ある物理学者の友達への手紙6

初めは理由があったわけだけど、いまとなっては「ある物理学者の友達への手紙」というタイトルは、ダサイが、話が続いているわけだし、もうこのままでいいや、と考えた。
ほんとうは、「オダキンへの手紙」とすべきなんだろうけど。

初めてオダキンと邂逅したのは、多分、ツイッタ上で、経緯から考えて、2011年の春か夏であったはず。

そう。あの福島第一事故で、いまとなっては科学者としての立場を悪用した安普請の政治活動にすぎなかったのがあきらかな、その頃は、「大阪大学の先生が、あんな事故はたいしたことないと言ってるぞ」で、たいへんな勢威だった菊池誠と放射能安全合唱隊に、そりゃ、あんたがおかしいんだ、と盾ついているヘンな奴がいて、あまつさえ、よく読んでみると、この人は京都大学の教員で、勇気があるというか、無茶苦茶というか、「よく判らないものは、とりあえず危ないと考えるほうが妥当なんじゃないですかね」と、当時の日本の人には珍しく、あたりまえのことを述べているので、おもしろいね、この人、と思ったのが初めだった。

言うと照れるだろうから、あんまり言わないが、ものすごい勇気がいることなんだよ。
職場だからね。
「オダキンという匿名で」と書いている腰が抜けるほどバカな人がいたが、オダキンが書いたものを見れば、そこいらじゅうに本名が書いてあって、それどころか、でっかい二次元絵が胸に書いてあるTシャツを着て、教壇に立っている写真まで出ている。

あのちょっとあとで、「自分は、大半が福島事故で漏出した放射能は危険だという同僚や上司に逆らって、あれはそれほど危険な量ではない、と勇気をふるって主張したが、精神的に大変でした」と書いている、一瞬、頭がくらくらするほど卑劣な人間がいたが、そういうオオウソツキ人間が大手をふって歩いていて、しかも、それに「ご苦労様でした」「たいへんでしたね」と労うコメントがつくほど、モラルの程度のわるい世界に取り囲まれていて、ふつうのことをふつうのこととして述べるのは、やはり、たいへんであったろうと思います。

オダキンに判っていることでも、勘弁してもらって、この記事を読んでいるお友達のためにお温習いしておくと、チェルノブル(チェルノブイリ)と、福島第一事故の違いは、いっぺんに放射性物質が空中高く拡散されてしまった事故と、メルトダウンを起こして地中にもぐっていってしまった事故の違いで、チェルノブルよりも福島第一事故のほうが遙かに深刻だが、チェルノブルの事故が参考にならないのはだから当たり前で、困ったことに、空中に一挙に拡散された場合に較べて、影響は長期的なものなので、当事者側、つまり東電や政府が嘘で塗り固めようとした場合、被害側、つまり国民は、反駁するのに、たいへん難しい立場に置かれてしまう。
科学の初歩でもかじっていれば、すぐに判ることで、科学の方法は既知の観測データを使って仮説を立てて、実証するのだけれども、前例がないものにはデータがなくて、「科学的な反駁」ができるころには、手後れで、犠牲者がごろごろしていることになる。

宇宙的な力、という言葉を使えばいいだろうか。
ドイツ人が、それまでは、もともと物理学者のメルケルを先頭に、クリーンエネルギー政策にかなうとして推し進めていた核発電計画を、あわてて取り止めて、巨額のオカネを費消して政策の転換をおこなったのは、多分、科学的感受性とでもいうべきものが発達しているお国柄のドイツ人たちは、核の力が、宇宙の原初的な力に属していて、とても人間の手に負えるような力ではない、と福島の大惨事を見て、直観的に理解したからでしょう。

日本の場合は、極めて不幸なことに、そもそもメルトダウンしているまっさいちゅうに、メルトダウンしているかいないかという、バカみたいな議論を延々と続けてしまったという不幸もあって、あっというまに手の施しようがなくなってしまった。
凍土壁も、なにも、世界に向かって公約した福島事故を「コントロール」する約束は全部ダメで、結果的に世界に対して国を挙げてウソをついて、大量の汚染水がいまだに太平洋に垂れ流しになっている。

もっとも被害にあっている太平洋岸諸国の人間も、なにしろ核発電所の事故なんて経験がないので、いいかげんなもので、太平洋の膨大な量の水の稀釈力で、影響が出るのが遅いのがわかったことをいいことに、あんまり考えないことにしたもののようです。

いまぼくがいるニュージーランドでいえば、汚染水がこの国の北端、プアナイトアイランドにとどくのが、だいたい40年後で、なあーんだ、40年後ならば、おれはもうジジイではないか、それじゃ娘たちに怒ってもらえばいいや、ということになっている。

しかし、すべてのことにはconsequenceというものが伴うのは、あたりまえで、それが30年後でも50年後でも、福島事故の影響がどこかで強くでてこないと考えるのは、シアワセに過ぎる考え方で、そんなことは絶対に起こらないが、地にもぐった核物質の影響が出るのは、いわば慢性病で、それが誰のめにもあきらかになるのは、多分、オダキンが死んでしまったあとで、もしかしたら、案外、「このくらいの放射能は安全だ、愚か者たちめ」の悪人どもは、それを計算したうえで、自分が生きてるあいだにはばれやしねーよ、とタカをくくって、遮二無二安心したがってるひとびとの心の弱さにつけこんでいるのかもしれない。

気が付いたでしょうけど、ツイッタ上のボスキャラがあってだね、
自分が重ねた悪事に気が付かないで浮かれているぶんには、いいのだけど、ツイッタのDMをつかって話しかけてきて、はてなトロルの犠牲になっていて同情する、というようなことを述べてあって、まあ、移民でたいへんだったんだろうなあ、とおもって見ていたら、わしにしてみれば、そこは譲れるわけがないという一線をこえて、自分の悪事を誇るような傲慢なことを言い出したので、不愉快なので、述べたら、おおさわぎしだした。
いつものように、こっちがヘンな人にされていくわけだけど、日本語友達たちは、、見慣れていて、いつものことなので、人間っつーのは、怒ったりしたときに本性がでるんだね、お互いに自戒しなければ、などと言い合いながら、案外、静かにしている。

あれはツイッタの世界でのことなので、フォロワーというバロメーターがあって、テレビの視聴率みたいなものなんだろうけど、日本の人がどういうふうに考えているかをみるのには便利なところもある。
300くらい減るかなあーとおもっていたら、案外すくなくて、100人くらい減った。
よく考えて見ると、そのうち60人くらいは自分でブロックしているので、40人くらいかな。

その過程で、決まり文句というか、ニセガイジンとか信者とか、これはちょっとおもしろいな、とおもったのは「ツイッタで自分の帝国をつくろうとしているのでしょう」というのがあって、これは独創的だな、とおもって吹きだしてしまったのだけど、信者信者といわれているのは自分のことでなくて、友達たちのことなので、オダキンをだしに説明しておくことにした。(いま見ると、言葉が悪いね。お下品である)

あのときは、さ。
ぼくはもう完全に頭にきていたんだよ。
見てればすぐ判るが、わしが突然猛烈に怒り出すのは、期待していた人間が、志操の低さを露呈したと感じるときです。
どうも考えてやっているわけではないので、こういう癖はとまらない。
実生活では、もうあんまりやらないけど、顔色ひとつ変えずに、ボッカアアアーンとぶん殴ってしまったりするので、むかしはシロクマという渾名がついていた。
シロクマは、怒っていても判らないので、サーカスの調教師の死亡率が最も高いのね。
ツイッタは不自由で、ぶんなぐっちまうわけにはいかないので、外国語で怒る、という曲芸みたいなことをしなくてはならなくて、たいへん難儀である。
むかし、はてなトロルがニセガイジンと騒いで、そのときはめんどくさくなってきたので母語でののしりたおしたら、英語人がおもしろがってぞろぞろ集まってきてしまって閉口したことがあったが、日本語だと、うまく怒れないね。
なんだか芝居がかってしまって、歌舞伎役者かよ、な日本語になってしまうようです。

