2018年03月18日
2018受験世界史悪問・難問・奇問集 その2(早稲田大)
引き続き,早稲田大。ワーストは国際教養学部か社会科学部か悩むところ。
早稲田大の文化構想学部は収録なし。全体として平易な問題。
8.早稲田大 国際教養学部
<種別>出題ミス(複数正解)
<問題>4 問4 冷戦末期から冷戦終焉後の世界の民主化の動きに関する以下の記述のうち,誤りを含むものを一つ選びなさい。
ア ピノチェトを中心とする軍部のクーデタ以降,軍部独裁政権が続いていたチリでは,1988年の国民投票で民政移行が決定した。
イ アパルトヘイト諸法が1991年に廃止された南アフリカでは,1994年の選挙でアフリカ民族会議が勝利し,マンデラが大統領に選出された。
ウ 軍部政権が続いていた韓国では,1992年の大統領選挙で金大中が勝利し,文民政権が復活した。
エ 戒厳令が1987年に解除された台湾では,翌年に李登輝が国民党総統に就任し,民主化を促進した。
<解答解説>
ウは1992年に大統領選挙で勝利したのは金泳三であるので,明白な誤り=正解である。一方で,「国民党総統」という表記は不用意で,ここは国民党主席(党首)あるいは中華民国(台湾)総統という表記が正しかろう。国民党総統という地位は存在しないと考えるなら,エもまた誤文になる。大学当局から謝罪と複数正解を認める旨の発表があった。
9.早稲田大 国際教養学部(2つめ)
<種別>難問
<問題>4 問8 多様化する環境問題への国際社会の対応に関する以下の記述のうち、誤りを含むものを一つ選びなさい。
ア 国連人間環境会議は、「人間環境宣言」を採択した。
イ 国連人間環境会議は、国連環境計画の設立を決定した。
ウ 環境と開発に関する国連会議は、生物多様性条約を採択した。
エ 環境と開発に関する国連会議は、国連森林保全条約を採択した。
<解答解説>
最近流行の環境問題に関する問題。かなり細かいものの,アとイは範囲内の情報で正文とわかる。ウとエは不可能。ただ,なんとなくエはなさそうと直感で判断した受験生は少なくなさそうである。この直感で正解。国連森林保全条約はこの時議題には挙がったものの未採択で,現在に至るまで採択されていない。よってエが誤文=正解。環境と開発に関する国連会議では,代わって法的拘束力のない森林原則宣言が発表されている。
10.早稲田大 国際教養学部(3つめ)
<種別>悪問・出題ミスに近い(複数正解)
<問題>4 問9 科学および技術発展に関する以下の記述のうち、誤りを含むものを一つ選びなさい。
ア ディーゼルエンジン自動車は、ダイムラーによって発明された。
イ インターネットは、軍事技術者間の通信手段として発展した。
ウ ラジウムは、キュリー夫妻によって発見され、原子物理学の端緒となった。
エ クローン羊ドリーは、分子生物学を基盤とする生命工学の発展によって誕生した。
<解答解説>
昨年もあったパターン。素直に解くならアはディーゼルエンジン自動車の発明者がディーゼルなので誤文=正解だが,「インターネットの発明は軍事技術の転用」説はかなり危うい俗説であり,少なくとも「軍事技術者間の通信手段として発展」とは言えない。厳密に言えばイも誤文であり,複数正解の出題ミスになる(詳しくは『2巻』の2016早慶17番)。ただし,用語集はこの俗説を掲載しているので,出題ミスと断定するのは少しかわいそうなところ。指摘している予備校なし。
11.早稲田大 国際教養学部(4つめ)
<種別>出題ミス(複数正解)
<問題>5 問2 下線b(編註:“refugee”)に関連する記述として,誤りを含むものを一つ選びなさい。
ア ロシア革命によって皇帝の座を追われたニコライ2世は難民として日本に亡命した。
イ ハンガリー事件に対するソ連の軍事介入により約25万人が難民となって国外に逃亡した。
ウ インドシナ戦争時にベトナムから海路脱出を試みた難民はボートピープルと呼ばれた。
エ 中東戦争によって故郷を追われたアラブ系の難民の帰還をパレスチナ解放機構は目指した。
<解答解説>
解説するのもばからしくなるほどアが明白な誤文=正解である。しかし,ボートピープルが大量に発生したのはインドシナ戦争ではなくベトナム戦争の時であるから,ウも厳密に言えばかなり危うい。一応,ベトナム戦争を第2次インドシナ戦争と呼ぶことはあるので,第2次の付け忘れと見なせば正文になる。ただし,第2次インドシナ戦争という呼び方は,高校世界史ではほとんど全く出てこない。もっとも,アがあまりにも明白な誤文であるので混乱した受験生は少なかろうから,被害者は極めて少ないと思われる。大学から謝罪と複数正解を認める旨の発表があった。
12.早稲田大 国際教養学部(5つめ)
<種別>難問
<問題>5(編註:1951年の難民地位に関する条約の英語の条文の一節)
As a result of events occurring before 1 January 1951 and owing to a well-founded fear of being persecuted for reasons of race, religion, 〔 f 〕, membership of a particular social group or political opinion, is outside the country of his 〔 f 〕 and is unable, or owing to such fear, is unwilling to avail himself of the protection of that country; or who, not having a 〔 f 〕 and being outside the country of his former habitual residence as a result of such events, is unable or, owing to such fear, is unwilling to return to it.
問6 空欄〔 f 〕に入る英語の日本語訳を漢字2文字で記述解答用紙に記入しなさい。
<解答解説>
英語の長文だから英語が読めれば正解できるかというと,英語を読解しても結局難易度が極めて高いのが本問のつらいところ。ひとまず受験世界史の知識と照らし合わせてみると,用語集の「難民」を引くと「人種・宗教・政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるために国外に逃れ,自国の保護を受けられない人々」が難民の定義と提示されているが,この英語の条文を読むと raceもreligionもmembership of a particular social group or political opinionも出ていて,見事に用語集ではわからないところが空欄の箇所になっている。狙いすまして作られた明白な範囲外の難問である。私が自分で最初に解いた時はさっさとここで諦めて調べた。空欄〔 f 〕に入る単語はnationality。訳せば「国籍」になるのでこれが正解。UNHCRの日本版のHPにこの条約の全訳があるが,そこでも「国籍」となっている。
すると校正者の方から,高校生レベルの英語力でも「outside the country of his 〔 f 〕」を「彼の〔 f 〕の国の外に」,また「not having a〔 f 〕 and being outside the country of his former habitual residence」を「〔 f 〕を持っておらずまた彼のかつての居住国の外にいる」と訳せることから,国単位で個人が持つものと考えれば国籍と推測しうるかもしれないという指摘をいただいた。自分では全く至らなかった発想なので目からうろこが落ちた。なるほど,大学側の意図はこれかもしれない。
なお,早稲田大の国際教養学部は毎年世界史・日本史の問題にも英語を入れてくる。この年は世界史の英語でつらかったのはこの1問だけだが,日本史は19世紀末の朝鮮情勢を論じた歴史家の英語長文が出題され,高い英語能力を要求されて非常にしんどかったということを付記しておく(明日更新予定のおまけにて詳述)。
国際教養学部は例年おとなしいのだが,この年はなぜだか5つも収録対象を出してしまった。杜撰なミスが多く,残念至極である。
13.早稲田大 法学部
<種別>悪問
<問題>1 設問2 下線部bの「鉄器」に関して,不適切な記述はどれか。
� ヒッタイトは二頭立ての馬車と鉄器の使用で知られ,その滅亡後,オリエントの他の地域でも鉄器が普及した。
� インドではアーリヤ人の侵入以後に,鉄器が使われるようになった。
� 中国では戦国時代になると重量有輪犂が普及し,家族単位の小規模な農業経営が広がった。
� マヤ文明,インカ文明はついに鉄を知るところがなかった。
<解答解説>
�と�は問題なく正文。�は,中国の戦国時代で普及した犂は車輪がなかったので有輪犂ではなく,誤文。想定された正解はこちらだろう。疑惑の判定は�。従来の通説では正文になるが,近年の学説では鉄器製造技術を独占していたヒッタイト帝国が崩壊し,オリエントが鉄器時代に入ったというのは否定されつつあり,少なくともヒッタイト帝国崩壊前に鉄器製造技術はオリエントに広まっていたとされる。さらに言えば,鉄器の利便性が増して青銅器よりも優先的に使われるようになったのは,むしろヒッタイト帝国が崩壊してからかなり後の前11~10世紀のこと。ただし,ヒッタイトが鉄について特別な関心を持っていて,他の国々に比べて早い時期から大量生産を図ったことは事実のようである。もろもろの情報はこちらの論文を参照のこと。
・津本英利「古代西アジアの鉄製品――銅から鉄へ」『西アジア考古学』5号,2004年
