ドイツの「中道」とリベラル――2017年連邦議会選挙戦に見る現状と展望

 

既存政党の敗北と極右の躍進

 

2018年2月7日、ドイツではキリスト教民主同盟と社会民主党のあいだの連立交渉が成立し、ようやく次期政権成立の目処がたった。前年の9月に連邦議会総選挙が実施されてから実に4ヶ月半。しかし新政権の正式発足にはまだ時間がかかり、2018年4月になると言われている。

 

長びいたと言われた前回の2013年の総選挙でも投票日から3ヶ月後の12月中旬には交渉を終えて連邦議会での首相指名にこぎ着けていたので、いかに今回の選挙結果が波乱を呼ぶものであったかがわかる。

 

今回の選挙戦は、社会民主党を率いたマルティン・シュルツにとっては、どうも苦しい戦いになってしまった。

 

連立与党の一方である社会民主党は各種世論調査で支持率低迷が続いていた。選挙戦を戦う顔として、それまで欧州議会の議長として活躍し、ドイツ国内政治にはタッチしていなかったシュルツに白羽の矢が立ったのは2017年の1月だった。クリーンなイメージに加え、親しみやすい笑顔で、アル中を克服したというプライヴェートなエピソードもあり、人間的魅力にもこと欠かないシュルツは、その一方でするどい情熱的な弁舌の持ち主でもあり、支持率回復と政権獲得のため輿望を担って登場した。

 

彼のもとで社会民主党は当初は3週間で10%も支持率を上げたものの、3月のザールラント州議会選挙、5月のノルトライン=ヴェストファーレン州議会選挙と立て続けに敗北し、みるみるうちに当初の勢いを失っていった。連立政権のジュニアパートナーとして現政権の一角を担っているだけに、表だって厳しい政権批判ができないというジレンマもあった。

 

選挙の結果、社会民主党は戦後最低となる20.5%の得票しか取れず、議席数は40も減ってしまった。各種の世論調査により、このことは投票前からある程度予想はついていた。心中密かに期するものがあったのであろう、投票日に出口調査で最初の結果予測がでるやいなや、シュルツは連立政権継続を明確に否定して下野することを宣言した。

 

彼の頭にあったのは、最大野党の党首としてこれから4年間で存在感を発揮して、党の信頼回復と人気上昇を成し遂げ、次の総選挙で政権を奪回することだったのではあるまいか。しかし、それから4ヶ月半、後に述べるように心ならずも連立政権に参加することになったシュルツは、交渉成立と同時に党首辞任に追い込まれた。さらに希望していた新政権での外相就任も党内の反対で撤回させられ、事実上失脚してしまったのである。

 

この間社会民主党の支持率はさらに低下し、1月に18%、2月には17%と史上最低を記録し続けている。事実上党勢挽回の目処が立たない状況である。過去4年の連立政権の実績に加え、さらにむこう4年間与党として政治の中枢に関わることになったというのに、これはどうしたことだろうか。

 

有権者の支持を失ったのは社会民主党だけではない。もうひとつの与党であるアンゲラ・メルケル首相の率いるキリスト教民主同盟も、前回の総選挙から一転して7.4%減と大きく得票を減らした。同党の姉妹党で連邦議会では共同会派を組んでいるキリスト教社会同盟の場合は、さらに深刻であった、

 

バイエルン州の地域政党である同党は、同州ではこれまで圧倒的な強さを誇っており、4年前の総選挙では半分近い得票率であったのが、今回は小選挙区こそすべての議席を確保したものの比例票を大きく減らして38.8%という、これまた戦後最悪の数字にとどまってしまった。両党合計で265議席しか取れなかったのである。

 

このような選挙結果は両二大政党によるこれまでの大連立政権への明確な反対であったということは明らかである。何よりも衝撃的であったのが、極右政党「ドイツのための選択肢」の躍進であった。同党はドイツ東部を中心に支持を広げ、2016年にはいくつかの州議会選挙で得票率20%以上にも達した。前回連邦議会選では惜しくも議席を獲得できなかったが、今回ついに得票率12.6%で94議席を獲得した。これは立派な数字であり、党首アレクサンダー・ガウラントは勝利宣言で「これから政権を追い詰めるぞ、メルケル氏だろうが誰だろうが追い詰めるぞ」と気勢を上げた。