棚上げにしたでしょう?
尖閣方式だ、なんちて、いくら派手に喧嘩して、絶交していても、オダキンはオダキンなので、人間性を疑うわけにはいかなかった。
ところが、そのあいだに、オダキンが喧嘩のもとになった二次元絵文化について、ずっと考えているようなのがわかりました。
英語人たちはバカだから、どれもこれも未成年ポルノのようにいうが、そうじゃないんだ、とオダキンやタメさん@Tamejirouたちは考えているわけだけど、外国人という他人の目を考えて自粛、というのではなくて、なるほど野放図にいくと、こういう誤解が生まれるわけだな、と考えているのがわかった。
ま、案外、なかば無意識な作業なのかもしれないけど、見ていて、言葉で説明されるよりも感じていることがわかりやすかった。

このブログや、ツイッタ、実を言ってしまえば、皆には内緒にしている英語の文章にも
「聴き取りにくい声を聴く」
「言っていることを聞かずに、やっていることを見る」

という言葉は何度も出てくる。
「おばあさんの知恵袋」というか、もともとは投資家というショーバイから来た生活の知恵です。

例えば、細部にあたることでいうと、きみは、なんでもないことのように大阪の職場と東京の家庭とを往復しているが、ふたつの都市は、500kmだっけ?離れていて、実行するのはたいへんなことです。
ぼくはね、むかし、300km離れている町に週一回、3日の滞在で通ったことがあるが、2ヶ月でストレス負けした。
だから、ほんの少しだけ、判るような気がするの。

それと、息子さんと娘さんに、ユークリッド幾何やなんかを教えていたでしょう?
ユークリッド幾何は、まったく何の役にも立たなくなった体系で、ぼくは大好きで偏愛していたので子供のときに、ひとりで5つの公理から、最後まで、ひとりで証明していって遊んでいたけれど、スコラ学みたいなもので、娘さんたちが嫌がるのを見るたびにハラハラしてしまったよ。

でも、大阪から帰ってきて、くたびれてるとーちゃんは、辛抱強く教えていました。
見ていて、やっぱりオダキンは、オダキンなのだ、と嬉しかった。

ご承知のとおり、もっか、英語世界はボロボロで、伝えられてるのと違って、2007年を挟んだバブル景気が長すぎて、ぐらぐらしているが、生活実感上は、人心が驕慢になって銀行や不動産屋のバカなやつが威張りだしたことのほうが鬱陶しい。
日本だと、こういう状態は、えーと、80年代半ば、かな?
40年近いむかしだから、いま60歳くらいの人は、若いときにマジメな人間であったならば、あまりのことにゲンナリした記憶があるのではなかろうか。

この辺りでいうと、なにしろオーストラリアで26年目、ニュージーランドで17年目のバブル景気なので、40代くらいの人間でもバブル景気をふつうの経済だと勘違いしているので、異常な経済しか知らなくて、もっと早くに金融バブルで頭がおかしくなっていたアメリカ人やイギリス人たちとおなじことで、常識に狂いが生じてきていて、例の、復活した、おおっぴらな人種差別も、その狂気の一環といえなくもない。

時間があれば、趣味なので、日本語は必ずやるのだけど、別にたいへんなわけでなくても、だんだん英語社会でのお呼びが増えて、なかには断れないものもあって、めんどくさい。
どんなに遠ざけても、先を歩いている人をみていると、40代になると、公用という名の雑用地獄で、さぼるならいまのうちだな、と考えています。

なんだか、いつにましてヘンテコな手紙になっちゃったけど、また書きます。
いろいろ言ってるけど、まさか自分が二次元絵愛好家の日本のおっさんを大親友と考えるようになるとはおもわなかった。
あらためて、人間の一生は不思議なものであるな、とおもってる。
よくめちゃ食い写真を載せているが、もう歳なんだから、暴飲暴食をつつしんで、自愛を心がけてください。

ぼくはオダキンがよくツイッタに載せている食べたものの写真を見るのが好きなんだけど、傍から見てると、まほ亭がだす食べ物は、とても健康に配慮されているように見えますね。
コンビニは、忙しいからしょうがないのだろうけど、やっぱりダメだよ。
添加物表にあるのは、あれは法定リストにひっかかってしまうものを、やむをえず載せているわけだけど、ああいうものを使うコンジョがある食品会社は、法定リストに載らない、もっとものすごいものも使っていると想像するのが普通であるとおもう。

でわ

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破壊せよ、と神は言った

ビットコインは、ほぼ死んでしまった。
投機の対象としては、さっきみたら1BTCが$8000近辺で、まだ生きているが、なにしろ決済手段として使いものにならなくて、仮に、ビットコインでかつ丼を食べた支払いをすると、調べてみていないが、多分、1000円のかつ丼に2400円の決済手数料、しかも決済されるまでの待ち時間15分というようなことになるのではないだろうか。
人間の貪欲に殺されてしまったわけで、よく出来たアイデアだったのに残念であるとおもう。

他の仮想通貨も軒並みダメで、仮想通貨自体、多分、しばらくは銀行間の送金手段のような、ものすごく限定された範囲で使われるだけになるのではなかろうか。
その場合、例えば「三菱銀行コイン」のような命名のほうが手っ取り早いくらい、投機対象にされることを避けた、閉鎖的な仮想通貨になるような気がする。

ブロックチェーン理論が現実に持ち込まれる嚆矢で、いきなり蹴躓いてしまった。
いずれはブロックチェーンという数学的理論の裏打ちがある保証理論が再度経済世界にもちこまれて、いまの、見せかけ理論しかない、いわば心理学的な市場理論(みたいなもの)に取って代わるに決まっているが、なにしろ、ビットコインの相場がさがると、GPUを寡占的に生産するNVIDIAやAMDの株価がさがるのは、まだ判るとして、ブロックチェーン事業を拡大するIBMの株価までさがってしまう、相変わらずの、連想ゲームじみた市場のケーハクさでは、ブロックチェーンそのものが進歩の足を止められるわけで、不動産会社や銀行が過去のものになる、より理性が支配する経済社会の未来が、また少し遠くなってしまった。

ビットコインが植物人間化した、いまの廃墟で、残っているものは、笑い話だけで、自分の周辺でいえば、2010年くらいから、会う人ごとにビットコインは面白いし、ブロックチェーンを理解するとっかかりになるから、買ってみろ、と奨めて歩いていて、その結果、メルボルンやオークランドで、若い友達たちに会うと、
「ガメ、わたし、3億円できちゃったんだけど、どうすればいいだろう?」と、見ようによっては浮かない顔をしている女の大学生や、「2億円あると、学習意欲がわかないんですよね」とヘラヘラしている男の大学生が、いっぱいウロウロしていて、こういうひとびとは、だいたい、秀才などでは全然ない、日本式の就活がもしあれば、真っ先に不採用を決めたくなるタイプなので、神様がきまぐれで、小さな村のなかで宝クジの一等賞を配って歩いたとでもいうような、ヘンな風景ができてしまっている。

ホーキング博士は、一般社会へのインパクトは、科学者としてよりも科学の解説者としてのほうがおおきかっただろう。
いくつものドキュメンタリを主宰して、神など仮定しなくても、この宇宙は説明できることを、何度も、上手に説明した。

人間は理性の部分は、自分で自惚れているよりも遙かに小さいので、正しく理解されていないが、神を仮定しなくても宇宙が説明できると判ってしまったことは、たいへんなことで、判りやすく述べると、カトリックもプロテスタントも、地上の絶対神を仮定する宗教は、神よりもすぐれた仮説が現れることによって、われわれの時代で、一挙にカルト化してしまった。

困るのは、われわれが考えるときに使う自然言語自体が神の存在を前提していることで、こう書くと、必ず、どこかの頭のわるいおじさんが、「神なんて信じる中二病をまず捨てることから学びなさい」と言ってくるのが日本語のめんどくさいところだが、それはどういう性質のインチキな発言であるかというと、なるほど日本語は、もともと中国語を読解するための注釈語としての性格が強くて、他人の考えを摂取するのに向いているばかりで、自分でなにごとかを仮定するには向かない言語なので、言語自体の機構は神を前提していない。

