仕事への魂の衝動

先日テレビを見ていたら、家で食事もきちんと食べることができない子供たちに、ボランティアで自宅を解放して、無料で食事を提供している人々が紹介されていました。

 

その活動をしている男性は、夜勤で仕事をしながら、そこで得たお金を運営費に回しているそうです。

 

そして、夕方から夜にかけては、ボランティアで子供たちの面倒を見て、ボランティアスタッフの人たちと食事を提供しているということでした。

 

もちろん、国からの補助金などは無いようでした。

 

 

私は、それを見て、奉仕の域を超えているなと思いました。

 

通常、奉仕やボランティアというのは、無償で労働を提供するということです。

 

しかし、その場合、労働とともにお金まで提供するということは、ほとんどないと思います。

 

もちろん、被災地などにボランティアに行く場合、交通費や宿泊費などの経費は自己負担をするのかもしれませんが、ボランティア活動に必要な運営費まで負担する人は、いないと思います。

 

お金を払って、なおかつ労働も無償提供するというのは、普通ではあり得ないことですが、そういうことをしている人たちがいるのです。

 

菩薩のような人たちだと思いました。

 

 

なぜ、そういうことができるのでしょうか。

 

きっと何か使命感に突き動かされているのではないでしょうか。

 

助けたい、役に立ちたいという強い想いがなければ、こんなことはできないと私は思いました。

 

 

そういう人たちを見ると、私も何か突き動かされるような衝動を感じます。

 

私の活動も、割りに合わない活動です。

 

これを仕事だと思ったなら、コンビニなどでアルバイトをしていた方が何倍もの時給になります。

 

それでも長年続けてきたのは、自分なりの使命感や強い想いがあったからです。

 

ただ、本当に人生に苦しみ、スピリチュアルというものに失望した時もありました。

 

それでも、その失望の彼方に、私が命をかけても伝えたい何かがあると思ったから、こうして活動を続けています。

 

 

その彼方にあるものは、まだはっきりとした形にはなっていません。

 

最近、小説を書き始めたのは、その漠然とした何かを表現できるのではないか、と思ったからです。

 

そういう意味では、いつか小説を執筆することが、私が命がけでやりたいことになっていくのかもしれません。

 

あるいは、オリジナルの歌を歌うことかもしれません。

 

現時点では、私もどうなっていくのかわかりません。

 

わからないからこそ、もがきながら、こうして書き続けています。

 

 

先日、証券会社に勤めている友人と話したときに、私は、本当に心から幸せだと思える仕事をしたいと言いました。

 

これまで小学校で勤務したり、歌手活動をしたり、講座講師をしたり、ボイストレーナーをしたり、会社員をしたり、プロデューサーをしたり、ライターをしたりしてきたわけですが、まだ道半ばにいるような感じがします。

 

もっと、本当に心の奥底から喜びが湧いてくるような仕事が、その道の彼方に存在するのではないかという強烈な直観があるのです。

 

もちろん、仕事というのは、そういうものではない、という意見もあるでしょう。

 

我慢をして、嫌な思いをするからこそ、お金がもらえるのだと思う人も多いと思います。

 

私は、その考えも一理あると思うし、実際に、それは真実だと思う部分もあります。

 

でも、私には、何か自分がしなければならない仕事があるような気がします。

 

それが何なのかが、まだわからないです。

 

ただ、今の活動の延長線上にあることは、わかります。

 

その方向性とは違う仕事をしてしまうと、この人生を全うすることができないという思いがあります。

 

生活ができなくても(実際できていませんが)、これは魂の衝動のようなものなので、自分でもどうすることもできません。

 

アルバイトをした方が、着実に時給800円でももらえるのですから、精神的には楽になります。

 

でも、胸の奥底から、自分がしなければならない仕事があるという想いが湧いてきて、それが今の執筆やワークショップの先にある何かだということがわかるのです。

 

だからこそ、それに向かって、今は試行錯誤をしながら、活動を続けています。

 

 

友人は、そんな仕事ができる人は、この世界にはほとんどいないと言っていました。

 

確かにそうかもしれません。

 

私が求めていることは、夢や幻想なのかもしれません。

 

会社員を続けていた方が、遥かに精神的に楽だっただろうと思います。

 

でも、この道が、私の道なのです。

 

そういう風にしか生きられないのです。

 

これで生涯、報われることがなくても、本当にやりたい仕事を求めて、私は執筆を続けるでしょうし、ワークショップも続けると思います。

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