教科書上も対応は割れていて,東京書籍・帝国書院の教科書は旧説の通り。新説の導入が早い帝国書院にしては珍しい出遅れ。山川は青銅器時代から鉄器時代への変化に深入りせず。ただし,『詳説世界史研究』は旧説。実教出版が一番(というよりも飛び抜けて)先進的で,「ヒッタイトの滅亡後も,鉄は他の地域になかなか普及しなかった」とし,上述の論文で取り上げられているカマン・カレホユック遺跡の名前も出して「日本の学術チームが中心となり」と紹介している。純粋な範囲外の知識による疑惑であればまだ情状酌量の余地があったが,実教出版の教科書がこう書いている以上は,わざわざ教科書間で記述が異なる部分から出題したということになり,単なる調査不足である。悪問のそしりは逃れられまい。
14.早稲田大 文学部
<種別>悪問
<問題>6 設問4 下線部d(編註:アイルランドで激しい独立運動が起こり)に関連して20世紀初頭のアイルランドの政治情勢について,必ず以下の語を用いて120字以内で説明しなさい。
アイルランド自治法 イースター蜂起 北アイルランド
<解答解説>
問題のテーマ自体はありふれたもので特に問題無いが,まずいポイントが2箇所ある。まず「20世紀初頭」という言葉の曖昧さと,120字という字数設定である。「初頭」というと最初の約20年間を指すことが多い。一方,20世紀が始まってからアイルランドが独立するまでの流れを箇条書きにするとこうなる。経緯をわかりやすくするため月単位で書いたが,実際の答案作成上は月単位は不要である。
1905年 独立急進派のシン=フェイン党が成立
1914年9月 イギリス議会でアイルランド自治法制定 → 制定前後から北アイルランド問題が悪化
→ 前月の第一次世界大戦勃発を理由に施行延期
1916年4月 施行延期に抗議して,シン=フェイン党過激派によるイースター蜂起が発生
→ イギリスが高圧的に蜂起を鎮圧し,かえって独立気運が高揚
1918年12月 イギリス総選挙において,シン=フェイン党がアイルランドの選挙区で圧勝
1919年1月 シン=フェイン党が勝利した選挙区を領土として独立を宣言,独立戦争開始
1921年12月 イギリスがアイルランドの自治領化を容認し,独立戦争終結
1922年12月 アイルランド自由国成立,英連邦下の自治領として事実上独立
さて,問題は初頭とはどこまでかということである。具体的に言えば,アイルランド独立戦争の終結とアイルランド自由国の成立を解答に含むのかどうか。含んだ方が解答としては綺麗であるが,1921年12月は通常の受験世界史の感覚で言えば初頭ではない。当然1922年12月も同様。一方で,これらを含まずに,かつ個々の事象の説明が詳細になりすぎないように解答を作ると,解答がどうしても120字に満たない。つまり,受験生は厳密な初頭の範囲を守って冗長かつ尻切れトンボな解答を作るか,初頭の範囲を無視した解答を作るしかない。
実際に各予備校の判断も割れている。河合・駿台・代ゼミ・城南は1922年まで使って解答を作成。増田塾・早稲田予備校は1919年までで解答を作成していた。城南予備校は分析で初頭という指定の曖昧さに苦言を呈していた。私が受験生なら1919年までで解答を作ると思う。なお,早稲田大の文学部は毎年1問論述問題を課しているが,字数は多くても50字までであった。今年課された120字は異例の事態といってよい。昨年課された40字の問題も収録対象となっており,この時私は「どう考えても40字では足りない大きすぎるテーマ」と批判したが,今年は完全に逆である。文学部は昨年も今年も論述問題のテーマ選択自体は非常に良かったのだが,なぜにこうも字数の指定が下手なのか。
文学部はその他に張騫の大月氏以外の派遣先として「烏孫」,最古の楔形文字が発掘された都市として「ウルク」,《サント=ヴィクトワール山》から「セザンヌ」を問う等,いくつか範囲内ながら高い難易度の出題があった。長らく文学部は文化構想学部と並んで早稲田大の世界史では易しい部類であったが,ここ2・3年を観察するに難化が著しく,教育学部・人間科学部の方が易しいと言えるまでになってしまった。それで質が維持されているならよいが,とても乱暴な作りの難問が多く,残念である。
15.早稲田大 人間科学部
<種別>悪問
<問題>1 (編註:フランス革命において)しかし実際には,選挙権をはじめ,女性に公的な政治空間に参入する諸権利が与えられることはなかった。それに対して,当時のフランスで女性の権利を主張した〔 B 〕は,17条から成る『女性および女性市民の権利宣言(女権宣言)』を著した。
設問X
B a ローザ=ルクセンブルク b ド=グージュ c ロベスピエール d ラ=ファイエット
<解答解説>
範囲外ながら,aのローザ=ルクセンブルクは時代も地域も違う,cとdは男性だから違うとして正解のbが導けるという問題と思われる。同種の設問は他の私大も含めてたまに見られるが,このような解法は男性がフェミニズムに賛同するはずがないという偏見を助長させるので,強く反対する。事実J=S=ミルのような人もいるのであるから。
教育学部は収録対象無し。殷の初代国王の「湯王」を問うものと,タラス河畔の戦いの場所を問う問題ががグレーゾーンというくらいか。タラス河畔の問題は,選択肢が中国・パキスタン・アフガニスタン・キルギスなので,唐とアッバース朝の国境がパミール高原の辺りということだけわかっていれば解ける。全体としての難易度は普通。
16.早稲田大 政経学部
<種別>難問・奇問
<問題>2 A 5 各列強が空欄bの制度廃止(編註:奴隷制度廃止のこと)を決めた後,それに代わって多くの地域でアジア人の契約労働者が導入されたが,そのうち,日本人契約労働者がほとんど雇用されなかった地域はどこか。
イ ケニア ロ ハワイ ハ ブラジル ニ ニューカレドニア
<解答解説>
普通に「多く雇用された場所」でハワイを聞いてくれれば普通の問題,ブラジルでも難しいが(範囲外),まだ出題意図を理解できる。しかし,「雇用されなかった場所」でケニアかニューカレドニアを選ばされると非常に厳しい。ほとんどの受験生は2択または3択からの鉛筆転がして解答ということになっていたかと思う。もちろんこんなの解けなくてもいいのだが,どちらかというと運で配点の数%が左右されてしまったこと自体,受験生がかわいそうである。正解はイのケニア。ニューカレドニアにはニッケル鉱山の労働者としてそれなりに多くの労働者が渡航している。ハワイから,同じ太平洋は多そうだという推測をせよということか。ただし,そうした推測のさせ方は現実世界の複雑さや例外の多さを鑑みるに非常に危うい。例のセンター地理のムーミンと同じたぐいの危うさである。
17.早稲田大 政経学部(2つめ)
<種別>悪問
<問題>3 A 6 下線部l(編註:帝国の西半分ではゲルマン民族の侵入がますます激しくなった)に関する説明として誤っているのはどれか。
イ 西ゴート族は,4世紀末にドナウ川を渡ってローマ帝国領内に進入し,その後ガリア西南部からイベリア半島にかけての地で王国を建国した。
ロ ヴァンダル族は,5世紀初めにローマ帝国領内に進入し,その後イベリア半島を経て,ガイセリック王のもとで北アフリカに王国を建国した。
ハ 5世紀中頃にフン人支配を脱した東ゴート族は,テオドリック大王のもと493年にオドアケルを倒し,イタリア半島を中心に王国を建国した。
ニ ライン川上流域に定住していたランゴバルド族は,5世紀中頃ローマ帝国領内に進入し,北イタリアを経て,ガリア中南部に王国を建国した。
<解答解説>
ロとハは正文。ニは概ねブルグンド族の説明になっているので誤文であり,これが作題者の想定する正解であろう。イは概ね正文だが,西ゴート族のドナウ川渡河が376年とされており,376年が4世紀末と言えるかどうかによっては誤文と判断できる。14番の文学部の問題でも書いたが,初頭や末は大きくとって20年が限度というのが普通の受験世界史の感覚であり,376年を4世紀末と言うのはかなり苦しいと思われる。ニが明白な誤文なので正解は出せるものの,もっと曖昧な誤文であったら複数正解の疑いが浮上していたところだった。
ところで,問題文では「侵入」なのに,選択肢では「進入」である。何か意識して使い分けているのだろうか。
18.早稲田大 政経学部(3つめ)
<種別>難問
<問題>3 B 1 下線部bの時代(編註:「ローマの平和」と呼ばれる繁栄の時代)の歴史家タキトゥスの作品で,ブリタニア総督を務めた岳父の伝記は何か。
<解答解説>
厳密に言えば用語集に記載があるが,普通は覚えないところであり過剰に難しいので収録対象とした。タキトゥスの作品というとまず覚えるのが『ゲルマニア』,細かく知っている人で『年代記』までであろう。3つめの著作となると細かく聞きすぎている。そもそも通常の高校世界史学習で著作が3つ以上紹介されている人物はルター(「九十五カ条の論題」『キリスト者の自由』とドイツ語訳『新約聖書』),シェイクスピア(四大悲劇+『ヴェニスの商人』),徐光啓(『農政全書』『幾何原本』『崇禎暦書』)くらいか。彼らにしたって,シェイクスピアを聞くなら『ハムレット』であり,徐光啓のうち『崇禎暦書』はアダム=シャールの方で出題することがほとんどだ。彼らに並べて3つめの著作を出すだけの重みがタキトゥスにあるか。
正解は『アグリコラ』。著作名はそのタキトゥスの岳父の名前である。ブリタニアのブーディカの反乱鎮圧に従軍したのがキャリアのスタートで,その後ネロの治世,死後の内乱を生き抜いてウェスパシアヌスに仕える。晩年はブリタニア総督として再度大ブリテン島に赴き,84~85年頃に引退した。タキトゥスの伝記により比較的詳細に人生が判明している人物。どうでもいいが,ブーディカで画像検索すると案の定すごいことになっているし,アグリコラでググってもボードゲームしか出てこないのはちょっとおもしろかった。
19.早稲田大 政経学部(4つめ)