けれども明治以来の、とにかく、なにがなんでもヨーロッパのマネをしなければならないという脅迫観念じみた信念で、「恋愛」を造語し「純潔」を造語し、造語造語を繰り返して、ゴテゴテと西洋の観念を自分達の言語の語彙に塗りたくって、とにもかくにも、同じ機能をもたせるに至った。

だから借りてきた相手の言語が絶対神なしでは成立しえない体系であることが、ただ形だけ、ちゃっかり借りて着服してしまったほうには成立の経過や基調になっているものが判っていない、というだけのことです。

模倣というものの宿命とも言える。

しかし、無茶をやれば、破綻があちこちに起こるのは当たり前で、ついこのあいだ、哲人どん@chikurin_8thを宗匠とするツイッタのタイムラインで話題になったとおり、なんだかブラックな笑い話じみているが、日本語は、例えばintegrityやcommitmentは、あろうことか、訳語もつくらないで、落っことしてきてしまった。
なんだか耳なし芳一の経文を書き込み忘れた耳のような話だが、現実で、いま安倍政権がスキャンダルで揺れている原因も、要するに真因は、integrityのない人間が役人であり、政治家であるという日本の、極めて特殊な状況に拠っている。

We look for intelligence, we look for initiative or energy, and we look for integrity. And if they don’t have the latter, the first two will kill you, because if you’re going to get someone without integrity, you want them lazy and dumb.

と、ネブラスカのカネモチのじーちゃんが述べた、そのとおりのことが、なんのことはない、大西洋を越えて、欧州を通り越して、ロシアの広野をわたった、そのまた向こうの世界の東のはしっこで、現実になっているだけのことであるとおもう。

日本語をやってみると、日本人のintegrityやcommitmentの概念の欠落は、唖然とするほどのもので、最近ネットで遭遇したことに限っても、わざわざ海を渡ってアメリカにまででかけて、ビンボ人からオカネをむしりとる集団金融犯罪に加担していても、犯罪のお先棒を担いだことそのものを自分の成功談としてなつかしんで、そもそも自分がやったことの何が悪いかまったく判っていない人や、まともそうに見えたので、では皆と一緒に考えようと誘ってみると、とんでもない傲慢なお答えで、げんなりしてブロックすると、理由もなくブロックしやがってと大騒ぎする人がいて、親切心を起こして解説してもよいが、逆上しているうえに、そもそも頭のなかに存在しない概念を解説したところで判るわけもないので、ほっておくことになる。

日本語社会では、ヴォルテールの態度を要約した言葉ということになっている
「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」
が、やたら繰り返されて、あるいは、なぜか
noblesse oblige
という言葉がやたらと好きで、こういう気取った表現が大好きで、魚屋のおっちゃんでも、ほら、ノブレスオブリなんとかって言うじゃないですか、いまのニッポンのエリートは、ああいうのがないんだよね、と述べて、わしをぶっくらこかせたりしていたのは、考えてみると、integrityもcommitmentも概念として存在しない世界に生きていて、なんとなくそこにぽっかりと穴があいて、むこうがわに空虚の暗がりがあるのを、人生の経験から、直観していたのだと理解される。

神が死んでしまったので、おもしろいことに、西洋もだんだん日本に近付いてきたのは、例えばドナルド・トランプのような男が大統領になって、どうやら、ジョー・バイデンが割のわるい勝負に起ち上がるならともかく、そういうことでもなければ、年齢にも関わらず二期目も勤めそうであることでも判るとおり、integrityもcommitmentも、少なくともアメリカでは、どうでもよくなってしまった。

アメリカ人と話してみると、ウォール街人をはじめとする東部エスタブリッシュメントへの怒りはすさまじくて、どうもこりゃ、この人は口ではトランプはダメだと言っているが、あのトウモロコシ頭に投票してんな、と考えることが多い。
厄介なのは、歴史をさかのぼって、神を前提としたintegrityとcommitmentの力にすがって是正されてきた問題、例えば人種問題で、その辺の枝振りのいい木に、ぶち殺したアフリカンアメリカンたちをぶらさげて歓喜の声をあげたり、日本からの移民は委細かまわず収容所にぶちこんだりしていた頃に、アメリカは戻ってしまいつつある。

気の早い人は、いま始まりを告げた時代として「新・暗黒時代」と命名までしていて、「あの道徳心のかけらもない中国人どもは、みんな自分の国に叩き返してしまえばよい」というような、あんた、何世紀の人ですか、というようなことを平気で言う。
余計なことを書くと、「いや、たしかに中国人はひどいから」と言ってくる人がいそうなので念の為に書いておくと、ここでいう「中国人」には、当然日本人も含まれています。

このブログには、むかしから、表向きは人種差別なくなったことになってるけど、そーでもないのよ、とか、連合王国人の有色人差別の意識は、うわべは別として、ちっともなくなってないかもよ、と書かれていて、そのたびに「いったい、いつの時代のイギリスの話をしているんだ」「アメリカの事情を知らなさすぎる。わたしは日本人だが、いまのアメリカで、そんなこと考える人など誰もいない」と、たくさんお便りをもらうが、そうこうしているうちに、現実の白い人たちは、それまで上手に隠していた感情を、隠すのもめんどくさくなって、ロンドンのまんなかで、騎馬警官に「おまえの国に帰れ」と馬上から唾を吐きかけられた中国系イギリス人(実はロンドン大学教授をしている娘の母親)や、ずかずかと入ってきたと思ったら、おまえらが住めるところがいつまでもあるとおもうな、と言うなり、店先のステレオをぶっ壊していくマンハッタンの通行人であるとか、いままでは、そういうことをやっちゃいかんのだよ、の連合王国やアメリカ合衆国の聖域であった大都会ですら、そういうことがいくつも起きて、怨嗟の声が渦巻いている。

まして田舎(でんしゃ)においておや。
ミシシッピ州のコロンバスに出かける友達(←白いアメリカ人)に、別のことを思い浮かべて、「ガンマンに気を付けろよ」と冗談をのべたら、あっさりとマジメに「おれは白い人だから大丈夫だよ」と言うので、なんだか暗然とした気持ちになった。
あんまり友達と話すのに適切な事柄ともおもえなかったが、いつか、この人が「ルイジアナはいいぜ。人がみな親切で、礼儀正しくて、近所の人間が呼びにきてご近所がみんなでランチを食べたりするんだよ。モニとふたりで越したらどうだ」と言っていたのをおもいだして、「あれは、有色人種だと、どうなるんだろう?」と訊いてみたら、ちょっと顔をしかめる感じで、「そりゃ、ダメだよ」という。
どうダメなのか、訊くのは怖いので、訊かなかったが、どうもこうやって世の中はだんだん後じさりしているよーだ、ということは、よく判った。

オークランドのクイーンストリートという目抜き通りで、夜更け、フラメンコを観た帰りにバーによって、モニさんとふたりで歩いていたら、
「神は死んだ!」と叫んでいる人がいる。
見るからに浮浪化したじーちゃんで、酔ってもいるようでした。
よろよろとよろめきながら。。
「判ったか?!神は、死んだのだ!」と叫んでいる。
ひとこと、ふたこと聴き取れないことを呟いてから、
「神は死ぬ前に、この世界を破壊せよとおっしゃったのだ!」と叫んで、
突然、モニとわしの顔を正面から見つめる姿勢になったので、びっくりしてしまった。

モニさんは、気の毒に、とつぶやいていたが、わしはいつもの悪い癖で、あのじーちゃん自身が神なのではないか、と考えていた。
神は死んだのではなくて、死んだふりをすることに決めたのではないか。
きみは笑うかもしれないが、なにしろ、神様が実在してくれなくては、きみもぼくも言葉を失って、というのはそのまま認識の手がかりを失って、つまりは現実そのものを喪失して、この世界を、霧のなかで、彷徨するしかなくなる。

判っていることは、世界が再び、強欲と力による支配の時代にもどっていっていることで、小さな人たちにも、気付かれないようにそれに備えるだけの教育がみにつくように誘導しなければならなくなってしまった。
人間に不幸をもたらす「知恵」を与えるのは嫌だったが、仕方ないのではないか。

