先日こんな増田があった。
彼らは、勉強=キライ、怒られる、自分が惨めになるだけ、といった思い込みがある場合が多い。どうせ分からないのだから頑張るのは無駄、と思うらしい。で、Togetterでまとめられてた子のように無意識にアパシー状態になる子が多かった。
以前から何度も書いているが、私は発達障害者である。
ついでに学習障害 (LD)とおぼしき症状もあって、小1のときはあまりにも勉強ができないため、隣のクラスの先生から「あの子は特殊学級へやったほうがいいんじゃないか」と言われていた。これを聞いた母親がすごく憤慨していたのをいまだに覚えている。
おぼしき、と書いたのは、その当時にはまだ「学習障害」という概念そのものがなかったからだ。だから当時に診断は受けていない。診断基準そのものもなかった。
私はとくに算数についていくことができず、それは小学生の最初から顕著だった。自分だけが理解できないことは、この増田が書いているようにすごくみじめだった。この増田はじつによくできない子の心情を理解している。そこがすごい。
こんな反論ブログもあった。
叩かれている理由もわかるが、この人の言いたいことも一応わかる。これは私自身がアホの子だったからだが、やっぱり「どうしてもわからない」という事はあるんじゃないかと思う。
ここでちょっと話題は変わるが、これを読んでいる人の中に、知能検査というのを受けた人はいらっしゃるだろうか。
私は36歳のときに、発達障害の確定診断のために知能検査「WAIS Ⅲ」(ワイズスリー)というのを受けた。
知能検査についてくわしく知りたい方は、こちらのブログを参照されたい。
2回に分けて、いろいろなテストをしたり、ブロックを組み立てたりするのだけれど、これまでの経験から自分はかなりひどいアホの子だと思っていたのだが、結果は意外だった。
私の言語性IQは通常より高くて120近くあった。これに対して動作性IQはすごく低くて68しかなかったのだ。IQ68というと、これはIQの分類で軽度知的障害のレベルにあたる。(軽度知的障害は、IQ51〜71)
私の場合は、とりわけ「処理」という項目が低かった。だからマルチタスクを口頭のみで伝えられたりすると脳の処理が追いつかず、ぽかんとしてまさに「アホの子」になってしまう。
これは自分がアルバイトをしていたときに実際にあった話だが、
先輩「Aさんは明日10時、Bさんはあさって13時、Cさんは明日の17時、ねねさんは明日11時に出勤してね」
私「???」
私「あの〜すみません、私はいつ何時でしたっけ?」
先輩「だからさっき言ったでしょ。Aさんは〜(リピート)」
私「えーと、あの私は何時でしょうか…」
先輩「あなた人の話ちゃんと聞いてるの?ふざけないでよ」
このとき、私の頭の中では情報の処理ができていない。
定型発達の人は自分がいつ出勤すれば良いのかだけを取捨選択して聞き、それを即座に処理することができるが、私のような障害者の場合、Aさんの予定、Bさんの予定、Cさんは…と頭の中が混乱してしまい、取捨選択や並行処理ができないのである。
何度も同じことを質問してしまい、もうあなたにはうんざり、という表情を返された経験は幾度となくある。そのたびに自分は駄目だ、相手に迷惑をかけてしまったという負の感情が澱のように積み重なっていく。
発達障害の人でこのような経験を多くして、極端に低い自己評価になってしまっている人が大勢いる。
私は自分が知能検査を受けたあと、自分の特性がクリアになったことをすごく喜んだ。なぜあんなに苦しかったのか。自分だけができなくて皆から取り残され、みじめな思いをしていた理由がやっと解明されたのだ。原因は私の脳、IQにあったのだ。
がんばってもがんばっても人の半分にも追いつかない、どうして自分だけができないのか皆目わからない。相手のしゃべっていることが理解できない。全部、どうしようもなくつらかった。
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「アホな子を教えるのは絶望的に大変だった話」では、「才能」という言い方をしているがありていに言えばIQのことだと思う。
以前、フミコフミオさんの記事で、こんなものがあった。
私はこれを読んだときに、「鳶が鷹を生む」という普遍的に知られているはずのことわざに対して「なんで鳥の話が出るんだよ」という返しをする友人は、正直言うと言語性IQが低いんではないかと感じてしまった。
フミコさんが、ブログでその圧倒的な文才を見せているのとあまりにも違いすぎる。
ぞくに言われているように、IQが違いすぎると会話が成立しないというのを思い出してしまった。だから「これは二人にIQの差があるんじゃないのか」というコメントをつけたら、別の人から「そんなことを書く人だとは思わなかった」というコメントをつけられてしまったので、あちゃーと思い、コメントを削除してしまった。
だが、今でもこの友人とフミコさんのあいだには言語性IQの差があるのではとひそかに思っている。
しかし悩ましいのは、かりに学習障害や識字障害、知的障害のある生徒さんがいたとしても、それを塾側や家庭教師側はどうにもできないことだと思う。一人の子供を医療機関につなげるためには親の理解が絶対に必要だ。親が、自分の子供を障害児かもしれないと思うのは大変なストレスなのである。
最後に自分のアホの子エピソードを紹介すると、中学生で英語の授業が始まったときに「動詞」の意味がさっそくわからなかった。日本語としてわからなかったのである。「助動詞」になると、さらに意味不明である。
「動きを表す言葉が動詞なんですよ」と先生が言うので、ほほう、そうなのかと思っていたら「LOVE」も動詞だという。愛するってどこがどう動いているんだ。どこが動くんだ。RUNならわかるが、象徴的でわからない。私の頭の中に、「LOVE」という文字に足が生えて走って行く図が浮かぶが、混乱してなにがどうしたらこの図が「動詞」なのかさっぱりわからない。
おまけに「過去分詞」「三人称複数」とかが出てくると、言葉としてまったく意味がわからない。三人称単数?とかになると動詞にSがつく?なんでそうなるんですか?意味がわからない。
ようするに文法用語の意味がわからないことでつまづいていたのである。
私の英語の成績は最後まで散々で、テストでもほとんど点はとれなかった。
これは今だから分析できることで、当時は何がわからないのかもわからなかった。わからないことが恥ずかしく、先生に聞きに行くこともできないし、聞きに行っても「何が言いたいのかわからない」と追い返される始末だった。
勉強が理解できなかったときの混乱や、皆においていかれる恐怖や焦りを思い出すと、今でも泣けてくる。
前掲の増田はすごいと思う。この人に習って伸びて行った子供たちは本当にラッキーだと思う。
おわり