<種別>悪問
<問題>3 B 6 下線部kの約60年後に開かれたカルケドン公会議で退けられたが,シリアやアルメニア,エジプトなどの教会で受け入れられた教義は何か。
<解答解説>
もはや悪問の風物詩と化してきたキリスト教の教義に関する問題。解答は単性論が求められていると思われる。カルケドン公会議で排斥されたという情報だけであれば単性論でも誤りではないが,コプト教会に受け継がれたと踏み込んでしまうと,彼らは厳密には異なる教義(合性論)を持っているので誤りになってしまう。繰り返し言っていることではあるが,もう細かなキリスト教の教義から出題するのは避けたらどうか。
政経学部ではこの他,「奴隷制廃止後,奴隷貿易に代わって出現して現代でも国際的な問題となっている,人間をさらって売り払う行為を何というか」という問いで「人身売買」を答えさせる問題が出ていた。言われてみれば知っているがこう聞かれると答えにくいというたぐいの用語であり,正答率は低かったと思われる。
20.早稲田大 商学部
<種別>悪問・出題ミスに近い
<問題>2 問I 下線部Iについて(編註:元は積極的に東南アジアに軍事遠征を行い),元の軍事遠征が成功し,征服された王朝はどれか。
1.タウングー朝 2.陳朝 3.シンガサリ朝 4.パガン朝
<解答解説>
これも例年発見されるパターンの悪問。タウングー朝は時期が違う,陳朝は滅ぼされていない,シンガサリ朝は同時期に滅んだが元軍に直接滅ぼされたわけではないと消していって,4のパガン朝を正解にさせたいのだと思われるが,パガン朝が元によって滅ぼされたというのは誤りである(2巻のコラム1,p.75を参照のこと)。よって正解なし。ただし,山川をはじめとしていまだに書き換わっていない教科書があるので,情状酌量の余地はある。
21.早稲田大 商学部(2つめ)
<種別>悪問・出題ミスに近い
<問題>3 問J 下線部Jに関連して,主に1960年代のアメリカで軍事目的のために開発されていた複数のコンピュータネットワークを世界的な規模でつなぐネットワークを指すのはどれか。
1.集積回路 2.インターネット 3.ファイアウォール 4.オペレーティング=システム
<解答解説>
今年二度目のインターネット俗説問題。しかもインターネットという語が生まれたのは1980年代に入ってからであり,1969年から70年代の時点ではその原型的な,限定的なネットワークである。「1960年代に開発されていた」「世界的な規模でつなぐ」の部分だけをとってもインターネットは該当しない。軍事技術目的という,用語集も採用している俗説をとったとしても本問は出題ミスでは。おそらく「君らにも身近なインターネットも歴史の一部なんだよ」的な発想で出題していると思われるが,ちゃんと調べてから出題してほしい。
例年の商学部は中国史で謎の難問・悪問を乱発する癖があったが,本年はなりを潜めていた。この2つ以外はインド人民党の名前と特徴を問う問題が難しかったくらいか。私自身,最初はこれ範囲外ではと疑っていたのだが,用語集頻度�で,山川の教科書で詳細に説明されていた。盲点である。実際の受験生はほとんど書けなかったと思われる。
22.早稲田大 社会科学部
<種別>出題ミス(複数正解)
<問題>1 問2 下線部(B)について(編註:魏晋南北朝),魏晋南北朝時代の諸国に関連する記述のうち,最も適切なものを1つ選べ。
a.魏の将軍だった司馬睿は晋(西晋)をたてたのち,280年呉を滅ぼして中国を統一した。
b.晋(西晋)は匈奴に首都長安を攻撃され,皇帝も捕えられて316年に滅亡した。
c.鮮卑の拓跋氏がたてた北魏が東西に分裂した後,東魏は北周に,西魏は北斉に倒された。
d.東晋の武将劉裕は,東晋の皇帝から禅譲を受けて南朝最初の王朝宋を建国した。
<解答解説>
aは司馬睿が司馬炎の誤り。cは北周と北斉が逆。dは正文で,これが作題者の想定する正解だろう。最後に残ったbは一見すると西晋の首都が洛陽なので誤文だが,厳密に言えば正文とも解釈可能である。洛陽は永嘉の乱が勃発した直後の311年に陥落しており,2年後の313年に捕虜となっていた皇帝が処刑された。これを受けて長安にいた皇族が新たに皇帝に即位したが,316年に長安も陥落して西晋は滅亡する。そして長安も陥落してしまったことを見て,317年に建康の司馬睿が東晋を建てるのである。
このような経緯であるため,西晋の最後の3年間の首都は長安だったと見なしうる。そしてこれらのことは教科書上で書いているものは無いものの,用語集の永嘉の乱の項目に記載があるから,かえって範囲内である。つまり,用語集を隅々まで読んで丸暗記していたような受験生にはbも正文と判断されうる。駿台から同様の指摘有り。また駿台はこの件について「他の選択肢や設問では用語集の記載から重箱の隅を突くような知識を問いながら,ここだけ教科書レベルというのでは辻褄が合わない」という至極まっとうな批判をしており,読みながら首が折れるほど頷いてしまった。
23.早稲田大 社会科学部(2つめ)
<種別>出題ミス(複数正解)
<問題>2 問6 下線部(F)について(編註:メアリ2世およびウィリアム3世),2人の治世下における出来事として適切でないものを1つ選べ。
a.国民の生命・財産の保護などを定めた「権利の章典」が制定された。
b.寛容法の制定により,すべての国民に信教の自由が認められた。
c.イングランド銀行が創設され,国債制度も整備され,政府の財政基盤が強化された。
d.スペイン継承戦争が起こると,イギリスはオーストリア側についてフランス・スペイン連合軍と戦った。
<解答解説>
aとcは正文。bは「すべての国民」ではなく「ほとんどの新教徒」であるので誤文である。この法律により新教徒は公職就任を除く社会制度上の差別が全て撤廃されたが,カトリックや異教徒には差別が残された。これが作題者の想定する正解であろう。
残ったdは一見すると正文に見えるが,厳密には誤文になる。まず問題文の「2人の治世下」を2人がともに生きていた時代と解釈すると,メアリ2世は1694年12月に亡くなっているので,当然1701年のスペイン継承戦争勃発時には生存していない(なお,この場合イングランド銀行創設も1694年7月であり際どかった)。また,どちらかが生きていた時代と解釈するとしても,ウィリアム3世が亡くなったのは1702年3月であるのに対し,正式な対仏宣戦布告は5月であり,この時のイギリス王はアン女王である。実際の戦闘は前年の1701年に始まっているから,これをもって「スペイン継承戦争が起こると」とするならセーフであるが。
さらに言えば,スペイン継承戦争にともなって発生した英仏の海外戦争は一般にアン女王戦争と呼び,この呼称は用語集頻度�ながら高校世界史でも扱うので,その連想からdを誤文=正解と見なした受験生はいても何らおかしくない。この推測は受験テクニック的ではあれ,悪くない発想である。しかも寛容法も用語集頻度�であり,「すべての国民」か「ほとんどの新教徒」かは範囲内ながらかなり難しい部類の正誤判定になる。
以上から結論を言えば,本問を出題ミスと見なさないためにはかなり複雑な日本語の解釈が必要であり,しかも悪くない発想を持った受験生を誤答に導く作りにもなっていることから,悪質性の高い問題と言わざるをえない。駿台から同様の指摘有り。というよりも,1702年の3月と5月については私も初見で気付かず,駿台の指摘を読んで気付かされた。鋭くすばらしい指摘。後日,大学当局から謝罪と複数正解を認める旨の発表があった。これは無いとさすがにおかしい。
24.早稲田大 社会科学部(3つめ)
<種別>悪問
<問題>3 問4 下線部(D)について(編註:キリスト教),キリスト教の公会議に関する記述として適切でないものを1つ選べ。
a.325年に小アジアのニケーアではじめて公会議が開かれた。
b.381年のコンスタンティノープル公会議ではじめて三位一体説が主張された。
c.431年のエフェソス公会議でマリアを「神の母」と呼ぶことを認めた。
d.451年のカルケドン公会議の決定に反対してシリアでヤコブ派が生まれた。
<解答解説>
aとcは正文。bが誤文=正解で,用語集に「(三位一体説は)381年のコンスタンティノープル公会議で再確認され」とあるので,ここから「はじめて」を入れて誤文を作ったと思われる。
残ったdは正文のつもりで作ったと思われ,用語集にも同じ表記があるが,シリア正教会をヤコブ派と呼ぶのは不適切である。当人たちがその呼称を否定している。理由としてまず,教派の由来となったヤコブは6世紀の人物であり,シリア正教会自体は当然それ以前,少なくとも451年の時点で成立している。次に,シリア正教会は451年のカルケドン公会議で異端として排斥されたが,当人たちは単性論派であることを否定しており(例えばこのホームページを参照のこと),三位一体説を含んだカトリックや東方正教会と同様の信仰宣言(いわゆるニケア・コンスタンティノープル信条)を採用しているため,アリウス派やネストリウス派と並べられる形での異端扱いを拒否している。理由を読む限り,これらの主張は正当であると思う。
さらに言えば,仮にシリア正教会をヤコブ派と呼ぶとしても,前述の通りヤコブが登場するのは6世紀であるから,451年時点でのシリア正教会をヤコブ派と呼ぶのは単純に時系列として不適切である。まあ,後から名前が付いた組織の名称を過去遡及的に用いる事例はなくはないが,この場合はシリア正教会というより適切な別称があるから,わざわざさかのぼってまでヤコブ派と呼ぶ意味は本当に無い。このdを誤文と見なせば複数正解になるが,用語集に記載があるので情状酌量の余地あり。駿台からも同様の指摘有り。
ほんともう,よく知らないのにキリスト教の教義論争で出題するの,やめませんか。そんなにキリスト教の教義の細かいところ,高校世界史上で大事ですか。ご自分の専門でもないのに?