 

多くの調査が、この極右の躍進はこれまでの政府への批判票を集めたためであると分析している。そのほかの中規模政党、つまり左派党、「緑の党」、自由民主党もすべて前回よりも得票を伸ばし、自由民主党は4年ぶりに連邦議会に返り咲いた。

 

 

ミリューの解体と「中道」への注目

 

既存大政党の敗北と極右の躍進。これは現代のヨーロッパでは珍しい現象ではない。これは、ながらく議会制民主主義の本場であったヨーロッパが今や政治的に不安定な時代を迎えているのだと冷笑を含んで速断されることもあるが、ドイツの場合はいささか違う。

 

ドイツの政治制度は、連邦と州という分権構造があり、全国的な基盤を持ち、その両方にまたがって政権を担う能力のある、一定以上の規模を持つ政党の果たす役割が大きい。さらに連邦議会と州議会の選挙には小党分立を避けるための5%条項(比例票の得票率が5%を超えないと、その政党は議席を獲得できない)があるため、ここでも大型の政党が有利になる。

 

また連邦首相は恣意的に連邦議会を解散できず(自らの不信任案を議会に上程し可決させた上で、連邦大統領に願い出て議会を解散してもらうしかない)、野党は代わりとなる首相候補を立てない限り不信任案を議会に提出できないなど、政府と議会の関係を不安定化させないための仕組みが設けられている。

 

カリスマ的リーダーに率いられた運動が急成長し、既存大政党を押しのけて政権を掌握するといったポピュリズム政治的状況はドイツでは起きておらず、今後そのようなリーダーが出現してくる可能性も低いのである。

 

このようなドイツの政治構造は、第二次世界大戦後の西ドイツ建国期以来のものである。当時の社会はいくつかのミリューと呼ばれる社会的プロフィールのはっきりした集団に分かれていた。ミリューは地域、職業、所得、文化的な選好、宗派など共通の要素を持つ人びとの集まりで、それぞれの特定の政党支持と結びついていた。

 

政党政治においては、キリスト教道徳を基盤とする保守派ミリューの支持するキリスト教民主同盟と、それに対し労働者を中心とする左派ミリューと結びついた社会民主党が二大政党体制を構築し、それが長らく基本的な構図となっていた。人びとはどこかのミリューに所属し、ミリューの支持政党を通じて政治と接続していたのである。

 

こうした1950年代以来のミリューを単位とする社会は、西ドイツの政治経済が安定し、近代化を遂げるなかで次第に変化していった。

 

1968年の学生運動や1980年代の新しい社会運動の拡大はこうしたミリューに支えられた政治構造への批判と異議申し立てであり、結果的にそれを弱体化させた。1990年以降、再統一による東ドイツ社会の組み込み、さらに冷戦終結後のグローバル化の進展によって、社会のなかのミリューによる区別そのものが大きく揺らいできた。人びとは以前のように特定の地域や職業、生活スタイルに縛られなくなり、したがってどこかのミリューに所属せず、支持する政党も固定されたものではない人びとが増えてきた。

 

そうした人びとの居場所を、ドイツでは「中道」(Mitte)と呼んでいる。「中道」はとくに所属するミリューを持たない大勢の人びとが集まる場所である。経済的には比較的安定した中間階層を中心とし、政治的には左派でも右派でもない(日本語の語感と異なり必ずしも“穏健”という意味にはならない)。

 

各政党は、徐々に弱体化する自前のミリューにこだわりつづけるのではなく、新たな支持を集めるため、この「中道」をターゲットとする政策を選択する必要に迫られてきた。この動きは2000年代以降ますます加速し、とくに二大政党は支持者を特定のミリューに依存しない「国民政党」となったと言われる。

