この画像は、だいぶ前に私が脚本を書いたOVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)、「るろうに剣心 追憶編」の一場面である。幕末の京都で、「人斬り抜刀斎」と呼ばれ佐幕派から恐れられる主人公・緋村剣心が、今まさにその「人斬り」をしたばかりのシーンだ。
自分の、しかもかなり前の作品を話題にするなど、脚本家としては棺桶に半分片足を突っ込んだも同然なのだが(笑)、この作品は十数年前の発売以来、お陰様で多くの方々に愛され、海外にもいまだファンが多く、つい最近もネットで期間限定の無料配信があったりした。
よって、もしかするとほんの少しは、当時の脚本作業の裏話などに興味のある方もいらっしゃるかもしれないので、以下、記憶を頼りに書いてみる。
尚、記事のテーマをあえて「映画」とした。以下をお読みいただければ理由がわかる。
脚本のオファーがあったのは、1998年だったと思う。
その前に私は同作品のテレビシリーズに参加したのだが、呼ばれたのが放送もそろそろ終わり頃という時期で、事実、私が脚本を担当したエピソードがシリーズの最終回になった。何だか「呼ばれた途端に終わりか」と中途半端な気分でいたら、テレビシリーズの監督さんがこの「追憶編」を作る事になり、私に声を掛けてくれたのだった。
私は一応、いつもお引き受けする前に原作漫画を読む事にしている。
で、「そのままいけそうならありがたくお引き受けする」、「そうでないなら(改変が必要なら)、『改変してもいいかどうか』確認させてもらい、それがOKなら喜んでお引き受けする」というスタンスをとっている。これは今でも変わらない。
この時は、原作を一読して「あ、これはいける」という直感があり、すぐにお引き受けする事に決めた。まず何と言っても、「幕末の人斬りをリアルに描く」などという仕事は当時のアニメでは滅多になかったし、原作はそうした題材でありながら実に「人間の基本」といえる男女の愛がメインに据えられていたから、きっと面白い作品になると思ったのだ。
もう一つの直感があった。
「これは、五社英雄監督、橋本忍脚本のあの名作『人斬り』の世界だ」
「人斬り」は1969年の映画で、私は80年代の大学生の頃に名画座で見ていた。題名通り、幕末に土佐藩に実在した「人斬り以蔵」こと岡田以蔵(勝新太郎)を主人公にした作品である。
この直感は、単に「人斬りつながり」だけによるものではない。
あの映画に登場する、以蔵を始めとする人斬りたちは実に泥臭く、貧困の出だが剣の腕だけで世に出ようとあがき、しかしそのあがきを激動の幕末に権力者たちに利用されてしまい、最後は「ただの殺人マシーン」と化し、ことごとく悲壮な死を遂げるというキャラたちだ(剣心は死なないが)。
勝新の迫力は言うまでもないのだが、薩摩の「人斬り新兵衛」と呼ばれた田中新兵衛役を、何と割腹自殺するほんの数年前の三島由紀夫が演じ、しかも切腹シーンまである。台詞は棒読みだが、幕末の薩摩独特の示現流の使い手として、何ともドスの効いた殺陣を見せた。
五社監督の演出も全編に渡っていい意味で実に泥臭く、土砂降りの中で人々が死に物狂いで斬り合う様等が壮絶な映画なのである。
私は「あ、あの泥臭さだ。あれが今度の『追憶編』には絶対に必要だ」と思ったのだ。
監督にもそう言い、実際「人斬り」も見てもらった。監督は一言「なるほど、よくわかりました」と言ってくれたから、そこで既にいい具合に監督と脚本家の共通認識ができあがった。
ただ、これはしっかりと書き留めておくが、いくら「映画『人斬り』みたいな世界観にしよう」という方針を立てたからといって、脚本にも、勿論仕上がった作品にも、「人斬り」の丸パクリはワンシーンもない。そこは、はばかりながら、我々スタッフの「プロの矜持」というものだ。
ともかく、スタートはこんな感じだったと思う。
幸いな事に、私は十代の頃から「歴女」ならぬ「歴男」、つまり筋金入りの歴史オタである。なのでどなたかに歴史考証をお願いするまでもなく、原作にない、しかし当時の歴史的事実等を比較的自在に挿入する事ができる。それに幕末当時の各勢力のパワーバランス、いつ、どこでどんな事件が起きたかもほぼ頭に入っているから、その意味で何とも私向けの仕事だったのだろう。
いざ脚本を書き始めると、大筋の剣心とヒロイン・巴のラブストーリーは動かしようがないし、そもそも原作のそれ自体がとても良いものだったのでそのままとしたものの、歴史的事件をリアルに、忠実に挟み込む作業に夢中になった。原作に比べて、剣心を配下として使う桂小五郎や高杉晋作、新撰組等に大幅にスポットが当てられているのはそういった事情による。
つまり、「歴史オタ炸裂脚本」になった訳である(笑)。
それと、上記の映画「人斬り」への、というよりその脚本家橋本忍へのオマージュも非常に強く込めた。
以前の記事にも書いたが、彼の脚本は「時間軸をバラバラにする」のが真骨頂で、黒澤の「羅生門」や小林正樹監督の「切腹」、野村芳太郎監督の「砂の器」などがその代表格である。現在と過去が複雑に入り交じり、しかし全体としてはそれらをジグゾーパズルのように組み合わせていく事で、不思議な感動を生む。彼はこの「人斬り」ではその「時間軸バラし」はやっていないのだが、同じ橋本脚本つながりで私も挑戦してみようと思ったのである。