25.早稲田大 社会科学部(4つめ)
<種別>誤植または悪問
<問題>3 問8 下線部(H)について(編註:イタリア半島の統一),イタリア半島の統一に関する記述として最も適切なものを1つ選べ。
a.マッツィーニはカルボナリを組織してローマ共和国を建国したが,フランス軍に敗れ,イギリスに亡命した。
b.カヴールはサルデーニャ王国の憲法を停止して王権の強化を図ることによって,イタリア統一を導いた。
c.サルデーニャ王国はナポレオン3世と結んだプロンピエールの密約により,ロンバルディアを獲得した。
d.ガリバルディは義勇軍である千人隊(赤シャツ隊)を組織して占領した両シチリア王国を,サルデーニャ王国に献上した。
<解答解説>
aはカルボナリが青年イタリアの誤りのつもりなのだろうが,青年イタリアを入れても誤文になりうる。これは過去無数に指摘している通り。bは逆,カヴールは立憲君主制を確立して富国強兵に成功した。cは一旦飛ばして,dは明白な正文=正解。
さて困ったのがcである。私は最初この文を正文と見なしてdを見て,こっちも正文なので困惑した。よくよく考えてみたところ,おそらくプロンビエールの密約ではなくヴィラフランカの和約だから誤文と言いたいのだと思う。しかし,そもそもヴィラフランカの和約で講和したイタリア統一戦争が開始される前提となったのがプロンビエールの密約である。世界史に詳しくない人のために少し説明を加えると,プロンビエールの密約でフランスとサルデーニャは「サルデーニャは,オーストリアからロンバルディアとヴェネツィアを割譲させる戦争を起こす」「フランスはサルデーニャ側について参戦する」「その見返りにサルデーニャはフランスにサヴォイアとニースを割譲する」ということを取り決めた。実際にイタリア統一戦争が開戦すると,サルデーニャ・フランス連合軍はオーストリアを破ったが,余りに被害が大きかったためにフランスが日和って講和し,ロンバルディアのサルデーニャへの割譲のみで終戦した。それでもサルデーニャは密約を守ってサヴォイアとニースをフランスに割譲した,というのが一連の流れである。
これを踏まえてcの文を読むと,「オーストリアと開戦して」と補えば問題なく意味が通る。確かに補わないと意味を取りづらい文ではあるのだが,この程度の論理的跳躍は早稲田大の入試でよく見るレベルである。よくできる受験生はそれも想定して問題を解くので,こうした設問ごとのダブルスタンダードは受験生を困惑させる。補わないといけない時点でdよりも適切さで劣り,設問の要求は「最も適切なものを選べ」であるから問題自体は成立していると言えるが,そのダブルスタンダードが非常に気持ち悪い。
ところで,それはそれとして問題文,プロンビエールがプロンピエールになっている。まさかと思うが誤植ではなくこれが誤文の根拠か。
26.早稲田大 社会科学部(5つめ)
<種別>悪問
<問題>3 問9 下線部(I)について(編註:ファシズム),イタリアのファシズムに関連する記述として適切でないものを1つ選べ。
a.ファシズムは一党独裁体制の下で強権的に支配を行う一方で,レジャーやスポーツを通じて国民からの合意を獲得しようとした。
b.ファシストによる「ローマ進軍」に対して国王は戒厳令を出さず,逆にムッソリーニに組閣を命じた。
c.ファシスト体制の下でイタリアは対外進出を勧め,1936年にはエチオピアを併合し,さらに39年にはティラナ条約によりアルバニアを保護国化した。
d.1943年7月にムッソリーニが逮捕された後に成立したバドリオ政府は,同年9月に無条件降伏を申し出た。
<解答解説>
aとbは問題なく正文。cはティラナ条約によるアルバニア保護国化が1926・27年,アルバニア併合が39年なので誤文でありこれが正解。審議の対象はdで,駿台は「無条件降伏を自発的に申し出たかのように読める」から誤文と指摘している。これに対する私見は,「無条件降伏“受諾”を申し出た」と補って読んであげれば正文であるし,この省略はそこまでの悪質さを感じず,また他の選択肢に瑕疵があるわけでもないので出題ミスではないというものである。
しかし,ちょっと気持ち悪いのも確かなので校正者を含めて周囲に意見をうかがうと,私以上に「不自然な日本語とは思わない」という人もいる一方で,「相手から提示された条件を受諾するのは『申し出る』とは言わない」という人もおり,かなり意見が割れていた。議論があるのであれば収録する価値はあると見なしてここに掲載する。皆さんはどう思いますか?>読者諸氏
この他,駿台がもう1つ出題の不適切を指摘していたので,コメントしておく。第2問の問3は正文選択で正文がないから解答不能の出題ミスではないかとコメントしていたが,私の判断ではcは正文でよいと思う。「(17世紀の)オランダの自由貿易に敵対的な政策をとったため,イギリス=オランダ戦争が起こった。」という文に対し,駿台は「重商主義的なオランダ東インド会社の存在もあり,純粋な自由貿易とは言えない」と指摘している。しかし,その自由貿易観は19世紀以降のものであろう。まず端的に,教科書のうち山川の『新世界史』は近世のオランダを自由貿易国と位置づけていることを指摘しておく(p.229)。その上で,私の考えでも,世界の通商・金融センターとして自国商人・外国商人に活動の自由を許し,輸入品に保護関税をかけていたわけでもなかった近世のオランダは,自由貿易国であったと言って差し支えない。むしろ重商主義を取らなかったことで,国家による商業統制の弱さがイギリスに覇権を奪われる原因となってしまった。この辺りの議論は玉木俊明氏の諸著作に詳しい(『近世ヨーロッパの誕生』講談社,2009年等)。本問は増田塾も駿台とほぼ同じ指摘をして出題ミスと断じていたが,もう少しマイナー教科書を検討した方がよいのではないか。
本年の社学は収録対象は5つ,全体的に難易度の高い問題であった。それでもまだ4・5年前以前よりはマシであるが,そこへの“復調”を考えていてこのような出題をしたのであれば,悪いことは言わない,考え直せ。
8.早稲田大 国際教養学部
<種別>出題ミス(複数正解)
<問題>4 問4 冷戦末期から冷戦終焉後の世界の民主化の動きに関する以下の記述のうち,誤りを含むものを一つ選びなさい。
ア ピノチェトを中心とする軍部のクーデタ以降,軍部独裁政権が続いていたチリでは,1988年の国民投票で民政移行が決定した。
イ アパルトヘイト諸法が1991年に廃止された南アフリカでは,1994年の選挙でアフリカ民族会議が勝利し,マンデラが大統領に選出された。
ウ 軍部政権が続いていた韓国では,1992年の大統領選挙で金大中が勝利し,文民政権が復活した。
エ 戒厳令が1987年に解除された台湾では,翌年に李登輝が国民党総統に就任し,民主化を促進した。
<解答解説>
ウは1992年に大統領選挙で勝利したのは金泳三であるので,明白な誤り=正解である。一方で,「国民党総統」という表記は不用意で,ここは国民党主席(党首)あるいは中華民国(台湾)総統という表記が正しかろう。国民党総統という地位は存在しないと考えるなら,エもまた誤文になる。大学当局から謝罪と複数正解を認める旨の発表があった。
9.早稲田大 国際教養学部(2つめ)
<種別>難問
<問題>4 問8 多様化する環境問題への国際社会の対応に関する以下の記述のうち、誤りを含むものを一つ選びなさい。
ア 国連人間環境会議は、「人間環境宣言」を採択した。
イ 国連人間環境会議は、国連環境計画の設立を決定した。
ウ 環境と開発に関する国連会議は、生物多様性条約を採択した。
エ 環境と開発に関する国連会議は、国連森林保全条約を採択した。
<解答解説>
最近流行の環境問題に関する問題。かなり細かいものの,アとイは範囲内の情報で正文とわかる。ウとエは不可能。ただ,なんとなくエはなさそうと直感で判断した受験生は少なくなさそうである。この直感で正解。国連森林保全条約はこの時議題には挙がったものの未採択で,現在に至るまで採択されていない。よってエが誤文=正解。環境と開発に関する国連会議では,代わって法的拘束力のない森林原則宣言が発表されている。
10.早稲田大 国際教養学部(3つめ)
<種別>悪問・出題ミスに近い(複数正解)
<問題>4 問9 科学および技術発展に関する以下の記述のうち、誤りを含むものを一つ選びなさい。
ア ディーゼルエンジン自動車は、ダイムラーによって発明された。
イ インターネットは、軍事技術者間の通信手段として発展した。
ウ ラジウムは、キュリー夫妻によって発見され、原子物理学の端緒となった。
エ クローン羊ドリーは、分子生物学を基盤とする生命工学の発展によって誕生した。
<解答解説>
