「強くなろうとあがく者が1人でもいると、何もしない自分がみじめだもんな。
みんな同じなら見えないのに、異質な者がいると浮かび上がってしまう、自分のみじめ
さが。
だから、追い出そうとして、それができないとわかると、嘲笑い下に見て、線引きをして隔てる。」
(「バガボンド」36巻より引用)
最近、「スラムダンク」で有名な井上武彦さんの漫画「バガボンド」を読んでいて、とにかく仕事が手につかなかった。笑
そして、今出ている37巻までを読み終え、やっと仕事に集中できると心の中で安堵しています。
キングダムにせよ、インベスターZにせよ、バガボンドにせよ、漫画というのは素晴らしい。
名シーンほど面白いほどに「本質」が詰め込まれているように思う。
バガボンドには特にその「本質を」うまく描き、考えさせられてしまう。
冒頭で引用した文章もその通りで、今の世の中の嫉妬、妬みの本質を捉えていると思うのです。
誰かが頑張ろうとすると、それに嫉妬して蹴落そうとしたり、バカにして足を引っ張る。
どうして素直に応援してやることができないのでしょうか?どうすれば嫉妬や妬みがなくなるのでしょうか?
夢に向かって頑張ることをバカにされる社会
最近では、夢や目標に向かって頑張っている人のことを「意識高い系」と揶揄して、バカにする傾向が特に強まってきています。
Twitterや2chを中心に、人の悪口などが止まることを知りません。
もちろん、意識高い系の人たちが、自分の能力を誇示したいのか、認められたいのか、しゃくに触るような表現しかできないのにも問題がある。
実際に、この文章を書いている私もまた、意識高い系の仲間なのでしょう。
ただ、結局のところ、こういったバカにする言動の根底の本質は、冒頭の文章にもある通りです。
自分が頑張りたくないから、頑張っている人をみると、そのみじめさに嫌気がさすから、仲間はずれにしたい、足を引っ張って諦めさせたいという嫉妬や妬みの思いからくるものでしょう。
こういった嫉妬や妬みからくる言葉であるため、私は気にもとめず、走り続けてきました。
すると、何も言われなくなります。
ただ、突っ走る前に、嫉妬や妬みに足を引っ張られてしまって諦めて自分の芽を伸ばすことなく枯らしてしまう人も数多くいるでしょう。
なんとかこういった嫉妬や妬みからくる負のサイクルをなくすことはできないのでしょうか?
「諦め」が全ての根底にあるのだろうか
そもそも、なぜ嫉妬してしまうのか、なぜ妬んでしまうのか。
自分も一生懸命頑張ればいいのではないだろうか。
違う、きっと違う、根底に「自分にはできない」、「頑張っても報われない」という諦めがあるから頑張れないのではないでしょうか。
好きなことを仕事にできるのはごく一部の人間、我慢こそが美徳、確かにまっとうな意見かもしれないが、私からすれば、頑張るのがいやなだけにしか思えないのです。
「自分にはできない」と諦めて頑張らないのにもかかわらず、そんな自分をおいていくかのように前に進んでいく者。
諦めている自分が情けないじゃないか、なんぜそんなに頑張れるんだ、という気持ちから嫉妬や妬みに変わっていく。
頑張っていない自分が嫌になって、その頑張っている人をのけ者にしようとする。
そんな構図が蔓延してしまっている。
実際に、バガボンドでも、飢えに苦しみ諦めきっている農民に対して、決して諦めることなく田んぼを耕す宮本武蔵。
その姿を見て、農民たちは「出て行け!」というのであった、自分たちのために田んぼを耕してくれているというのに。
ということは、その「諦め」をどうにかすればいいのではないでしょうか?
1つの答えをくれたバガボンド、宮本武蔵、井上武彦
みんなが諦めて、「出て行け!」という声を無視して、ひたすら諦めることなく田んぼを耕す宮本武蔵。
そして、ついに、苗を植えることができることができるようになった時に、諦めていたはずの農民たちが動き出すのです。
ああ、もしかしたらこれが1つの答えになるのかもしれない、と私は思いました。
諦めている人間に努力させるのは難しい、なぜなら、諦めてしまっているから。
「どうせ成果なんて出るわけない」と心の中で思っているから、やった方がいいとわかっているのに、体が動かないわけです。
でも、農民たちはある瞬間に動き出しだ。
そう、全く苗を植えることができなかった田んぼに、苗を植えることができそうになった瞬間に。
つまり、「できるんじゃないか」というリアリティを感じさせることができれば、自然と体は動くわけです。
「あれ、頑張ればいけるんじゃね?」という状況にしてしまう。
もちろん、そういう意味では、小さい頃から成功体験を積んできている人は、努力が報われることを身体でわかっているから問題ない。
諦めてしまいがちな人間には、宮本武蔵みたいな人をそばにつけて一緒に頑張り、力を与えることができれば、頑張れるのではないでしょうか。
つまり、1つの解決策は宮本武蔵のような、諦めない人間を数多く育成すること。
(といっても簡単ではないが。)
社会全体の風潮を変えることはできない、これは間違いない。
でも、目の前の人たちを変えることくらいならできる。
これを繰り返していくことで、嫉妬や妬みも少しは減るのではないだろうか。
結局、机上の空論でしかないと思うのだが、それでも、今日思ったことは何かのヒントとなるかもしれません。
まとめ
何かに向かって努力をする、頑張る人をバカにするのは、頑張っていない自分がみじめに見えてしまうから。
そもそも、なぜ頑張らないんかというのは、「諦めてしまっている」から。
それでも、「頑張ればいけるんじゃないか」というリアリティを感じさせることで、諦めている人でも突き動かすことができるのでは。
となると、宮本武蔵のように先頭を突っ走り、元気を与えることができる人を増やすことができればいいのか。
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