田中実氏が北朝鮮に入国していたという情報を安倍政権はなぜ4年間も隠蔽したのだろうか?

この件。

北朝鮮一転、拉致被害者入国認める

2018/3/16 18:14©一般社団法人共同通信社
 政府認定の拉致被害者で神戸市に住んでいた田中実さんについて、北朝鮮が2014年、日本側との接触で「入国していた」と伝えていたことが16日、分かった。日本政府関係者が明らかにした。北朝鮮はそれまで未入国としていた。

https://this.kiji.is/347307569550902369

なぜ今さら4年前の話が出てくるかすごく不思議なニュースです。
拉致被害者、一転入国認める 神戸の田中実さん、北朝鮮」(神戸新聞)とかでも報道されていますが、伝えた時期が2014年のいつかは明記がなく、サンスポで「[http://www.sanspo.com/geino/news/20180317/pol18031705020001-n1.html:title=北朝鮮が田中さんの入国を伝えてきたのは、両国が、北朝鮮による拉致問題の包括的調査などを決めた「ストックホルム合意」を交わした14年5月より前だったという」という記載がある程度です。

いずれも記事の構成は北朝鮮への不信感を煽るものになっていますが、2014年当時の状況を考えるとむしろ北朝鮮の方が誠実な対応をしたことがわかります。
2014年は3月の日朝赤十字会談から交渉を進め、2014年5月29日*1にいわゆるストックホルム合意が成立しています。
これを考慮すると、北朝鮮が田中氏の入国の事実を日本側に伝えた時期は2014年3月から5月の間であろうと思われ、交渉の過程で北朝鮮が情報を出してきたということになります。

不思議なのはその情報をなぜ安倍政権は公表しなかったのかという点です。ストックホルム合意には北朝鮮側が取るべき行動措置として以下の項目があります。

 第五に,拉致問題については,拉致被害者及び行方不明者に対する調査の状況を日本側に随時通報し,調査の過程において日本人の生存者が発見される場合には,その状況を日本側に伝え,帰国させる方向で去就の問題に関して協議し,必要な措置を講じることとした。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000040352.pdf

北朝鮮側は交わされる予定の合意を順守する意志表示として田中氏の情報を伝えたと言えそうですが、日本側が「随時」公表しなかった理由は何でしょうか?合意成立以前の交渉過程で公表しなかったということまでは理解できますが、それでもストックホルム合意が成立した2014年5月には公表できたはずです。2014年3月に横田滋氏、早紀江氏夫妻がモンゴルで孫にあたるキム・ウンギョン*2(キム・ヘギョン*3)氏とその娘と面会できたこともあり、田中氏の情報も公表すれば、世論に北朝鮮との交渉に肯定的な印象を与えることはできたはずです。
合意後の北朝鮮による調査結果を待って、それと合わせて公表する意向だったという可能性もないではないでしょうが、2014年7月1日の日朝政府間協議の時には直前に北朝鮮弾道ミサイル発射を行っていた上に、安倍政権が集団的自衛権行使容認の閣議決定を行っており、安倍政権として積極的に緊張緩和につながる情報を公開する動機に欠ける状況になっています。

集団的自衛権行使容認の閣議決定に際して、安倍政権は朝鮮半島情勢を理由に挙げています。

毎日新聞集団的自衛権 閣議決定 「自衛」拡大の懸念」2014年7月2日)
 これに対し、新たな解釈では武力攻撃の有無ではなく、「国民の権利が根底から覆される明白な危険」の有無が判断基準となる。日本が武力攻撃を受けていなくても政府が「明白な危険」を認定すれば、ある国から攻撃を受けた米軍艦船を防護▽米国へ向かう弾道ミサイルを迎撃▽米国と敵対する国へ武器を運ぶ船を強制的に検査−−などを行うことが可能。いずれも「自衛の措置」と位置づけ、憲法上の問題は生じないとの考えだ。

https://mainichi.jp/articles/20140702/org/00m/010/992000c

この状況で北朝鮮は“拉致被害者”の情報を日本側に提供しており、交渉できる相手であることをわざわざ国民に示して閣議決定反対の声を強化する動機が安倍政権にはなかったから公表を差し控えた(というより隠蔽した)可能性がありそうです。

田中氏の“拉致”状況も安倍政権としては積極的に対応する気を起こさせないものだったと言えるかもしれません。

神戸新聞
本人の帰国の意思は「ない」と説明したという。

https://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/compact/201803/0011074466.shtml

(サンスポ)
 北朝鮮は、田中さんについて「帰国するかどうかは本人の考えが尊重される」と強調。本人は平壌で家族と共に生活、現地に残る意向があると日本政府に説明した。

http://www.sanspo.com/geino/news/20180317/pol18031705020001-n1.html

警察庁の公表資料でもこんな感じの“拉致”。

(焦点271号 北朝鮮によるテロ等)

発生時期・場所 事案(事件)名 事 案 の 概 要
1978年(昭和53年)6月頃 元飲食店店員拉致容疑事案 兵庫県神戸市神戸市の飲食店に出入りしていた田中実さんが、北朝鮮からの指示を受けた同店の店主である在日朝鮮人の甘言により、海外に連れ出された後、北朝鮮に送り込まれたもの。
https://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten271/japanese/pdf/sec04.pdf