昨年もあったパターン。素直に解くならアはディーゼルエンジン自動車の発明者がディーゼルなので誤文=正解だが,「インターネットの発明は軍事技術の転用」説はかなり危うい俗説であり,少なくとも「軍事技術者間の通信手段として発展」とは言えない。厳密に言えばイも誤文であり,複数正解の出題ミスになる(詳しくは『2巻』の2016早慶17番)。ただし,用語集はこの俗説を掲載しているので,出題ミスと断定するのは少しかわいそうなところ。指摘している予備校なし。
11.早稲田大 国際教養学部(4つめ)
<種別>出題ミス(複数正解)
<問題>5 問2 下線b(編註:“refugee”)に関連する記述として,誤りを含むものを一つ選びなさい。
ア ロシア革命によって皇帝の座を追われたニコライ2世は難民として日本に亡命した。
イ ハンガリー事件に対するソ連の軍事介入により約25万人が難民となって国外に逃亡した。
ウ インドシナ戦争時にベトナムから海路脱出を試みた難民はボートピープルと呼ばれた。
エ 中東戦争によって故郷を追われたアラブ系の難民の帰還をパレスチナ解放機構は目指した。
<解答解説>
解説するのもばからしくなるほどアが明白な誤文=正解である。しかし,ボートピープルが大量に発生したのはインドシナ戦争ではなくベトナム戦争の時であるから,ウも厳密に言えばかなり危うい。一応,ベトナム戦争を第2次インドシナ戦争と呼ぶことはあるので,第2次の付け忘れと見なせば正文になる。ただし,第2次インドシナ戦争という呼び方は,高校世界史ではほとんど全く出てこない。もっとも,アがあまりにも明白な誤文であるので混乱した受験生は少なかろうから,被害者は極めて少ないと思われる。大学から謝罪と複数正解を認める旨の発表があった。
12.早稲田大 国際教養学部(5つめ)
<種別>難問
<問題>5(編註:1951年の難民地位に関する条約の英語の条文の一節)
As a result of events occurring before 1 January 1951 and owing to a well-founded fear of being persecuted for reasons of race, religion, 〔 f 〕, membership of a particular social group or political opinion, is outside the country of his 〔 f 〕 and is unable, or owing to such fear, is unwilling to avail himself of the protection of that country; or who, not having a 〔 f 〕 and being outside the country of his former habitual residence as a result of such events, is unable or, owing to such fear, is unwilling to return to it.
問6 空欄〔 f 〕に入る英語の日本語訳を漢字2文字で記述解答用紙に記入しなさい。
<解答解説>
英語の長文だから英語が読めれば正解できるかというと,英語を読解しても結局難易度が極めて高いのが本問のつらいところ。ひとまず受験世界史の知識と照らし合わせてみると,用語集の「難民」を引くと「人種・宗教・政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるために国外に逃れ,自国の保護を受けられない人々」が難民の定義と提示されているが,この英語の条文を読むと raceもreligionもmembership of a particular social group or political opinionも出ていて,見事に用語集ではわからないところが空欄の箇所になっている。狙いすまして作られた明白な範囲外の難問である。私が自分で最初に解いた時はさっさとここで諦めて調べた。空欄〔 f 〕に入る単語はnationality。訳せば「国籍」になるのでこれが正解。UNHCRの日本版のHPにこの条約の全訳があるが,そこでも「国籍」となっている。
すると校正者の方から,高校生レベルの英語力でも「outside the country of his 〔 f 〕」を「彼の〔 f 〕の国の外に」,また「not having a〔 f 〕 and being outside the country of his former habitual residence」を「〔 f 〕を持っておらずまた彼のかつての居住国の外にいる」と訳せることから,国単位で個人が持つものと考えれば国籍と推測しうるかもしれないという指摘をいただいた。自分では全く至らなかった発想なので目からうろこが落ちた。なるほど,大学側の意図はこれかもしれない。
なお,早稲田大の国際教養学部は毎年世界史・日本史の問題にも英語を入れてくる。この年は世界史の英語でつらかったのはこの1問だけだが,日本史は19世紀末の朝鮮情勢を論じた歴史家の英語長文が出題され,高い英語能力を要求されて非常にしんどかったということを付記しておく(明日更新予定のおまけにて詳述)。
国際教養学部は例年おとなしいのだが,この年はなぜだか5つも収録対象を出してしまった。杜撰なミスが多く,残念至極である。
13.早稲田大 法学部
<種別>悪問
<問題>1 設問2 下線部bの「鉄器」に関して,不適切な記述はどれか。
� ヒッタイトは二頭立ての馬車と鉄器の使用で知られ,その滅亡後,オリエントの他の地域でも鉄器が普及した。
� インドではアーリヤ人の侵入以後に,鉄器が使われるようになった。
� 中国では戦国時代になると重量有輪犂が普及し,家族単位の小規模な農業経営が広がった。
� マヤ文明,インカ文明はついに鉄を知るところがなかった。
<解答解説>
�と�は問題なく正文。�は,中国の戦国時代で普及した犂は車輪がなかったので有輪犂ではなく,誤文。想定された正解はこちらだろう。疑惑の判定は�。従来の通説では正文になるが,近年の学説では鉄器製造技術を独占していたヒッタイト帝国が崩壊し,オリエントが鉄器時代に入ったというのは否定されつつあり,少なくともヒッタイト帝国崩壊前に鉄器製造技術はオリエントに広まっていたとされる。さらに言えば,鉄器の利便性が増して青銅器よりも優先的に使われるようになったのは,むしろヒッタイト帝国が崩壊してからかなり後の前11~10世紀のこと。ただし,ヒッタイトが鉄について特別な関心を持っていて,他の国々に比べて早い時期から大量生産を図ったことは事実のようである。もろもろの情報はこちらの論文を参照のこと。
・津本英利「古代西アジアの鉄製品――銅から鉄へ」『西アジア考古学』5号,2004年
教科書上も対応は割れていて,東京書籍・帝国書院の教科書は旧説の通り。新説の導入が早い帝国書院にしては珍しい出遅れ。山川は青銅器時代から鉄器時代への変化に深入りせず。ただし,『詳説世界史研究』は旧説。実教出版が一番(というよりも飛び抜けて)先進的で,「ヒッタイトの滅亡後も,鉄は他の地域になかなか普及しなかった」とし,上述の論文で取り上げられているカマン・カレホユック遺跡の名前も出して「日本の学術チームが中心となり」と紹介している。純粋な範囲外の知識による疑惑であればまだ情状酌量の余地があったが,実教出版の教科書がこう書いている以上は,わざわざ教科書間で記述が異なる部分から出題したということになり,単なる調査不足である。悪問のそしりは逃れられまい。
14.早稲田大 文学部
<種別>悪問
<問題>6 設問4 下線部d(編註:アイルランドで激しい独立運動が起こり)に関連して20世紀初頭のアイルランドの政治情勢について,必ず以下の語を用いて120字以内で説明しなさい。
アイルランド自治法 イースター蜂起 北アイルランド
<解答解説>
問題のテーマ自体はありふれたもので特に問題無いが,まずいポイントが2箇所ある。まず「20世紀初頭」という言葉の曖昧さと,120字という字数設定である。「初頭」というと最初の約20年間を指すことが多い。一方,20世紀が始まってからアイルランドが独立するまでの流れを箇条書きにするとこうなる。経緯をわかりやすくするため月単位で書いたが,実際の答案作成上は月単位は不要である。
1905年 独立急進派のシン=フェイン党が成立
1914年9月 イギリス議会でアイルランド自治法制定 → 制定前後から北アイルランド問題が悪化
→ 前月の第一次世界大戦勃発を理由に施行延期
1916年4月 施行延期に抗議して,シン=フェイン党過激派によるイースター蜂起が発生
→ イギリスが高圧的に蜂起を鎮圧し,かえって独立気運が高揚
1918年12月 イギリス総選挙において,シン=フェイン党がアイルランドの選挙区で圧勝
1919年1月 シン=フェイン党が勝利した選挙区を領土として独立を宣言,独立戦争開始