 

しかし、こうした「中道」路線は、一方でなお数多く存在しているミリューに依拠した支持者の反感を買い、彼らの離反を招くおそれがある。たとえば、1998年に誕生した社会民主党のゲアハルト・シュレーダーを首相とする政権は、社会福祉の大幅な切りつめをおこない、さらに時短労働やパートなど低所得労働を可能にする改革「アジェンダ2010」を推進した。

 

このような構造改革はかねてドイツ社会に必要であるとの声が高まっていたもので、労組と大企業の双方に太いパイプを持つシュレーダーでなければ実現不可能だった政策であったが、それまで社会民主党を支えてきた労働者から見れば、このような政策は裏切りに近い。社会民主党を支えてきた低所得者層は、所得再分配の強化を唱える左派党へと流出したのである。

 

現在政権を担当しているキリスト教民主同盟のメルケル首相も「中道」よりの政策で知られる。2011年には、それまでの政策を一転させてドイツ国内にある原子力発電所の早期閉鎖を決定した。これは福島第一原発の事故を受けたドイツ世論の変化を敏感に察知したものであった。

 

また2015年にはシリア・イラクからの大量の難民がヨーロッパに殺到する欧州難民危機が発生した。このときもメルケル首相は保守派からの激しい批判にもかかわらず、人道に対する責任を理由に難民の受け入れを断固として継続したのであった。

 

のちに述べるが、難民の大量流入に対して不満を持つ層のもつおよそ100万票がキリスト教民主同盟から極右政党「ドイツのための選択肢」へと流れたと言われており、それが今回2017年の連邦議会選挙の敗北の原因だという意見は強く、友党キリスト教社会同盟の党首ホルスト・ゼーホーファーは選挙後すぐに「右の側面を固める必要がある」と発言して政策の保守化を要求した。選挙結果に関係なく現路線の継続を言明していたメルケル首相も、結局はこうした声に屈する形で難民受け入れ年間人数の上限を設定することに同意したのである。

 

さらに、二大政党はそれぞれ自前のミリューから「中道」へと軸足を移しつつあることから、期せずして両党の政策が近似していくという現象が起きている。このことも有権者に対する両党の訴求力を減らし、第三の選択肢として二大政党以外の中規模政党の存在感が増加していく原因になっている。

 

一方で二大政党はともに議会での勢力が減少し、かつ政策が近似してきた結果、両党で大連立を組んで政権を構築するチャンスが増えた。とくに前回2013年の総選挙のようにたまたま中規模政党がいずれも振るわない場合、安定政権を作ろうとすると大連立以外に選択肢がない状況も生まれている。

 

ドイツでは西ドイツ時代から長らくどの政党も単独で過半数は取れず、二大政党のどちらかが中規模政党と連立して政権を担当するのが常道であり、大連立はごく例外的に1960年代後半に4年間あっただけだったが、2005年以降はすでにメルケル政権3期のうち2期8年間、そして次の政権もそうなるとすれば合計12年も大連立が政権を担当することになる。

 

 

「ジャマイカ連立」の失敗

 

二大政党のうちとくに支持率の落ち込みが激しいのは社会民主党である。ドイツ東部の州では支持率が10%そこそこにまで落ち込んだところもあるほどで、ジュニアパートナーにしかなれない状態で大連立政権に参加しても党の勢力維持の上でかえってマイナスであることは党首マルティン・シュルツにはわかっていたはずだ。それがなぜ次期政権も大連立という枠組みにならざるを得なかったのか。それは連邦議会に議席を持つ他の中規模政党の動向と関係している。

 

現在のドイツの政局は、二大政党がバッテリーを組み、ともに連邦政府に参加した経験を持つ自由民主党と「緑の党」の2つの中規模政党がともに内野を守り、左右の外野から左派党と「ドイツのための選択肢」が機をうかがうという構図になっている。見かけ上は計6つの党の間で連立が可能であり、相当多くの選択肢が可能であるように見えるが、実際はさほど多くはない。

 