神がいない世界は、言葉の塔が崩壊する世界でもある。
壊れた塔の瓦礫のうえで、人類がどんな生活をつくるのかは、モニとわしには観ることができない。

でも、そこに至る経過は、芝居の第一幕をみるように、2050年という、例の引き返せない点まで続いていくはずで、やれやれ、くたびれることになったなあ、とおもっています。

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ブラックパンサー・ナイト

スライダーという。
ハンバーガーが、ままごとサイズになったみたいなサンドイッチです。
ハンバーガーが一口でまるごと食べられるサイズになって、三つ、お行儀良くならんでいる。

他にはチキンピザとカラマリを頼んだ。
ワインはChurch RoadのMcDonaldシリーズのシラズを一本。
リクライニングになっている深いカウチに腰掛けてトレイに並んだ食べ物をたべながらワインを飲んでいると、メルボルンのIMAXにもっとでっかいのが出来るまでは「南半球最大」と称していた巨大なスクリーンに
Marvel Studio
の文字が出ます。

はっはっは。
そー。

ブラックパンサーを観にきたのさ。
アフリカ系アメリカ人の友達が、すっかりコーフンしてスカイプをかけてきて、珍しくビデオをいれようというから、いいよ、と述べて、ああなんてなつかしい顔だろう、ニューヨークにいれば、この顔を間近に観ながらランチが食べられたのに、と考えていたら、いかにブラックパンサーが素晴らしいか、感動的であるか、ネタバレにつぐネタバレで、ぼくはネタバレを気にしないので、別にいいけど、主要人物の死に様まで、微に入り細をうがって説明してどーするんだ、と思いながら、それでも、観に行かねばならんのね、要するに、と考えていたら、さよならのあとに、やおら腕を胸の前でクロスして挨拶してスカイプが切れた。

ぶははは。
それでビデオ・オンだったのか、ガキみてえ、あんたも35歳になって、大学の準教授でしょうがね、と笑った。

素晴らしい映画だった。

わしの日本語ベースのツイッタアカウントの数が少ない英語ツイッタ友達であるRowenaと短いやりとりを、ここに貼っておく。

アフリカ系のひとびとの感動は、なぜか、映画を観ればわかる。
そこに描かれているアフリカは、マーヴェル的な近未来装飾を剥がしてしまえば、「そうあらねばならないアフリカ」そのものであって、ツイートにも書いたように、現実には2050年にアフリカがブラックパンサーがヴィジョンを与える「誇り高いアフリカ」が存在しなければ、このブログ記事になんども書いたように、世界は滅びるしかないのでもある。

暗闇のなかで涙をぬぐっていたわしを、モニさんが、いつものやさしい眼差しで見ていたのを知っている。
モニさんと会う前のわしがアフリカ系アメリカ人のコミュニティと関係が深くて、会っては、うまく気持があわなくて大喧嘩して別れてしたりした、その頃のガールフレンドにはアフリカン・アメリカンの人たちがいたのもモニさんは知っている。

投資でも、これはとおもうアフリカ人の会社に投資していたりして、まるで前世はアフリカの人であったかのようにアフリカに肩入れして、変わり者あつかいされたり、ひどい場合には、そんなことを言うやつは自分の頭がいかれているに決まっているが「白人種の敵」呼ばわりする人もいる。

だから、モニさんは、(他のすべてのこととおなじように)、なぜわしが泣いているのか、ぬぐってもぬぐっても出てくる涙に頬を濡らしているのか、よく知っている。

たかがMarvelムービーでないか、と訳知り顔で述べる人がいそうだが、そうではないのです。
ブラックパンサーには、アフリカ人が奴隷船の船底で夢見た自分たちの「真の姿」が、白い警官に警棒でぶちのめて顔を押しつけられたアスファルトをなめさせながら、信じたアフリカン・アメリカンが「知っている」自分たちの「真の姿」がある。

彼らの魂のなかにだけあったワカンダが、可視化されて、アフリカの荒野に姿を現している。

未来が映画のスクリプトをとおして現出している。

最後のタイトルバックが終わっても、ぼくはまだ泣いていて、モニさんは、それが当然であるように横に静かに座っている。

もう誰もいなくなった館内に、隠された結末である国連のシーンが流れています。

居並ぶ白い人や黄色い人の皮肉な表情をみればわかる。
この世界がスタティックで、戦わない人間が正義だった時代は終わってしまった。
戦う人間だけが人間として生きてゆく権利をもっている世界の到来を、この映画は告げている。

世界のうえには、有史以来、いくつかのパワーセンターがあって、当然のことながら、500年前ならば、パワーの中心も少なく、衝突なく伸長して、人間はスタティックな安定のなかで平和裡に成長することができた。

その自由伸長の時代が初めに終わりを告げたのは中国を中心とした東アジアと欧州で、これらの地域では他と戦争という形で争わなければ伸長はかなわなかった。

二度の世界大戦と冷戦を経て、いまは、地球の資源の全量が人類を養えなくなる2050年あたりをめざして肘でお互いを押しのけるような資源の獲得合戦が続いている。
リードしているのは、最も先を見通す文明としての能力をもった中国で、アフリカ大陸でもオーストラリア大陸でも、南アメリカでも、あるいはフィジーのような「取るに足らない」とされてきた島嶼であってすら、中国資本はミネラルをはじめとして、資源を押さえて、アメリカの銀行の貪欲につけこんで、アメリカの危篤の権益さえ容赦なく奪い取っている。

「戦わなければ生きていけない世界」は、もうエントランスに立ってドアを立っていて、世界中の人間という人間に思考の変革を強要しているが、アフリカ人たちは、極く自然にそれを受け入れて、男も女も、持ち前の戦士としての能力を使えばいいだけなのだと教えている。

素晴らしい映画だった。

Marvelに、例えばThe Lunchboxのような洗練とsubtleな表現に満ちた映画を求めるわけにはいかないのは当たり前だが、少なくとも、この映画は、われわれの(焦眉の)2050年という近未来へのヴィジョンを与えてくれる。

館内の照明のスイッチがいれられて、モニさんとわしがゆっくり起ち上がって出口に向かうと、トレイや皿を片付けるにーちゃんが出口で待ちかまえていて、ワゴンを押しながら、「いい映画だったろう? おれはアフリカ人になりたくなったよ」と言って、モニとわしを笑わせた。

アフリカ人たちは、遠からず必ず、キンシャサかダーバンか、彼らのワカンダをもつだろう。

そのときは、ぼくも行って建設に参加しなければ。

ワカンダに乾杯!

 

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ハウラキガルフ

オークランドの人口は2020年に140万人になるプロジェクションだったのが2018年3月のいまの時点で160万人になっている。

人口が急に増えたので、主に生活排水のせいで、ハウラキガルフのオークランド側の水質が落ちている。
実際、このあいだレーザー級のヨットを使って、友人の子供達にヨットの操船を教えていて、ふざけていたらこけて、つまり転覆して、角度がよかったのか、一気に海底まで投げ出されたが、そこで見たものは、緑色の、要するにヘドロで、多分、厚さにして5センチくらい、もちろんシドニー湾のようにひどくはないが、ずいぶん汚くなったなあ、と憮然とした気持になった。

そのうえにボート遊びをする人が増えて、海が静かな日には、6mから12mくらいのボートが、いつも数隻でている。

自然、真鯛くらいなら、夜明けや日没を待たなくても、ほんの10分もボートを沖にだせば、うそのように何匹も釣れていたのが、最近は、ダメで、ニュージーランドのルールでは27センチ以下の鯛は海に戻してやらなければならないが、次々にかかる鯛が、みんな基準のおおきさ以下、という情けないことになった。

仕方がないので、北ならばガルフハーバーへ出て、シェークスピア公園をまわって、小さな、岬ともいえないでっぱりの向こう側にでる。
東ならば、コロマンデル半島の突端をまわって、半島の東側、マーキュリーアイランドの近くに行く。

そこまで行けば、安心する、というか、例えばコロマンデルの、友達の別荘の前にあるプライベートマリーナの桟橋に立つと、鰺の大群がいて、その下を、満腹なので鰺たちに興味がないのでしょう、でっかいヒラマサが、すいいいいっーと通り過ぎてゆくのが肉眼でみえます。