1921年12月 イギリスがアイルランドの自治領化を容認し,独立戦争終結
1922年12月 アイルランド自由国成立,英連邦下の自治領として事実上独立
さて,問題は初頭とはどこまでかということである。具体的に言えば,アイルランド独立戦争の終結とアイルランド自由国の成立を解答に含むのかどうか。含んだ方が解答としては綺麗であるが,1921年12月は通常の受験世界史の感覚で言えば初頭ではない。当然1922年12月も同様。一方で,これらを含まずに,かつ個々の事象の説明が詳細になりすぎないように解答を作ると,解答がどうしても120字に満たない。つまり,受験生は厳密な初頭の範囲を守って冗長かつ尻切れトンボな解答を作るか,初頭の範囲を無視した解答を作るしかない。
実際に各予備校の判断も割れている。河合・駿台・代ゼミ・城南は1922年まで使って解答を作成。増田塾・早稲田予備校は1919年までで解答を作成していた。城南予備校は分析で初頭という指定の曖昧さに苦言を呈していた。私が受験生なら1919年までで解答を作ると思う。なお,早稲田大の文学部は毎年1問論述問題を課しているが,字数は多くても50字までであった。今年課された120字は異例の事態といってよい。昨年課された40字の問題も収録対象となっており,この時私は「どう考えても40字では足りない大きすぎるテーマ」と批判したが,今年は完全に逆である。文学部は昨年も今年も論述問題のテーマ選択自体は非常に良かったのだが,なぜにこうも字数の指定が下手なのか。
文学部はその他に張騫の大月氏以外の派遣先として「烏孫」,最古の楔形文字が発掘された都市として「ウルク」,《サント=ヴィクトワール山》から「セザンヌ」を問う等,いくつか範囲内ながら高い難易度の出題があった。長らく文学部は文化構想学部と並んで早稲田大の世界史では易しい部類であったが,ここ2・3年を観察するに難化が著しく,教育学部・人間科学部の方が易しいと言えるまでになってしまった。それで質が維持されているならよいが,とても乱暴な作りの難問が多く,残念である。
15.早稲田大 人間科学部
<種別>悪問
<問題>1 (編註:フランス革命において)しかし実際には,選挙権をはじめ,女性に公的な政治空間に参入する諸権利が与えられることはなかった。それに対して,当時のフランスで女性の権利を主張した〔 B 〕は,17条から成る『女性および女性市民の権利宣言(女権宣言)』を著した。
設問X
B a ローザ=ルクセンブルク b ド=グージュ c ロベスピエール d ラ=ファイエット
<解答解説>
範囲外ながら,aのローザ=ルクセンブルクは時代も地域も違う,cとdは男性だから違うとして正解のbが導けるという問題と思われる。同種の設問は他の私大も含めてたまに見られるが,このような解法は男性がフェミニズムに賛同するはずがないという偏見を助長させるので,強く反対する。事実J=S=ミルのような人もいるのであるから。
教育学部は収録対象無し。殷の初代国王の「湯王」を問うものと,タラス河畔の戦いの場所を問う問題ががグレーゾーンというくらいか。タラス河畔の問題は,選択肢が中国・パキスタン・アフガニスタン・キルギスなので,唐とアッバース朝の国境がパミール高原の辺りということだけわかっていれば解ける。全体としての難易度は普通。
16.早稲田大 政経学部
<種別>難問・奇問
<問題>2 A 5 各列強が空欄bの制度廃止(編註:奴隷制度廃止のこと)を決めた後,それに代わって多くの地域でアジア人の契約労働者が導入されたが,そのうち,日本人契約労働者がほとんど雇用されなかった地域はどこか。
イ ケニア ロ ハワイ ハ ブラジル ニ ニューカレドニア
<解答解説>
普通に「多く雇用された場所」でハワイを聞いてくれれば普通の問題,ブラジルでも難しいが(範囲外),まだ出題意図を理解できる。しかし,「雇用されなかった場所」でケニアかニューカレドニアを選ばされると非常に厳しい。ほとんどの受験生は2択または3択からの鉛筆転がして解答ということになっていたかと思う。もちろんこんなの解けなくてもいいのだが,どちらかというと運で配点の数%が左右されてしまったこと自体,受験生がかわいそうである。正解はイのケニア。ニューカレドニアにはニッケル鉱山の労働者としてそれなりに多くの労働者が渡航している。ハワイから,同じ太平洋は多そうだという推測をせよということか。ただし,そうした推測のさせ方は現実世界の複雑さや例外の多さを鑑みるに非常に危うい。例のセンター地理のムーミンと同じたぐいの危うさである。
17.早稲田大 政経学部(2つめ)
<種別>悪問
<問題>3 A 6 下線部l(編註:帝国の西半分ではゲルマン民族の侵入がますます激しくなった)に関する説明として誤っているのはどれか。
イ 西ゴート族は,4世紀末にドナウ川を渡ってローマ帝国領内に進入し,その後ガリア西南部からイベリア半島にかけての地で王国を建国した。
ロ ヴァンダル族は,5世紀初めにローマ帝国領内に進入し,その後イベリア半島を経て,ガイセリック王のもとで北アフリカに王国を建国した。
ハ 5世紀中頃にフン人支配を脱した東ゴート族は,テオドリック大王のもと493年にオドアケルを倒し,イタリア半島を中心に王国を建国した。
ニ ライン川上流域に定住していたランゴバルド族は,5世紀中頃ローマ帝国領内に進入し,北イタリアを経て,ガリア中南部に王国を建国した。
<解答解説>
ロとハは正文。ニは概ねブルグンド族の説明になっているので誤文であり,これが作題者の想定する正解であろう。イは概ね正文だが,西ゴート族のドナウ川渡河が376年とされており,376年が4世紀末と言えるかどうかによっては誤文と判断できる。14番の文学部の問題でも書いたが,初頭や末は大きくとって20年が限度というのが普通の受験世界史の感覚であり,376年を4世紀末と言うのはかなり苦しいと思われる。ニが明白な誤文なので正解は出せるものの,もっと曖昧な誤文であったら複数正解の疑いが浮上していたところだった。
ところで,問題文では「侵入」なのに,選択肢では「進入」である。何か意識して使い分けているのだろうか。
18.早稲田大 政経学部(3つめ)
<種別>難問
<問題>3 B 1 下線部bの時代(編註:「ローマの平和」と呼ばれる繁栄の時代)の歴史家タキトゥスの作品で,ブリタニア総督を務めた岳父の伝記は何か。
<解答解説>
厳密に言えば用語集に記載があるが,普通は覚えないところであり過剰に難しいので収録対象とした。タキトゥスの作品というとまず覚えるのが『ゲルマニア』,細かく知っている人で『年代記』までであろう。3つめの著作となると細かく聞きすぎている。そもそも通常の高校世界史学習で著作が3つ以上紹介されている人物はルター(「九十五カ条の論題」『キリスト者の自由』とドイツ語訳『新約聖書』),シェイクスピア(四大悲劇+『ヴェニスの商人』),徐光啓(『農政全書』『幾何原本』『崇禎暦書』)くらいか。彼らにしたって,シェイクスピアを聞くなら『ハムレット』であり,徐光啓のうち『崇禎暦書』はアダム=シャールの方で出題することがほとんどだ。彼らに並べて3つめの著作を出すだけの重みがタキトゥスにあるか。
正解は『アグリコラ』。著作名はそのタキトゥスの岳父の名前である。ブリタニアのブーディカの反乱鎮圧に従軍したのがキャリアのスタートで,その後ネロの治世,死後の内乱を生き抜いてウェスパシアヌスに仕える。晩年はブリタニア総督として再度大ブリテン島に赴き,84~85年頃に引退した。タキトゥスの伝記により比較的詳細に人生が判明している人物。どうでもいいが,ブーディカで画像検索すると案の定すごいことになっているし,アグリコラでググってもボードゲームしか出てこないのはちょっとおもしろかった。
19.早稲田大 政経学部(4つめ)
<種別>悪問
<問題>3 B 6 下線部kの約60年後に開かれたカルケドン公会議で退けられたが,シリアやアルメニア,エジプトなどの教会で受け入れられた教義は何か。
<解答解説>
もはや悪問の風物詩と化してきたキリスト教の教義に関する問題。解答は単性論が求められていると思われる。カルケドン公会議で排斥されたという情報だけであれば単性論でも誤りではないが,コプト教会に受け継がれたと踏み込んでしまうと,彼らは厳密には異なる教義(合性論)を持っているので誤りになってしまう。繰り返し言っていることではあるが,もう細かなキリスト教の教義から出題するのは避けたらどうか。
政経学部ではこの他,「奴隷制廃止後,奴隷貿易に代わって出現して現代でも国際的な問題となっている,人間をさらって売り払う行為を何というか」という問いで「人身売買」を答えさせる問題が出ていた。言われてみれば知っているがこう聞かれると答えにくいというたぐいの用語であり,正答率は低かったと思われる。
20.早稲田大 商学部