連立政権を組む際にまずは第一党であるキリスト教民主同盟が中心になるのは当然であるが、「中道」化しつつ従来の支持層である保守ミリューにも配慮する必要がある同党にとって、最左翼に位置する左派党、今回連邦議会に初めて進出した極右の「ドイツのための選択肢」は連立相手として問題にならないのである。メルケル首相は投票前の党首テレビ討論において、選挙結果のいかんにかかわらずこの両党とは連立しないことを明言していた。  

 

2017年9月の総選挙後、シュルツの社会民主党が早々に政権不参加を表明したために、選択肢としてはキリスト教民主同盟(とキリスト教社会同盟)、自由民主党、「緑の党」の三党連立しかあり得なかった。

 

この三党は早速連立協議を開始したが(それぞれの政党シンボルカラーにちなんで「ジャマイカ連立」と呼ばれる)、1ヶ月ほども交渉を続けたあげく11月19日になって、突如自由民主党党首のクリスティアン・リントナーは基本的な政策の不一致を理由に突如協議の打ち切りと連立政権不参加を表明したのである。

 

個々の課題の検討においてキリスト教民主同盟側が「緑の党」の主張を優先して自由民主党の政策を連立協定に取り入れることに消極的であったという批判がなされた。このままでは「形式的な妥協」が不可避であり、それは結局納税者市民の負担増になる。「間違った政治をするよりは、いっそ政権に参加しない方がいい」というのがリントナーの弁である。 

 

ドイツの議会制度においては多数派に基盤を持たない少数内閣はきわめて運営困難である。したがってどうしても連立政権が成立できないとなれば連邦議会選挙のやり直ししかない。しかし、それは過去に例がないうえに、ますます政治の機能不全を印象づけることになる。

 

再選挙となれば当然既存政党は惨敗し、外野にいる左派党や「ドイツのための選択肢」を勢いづけるだけの結果になるだろう。そうした観測が強くなったとき、調停に動いたのは連邦大統領シュタインマイヤーであった。同じ社会民主党出身の大統領直々の説得の前に、シュルツは不本意ながら大連立参加を受け入れたわけである。

 

このように今回の連邦議会選挙後の政権成立が年を越して長引いてしまった背景には、4つの政党間の角逐があった。「国民政党」たる二大政党に対するに、それより小さい2政党は埋没することなくますます自らの旗幟を鮮明にし、政策を有権者に訴えていく必要がある。そのためには連立政権参加だけが正しい選択肢ではあり得ない。

 

このように各政党がしのぎを削る状況のなかで「歴史的なプロジェクト」と呼ばれたジャマイカ連立が失敗に終わったことは、安定した政権構築がドイツでも困難化してきていることを強烈に印象づけるものであった。

 

鍵を握るのは「中道」の支持である。両二大政党が「中道」に食指を伸ばしてきているだけでなく、「緑の党」と自由民主党はともにこの「中道」に主たる地盤を持っているからである。いまや「中道」こそがドイツ政治の帰趨を決定するようになってきているのである。

 

 

「中道」リベラルと環境

 

「中道」と一口に言っても、ミリューの解体を受けて、保守や左派から雑多な集団が流れ込み、多様化し流動的な混沌とした状況が生まれている。一見捉えがたい集団である。しかし、そこにはミリューとはもはや言えないまでも、いくつかの特定の価値観を中心としたまとまりが存在している。そのひとつが歴史的に古いリベラルという価値観であり、もうひとつが新しく2000年ごろになって「中道」に進出・定着してきた環境という価値観である。

 

ほぼ1970年代ごろまでは、「中道」もひとつのミリューとしてまとまっており、そこは伝統的にリベラルによって規定されていた。このリベラル・ミリューの起源は古く、19世紀前半にまでさかのぼる。

 

その中核にあるのは自由で独立した個人が対等に関係を結んで社会を形成するという理想像であり、人権や財産など各種の自由権を至高のものとして国家権力や支配者による介入や恣意的決定に反対した。その政治的目標は法の支配と民主主義の貫徹であった。19世紀においてこの思想をリードしたのは都市の開明的な有産階級や知識人であり、当時は保守的な貴族や農民と、社会主義的な労働者階級とにはさまれた「中道」という位置づけであった。

