物の有害性についてもっと中立かつ公平な知識を持つ必要があります。

イデオロギーか、サイエンスか

 妙なたとえ話かもしれませんが、かつて日本で「ヘアヌード解禁」をめぐる議論がなされたとき、反対派の人たちは、自らの倫理観や男性観という一種のイデオロギーにもとづいて、「そんなことをしたら男たちが欲情し、公序良俗の規範が乱れる」と主張しました。しかし、あれから20年以上経過したいま、国内で性犯罪が増加したという事実はなく、むしろ、若い男性の「草食化」や夫婦間のセックスレスが問題となっています。その意味では、この種の問題はなにも薬物に限った話ではないのかもしれません。
 
以前も話したことがあるよね依存症の反対語は「素面」じゃない「絆」だって
I think all along we should have been singing love songs to them, because the opposite of addiction is not sobriety. The opposite of addiction is connection.


薬物が禁止されてから100年

長い間、私は薬物依存症について考えてきました。
薬物がアメリカとイギリスで禁止されてから、ちょうど100年が経過しました。
他の国でも同じように薬物を禁止するよう、アメリカとイギリスは働きかけてきました。
依存症患者を取り締まり、罰を与え、苦しみを与えるというこの重大な決断から、すでに一世紀が過ぎました。
このやり方で依存症患者を減らせる、と私たちは考えました。
なぜなら、薬物を使い続けるよりも、やめた方が得だからです。

ある日、私の大好きだった人たちが、依存症になってしまいました。
数年前、私は彼らを助ける方法が無いか探し始めました。
そして私は気付いたのです。
信じられないほど基本的な事柄でさえ、私には正しい答えが分かっていない、という事に。
例えば、
「依存症の本当の原因は何なのか?」
「なぜ私たちは、効果が無いように見える対処法を、いつまでも続けているのか?」
「他により良い対処法は無いのか?」

このような問いに対する答えです



薬物についての一般常識は間違っている?


まずは、現在の一般常識から始めましょう。私が旅に出る前に持っていた知識です。
この真ん中の列の皆さん、想像してみてください。
今から20日間、どこかに消えてヘロインを1日に3回使い続ける、と。
みなさんのうちの何人かは、この妄想を心から楽しいと感じているようですね。

大丈夫ですよ。ただの実験ですから。
想像できましたか?何が起こったでしょう?
この100年間、私たちが聞かされてきた話はこうです。
ヘロインには化学的依存物質が含まれていて、長期間使い続けるとやめられなくなり、体そのものがヘロインを欲するようになる。
そういう話でした。
20日間もヘロインを使い続ければ、間違いなく依存症になってしまうだろう。
私たちはそう考えます。
もしかしたら、この考えは正しくないのではないか、と私は思いました。
例えば、私がこの会場から外に出て、車にはねられて、腰の骨を折ったとしましょう。

私は病院に運び込まれ、ダイアモルフィンを大量に投与されるでしょう。
ダイアモルフィンはヘロインの一種です。
街角で売人から買う事の出来るヘロインよりも、ずっと質の良いヘロインです。

売人が売っている薬は状態が良くないですから。
じっさい、ストリートで売られているヘロインは、ヘロインと呼ぶに値しないようなものばかりです。

一方、病院でもらえる薬は、医学的に100%純粋なヘロインです。
治療の間、私はその薬を長期間使い続ける事になります。
この会場にも、入院中に薬を多量に摂取した人がいるかもしれません。
その薬がヘロインの一種だとは気付かなかったと思いますが。
このスピーチを見ている世界中の皆さん、これが現実なのです。
私たちが依存症について知っている事は、「薬を使い続けた人間はみんな依存症になる」という事です。
もし、この説が正しければ、病院では一体何が起こるでしょう?
病院は依存症患者だらけになってしまいます。
そのため、医療用薬物は真剣に研究されてきました。
結果的に、病院で依存症患者が発生する事態は起こりませんでした。
腰の治療のために入院したおばあさんが、依存症患者になって退院してきたら、誰だってびっくりするでしょう。