悪い癖で、余計なことを書くと、ではそんなに水が綺麗なら、うんとこさ魚が釣れるかというと、そんなことはなくて、桟橋で釣り糸を垂れると、魚と目があってしまう。
魚は大脳すらない端脳どまりのバカなはずだが、そうでもなくて、どう見ても「こいつ、おれを釣り上げようとしているな」とおもっているのが顔に書いてある。
こちらを一瞥して、「けっ」という顔で、向こう側へ泳いでいってしまう。

だからやっぱり、水が綺麗なところまで来ても、深いほうへ船をだして、目があわないところで、さりげなく釣り糸をたれて、サビキや釣り針で、さっと釣り上げてしまうにしくはない。

困るのは、コロマンデルの反対側に出るには、24ノットで、出航や、5ノット区域や12ノット区域や、あれやこれや、4時間くらいかかってしまう。
それも釣りは、さっと出して、さっと帰港できる小さなほうのボートで行きたいので、これは船外機で、ヤマハの320馬力がふたつついていて、ギャンギャン鳴るので、うるさくてやってられない。

おおきいほうのボートも24ノットくらいは出るうえに静かだが、図体がでかいだけ、準備も帰港後も、めんどくさくて、そうそう付き合いきれない。

さらに快適なディスプレースメントもあるが、こっちは用途上、どうやっても12ノットくらいしか出ないので、論外で、こんなものでマーキュリー島まででかけた日には、あっというまにおじいさんの浦島太郎になってしまうであろう。

そこでヘリコプターでマーキュリー島まで飛ぶという頽廃的なことをする。
そこまで行くと、対岸のコロマンデルからボートで迎えに来た友達たちが手をふっている。

そうやって、海遊びをしていると、釣りはだんだん飽きてきて、ときどき海そのものを観に行ければいいや、とおもうようになってきます。
海は、(あたりまえだが)、陸(おか)からも見えるが、あれは海のはしっこが見えているだけなので、海のいちばんおもしろくない切れ端が見えているだけです。

ブルーウォーター、と言う。
四方を眺め回して、観望して、どこにも陸地が見えない海が最もよいが、ブルーウォーターまでいかなくても、陸を離れて、たゆたううねりのまんなかに錨を下ろして、テーブルに冷蔵庫から白ワインをだして、オークランドの街の灯を眺めたりするのが最もよい。

オークランドの町に近い、ブラウンアイランドという、身も蓋もない名前がついた無人島があって、ディンギイをだして、この島に上陸してピクニックをするのも楽しいが、やはり後甲板の安楽なワインには及ばない。
むかしは、わざわざ鯛を釣って、有次の包丁をかまえたモニが、東京の外国人向け魚料理教室で勉強した魚の捌き方をおもいだしながら、刺身やカルパッチョをつくっていたが、もうそれも飽きてめんどくさくなったので、ボートの小さな台所で焼いたローストビーフを食べながら、のんびり来年の計画について話す。

島影に入らないと、オークランドの街の灯りのせいで、ニュージーランド名物の天球を横切る天の川は見えないが、細々と、それらしい星の小川が見えている。

こんなところまで来ても、インターネットでニューヨークのジャズステーション、WBGOを聴いていることもあるが、この頃は、まったくの無音、海上の静寂に聴き入ることがおおくなった。

会話と会話のあいだに、姿をあらわす沈黙が地上のそれよりも遙かに濃密で、手で触って質感がたしかめられそうなほど、自己主張が強い沈黙が、蝋燭だけが照らしている暗闇のなかに現れる。

ウィスキーを飲みながら、人間が愚かであることは知識としてもってはいたが、ここまで酷いとはおもわなかった、とモニも寝静まったボートの甲板のベンチで考える。

最近で最も驚いたのは、人間社会全体が科学が発見した知見に対して、畏敬の気持を抱くどころか、一顧だにしなくなったことで、1998年に起こった北インド人と欧州人の遺伝子解析で、両人種に「人種」と呼べるほどの差異が見あたらないという発見に対する大騒動などは、それ自体は微笑んですませられなくはない茶番劇だったが、いよいよ遺伝子解析技術がすすんで、アフリカ系人と欧州人のあいだにも従来の「人種」と呼べるような差異は存在しなくて、人類がいままでに馴染んだ概念のなかで、われわれの外貌の差を説明するのにもっとも近縁な言葉は「日焼け」であるという冗談じみたことになった。
チェダーマンを科学上の手順に従って復元してみると、青い目に褐色の肌という、
俳優でいえばGary Dourbanのようなゴージャスさで、世界中をビックリさせたが、ふつうの人間の生活の場に目を転じると、実はこの復元に対する反応で最大のものは黙殺で、その次は「なにかのまちがいだろう」というものだった。

論拠もなにもない、認めないものは認めない、という態度で、観察する人間をびっくりさせた。

科学が「役に立つ技術を工夫して現実にする」ものに堕してしまえば、人間の合理的理性による真実の追究など、もうおしまいだが、Stephen Hawkingが神を仮定しなくても宇宙の創成が説明できることを示す科学の成果を解説して、人気テレビシリーズをホストするようになった頃から、「真実の無視」という、人間の悪い習慣がはじまって、いまに続いている。

白い人びとも、もはや有色人へのあからさまな軽蔑と警戒心を隠さなくなった。
こういう風潮は当然のことながら内輪で最もはやくあらわれるが、生まれてからいままで、人種的な発想がいまほど強くなって、しかも「あたりまえ」になってしまったことは、これまではなかったことだとおもう。

当然の結果として、人間の文明は、これまでになかったほどの危機の断崖に立っているが、これほどの危機が、たかが中東からの難民の流入と、東アジアからの商才にたけた移民の流入くらいのことで、引き起こされるのは、なんだか文明に対する侮辱のようで、ゲルマン民族の浸透によってローマ人の文明は崩壊したが、角度を変えていえば、綿々と進歩してきたようにみえて、人間の文明などは、いまだにその程度のものだったのだとおもう。

カラになったウィスキーのボトルを海に投げ込みたかったが、いやいやそれでは、自分の文明も目減りしてしまうと、酔った頭でおもいなおす。
言語への感覚を研ぎ澄ませば神の存在は容易に知覚される。
あるいは、言い直すと、神が存在しないと仮定すれば、人間は、自分自身が存在しなかったことになってしまう。

人間は言語の絶対依拠性によって神の存在にしばりつけられているが、この頭の上に広がっている宇宙は、神など必要としていない。

ふと、人間にとっては最低な真実におもいあたって、苦笑いがこみあげてくる。
人間は意識をもった石ころにしかすぎない。

石ころは蹴られても痛くはないが、人間が言葉で蹴られると痛みを感じるのは、石ころなのに意識を持っているという不幸に起因する。

厄介なことに、人間の意識には言語がからみついているので、人間は人間であることを失わずに生きのびようとする。
そうして、そのこころみは、年ごとに難しくなってきている。

でも、仕方がないんだよね。
別に、きみやぼくが意志して生き延びようとしているわけではないのだもの。
この既定のベクトルでもあるかのような人間らしい生への潮に乗って泳ぎつづけるしかないのでしょう。

人間であれば、いつかは例外なく力つきて、溺れて、この浄闇ですらない漆黒の沈黙にのみ込まれるだけなのだけど。

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ブルースを聴いてみるかい?_2

シャンソンは、いいなあ、とおもう。
chansonって、ただ、歌っていう意味じゃないの?
と述べる人がいるに違いなくて、そうなんだけど、フランス人がただシャンソンと述べるときに脳裏に浮かんでいるのはchanson françaiseであって、歌だけど歌じゃないんだよ。

ああ、ややこしい。

翻訳語は常に言語を複雑にする。

音楽からみると、もともとチューンに言葉をのっけるなんてのは邪道もいいところで、それは音楽を詩に跪かせることで、そんなもの音楽と呼んではいけないんじゃないの?という人は、もちろん、いまでも、たくさんいる。

芸術の型としても「歌詞がある音楽」は、詩として定義したほうが、すんなりあっさり決まって、つまりは自由律になってからは、例えばディラン・トマスやT.S.エリオットのような天才しかつかみきれなかった、
言葉に内在する音と意味が、音と意味同士が、かちっと組み合わされることから来る「定型」が、まるで、ずっと昔からそこにあったとでもいうように、突然、読む人間の目の前に可視化されて、それ以外には言い現しかたが存在しない、ゆいいつの言い方として納得される。

エリオットやDトマスの詩が、相当に記憶力が悪い高校生の頭にも、すんなり刻印されて簡単に諳誦されるのは、そのためで、ほかに最適解がない音韻と意味の組み合わせがないのだから、ほかにおぼえようもない。

例えば、

Let us go then, you and I,
When the evening is spread out against the sky
Like a patient etherized upon a table;
Let us go, through certain half-deserted streets,
The muttering retreats
Of restless nights in one-night cheap hotels
And sawdust restaurants with oyster-shells:
Streets that follow like a tedious argument
Of insidious intent
To lead you to an overwhelming question …
Oh, do not ask, “What is it?”
Let us go and make our visit.