 

こうした当初のリベラリズムの目標は戦後のボン基本法を経て現在のドイツではほぼ実現されているが、戦後西ドイツ社会のなかでリベラルはさらに内容を進化発展させて「中道」をたばねる主導的な価値観として力を保った。その内容は自由主義市場経済の貫徹という経済リベラリズムの側面と、個人の生存権と公平性の擁護という社会リベラリズムという両側面をもつものであった。

 

政治勢力としては自由民主党が母体であり、中小自営業者、公務員、会社員といった経済的に安定した層をその主要な支持母体とする同党は、上記の両側面を交互に使い分けることでキリスト教民主同盟と社会民主党の二大政党の間でキャスティングボートを握り、そのときどきの情勢に応じて連立相手を乗りかえることで政権交代の際に重要な役割を果たすことが出来た。

 

自由民主党は規模においてははるかに弱小でありながら結果的に二大政党のどちらよりも長く、1949年から98年までの50年間のうち、37年間まで政権に参加していた。みずから「中道の政党」(Partei der Mitte)を名乗っていたのもあながち故のないことではない。

 

この「中道」の代弁者としての自由民主党の地位は、環境という新しい価値観を掲げる「緑の党」により脅かされることになった。環境運動や平和運動など、1970年代後半から80年代に隆盛を迎えた「新しい社会運動」を母体とする「緑の党」は、当初は左派の政治勢力として成長し、1983年に連邦議会に初の議席を獲得、1998年には社会民主党と連立して初の政権参加を果たした。

 

しかし「緑の党」はこの頃から、二大政党に先駆けて急速に「中道」政党化していく。有名なのはコソヴォやアフガニスタン紛争におけるNATO域外へのドイツ連邦軍の派遣への賛成であるが、そのため2005年にいったん下野したあとは一時党勢が低迷した。2008年にはエアフルト党大会で新コンセプトを採択し、それまでの環境保護一辺倒から、環境(エコロジー)と経済(エコノミー)の結合を訴え、環境に配慮した技術革新の積極導入による持続可能な社会の実現という「グリーン・ニューディール」を新たな旗印としたのである。

 

これにより、同党は「中道」の経済的に安定した層にもアピールすることが可能になった。また、環境保護は一国では完結しないので、「緑の党」は当然EUとの連携にも積極的である。そのほか、外国人との多文化共生や性的少数者の権利擁護を主要な主張にしているなど、従来からの左派的な主張も残されており、「中道」から左派にかけて広く支持を集めている。

 

「緑の党」の支持者は大卒以上の高学歴者が中心で所得水準が高い。また女性の割合が高く、比較的年齢が若いのが特徴である。都市に暮らし、環境や人権に関心のある男女の高学歴勤労者といったイメージである。「緑の党」は現在各種の選挙で安定的に10%台の得票を獲得できる状態で、現在8つもの州で連立政権に参加している。

 

このような「緑の党」の変貌は、同様に「中道」寄りになってきた二大政党との距離を縮めることになった。連邦や州で連立政権を組んだことも多い社会民主党とのあいだだけでなく、最近はとくに以前は水と油のようであったキリスト教民主同盟との関係改善が顕著である。

 

ごく初期の「緑の党」には郷土愛を重視する保守的な勢力もいたが、それらはいったん党が左派勢力として発展する過程でパージされていった。それが、00年代後半に入ると双方の「中道化」を受けて、再度「緑の党」と保守勢力との連携が視野に入ってきたのである。この両者の提携は、シンボルカラーにちなんで「黒緑連立」と呼ばれる。2008年にはハンブルク都市州で初の黒緑政権が成立し、また2011年にはバーデン=ヴュルテンベルク州でも「緑の党」の首相の下で両党が連立政権を発足させた。【次ページにつづく】

 

 

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