「ネズミ公園」の実験



この事を知って、私はとても奇妙な感覚に陥りました。
私が聞いてきた話と、つじつまが合わないからです。
「そんはなずはない」と思っていました。
ブルース・アレクサンダーという人物に会うまでは。
アレクサンダーさんは、バンクーバーに住んでいる心理学の教授です。
薬物や依存症に関して、面白い実験を行っています。
彼の実験のおかげで、私は物事を理解できるようになりました。
アレクサンダー教授は私に説明してくれました。
私たちの依存症に関する知識は、20世紀初めの頃のいくつかの実験によって支えられている、と。
実験はとても単純なものです。
自宅で、誰でもおこなえるようなものです。ただし、少々サディスティックな性格が必要ですが。
まず、ネズミをカゴに入れます。
それから二つの水ボトルを準備します。
一つのボトルは、ただの水です。
もう一つは、ヘロインやコカインを混ぜた水です。
すると、ネズミはほぼ毎回、薬入りの水を飲むようになり、すぐに死んでしまいます。
ほらね?
これが私たちのドラッグに対する常識です。
1970年代になって、アレキサンダー教授は、この実験に違和感を感じました。
彼は、「ネズミをなんで空っぽのカゴに入れるんだ?」と思いました。
ドラッグをやる以外に何もすることがないじゃないか、と。
彼はやり方を少し変えてみました。

アレキサンダー教授は、「ネズミ公園」と名付けたカゴを作りました。
それはネズミたちにとって、楽園のようなものでした。
たくさんのチーズが置いてあり、色のついたボールがたくさん用意してあって、そこらじゅうに遊んだり隠れたりするためのトンネルがあります。
何よりも、そこにはたくさんの友達がいました。
セックスだって、好きなだけできます。
もちろん、二種類の水ボトルも用意しました。
ただの水と、ドラッグ入りの水です。
すると面白い事が起こりました。
ネズミ公園では、ドラッグ入りの水は全く人気がありませんでした。
ほとんど一匹として、ドラッグ入りの水を飲もうとしませんでした。
強迫的にドラッグ入りの水を飲むネズミは、一匹もいませんでした。
ドラッグの多量摂取で死んでしまうネズミは、一匹もいませんでした。

孤独な状況では、ネズミはほぼ確実に薬の飲み過ぎで死んでしまいます。
しかし、幸せで仲間が近くにいる状況では、ネズミが薬を飲みすぎてしまうという事態は起こりませんでした。



もし、依存症の原因が化学物質以外だとしたら?
依存症の原因が「カゴ」だったとしたら?
依存症が、周囲の環境に対する「適応方法」の一つだったとしたら?

「依存症」という呼び方は正しくない

オランダにピーター・コーエンさんという教授がいます。
彼は、依存症という呼び方自体がもはや正しくない、と言いました。
「絆」と呼ぶべきだろう、と言いました。
人間には生まれつき、絆を求める本能があります。
幸せで健康な状態であれば、人々はお互いに絆を深め、つながっていきます。
しかし、絆を持てない人々もいます。
心に傷を持っていたり、孤立していたり、人生に絶望していたりする人々です。
このような人々は、安心を与えてくれる何か別のモノと、絆を深めるのです。
それはギャンブルかもしれません。アダルトビデオかもしれません。コカインかもしれません。大麻かもしれません。

これらの物とつながってしまうのは、私たちの本能なのです。

人間としての欲求なのです。

最初、私にはこの考えが理解できませんでした。
しかし、ある方法で私の理解は深まりました。
私は自分の席に水ボトルを置いてきてしまいましたが、皆さんの多くは水ボトルを持っています。

ドラッグの事は、ひとまず忘れてください。
麻薬との戦いは、いったん脇に置きましょう。
皆さんの持っている水ボトルが、ウォッカのボトルだったとしたらどうでしょう。
お酒は、麻薬とは違って合法的なものです。
私たち全員、べろんべろんに酔っぱらってしまいますよね。

でも、実際のところ私たちは酔っぱらっていません。
このイベントに参加するためにたくさんのお金を使う事のできる皆さんの事です。
ウォッカをこれから半年間、毎日飲み続けるくらいは簡単でしょう。
それでも、皆さんはホームレスになることは無いでしょう。
皆さんはそんな事はしないでしょう。
なぜなら、誰かが皆さんを止めてくれるからです。
皆さんは、必要な絆とつながりを持っています。
愛する仕事を持っています。
愛する人がいます。
健全な人間関係を持っています。
依存症の根本的な原因は、人生に対する不満です。
私はそう考えるようになりました。
実証結果も、この考えを支持しています。




覚醒剤、危険ドラッグ、止められない君に贈ります

覚せい剤,覚醒剤や脱法ドラッグ,危険ドラッグを止められない君に贈ります

ネットおよびネット以外での俺の行動指針を定める


1.自分自身がに覚せい剤の自己使用、及び所持、譲渡は一切しない事をここで閲覧者全員の前で誓う

そして自己使用をした時点ですべてネット上の俺が自分で発信した情報を消し、今後ネット上に俺は一切登場しない事もここで誓う。

(これで、俺がもう言い訳もできないということで俺自身を最終的に追い込む必要と、きれいごとを書いていないという俺自身の頭と行動の矛盾が解消される)