田中氏は1978年6月6日に成田から出国しているわけですが*4北朝鮮入国の経緯まで含めて本人の意に反したかどうかもよくわかりません*5。その上で、現在は北朝鮮で「家族と共に生活、現地に残る意向」と言われた状況では、“拉致被害者”としての田中氏を安倍政権が“救出”して日本に帰国させるという成果につながる期待が薄かったと言えるでしょう。

2014年7月の協議では、北朝鮮に対する日本政府の独自制裁の一部を解除することを表明した安倍政権は、そこでも田中氏の情報を国民には公表せず隠蔽を続けました。

西野純也氏*6によれば、2014年8月から9月にかけて日朝両国はマレーシアなどで非公式に接触していて、「日本側は当然、拉致被害者の安否情報を盛り込むよう求めたが、北朝鮮側が難色を示したとされる」(『読売新聞』2014 年9 月20日)とのことですが、この時点で既に入手していた田中氏の情報を日本政府は、その後も握りつぶしています。

そして、2014年9月になると最早日本国内の世論は北朝鮮に対する不信感に満ちており、10月には消費増税延期を争点に安倍政権が解散を仕掛けようとしていることが大きな関心となってきます。11月解散12月総選挙となる中で、安倍政権にとって田中氏の情報は公開するに値しないものという扱いになり、結果として、日本政府の拉致問題対策本部はweb情報を以下のままにして放置しました。

4.昭和53(1978)年6月頃 元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中実さん(28・兵庫県
欧州に向け出国した後失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において、北朝鮮側より、北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中実さんが拉致認定されて以降、政府は、北朝鮮側に対し、即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

https://www.rachi.go.jp/jp/ratimondai/jian.html

「これまでに回答はない」という日本政府の政府の説明は、遅くとも2014年5月の時点では誤りであり、その後4年間にわたってそれが訂正されることはなかったわけですね。

安倍政権が田中氏のことをようやく思い出したのは、韓国政府主導で南北首脳会談や米朝首脳会談が現実的になってきてからです。
圧力一辺倒、対話はしないと豪語していた安倍政権が北朝鮮情勢の蚊帳の外に置かれることを避けるため、首を突っ込む材料として使おうとしている感じですね。


日本に帰国するかどうかはともかく、自由に行き来できるようにとは思う

帰国するかどうかは本人の意志ということもありますが、本人の意志を確認するのも容易ではありませんし、一方で、北朝鮮から日本に一時帰国した拉致被害者らは今度は北朝鮮にも行けない状況にされているわけで*7北朝鮮に家族がいる田中氏にとっては、日本に帰国したらその家族とは二度と会えなくなる可能性も高いんですよね。
国交正常化した上で自由往来できるようになるのが一番良いと思いますし、そのためには朝鮮戦争終結させ、南北間・米朝間の交渉が成功し関係改善させる必要があるわけで、現状で日本政府、それも安倍政権が首を突っ込んでも逆効果でしかないんじゃないかなと懸念しています。

2018/3/17 06:50神戸新聞NEXT

北朝鮮「田中実さん入国」 神戸の関係者ら無事祈る

 神戸出身の拉致被害者、田中実さん=失踪当時(28)=の「入国」を北朝鮮が2014年に認めていたとの情報を受け、田中さんの高校時代の恩師、故渡辺友夫さん(享年75)の長男慎太郎さん(56)=神戸市垂水区=は16日、「予想もしていなかった展開」と驚きを口にした。
 友夫さんは生前、身寄りのない田中さんを案じ、拉致問題の解決に奔走。遺志を継いだ慎太郎さんも、田中さんが既に68歳となったことを気に掛けてきた。今回の情報では北朝鮮が田中さんの「生存」も認めていることになり、「とにかく元気なうちに、日本の土を踏んでもらいたい。高校の同級生たちも待ちわびている」と述べた。
 北朝鮮は平昌(ピョンチャン)五輪を機に態度を急激に軟化。同じく神戸出身の拉致被害者有本恵子さん=失踪当時(23)=の高齢の両親らも、早期帰国への望みをつないでいる。慎太郎さんは「拉致問題は日本が声を上げなければ解決しない。今が最後のチャンスかもしれない。南北や米朝首脳会談に乗り遅れないよう、ぜひ日朝首脳会談の実現を」と政府に求めた。(段 貴則)

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201803/0011075413.shtml



*1:http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na/kp/page4_000494.html

*2:Kim Eun-gyong, 김은경

*3:Kim Hye-gyong (김혜경)

*4:http://www.sukuukai.jp/shiryo/paper11/

*5:“日本軍兵士が直接銃剣を突き付けて連れ去ったのでなければ、従軍慰安婦について日本軍の責任はない”、という安倍的思考や“連行と言えば強制連行のことである”とする読売新聞的解釈を適用すれば、田中氏のケースは“拉致”とは呼べず、北朝鮮の責任すら問えるかどうか怪しいということにもなりますね。個人的には、入国の経緯だけではなく北朝鮮入国後も田中氏の意志がちゃんと尊重されたかどうかで判断すべきと思いますが、その情報がまず無い状況なので何とも判断できませんが。

*6:(pdf)「拉致問題再調査をめぐる日本の対北朝鮮政策」

*7:安倍首相が官房長官時代にやらかしたとのことですが