なので、「追憶編」をご覧になった方はよくご存じだと思うのだが、京都で人斬りを続ける剣心の「今」と、彼が幼くして剣を習得し、桂たちに拾われ殺し屋になっていく「過去」、さらにはヒロイン巴の謎めいた「今」と、彼女の悲しい「過去」がかなり複雑に入り乱れる構成になっている。
ただ、幸いにして、今まで「時間軸がバラバラで見づらい」というご意見はいただいた事はないので、一応、橋本脚本には及ばないものの、目論見としては成功したのだと思う。
脚本会議の時の、私たちスタッフの共通認識は以下の通りだった。これは今でも鮮明に覚えている。
1 全ての台詞を厳選し、安易な会話は絶対にさせない。
2 各キャラクターの「心情描写」は完璧にやって当たり前、かつ、細心の注意をはらう。
3 「日本の四季折々」を徹底的に描く。ただし、「フジヤマゲイシャ」的な描写に堕する事なく、幕末の日本を忠実に再現する事で、自然にこの国の四季を描いていく。
4 歴史的事実や当時の社会背景は物語のバックボーンとして濃厚にもたせるが、それを敢えて前面には出さず、そこは「歴史オタさえわかればよし」程度にとどめる(これは、物語のうねりや盛り上がりを損ねないためである)。
5 テレビ放送用の作品ではないので、「人が刀で斬られればおびただしい出血があるのは当然」であり、その描写については逃げずに真っ向から表現する。その結果凄惨な映像になったとしても、それは「人斬りの歴史的事実」を描く事に他ならないから、批判を恐れない。
これらの共通認識はかなりの気構えと胆力を要するもので、だが誰一人として異を唱える人はなく、皆、もの凄い熱気をはらんで会議を進めた。
特に台詞の厳選については監督と相当議論し、喧嘩も揉め事もなかったものの、双方知力を尽くして限界まで話し合うという、真剣勝負の連続だった。
物語の途中、勤王派の一党(あれは今風に言えば過激派武装勢力なのだが、剣心はこちら側に属している)と、新撰組が激突する有名な「池田屋騒動」のエピソードが登場する。
この時は、京都の地理に詳しい人に説明を聞き、当時壬生にあった新撰組の屯所から池田屋までは、実際徒歩で何十分ぐらいだったのかとか、京都の祇園祭に集まった江戸時代末期の群衆とは、一体どれくらいの人数だっのたかとか、とにかくひたすら「リアル」な脚本作りにこだわった。まだネットの普及していなかった頃だから、私は始終家の近くの図書館に通い、歴史資料を調べてはうろ覚えの「歴史オタ知識」を補完したりした。
監督との議論で言えば。
クライマックスで、剣心と幕府側の刺客組の頭領が雪山で対決する際、頭領が戦いながら剣心に「江戸幕府とは何か」とかなりの長台詞で語るシーンがある。
あれは本当に大変で、何度書き直しても監督が納得せず、書いた私自身も今ひとつ腑に落ちず、気が遠くなるほど修正を繰り返した。お陰で、完成したシーンは役者さんの素晴らしい演技と作画チームの巧みの技によって見事に仕上がったが、脚本を書いた私自身は、あのシーンの台詞だけで脚本何本分ものエネルギーを消費した感じだった。
私もこのように相当苦労したが、それ以上に、決定稿が仕上がった時の達成感もまた相当なものだった。
むしろ、その脚本を受け取ったスタッフの、その後の完成までの道のりは私の何十倍もの苦難の連続だったそうで、全てのセクションが、大袈裟でなく「持てる力の全てを出し切った」仕事だったという。
その「全員が全てを出し切った」結果は、未見の方にぜひその目で確かめていただきたい。あの映像の美しさ、素晴らしさは、私の脚本なと゜遙かに超えて、何とも「次元の高い作品」へと昇華されている。これはライター冥利に尽きるものだし、当時のスタッフのあの努力とエネルギーには本当に頭の下がる思いでいっぱいだ。
実はこの作品、2000年頃のリリース当初は賛否両論で、どちらかと言えば「否」の方が多かった記憶がある。
あまりにリアルに過ぎ、原作漫画やテレビシリーズに慣れ親しんでいたファンの方々から「グロい」、「剣心のキャラクターデザインがテレビよりもリアル顔になっていて怖い」、「人殺しの剣心はあんまり見たくない」といった反応が多々あった。
しかし、私たちスタッフはそういう反応は最初から予想していたし、むしろそんな拒否感が出て初めて、私たちの目指した「幕末のリアル」が実証されると考えていたから、特に気にする事もなかった。むしろ歓迎する気分があったように思う。
ところがその後、海外で「SAMAURAI X」というタイトルでリリースされたらこれが大変な評判になり、当時の北米の全ソフト売り上げランキングで、かなりの期間ベスト10内に入り続け、ハリウッド映画の大作ソフトがひしめく中、最高で第7位までいくという快挙を成し遂げた。
あちらのケーブルテレビでも繰り返し放送されたのだそうで、後に知り合った外国人に「あれの脚本を書いたんだよ」と言ったら、彼が目を丸くして、まるで大スターにでも会ったように感激し「サインしてくれ!」と言ってくれたりした(笑)。これまたライター冥利に尽きる。
何しろ古い作品なので、記憶が怪しくなってくる前に切り上げよう。
しかし、いずれにせよ、この作品に携われた事は今でも幸せだったと思っているし、何よりこれほど長い間かなりの国で愛されているという事が、非常に嬉しい。
こういう時、我々は「゛脚本家になってよかった」と思う訳である。
未見の方は、この機会に是非(最後は宣伝臭くて済みません。笑)。