2.覚せい剤、危険ドラッグの販売等に携わる者との関係をここで一切絶つことを誓う、また、自分自身がそれに携わる事も一切しない事を誓う

(これで、この俺が近づいていくときも、相手から近づいてきても、違法薬物を欲っして来る、また欲しくていく事に対しての相互警戒というバリアを張らないでいいし、相手にも無用な心配をかけなくていい)

3.犯罪を教唆するような記事は一切書かない事を誓う。また、今後は個人を特定したような批判記事は書かない事も併せて誓う。
(これも、俺が上から目線で今後も記事を書く上で絶対的に必要な事でね)



上記3を本日平成25年10月8日にこのブログ「覚せい剤、危険ドラッグ止められない君に贈ります」を書いている私の行動指針としてここに誓います
 



執筆3年以上

TwitterのID narumin50000


本名 江原成彦 53歳 金星人- A型

身体障碍者手帳4級(左下肢麻痺、膝関節拘縮、右大腿部偽関節)

生まれ 群馬県 前橋市 前橋保育園
土浦第一小学校

土浦第一中学校 茨城県成績5位以内 生徒会副会長

土浦第一高等学校 駿台模試全国1位

大学中退=最終学歴高卒

IQ120 偏差値75 共通一次試験930点

覚せい剤使用履歴 30年 1.8kg 末端価格1億円以上



前科5犯前歴12犯



ナイトヨコハマ(ホスト)

マネーショップルック(金融)

SMクラブ クィーンズグループ

カジノバーガネーシャクラブ

サラリーマン(MR,顧客販売)

介護職(訪問、施設、GH)






一般資格 

簿記1級、英検1級、福祉住環境コーディネーター1級、漢字検定準1級
FPプランナー2級 DCプランナー2級 介護職関連(精神障害ヘルパー等、実務者研修)英文タイプA級、商業ワープロ1級

国家資格

一般旅行業務取扱主任者 行政書士 介護福祉士





Max Coveri - Bye Bye Baby



深川通り魔事件


 なるみん チンピラ



なるみん フレンド




任侠ヘルパー サクラはここにあるだろう


下妻物語 乱闘シーン
今日はあたらの勝って事で




アメリカドラッグコート


HERO キムタク 覚せい剤は一寸道を踏み外しただけ?



紅殻のパンドラ 攻殻機動隊バージョン なるみん




攻殻機動隊 主題歌 インナーユニバース



後最後に攻殻機動隊SAC1の主題歌の「インナーユニバース」の歌詞の意味をUPして­終わりますね
英語とロシア語の翻訳だけど、俺が邦訳させてもらった。ドラマに合致した名邦訳であろう



     
     ドキドキ題名「ネットの彷徨」ドキドキ

    
インナーユニバース

邦訳 なるみん

「ネットの彷徨」


天使と悪魔が電脳化世界を飛び回り
無数のイバラの道と銀河が交わった時
幸せを知らないのは呼びかけを理解できなかった
人々だけ

ゴーストがささやきが呼んでいる
自分のただ一つのデバイスであり続けること
ゴーストのささやきが私を
呼んでいる深く求める場所から   
義体でも自分の身体である証明

一人立って思う、 
「生きることに、意味があったのは、いつ?」
ここに立って思う、 
「本物も本当も、もう存在しない。」

果てしなく走り続ける
生きてゆくかぎり
義体の私にできるのは
電脳世界から出ることなく飛び続けること
夢見ること、
愛することを忘れないこと

呼んでいる ネットの海より 
大切なことが分かる場所
ゴーストのささやきが呼んでいる
電脳が残してくれたものから 
決して目をそらさない
あこがれて…残された愛に希望を…
ゴーストのささやき
ずっと自分であり続けること
  
ゴーストのささやきが呼んでいる
自分のデバイスであり続けること
電脳化世界が呼んでいる
ネットの海を果てしなく走り続けて





攻殻機動隊GIG RISE ナルミン翻訳ね

涙は見せるな
苦痛が遠く過ぎ去る日まで
己の足で立ち上がり
私と共にあれ
我らは戦士
立ち上がれ さもなくば待つのは死のみ

恐れは見せるな
己の任務をこなすのみ
審判の日まではすべて無意味だ
確実に進め 伸びやかに
私の後に続け
今こそ その身を捧ぐ時
戦わずして我らに明日はない

私は戦士 戦うために生を受けた
この地獄を彷徨い歩く
想像を絶する目撃者

己のために祈るがいい 我らは忘れない
嘘 裏切り そして迫害された者たちを
私に真実であるための力を与えよ
人々よ 共に炎に立ち向かえ
さもなくば 我らは全てを失うだろう














なるみん

上に戻る

ブログ記事・有名人ブログ・友達を探す