全国有数の中高一貫のミッション系男子校、ラ・サール中学・高校(鹿児島市)。1970年代から東京大学の高校別合格ベストテンに入り、80年代には100人を超す合格者を出して開成高校や灘高校と上位を争った年もあった。現在の東大合格者はその半分以下の水準だが、今度は国公立大学医学部の合格率で全国トップを競っている。西郷隆盛や大久保利通ら明治維新の英傑を輩出した鹿児島で、新たな人材を生み出すラ・サールを訪ねた。
■3人に1人が医学部に
「ハイレベルでアカデミックな学校。生徒たちは勉強もよくやるが、寮生活を通して、うまく自分をコントロールできる自立心を養っている」。桜島を望む鹿児島市南部にあるラ・サール。メキシコ出身のドミンゴ・ビヤミル校長は流ちょうな日本語でこう話す。
カトリック系の教育修道会であるラ・サール会(本部ローマ)には世界に1100程度の学校がある。ブラザーと呼ばれる修道士として各国を回ったドミンゴ校長は、2年前に38歳で校長に就任したが、ラ・サール生のレベルの高さに驚いたという。
ラ・サール中学の1学年の定員は160人、高校は240人。2018年の合格実績(3月16日現在)は東大42人、京都大学10人、国公立大学医学部は80人前後になる見通しで、私立を含めると、ラ・サール生の約4割が医学部に進む。ラ・サール在籍42年を数える谷口哲生副校長は、「以前は東大志向だったが、官僚や弁護士が不人気で文系志望が少なくなり、今は圧倒的に医学部志向になった。合格率では全国トップ3には入りますね」という。
東大の合格者が100人を超えたのは7回、最高は117人だった。この10年余りで東大一直線からシフトしたわけだが、OBから「医学部偏重」を懸念する声も高まるほどだ。だが、現在のラ・サール生の3分の1の保護者は医師で、入学時から医学部を目指す生徒が多い。国公立の医学部の難易度は年々上昇して旧帝大クラスでは、東大理科1類や2類の偏差値を上回るケースもある。「医学部志望の生徒を東大に変えれば、合格者は一気に伸びるでしょうが、あくまで生徒の希望に任せていますから」と谷口副校長は苦笑いする。
ラ・サール高校が誕生したのは戦後の1950年。ラ・サール会がフランシスコ・ザビエルの来日400年にちなみ、日本での学校設立を考え、ザビエルゆかりの鹿児島を選んだ。それから10年程度で進学校に飛躍したわけだ。東京や関西などの大都市圏から遠く離れた鹿児島市は人口60万人弱の地方都市。全国銘柄の有力企業もない鹿児島に全国から生徒が集まる進学校がなぜ生まれたのか。
■週テストで鍛える
「教員は受験生のような気分でがんばってきた」(谷口副校長)。もともと明治維新の逸材を輩出した鹿児島の保護者は教育熱心。ラ・サールは創立早々、有能な教員を集め、生徒を鍛えた。毎週、英語や数学など5教科を対象に1回2時間の「週テスト」を実施、東大など難関大の入試を徹底分析して、傾向と対策を磨いた。点数が合格ラインを満たない生徒には追試や補習を繰り返す。
今も有能な教員の確保に奔走しているが、「うちの出身で、17年の東大入試で文系首席合格した横田和也くんは教師志望なのでぜひ採りたい」という。
全国から優秀な生徒を集めるのに役立ったのが、当時は珍しかった大型寮だ。「ラ・サールの魅力は寮にある」。何人もの同校OBが、こう証言する寮を見せてもらった。
県外出身者などラ・サール生の約6割は寮生活を経験する。中学生の3年間は8人部屋。中1から中3までが毎年入れ替わりながら先輩と後輩が同居する。高1~2年生は個室に入り、最後の高3は付近の下宿で暮らす。成長過程にあわせて生活環境を変える。谷口副校長は「寮は5年前に建て替えました。前の古い寮は汚くて風呂なんかも狭く、脱衣室の外で着替える生徒もいました。寮生らはここで暮らせたらどんな環境でも耐えられる」と笑う。
現在の寮は快適だ。各部屋は冷暖房完備で大きな窓があり、広い自習室には個人の机が並ぶ。朝5時に起床して「朝勉」に励む寮生も少なくない。朝食後、すぐ隣の校舎に。授業後は中学が午後6時、高校は午後6時半までそれぞれ部活。そして中学生は3時間、高校生は4時間は自主学習に集中する。舎監の先生が15人いて、常に5人は泊まり込む。「私立の進学校には珍しいが、部活は週6日。加入率も中学生は9割を超え、高3でも7割台。ラ・サールは文武両道だ」と谷口副校長はいう。