<種別>悪問・出題ミスに近い
<問題>2 問I 下線部Iについて(編註:元は積極的に東南アジアに軍事遠征を行い),元の軍事遠征が成功し,征服された王朝はどれか。
1.タウングー朝 2.陳朝 3.シンガサリ朝 4.パガン朝
<解答解説>
これも例年発見されるパターンの悪問。タウングー朝は時期が違う,陳朝は滅ぼされていない,シンガサリ朝は同時期に滅んだが元軍に直接滅ぼされたわけではないと消していって,4のパガン朝を正解にさせたいのだと思われるが,パガン朝が元によって滅ぼされたというのは誤りである(2巻のコラム1,p.75を参照のこと)。よって正解なし。ただし,山川をはじめとしていまだに書き換わっていない教科書があるので,情状酌量の余地はある。
21.早稲田大 商学部(2つめ)
<種別>悪問・出題ミスに近い
<問題>3 問J 下線部Jに関連して,主に1960年代のアメリカで軍事目的のために開発されていた複数のコンピュータネットワークを世界的な規模でつなぐネットワークを指すのはどれか。
1.集積回路 2.インターネット 3.ファイアウォール 4.オペレーティング=システム
<解答解説>
今年二度目のインターネット俗説問題。しかもインターネットという語が生まれたのは1980年代に入ってからであり,1969年から70年代の時点ではその原型的な,限定的なネットワークである。「1960年代に開発されていた」「世界的な規模でつなぐ」の部分だけをとってもインターネットは該当しない。軍事技術目的という,用語集も採用している俗説をとったとしても本問は出題ミスでは。おそらく「君らにも身近なインターネットも歴史の一部なんだよ」的な発想で出題していると思われるが,ちゃんと調べてから出題してほしい。
例年の商学部は中国史で謎の難問・悪問を乱発する癖があったが,本年はなりを潜めていた。この2つ以外はインド人民党の名前と特徴を問う問題が難しかったくらいか。私自身,最初はこれ範囲外ではと疑っていたのだが,用語集頻度�で,山川の教科書で詳細に説明されていた。盲点である。実際の受験生はほとんど書けなかったと思われる。
22.早稲田大 社会科学部
<種別>出題ミス(複数正解)
<問題>1 問2 下線部(B)について(編註:魏晋南北朝),魏晋南北朝時代の諸国に関連する記述のうち,最も適切なものを1つ選べ。
a.魏の将軍だった司馬睿は晋(西晋)をたてたのち,280年呉を滅ぼして中国を統一した。
b.晋(西晋)は匈奴に首都長安を攻撃され,皇帝も捕えられて316年に滅亡した。
c.鮮卑の拓跋氏がたてた北魏が東西に分裂した後,東魏は北周に,西魏は北斉に倒された。
d.東晋の武将劉裕は,東晋の皇帝から禅譲を受けて南朝最初の王朝宋を建国した。
<解答解説>
aは司馬睿が司馬炎の誤り。cは北周と北斉が逆。dは正文で,これが作題者の想定する正解だろう。最後に残ったbは一見すると西晋の首都が洛陽なので誤文だが,厳密に言えば正文とも解釈可能である。洛陽は永嘉の乱が勃発した直後の311年に陥落しており,2年後の313年に捕虜となっていた皇帝が処刑された。これを受けて長安にいた皇族が新たに皇帝に即位したが,316年に長安も陥落して西晋は滅亡する。そして長安も陥落してしまったことを見て,317年に建康の司馬睿が東晋を建てるのである。
このような経緯であるため,西晋の最後の3年間の首都は長安だったと見なしうる。そしてこれらのことは教科書上で書いているものは無いものの,用語集の永嘉の乱の項目に記載があるから,かえって範囲内である。つまり,用語集を隅々まで読んで丸暗記していたような受験生にはbも正文と判断されうる。駿台から同様の指摘有り。また駿台はこの件について「他の選択肢や設問では用語集の記載から重箱の隅を突くような知識を問いながら,ここだけ教科書レベルというのでは辻褄が合わない」という至極まっとうな批判をしており,読みながら首が折れるほど頷いてしまった。
23.早稲田大 社会科学部(2つめ)
<種別>出題ミス(複数正解)
<問題>2 問6 下線部(F)について(編註:メアリ2世およびウィリアム3世),2人の治世下における出来事として適切でないものを1つ選べ。
a.国民の生命・財産の保護などを定めた「権利の章典」が制定された。
b.寛容法の制定により,すべての国民に信教の自由が認められた。
c.イングランド銀行が創設され,国債制度も整備され,政府の財政基盤が強化された。
d.スペイン継承戦争が起こると,イギリスはオーストリア側についてフランス・スペイン連合軍と戦った。
<解答解説>
aとcは正文。bは「すべての国民」ではなく「ほとんどの新教徒」であるので誤文である。この法律により新教徒は公職就任を除く社会制度上の差別が全て撤廃されたが,カトリックや異教徒には差別が残された。これが作題者の想定する正解であろう。
残ったdは一見すると正文に見えるが,厳密には誤文になる。まず問題文の「2人の治世下」を2人がともに生きていた時代と解釈すると,メアリ2世は1694年12月に亡くなっているので,当然1701年のスペイン継承戦争勃発時には生存していない(なお,この場合イングランド銀行創設も1694年7月であり際どかった)。また,どちらかが生きていた時代と解釈するとしても,ウィリアム3世が亡くなったのは1702年3月であるのに対し,正式な対仏宣戦布告は5月であり,この時のイギリス王はアン女王である。実際の戦闘は前年の1701年に始まっているから,これをもって「スペイン継承戦争が起こると」とするならセーフであるが。
さらに言えば,スペイン継承戦争にともなって発生した英仏の海外戦争は一般にアン女王戦争と呼び,この呼称は用語集頻度�ながら高校世界史でも扱うので,その連想からdを誤文=正解と見なした受験生はいても何らおかしくない。この推測は受験テクニック的ではあれ,悪くない発想である。しかも寛容法も用語集頻度�であり,「すべての国民」か「ほとんどの新教徒」かは範囲内ながらかなり難しい部類の正誤判定になる。
以上から結論を言えば,本問を出題ミスと見なさないためにはかなり複雑な日本語の解釈が必要であり,しかも悪くない発想を持った受験生を誤答に導く作りにもなっていることから,悪質性の高い問題と言わざるをえない。駿台から同様の指摘有り。というよりも,1702年の3月と5月については私も初見で気付かず,駿台の指摘を読んで気付かされた。鋭くすばらしい指摘。後日,大学当局から謝罪と複数正解を認める旨の発表があった。これは無いとさすがにおかしい。
24.早稲田大 社会科学部(3つめ)
<種別>悪問
<問題>3 問4 下線部(D)について(編註:キリスト教),キリスト教の公会議に関する記述として適切でないものを1つ選べ。
a.325年に小アジアのニケーアではじめて公会議が開かれた。
b.381年のコンスタンティノープル公会議ではじめて三位一体説が主張された。
c.431年のエフェソス公会議でマリアを「神の母」と呼ぶことを認めた。
d.451年のカルケドン公会議の決定に反対してシリアでヤコブ派が生まれた。
<解答解説>
aとcは正文。bが誤文=正解で,用語集に「(三位一体説は)381年のコンスタンティノープル公会議で再確認され」とあるので,ここから「はじめて」を入れて誤文を作ったと思われる。
残ったdは正文のつもりで作ったと思われ,用語集にも同じ表記があるが,シリア正教会をヤコブ派と呼ぶのは不適切である。当人たちがその呼称を否定している。理由としてまず,教派の由来となったヤコブは6世紀の人物であり,シリア正教会自体は当然それ以前,少なくとも451年の時点で成立している。次に,シリア正教会は451年のカルケドン公会議で異端として排斥されたが,当人たちは単性論派であることを否定しており(例えばこのホームページを参照のこと),三位一体説を含んだカトリックや東方正教会と同様の信仰宣言(いわゆるニケア・コンスタンティノープル信条)を採用しているため,アリウス派やネストリウス派と並べられる形での異端扱いを拒否している。理由を読む限り,これらの主張は正当であると思う。
さらに言えば,仮にシリア正教会をヤコブ派と呼ぶとしても,前述の通りヤコブが登場するのは6世紀であるから,451年時点でのシリア正教会をヤコブ派と呼ぶのは単純に時系列として不適切である。まあ,後から名前が付いた組織の名称を過去遡及的に用いる事例はなくはないが,この場合はシリア正教会というより適切な別称があるから,わざわざさかのぼってまでヤコブ派と呼ぶ意味は本当に無い。このdを誤文と見なせば複数正解になるが,用語集に記載があるので情状酌量の余地あり。駿台からも同様の指摘有り。
ほんともう,よく知らないのにキリスト教の教義論争で出題するの,やめませんか。そんなにキリスト教の教義の細かいところ,高校世界史上で大事ですか。ご自分の専門でもないのに?