で始まって、

Till human voices wake us, and we drown.

で終わる、あのチョー有名なThe Love Song of J.Alfred Prufrockをおぼえてこいと言われて、ゲゲゲ、とおもっても、やってみると意外と簡単なので、
詩に、ひいては母語である英語自体になじんでゆく高校生たちは、びっくりするような数で存在する。

多分、ウディ・ガスリーくらいが、初めに、定型をつかみきれていない言葉の組み合わせであっても、適切な旋律をつければ言語がもつ神秘的な「不可視の定型」をつかみだしてこられると気が付いたので、それをはっきり意識化して、方法として音楽に持ち込んだのはディラン・トマスに憧れるあまり、このウエールズの詩人のファーストネームを借りてセカンドネームとしたボブ・ディランだったとおもいます。

I can still hear the sounds of those Methodist bells,
I’d taken the cure and had just gotten through,
Stayin’ up for days in the Chelsea Hotel,
Writin’ “Sad-Eyed Lady of the Lowlands” for you.

油断していて、突然、この古い曲が流れてきて、頭を後ろからフライパンて、ばあああーんと殴られたような気持になったことがあった。
涙がでて、困った。

ここで、Sad-Eyed Lady of the Lowlandsは、ボブ・ディラン自身の曲で、

With your mercury mouth in the missionary times,
And your eyes like smoke and your prayers like rhymes,
And your silver cross, and your voice like chimes,
Oh, do they think could bury you?
With your pockets well protected at last,
And your streetcar visions which you place on the grass,
And your flesh like silk, and your face like glass,
Who could they get to carry you?
Sad-eyed lady of the lowlands,
Where the sad-eyed prophet says that no man comes,
My warehouse eyes, my Arabian drums,
Should I put them by your gate,
Or, sad-eyed lady, should I wait?

というチョー有名な詩ではじまる曲です。

自分の、その頃の生活が宿り木のように絡みついているので、理由は、あんまりここに書きたくないが、ともかく「歌詞付きの音楽も悪くない」と考えた初めだった。

オペラは、その前から好きだったが、オペラは歌詞の内容をみればわかるが、また違うもので、人間の声帯という楽器をフルに使うには、意味のある言葉がなければ、都合がわるいという、身も蓋もない理由のほうが強くある。

そうして、言葉がついてくる音楽は、なんだか不純で通俗なものなのだという頑迷さに所以した偏見がなくなってしまうと、この世界は豊穣で、馥郁たるもので、

例えば、フランス語なんて興味ないや、という人は飛ばしてしまって一向に構わないが、

Le noir c’est mieux choisi
Je vais t’en faire voir
De toutes les couleurs
Le blanc, le vert, le noir
Le noir surtout mon cœur

Le noir surtout mon cœur
Je n’aime pas le gris
Tant pis si tu as peur
Le noir c’est mieux choisi

Le noir c’est mieux choisi
Connais tu la chanson
Maman quels sont ces cris
Rien que la procession

Rien que la procession
Mais Jean Renaud est mort
Passons, passons, passons
Allons dîner dehors

Allons dîner dehors
Dis moi combien tu m’aimes
Quand tu le dis encore
Je ne suis plus la même

Je ne suis plus la même
Tu vois je meurs déjà
Et toi tu meurs de même
Chaque fois que ton coeur bat

Chaque tois que ton coeur bat
Tu meurs et tu m’oublies
Chaque fois que mon coeur bat
Je meurs et je t’oublie

Je meurs et je t’oublie
Renaud, Renaud mon roi
Par goût du compromis
Je me souviens de toi

Je me souviens de toi
Mais je porte du noir
Le deuil d’un autre toi
C’est mieux choisi le noir…

ぞっとするくらい美しい歌だった。
モニさんと会うまでは、フランス語をこんなに美しく発音できる人を知らなかったのでもあります。

あるいは詩と呼ぶには単純すぎるブルースの歌詞は、ブルースギターの音と嫋嫋たる、といいたくなるチューンには、とても合っている。

The sky is crying,
Can you see the tears roll down the street.

考えて見ると不器用でひとりの人間に十分に自分の恋の気持を伝えることさえできない男の心情なんてヘンなものを、過不足なく表現できるのは、ブルースギターが「哭いている」歌によるほかはない。

そんなことを、ぐるぐる考えながら、言葉付き音楽本舗のフランス語人たちのシャンソンに戻ると、それは「フランスの文明」がどんなものであるか表現するための形式、確固とした思想の表現であって、思想とはスタイルであるという定義にもあっている。

いまはもう瀕死の欧州の文明を、なんとか救う手立てはないのか、と鵜の目鷹の目で、ネットを渉猟し、本を読み漁る人間たちにとって、案外、身近に転がっている救済は「歌」かも知れないと思ってみることがある。

「胸に矢が刺さってしまったのだ」と述べて、ドアを開けて部屋に入ってくる子供がいる。

助けてくれないの?

助けるわけには、いかないのさ。
だって、ぼくはきみが悪魔だと知っているのだから。

きみもぼくも、もうこの世界は終わりだと知っている。
いつ?って、きみが気が付いていないだけで、もう終末は来てしまっているのさ。

踊れ、踊れ、歌にあわせて。
パッサージュ・ド・グラシアのまんなかで踊る、フランコの軍隊に殺されたカタルーニャ人たちの亡霊のように。
出来れば歌詞がある歌だといいね。

世界は意味性を失って、ただ咆哮して、叫喚している。

踊れ、踊れ、歌にあわせて。

なぜ、この歌詞には、意味が生まれないのか?
バンドはどこにいってしまったのか。

なぜ、ここには沈黙だけがあるのか。
ぼくは、いったい、なぜここに立っているのだろう。

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ここではない、どこか

夜更け、英語ならスモールアワーズという、2時や3時に目がさめて、世界はもうすぐ終わりになるのではないか、と考えることがある。
きみは笑うだろうし、世界中の人間を考えれば、そんなことを考えたといえば、爆笑する人間のほうがおおいだろう。

それでもぼくは、ときどき、この世界は、いったい、もう寿命にきているのではないかと考えることがある。

英語フォーラムでは、Brexitもトランプ大統領も、要するにロシアの陰謀が成功したのだと述べる意見にあふれている。

そうだといい、とぼくは考える。
もしそれが理由なら、世界は発狂したわけではないのかも知れない。
KGBの、彼ららしい新しい戦略によって、傀儡師として、ビンボな国なりに、カネモチ西欧諸国を踊らせているのかもしれない。

もし、そうなら、どんなにかいいだろう、
と考える自分が、一方には、途方もなく冷めた目で、立っているのだけど。

自分は、生まれて来たこの世界が好きではないのではないか、と長いあいだ疑ってきた。
もっと言えば、人間というものの特性が嫌いなのではないか。

連合王国という国は、子供を児童として保護するよりもずっと前に動物愛護の法律をつくって、いまだに英語世界では笑われているが、でも、もしかするとそれは世界に対する正しい観察に基づく叡知だったのではないか。

人間のほうが犬や猫よりもすぐれているのだ、という人とあうと、なんだか不思議な気がする。
なぜ?
とおもう。

自分にとっては猫のほうが人間よりも賢いのは、あたりまえのことに属する認識だからだろうと考える。
人間には、知性と呼びうるものがあるだろうか?

