うつ病まっさかりのもみじです。
春が近づいていますが精神はぜんぜん不健全。
情緒不安定もいいところです。
前に進みたくてもぜんぜん進まない。
人生とはなんでこんなに難航するんですかね。
さて、前の記事の続きです。
あらすじを簡単に説明したら
疲れ果てて電車に乗って、つい優先席に座ってしまった→後から来たご婦人に「若者が優先席なんてうんたらかんたらあれは高齢者のためのものうんたらかんたら」と言われえた→しかし優先席には「mental disability」がある人も座っていいと書いてある→だったらうつ病発達障害のわたしも座っていいじゃないか→しかし傍目にはうつ病とはわからない→だったらヘルプマークを取りに行こう→役所でもらったヘルプマークをバッグに着けて電車に乗りました→誰も席を譲ってくれませんでした。めでたしめでたし。
……って感じです。まあ満員電車だから仕方ありません。そういうことのほうが多いでしょう。バッグに着けたくらいでは世の中そんなに変わりません。やっぱり目に見える障害と違って、精神障害や発達障害は「わかりにくい」と思います。当事者でさえよくわからないことが多いんですから。
席を譲ってもらえた!!
そんなある日、いつものようにヘルプマークをバッグに吊り下げて、電車に乗りました。やっぱりその日もよく混んでいて、一般席にも優先席にも人がぎゅうぎゅうでした。ああもうまた座れないな…と思ってふと目をやると、空席がひとつ。
よっしゃここ座ったろと思って駆け出しました。席は一般席です。
しかし、わたしが座る前に同年代くらいの男性が座ってしまいました!車両はもう全座席が埋まっています。わたしが入る余地はありません。
なんだ、やっぱりだめか…。
落胆しましたが「いつものことだ」と思うようにしました。そもそも座れることの方が少ないんですから、少しの時間くらい立って過ごせってことです。つり革を使って筋トレでもしていろということでしょう。
ため息をつきながらバッグを抱え直すと、持ち手につけたヘルプマークがチラっと揺れました。
その瞬間、わたしが狙っていた席に座っていた男性と、目が合いました。
「ん?気のせいか?」と思っていましたが、彼は座席から立ち上がり、わたしに向かって「どうぞ」と言いました。
そして、自分は別の車両のほうに移動していきました。
ヘルプマーク効果か?!
正直全く期待していなかったので、うれしさよりも驚きのほうが勝りました。「本当にこのマーク見ている人いるんだ…!!」という驚きです。人間、見たいものしか見えていない習性がありますから、いくらこのマークをぶら下げたところで目には入らないものだと思っていました。
見える人には見えるんですね。
広告
「見えない障害」を持つ人はヘルプマークを持参すべき
わたしも自分がヘルプマークを持つまで、恥ずかしながらヘルプマークのことはあまり認識していませんでした。たまに街中でつけている人を見るなとは思いましたが、自分がその対象だとは思っていませんでしたし、ましてや席を譲る対象になるということもつい最近まで知りませんでした。うっかり優先席に座ったことでいろいろ言われたことがきっかけです。それまでは、ヘルプマークはどこか遠い世界のものだと思っていました。
ただ、うつとか双極性障害とかてんかんとか統合失調症とかまあなんでもいいんですけど、「見えない障害」をもって苦労している方は、ヘルプマークを積極的に使用していったほうがいいんじゃないかと思います。別に病人アピールをしろというわけではないのですが、自分の身を守るために、もっと生きやすくするために、このマークをもっと使って認知度を高めていったほうがいいんじゃないかと思うからです。
まだまだヘルプマークは全国的な認知度はありません。配布される自治体もまだ限定的です。
各自治体が続々と導入中!都道府県別の「ヘルプマーク」導入現状をまとめてみた|障がい者(身体障害 発達障害 知的障害)のライフスタイルメディア|Media116
早く日本全国で当たり前のマークになってほしいです。はっきり言って、医療や福祉系に携わっている人じゃない限り、「なんじゃこれ」って人の方が多いでしょう。マタニティマークこそ最近認知されてきていますが、ヘルプマークについては……正直、まだまだこれからですよね。
わたしはうつ+発達障害のダブルパンチを食らって日々よれよれと生きる会社員ですが、バッグにこのヘルプマークをぶら下げて歩いていこうと思います。
「それなに?」と聞かれたらチャンスです。ヘルプマークの説明をして、このマークの存在感を強めていきたいと思います。
車に若葉マークやもみじマーク、四つ葉マークをつけるのが当たり前のように、見えない障害を持った人たちがヘルプマークをつけて街を歩くのが当然の社会になってほしいです。
わたしたちはマイノリティですから、決してマジョリティに絶対数で勝つことはできません。それはそれで別にいいのですが、数が少ないばっかりに、無知の人が多いばっかりに、自らの生きる権利を奪われてしまうのは納得いきません。わたしたちはマイノリティですがほかの人たちと同様に生きる権利があります。ハンデこそあるもののちゃんと生き延びたいという願望があります。
どんなバックグラウンドを持つ人でも生きやすいと思える社会に少しでも近づくために、ヘルプマークをつけてわたしは今日も歩きます。
日本社会がもっとダイバーシティを認めるものになることを願います。