25.早稲田大 社会科学部(4つめ)
<種別>誤植または悪問
<問題>3 問8 下線部(H)について(編註:イタリア半島の統一),イタリア半島の統一に関する記述として最も適切なものを1つ選べ。
a.マッツィーニはカルボナリを組織してローマ共和国を建国したが,フランス軍に敗れ,イギリスに亡命した。
b.カヴールはサルデーニャ王国の憲法を停止して王権の強化を図ることによって,イタリア統一を導いた。
c.サルデーニャ王国はナポレオン3世と結んだプロンピエールの密約により,ロンバルディアを獲得した。
d.ガリバルディは義勇軍である千人隊(赤シャツ隊)を組織して占領した両シチリア王国を,サルデーニャ王国に献上した。
<解答解説>
aはカルボナリが青年イタリアの誤りのつもりなのだろうが,青年イタリアを入れても誤文になりうる。これは過去無数に指摘している通り。bは逆,カヴールは立憲君主制を確立して富国強兵に成功した。cは一旦飛ばして,dは明白な正文=正解。
さて困ったのがcである。私は最初この文を正文と見なしてdを見て,こっちも正文なので困惑した。よくよく考えてみたところ,おそらくプロンビエールの密約ではなくヴィラフランカの和約だから誤文と言いたいのだと思う。しかし,そもそもヴィラフランカの和約で講和したイタリア統一戦争が開始される前提となったのがプロンビエールの密約である。世界史に詳しくない人のために少し説明を加えると,プロンビエールの密約でフランスとサルデーニャは「サルデーニャは,オーストリアからロンバルディアとヴェネツィアを割譲させる戦争を起こす」「フランスはサルデーニャ側について参戦する」「その見返りにサルデーニャはフランスにサヴォイアとニースを割譲する」ということを取り決めた。実際にイタリア統一戦争が開戦すると,サルデーニャ・フランス連合軍はオーストリアを破ったが,余りに被害が大きかったためにフランスが日和って講和し,ロンバルディアのサルデーニャへの割譲のみで終戦した。それでもサルデーニャは密約を守ってサヴォイアとニースをフランスに割譲した,というのが一連の流れである。
これを踏まえてcの文を読むと,「オーストリアと開戦して」と補えば問題なく意味が通る。確かに補わないと意味を取りづらい文ではあるのだが,この程度の論理的跳躍は早稲田大の入試でよく見るレベルである。よくできる受験生はそれも想定して問題を解くので,こうした設問ごとのダブルスタンダードは受験生を困惑させる。補わないといけない時点でdよりも適切さで劣り,設問の要求は「最も適切なものを選べ」であるから問題自体は成立していると言えるが,そのダブルスタンダードが非常に気持ち悪い。
ところで,それはそれとして問題文,プロンビエールがプロンピエールになっている。まさかと思うが誤植ではなくこれが誤文の根拠か。
26.早稲田大 社会科学部(5つめ)
<種別>悪問
<問題>3 問9 下線部(I)について(編註:ファシズム),イタリアのファシズムに関連する記述として適切でないものを1つ選べ。
a.ファシズムは一党独裁体制の下で強権的に支配を行う一方で,レジャーやスポーツを通じて国民からの合意を獲得しようとした。
b.ファシストによる「ローマ進軍」に対して国王は戒厳令を出さず,逆にムッソリーニに組閣を命じた。
c.ファシスト体制の下でイタリアは対外進出を勧め,1936年にはエチオピアを併合し,さらに39年にはティラナ条約によりアルバニアを保護国化した。
d.1943年7月にムッソリーニが逮捕された後に成立したバドリオ政府は,同年9月に無条件降伏を申し出た。
<解答解説>
aとbは問題なく正文。cはティラナ条約によるアルバニア保護国化が1926・27年,アルバニア併合が39年なので誤文でありこれが正解。審議の対象はdで,駿台は「無条件降伏を自発的に申し出たかのように読める」から誤文と指摘している。これに対する私見は,「無条件降伏“受諾”を申し出た」と補って読んであげれば正文であるし,この省略はそこまでの悪質さを感じず,また他の選択肢に瑕疵があるわけでもないので出題ミスではないというものである。
しかし,ちょっと気持ち悪いのも確かなので校正者を含めて周囲に意見をうかがうと,私以上に「不自然な日本語とは思わない」という人もいる一方で,「相手から提示された条件を受諾するのは『申し出る』とは言わない」という人もおり,かなり意見が割れていた。議論があるのであれば収録する価値はあると見なしてここに掲載する。皆さんはどう思いますか?>読者諸氏
この他,駿台がもう1つ出題の不適切を指摘していたので,コメントしておく。第2問の問3は正文選択で正文がないから解答不能の出題ミスではないかとコメントしていたが,私の判断ではcは正文でよいと思う。「(17世紀の)オランダの自由貿易に敵対的な政策をとったため,イギリス=オランダ戦争が起こった。」という文に対し,駿台は「重商主義的なオランダ東インド会社の存在もあり,純粋な自由貿易とは言えない」と指摘している。しかし,その自由貿易観は19世紀以降のものであろう。まず端的に,教科書のうち山川の『新世界史』は近世のオランダを自由貿易国と位置づけていることを指摘しておく(p.229)。その上で,私の考えでも,世界の通商・金融センターとして自国商人・外国商人に活動の自由を許し,輸入品に保護関税をかけていたわけでもなかった近世のオランダは,自由貿易国であったと言って差し支えない。むしろ重商主義を取らなかったことで,国家による商業統制の弱さがイギリスに覇権を奪われる原因となってしまった。この辺りの議論は玉木俊明氏の諸著作に詳しい(『近世ヨーロッパの誕生』講談社,2009年等)。本問は増田塾も駿台とほぼ同じ指摘をして出題ミスと断じていたが,もう少しマイナー教科書を検討した方がよいのではないか。
本年の社学は収録対象は5つ,全体的に難易度の高い問題であった。それでもまだ4・5年前以前よりはマシであるが,そこへの“復調”を考えていてこのような出題をしたのであれば,悪いことは言わない,考え直せ。
Posted by dg_law at 16:00│Comments(2)
この記事へのコメント
毎年拝読するのを楽しみにしております。
26.早稲田大 社会科学部(5つめ)の「無条件降伏を申し出た」の件、わたくしは駿台が指摘するように自発的に申し出たかのように見えて、若干日本語として不自然と感じました。
26.早稲田大 社会科学部(5つめ)の「無条件降伏を申し出た」の件、わたくしは駿台が指摘するように自発的に申し出たかのように見えて、若干日本語として不自然と感じました。
Posted by Arot at 2018年03月18日 17:14
重箱の隅ですが念の為、
26.b
「ローマ進軍」に大して国王は戒厳令を出さず
対してかと
26.b
「ローマ進軍」に大して国王は戒厳令を出さず
対してかと
Posted by shigak19 at 2018年03月18日 17:36