人間は言語を使いはじめたことによって、進化の系統から外れてしまった。
いわば別リーグになったので、象や虎や猫や犬がいる「言葉のない世界」から遠い存在になってしまった。

自然世界とは別立てで、ろくでもない世界をつくってしまったことは、例えば、インターネットに分け入ってみれば明らかで、言葉は本来は、洞窟の壁に、はてもなく、延々と描きつづけた「Disk」や酸化鉄をふきつけて印象した手のひらの形で表現したかったものを、より精細に表現する方法にすぎなかったが、その言語という呪術的なものに、伝達の機能をもたせようとしたことで、無理を極める注文で、あきらかであるとおもう。

人間を30年もやれば、言語にはちゃんとした伝達の機能などないことは、誰でも知っていることだろう。
言語には照応の機能しかない。
お互いがおなじことを認識して知っていれば、お互いの認識を並べてみせることによって、ああ、あなたは、これのことを言っているのか、それは私の悩みでもあります、という具合に得心しているのであって、伝達などではありはしない。
言語に伝達機能があると妄想することで、人間は、どれほど多くのエネルギーを浪費してきたことだろう。

知能の定義が自分が人間であるという自覚をもたない人間によって作られたので、人間を特別にすぐれているように見せるための定義になってしまっていることは疑いえない。
もうこのブログで何度も述べたが、例えばタコは統合失調症になるが、だからといって「タコまでは知能が認められる」と結論することは、人間の一方的なおもいこみのモノサシで知能を定義することであるとおもう。

カヤックで海をわたっていけば、誰にでも簡単にわかることで、カヤックを集団で飛び越えてゆく鰺は、やはり遊んでいるのだとおもう。
鰺に「遊ぶ」知能があるわけはない、というが、理屈と感覚では、どちらも等しく誤りやすい、ということではないのか。

人間は幸福や繁栄には飽きるように出来ている。
なぜだかは、知らない。
幸福にも繁栄にも、なぜか飽きる、という事実が知られているだけです。
キャメロンが、Brexitを国民直接投票にかける、というケーハクによって退陣せざるをえなくなったとき、連合王国は歴史的な繁栄の頂点にあった。
イギリス人は、愚かにも、その繁栄に終止符を打ってしまった。
でもそれは、ほんとうに「愚か」だったのか。
必然なのではないか。

グルーチョ・マルクスが「ぼくは自分が入れるようなクラブのメンバーにはなりたくない」と述べている。
人間の、この「自分が会員になることを拒否するクラブだけに入りたい」心は、人間の不幸を、個人から国家に至るまでのレベルで招来してきた。
人間が常に自分を不幸に陥れようとするメカニズムは、要するに、自分に十分可能なことには価値を認めない、人間の、蛮性によっている。

もう寿命にきている、というよりは、世界は、こんなに簡単に繁栄できる世界など自分は拒絶する、と述べているのでしょう。

成功できるような成功は、成功と認めることは出来ないのだ、と書くと、言葉遊びのようだが、案外、人類がときどきみせる、破壊に向かってひたむきにすすむ素顔は、人間の言語そのものに内在する、垂直な、天空に突き抜けるような価値よりも、常に、自分に可能な成功は否定する性質にあるのかもしれません。

自分の母親と性交したいと願うあまり、ついに言語の彼岸にたどりついてしまった、あのフランスの詩人が夢見た、「ここではない、どこか」は、つまりは人間につきまとう普遍的な呪いなのではないかと、ときどき考えるのです。

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見知らぬ文明

最近は、日本語で日本のことをなにか書いてみよう、と思っても、なにしろ最後に訪問してからまるまる7年たっているので、断片的な記憶以外は、ほとんど何もおぼえていない。

3年前だったか、2年前か、数日、ストップオーバーで立ち寄ったことはあるが、京都の尾張屋という名前の蕎麦屋さんの蕎麦がおいしかったことと、東京の贔屓だったおでん屋さんがなくなっていてショックをうけたことくらいしかおぼえていない。
両方とも食べ物であるところが情けないが、ほんとなのだから、仕方がない。

やむをえない世の中の趨勢で最近は連合王国人もニュージーランド人とオーストラリア人も、成田を経由せずに、ドバイやドーハを経由してロンドンへ行くことが多くなった。
便数が多くて成田経由より安い上に、機材も、A380やなんかで、成田経由に比べると遥かに楽チンだからで、特にフルフラットベッドの完全導入すら覚束ない成田ロンドン間に比べると、合理的で、空港のラウンジも快適なので、最近は成田経由よりも、シンガポールか、ドバイまたはドーハを経由して欧州へ行く人がぐっと増えたと感じる。

むかしは旅客機の航続距離が短かった頃の名残で、例えば子供のころは、まだ、
ニュージーランドからロンドンへ帰るのに、クライストチャーチ→オークランド→ホノルル→東京→ロンドンという経路が残っていた。
両親にロンドンからシカゴに行く用事があったせいで、ときどきシカゴへお供していたが、オヘア空港はユナイテッドのハブで、マイレッジがどんどんたまって、
しかも当時は例えばビジネスクラスで一度どこかの国へ出かけると、エコノミークラスの同距離が無料になる、という調子で、大盤振る舞いだったので、マイレッジが使いきれないほどたまって、じゃあ、ハワイ経由で東京まではいけばいいね、と家族内の上下議会で衆議一決することが多かった。

どういう理由に拠っていたのか、トランジット扱いになっていなくて、ホノルルでいちどパスポートコントロールを通過することになっていた。
おかげで、ホノルルで数日を過ごすのが習慣になって、兵器について学習するのが好きで、次期首相になるのかどうか、石破(いしば)っていたぼくは、そのたびに戦争博物館、正しくはアメリカ陸軍博物館、に寄っていたものだった。
この戦争博物館とダイアモンドヘッドの裏側にあるレンタルビデオ屋と、生まれて初めて「スパムおむすび」という異様な食べ物を見て戦慄したABCストアが、ホノルルと言われると思い出すみっつの場所で、ほかのことはあんまりおぼえていないのだから、ハワイの人が聞いたら、情けながって、怒るのではないかとおもう。

世界中どこでも40分で行けるようになる、イーロンマスクのスペースXが普及するころには、この、26時間だかをかけて移動していた日々も、笑い話になるのだろうが、慣れてしまえば、あれはあれで楽しいもので、特にフルフラットベッドが普及した21世紀に入ってからは、例えば成田からオークランドに向かうにも、夜の8時に離陸して、機内で夕食を食べて、ワインを飲んで酔っ払ってぐっすり眠ると、朝の10時に着く、という具合で、11時間かかることで返って幸いして、時差が3時間しかないことも手伝って、ロンドンからニューヨークへ行くよりもずっと疲労が小さかったのをおぼえている。

数年、ひとりでロンドンとクライストチャーチを往復していたころには、世界一周チケットで行き来するのに凝って、行きは東京を経由するが、帰りは大陸欧州を経由してニューヨークによって、ロサンジェルスに滞留して、というのをやっていたことがあるが、二十代の体力だからなんでもなくそんなバカなことをやれたので、
例えばパリ→ニューヨークは9時間で、ニューヨーク→ロサンジェルスは5時間半で、食事はいりませんから、と断っても、ついつい映画を一本観てしまったりすると中途半端極まりなくて、結局は酔っ払って不機嫌な、見るからに胡乱な若者として入国管理官の前に立つことになる。

欧州と東アジアに戦乱の雲があらわれて、その上に、海外旅行をする人が毎年毎年空港や宿泊施設のキャパシティを超えて増えて、友達にあっても最近旅行した友達は不愉快な経験をしたひとが多くて、エコノミークラスで旅行するのは論外であると述べている。

モニさんと相談して、旅行を減らして、出来ればメルボルンとオークランドを往復して、あとは週末にウエリントンに出かけたり、クライストチャーチへ飛んで昔からの友達たちと夕食を楽しんだり、なぜか昔からアメリカ人に人気があったタウポに変わって俄然富裕なアメリカ人たちに人気が出たクイーンズタウンに招かれて出かけたりのほかは、あんまり出かけないことにすればどうだろう、ということになっている。

