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古代の北極星はどれ?

2018年3月 

 キトラ古墳には現存世界最古とされる本格的な天文図が残されています。今回は、この天文図(以下、キトラ天文図)に描かれた星のうち、どれが古代の北極星にあたるのかを考えてみましょう。

 キトラ天文図は、図の中央が天の北極にあたり、そこにはその名も「北極」という名の中国星座が描かれています(以下、星座名の「北極」には「」を付します)。この「北極」について、684年に編纂された『晋書』の天文志では、「北方にみえる星の中でもっとも尊い星座」で、帝王・皇太子・庶子の星を含む、とされています。また、『宋史』天文志には、「北極」の5星は、帝・后(きさき)・妃(ひ)・太子・庶子である、とも記されており、天帝とその家族の星座と考えられていたようです。

 ここで、中国の星座「北極」について、その特徴をまとめておきましょう。「北極」は、『晋書』天文志以降、清代に至るまで「5つの星からなる」とされています。現代の星座では、北極点から遠い順に、こぐま座のγ(ガンマ)星・β星・5番星・4番星と、きりん座のΣ(シグマ)1694という5星に比定されています。これまでの天文学史の研究成果により、天帝の星=「帝星」には、5星のうち、こぐま座β星(コカブ)があてられています。このβ星は、現在の北極星=こぐま座α星(ポラリス)のひとつ前に、天の北極にもっとも近かった星です。

 次に、キトラ天文図の星座「北極」をみてみると、星の数や星座の形状などが通常の「北極」と少し異なっていることがわかります(第1図)。星の数は、5星ではなく、6星からなっており、星座の形も、実際の星の配列とは合いません。特に、第1図左の「北極」うち、左下の1星の位置に大きなずれがみられます。

 このような星の数や形の違いが、なぜ生じているのか。その理由を考えてみたときに、ひとつの仮説が浮かびました。

 それは、キトラ天文図の北極は、1つの星座ではなく、5星からなる星座と1星からなる星座のふたつの星座がくっついたものではないか、というものです。

 このような仮説を立てた理由のひとつに、附属星座の存在があります。中国星座には、独立星座と附属星座の2種類があり、キトラ天文図では、附属星座が親となっている星座と朱線で結ばれるものがいくつか存在します(例として、「北斗と輔(ほ)」、「畢宿(ひつしゅく)と附耳(ふじ)」、「軫宿(しんしゅく)と左轄(さかつ)」)。これらの附属星座は、いずれも1星です。

 キトラ天文図の「北極」が2つの星座からなるとした場合、附属していると考えられるのは、配置から考えて、左下の1星です(第1図)。この星は、「北極」の5星と北斗七星の間にありますが、この位置にある中国星座で、1星からなるものを調べると、いくつか候補があります(天一(てんいつ)、太一(たいいつ)、陰徳、陽徳など)。

 キトラ天文図に描かれた「北極」の左下の1星が、これらのうち、どの星座にあたるのかは確定できませんが、この1星が、キトラ天文図では「北極」の5星と結ばれ、結果として6星からなる星座のようにみえていた、というのが私の考えです。

 それでは、最後に、キトラ天文図に描かれた古代の北極星(=帝星)を探してみましょう。

 中国南宋で造られた淳祐天文図などをみると、「北極」は、図の中心から左へのびており、天帝の星は、中心から4番目の星にあたります。キトラ天文図では、図の中心は、第2図の矢印の部分で、そこから4番目の星は、第2図で赤丸を付した星です。この星が、天帝の星(=こぐま座β星)にあたるのではないか、と考えています。

 ここまで、キトラ天文図の北極星をめぐって、さまざまに推測を重ねてきましたが、上に示した説もひとつの私案にすぎません。最近は、夜間の冷え込みもだいぶ和らいできました。みなさんも、キトラ天文図の写真や図と、実際の星空を見比べながら、古代の星空に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

 

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第1図 北極と北斗の位置図(左:キトラ天文図 右:こぐま座・おおぐま座付近の星空)
(画像協力:多摩六都科学館・(株)五藤光学研究所)

 

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第2図 キトラ天文図の中心部(上が北、右が西)

 

(飛鳥資料館研究員 若杉智宏