むろん、寮生は塾や予備校とは無縁。「都会の進学校に通っても、塾に行かないと一流大学には合格できない。ラ・サールなら塾なしで丸ごと面倒見てくれるから、結果的に経済的だ」と40代のOBは話す。現在も生徒の3人に2人は九州の他県や首都圏、関西圏などの出身だ。
■スマホは禁止 「郷中教育」思わす生活
寮内には、10床のベッドを備えた病室が2つあるほか、インフルエンザ対策のための複数の個室もある。不思議なのは何台も公衆電話があることだ。
「基本、スマートフォン(スマホ)はまだダメ。ラ・サール生はフェース・ツー・フェースでコミュニケーション力を高め、人間関係を学ぶことが大切です」。ドミンゴ校長はこう強調する。今どき珍しいが、寮生はスマホは禁止だ。一人でゲームアプリで遊んだり、LINEに興じることは許されない。
同級生や先輩、後輩との間で何事も納得いくまで話し合うのがモットーだ。中学に入って寮生活になると、ホームシックにかかる生徒が少なくない。それを慰めるのは同じ経験のある同室の先輩の役目だ。年上の西郷隆盛が年下の大久保利通らの面倒を見ながら、教えたという鹿児島独自の「郷中教育」に似ている。中学時代の8人部屋がこの空間だ。
ここでは「ファミリースピリット」と呼ぶキリスト教の精神も学ぶことになる。常に3~4人の外国人のブラザーがいて、「隣人を自分のように愛せよ」を繰り返す。小学生まではワガママ放題に育てられ、最初は抵抗していた生徒たちも、いつのまにか他人に対する心配りや礼儀を教えられる。
ラ・サールはミッションスクールと地元鹿児島の伝統的な教育という東西の文化を見事に融合した学校といえるだろう。
高1になると、剣道か柔道の授業が週1で必修になるため、それぞれの専用の道場が校内にある。これも「武の国、薩摩」の伝統といえる。南九州とそれ以外の地域を紅白2つのチームに分けて競う名物の体育祭は「男くさくて激しい体育祭として地元で有名だ。棒倒しとか、けが人続出なんてときもあった」(谷口副校長)という。ミッション系のイメージとは違い、バンカラな校風だ。
■東進、ANA、野村のトップは先輩後輩
結果、ラ・サール生の人脈は「熱く」なる。「東進ハイスクール」を展開するナガセの永瀬昭幸社長。東大時代に塾を開いたが、講師にはラ・サールの後輩らを次々採用した。その中にはANAホールディングス社長の片野坂真哉氏もいる。かつて全日本空輸社長だった山元峯生氏も同校OBだ。永瀬氏は東大卒業後に野村証券に入社したが、野村ホールディングス会長の古賀信行氏も後輩だ。永瀬氏は「弟のラ・サール時代のクラスメートで、私もよく知っていました。本当は他の会社への就職が決まっていたのですが、私が野村に誘いました」という。
経済人では、ほかにも「ラ・サール時代はバスケットに夢中だった」というヤマハ発動機会長の柳弘之氏や、九州新幹線の開通に尽力したJR九州社長の青柳俊彦氏らがいる。同校出身者としては、一般にはタレントのラサール石井さんが有名だが、最近は経済人や政治家などが増えている。
谷口副校長は「確かに進学実績では開成や灘と競ったときほどの勢いはない。以前は東大理3の合格者は最多で15人ぐらい、灘を上回ったときもある。関東や関西からツアーを組んでラ・サールを受験していたが、今は都市圏にもいい進学校があるので、仕方がない面もある」という。ただ、ドミンゴ校長は「英国のイートン校とか、世界の名門校には寮生活を大事にしている学校が少なくない。ラ・サールは教養だけではなく、人間力も育てる」と強調する。
イートン・カレッジにはラ・サールから20人程度がサマースクールで訪れるが、「日本のほかの進学校よりもラ・サール生はコミュニケーション能力が高いと評される」(谷口副校長)という。寮を持つ地方の進学校で、ライバルでもある久留米大学付設高校(福岡県久留米市)、愛光高校(愛媛県松山市)は男女共学に変更し、進学実績を高めた。しかし、「男子と女子では成長のテンポが異なる」とあくまで男子校を貫くというラ・サール。維新から150年。未来の人材を育てるラ・サールの存在感は今も大きい。
(代慶達也)
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