ひとつには、友人たちも、戦争の世紀にそなえて土地鑑をつけるためか、こぞってオーストラリアとニュージーランドに、たびたびやってくるようになったので、向こうへいかなくても、こっちにやってきてくれる用事が増えた、ということもある。

案外と暢気に構えているので拍子抜けする人もいるようだが、例えば投資家などは、決算の結果や、CEOの1年の業績報告、あるいはある月に取引された住宅の数やリースの成約率のようなものには、まるで臆病なウサギのように敏感に反応するが、戦争のようなおおきなイベントは、例えそれが避けられなくなったように見えても、ほとんど反応しない。

なぜかというと、極端な、市場を根底から覆すようなイベントは投資の世界では
「考慮しない」ことになっているからで、素人の人は、決まってそんなバカな、と述べるが、習慣であるだけではなくて、よく考えてみると、市場原理に従うかぎり、ブラックスワンや、それに準じる事態は、おおげさにいえば数学的に述べても、無視したほうが合理的であることが理解できると思います。

オーストラリアではシドニーにメルボルンから本拠を移そうとおもったことがあったが、シドニーは南カリフォルニアとおなじ散在型の都市で、アクセスがよいとは言えなくて、いやいやいや、せっかく日本語で知り合ったお友達たちを念頭に書いている日本語ブログなので、正直に書くと、メルボルンの、あの狭っこい「傾いた四角」に、ぎゅっ、と詰まった滅茶苦茶おいしい料理をだす欧州系レストランやバーの魅力を見限ることに失敗して、シドニーは廃案にされて、サウスバンクから北の河岸に、本拠を移すだけのことにしてしまった。
要するにワインを、そこで一杯、あそこで二杯と飲んで、タパスやなんかを食べて、ふらふら歩いて遊びたいだけなんじゃない?と失礼なことを言う友達がいたが、その通りで、東京にいた頃の銀座の代わりで、今日はHardware Lane明日はSpring Streetで、モニさんとふたりで歩いていると、東京やマンハッタンをおもだして、楽しい。

ニュージーランド人は、最近は、寄ると触ると、ほかの世界から離れていたよかった。
信じられるかい?
おれたちは、世界でただひとつ安全な国にいるんだぜ、と真顔で述べあっているが、そうは問屋がおろさないというか、問屋はつぶれちゃうのよ、といったほうがいいのか、世界の経済は密接に連関していて、赤道の向こう側で戦乱が起きても、戦争自体はやってこないのは、それはそうだろうけれども、もともと22フィートのヨットで島影のないブルーウォーターのまんなかを航行しているような、文字通り吹けば飛ぶような国力のオーストラリア/ニュージランド・マーケットがただですむわけはなくて、よくて沈没、悪くすれば岩礁にたたきつけられて終わりだろう。

ぼくは、英語社会では生年を聞かれることはあっても会社員でもなければ年齢を聞かれることはないので、ほんとかどうか判らないが、1983年生まれなので、いま数えてみると多分、34歳だが、子供のころに見たビンボ時代のオーストラリアとニュージーランドをよくおぼえている。
子供のときラムチョップがおいしいのに惹かれて連れて行ってもらった、クライストチャーチの、ハイストリートのパブで、ランチを買うオカネもなくて、壁際の席に座った若い失業者たちが、いちように半パイントのビールをじっとみつめて、一時間も二時間も、それこそ身じろぎもしないで下を向いていた姿や、オーストラリアのサーファーズパラダイスで、身なりがいい日本人観光客たちが楽しげに闊歩する大通りから一歩裏にはいった、ステーキパイがおいしいベーカリーがある狭い通りに入ると、何日も洗濯していない汚れたTシャツで、見るからに貧困に喘いでいる若い母親や、希望を持てずに麻薬に手を染めていそうな、おなじく薄汚れたシャツにジーンズの男達が通りのあちこちに屯していたのをおもいだす。

例えばニュージーランドでいえば、この17年間に及ぶ急成長した経済で、新聞で「巨大化した」と表現されるくらい成長したニュージーランド経済だが、日本で言えば三重県とおなじ規模だった経済が静岡県と同規模に昇格したところで、どのくらい小さな経済かというと、むかしでいえば国内最大銀行のBNZは神奈川県の湘南信用金庫よりも規模が小さかった。
いまはどうなったか知らないが、湘南信用金庫が朝日信用金庫になったくらいの程度ではなかろーか。

国際市場の煽りで経済があえなく破綻して、そのうえに、いまでも白い人ばかりが集まるとヒソヒソと話しているように、「中国人が多すぎる」なんて了簡が狭いことを述べているようでは、どっとなだれ込むに決まっている移民の増大に耐えられるわけがない。
実際、肌の色ばかり気になるおっさんおばさんたちの妄想だけではなくて、オーストラリアでもニュージーランドでも、教育、医療をはじめ、インフラストラクチャーは、いまですら、一面では限界に達している。

このあいだ、インターネットで、いつもの仲間内だけの閉鎖的なフォーラムでなくて、あちこちのフォーラムを、渉猟して、眺めて遊んでいたら、「トランプはプーチンがアメリカに送り込んだ刺客なのだ」という意見の人がいて、おもしろかった。
すべては経済が、だいたい韓国と同規模で、どちらかといえば小国に過ぎないロシアが旧ソ連圏回復を目論むための新思想による戦争努力で、アメリカは、その第一ラウンドで負けたところだという。
読んでいるうちに、自分の外交が専門の友達が書いているのでないかという錯覚が起きてきたが、ま、酔っ払って読んでいたので、邪推が起きたのでしょう。

しかし、ある時期から、安定して繁栄していたアメリカとイギリスの世論が不安定になりだしたのは事実で、イギリス人などは、政治が理解できない国から移民を受けいれすぎたから、われわれの自由主義社会が自爆してしまったのだ、と述べる人がおおいが、ほんとうは移民には知的な人間が多いので、土着民の白い人がパブでパイントにパイントを重ねて、フットボールを肴にゲハハハハと下品に笑い転げているあいだに、ネットサーフィンやSNSに浸っていて、リベラルの皮をかぶったロシアのサイバー世論誘導部隊に頭をやられてしまったのかも知れないし、あるいは、もちろん、その両方ともが虚妄で、単に「繁栄に飽きた」結果なのかも知れません。

累卵の危うき、と言う。
いまの世界はそのまま、つみかさねた卵が、なんとかバランスを保っている状態だが、あと、この枠組みで、何年、政府同士、市場参加者同士、これまでの「情報を共有する」という破局の回避方法だけでやっていけるのか、ロシアが、市場の大暴落を避け、核戦争を避けるために20世紀の後半に人類が編み出した「情報の絶え間のない共有」に目をつけて、逆手にとって、新しいサイバー戦略の柱に「共有される情報を支配する」毒を盛って成功を修めた以上、ちょうどいまのアメリカ人に典型的に見られるように、fake news、マスメディアもインターネット情報もウソばかりなのだと考える人間の数が急速に増大した以上、もう情報の絶えざる共有という安全保障の要は効能をほぼ失いつつある。

久在樊籠裏
復得返自然

と述べたのは陶潜だが、世界の文明のフェーズが決定的に変わったのはたしかで、きみもぼくも、いままでの延長で思考をすすめても、ただ崖から転落する運命を避けられなくなってしまった。

都度ごとに自分の頭で考えないと、つつがなく生きてゆくことすらできない、難儀な時代になったものだと思っています。

モニさんは、世界がまるごとダメになったら、ガメとふたりで庭で畑を耕して暮らすからいい、
楽しい生活ではないか、と気楽なことをいうが、1年の半分を欧州で暮らそうと画策していたぼくは、眩しいほど美しいモニの顔をみながら、ま、日本恋しやのジャガタラお春も、真実はまったく異なって、日本のことなんかすっかり忘れて、インドネシアでの生活を死ぬまで愛していたというけどねえ、と、このあいだ読んだばかりの日本語の本のことをおもいだして、そっと呟いてみる。
陶潜も、述べている。

帰園田居
少無適俗韻
性本愛邱山
誤落塵網中
一去三十年
羈鳥戀旧林
池魚思故淵
開荒南野際
守拙帰田園

南側は、ここでは太陽が当たんないんだけどね。
ははははは。

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