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ワールド・ティーチャー -異世界式教育エージェント- 作者:ネコ光一

二十一章 サンドール

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忍び寄る脅威




 ジュリアが毎日行っている早朝の訓練に誘われた俺たちは、城のすぐ横に広がる森へとやってきていた。
 てっきり城の訓練場で行うのかと思いきや、ジュリアが案内した場所は木々が拓けた広場となっており、訓練するには悪くない場所である。
 周囲に人の気配は感じられないので、ここはジュリアにとって秘密の訓練場なのだろう。
 ちなみに、まだ眠気が勝っている者おり、全員で行く必要も特になかったので、俺に付いてきたのはエミリアとレウスの姉弟だけだ。
 そんな姉弟に見守られながら、俺とジュリアは広場の中心で向かい合わせに立っていた。

「まさか君の方から勝負を挑んでくれるとはな。レウスを倒さなければ駄目なのかと思っていたよ」
「……兄貴から言うなら別だ」
「あー……少し言い辛いのですが、それはレウスが勝手に決めただけで、実はそういう決まりはないんですよ」
「何っ!? まあ複雑だがレウスと戦えたし、こうして君と戦えるのならば文句はないさ」
「それより本当によろしいのですか? まずは俺とレウスの模擬戦を見せてもいいのですが……」

 すでに俺はジュリアの動きを見ているので、公平ではないと思っての提案なのだが、ジュリアは爽やかな笑みで首を横に振っていた。

「構わないさ。こういう事には慣れているし、何より初見で戦う方が楽しめそうだからな」

 サンドールの王女に加え、剣姫と呼ばれる程に有名な女性なので、自分の動きが知られているのも当然というわけか。他にもあえて自分を追い込んで己を高めようという意図もありそうだ。
 少し複雑ではあるが、そちらが好みならば俺も合わせるとしよう。

「ルールはどうしますか?」
「昨日と同じだ。早くしないと口煩いのが来るからすぐに始めるとしよう」

 口煩いってのはフォルト将軍の事だろうな。
 確かに騒がしい人物だったが、それだけジュリアを心配している証拠でもある。何だか苦労していそうな人だったし、あまり邪険にしないでほしいものだ。
 今頃ジュリアを探し回っているんだなと内心で苦笑しながら、俺は準備が整ったと宣言しながら木剣を構えた。

「では戦いの合図だが、爺やがいないからレウスにー……」
「必要ないでしょう。ジュリア様のタイミングで仕掛けてきてください」
「何だと?」

 相手へ向けて半身となり、片手を相手から見えないように隠す俺の構えに、見物していた姉弟は俺が本気であると気付いたはずだ。
 ジュリアは先手を譲られて不服そうな表情を浮かべているが、俺の放つ威圧を感じてそれが間違いだと気付いたようだ。

「余裕を見せているわけではないのだな?」
「昨日の戦いを見た以上、油断出来る筈がありませんよ」
「なるほど……これは楽しめそうだ!」

 そう口にすると同時にジュリアは地を蹴り、俺の懐へ飛び込みながら木剣を振り下ろしてきた。
 俺は咄嗟に後方へ下がって避けるが、ジュリアは木剣を振り下ろす途中で動きを変え、こちらを追いかけるように突きを放ってきたのである。
 初手からこれとは……中々奇をてらった一撃だが、突き出される木剣の先端を叩いて軌道を逸らせば、木剣は俺の頬を掠りながら空を貫いた。

「今のが当たれば、木剣だろうと致命傷でしたよ」
「軽く逸らす君に言われたくはないさ。では、こちらはどうかな?」

 挨拶代わりの一撃が終わり、レウスとの戦いで見せた緩急入り混じった怒涛の剣閃が襲い掛かるが、俺は体を捻って避けたり、手にした木剣で受け流しながら捌いていく。
 数秒経たない内に三十近くの応酬が続いたが、違和感に気付いたジュリアは一度距離を取っていた。

「……私の攻撃を逸らすだけでなく、狙わせているのか?」
「気付きましたか」

 俺がやっているのは、あえて隙を作って相手の攻撃を誘導させる技術である。
 もちろん危険もあるが、来るとわかっている位置ならば回避も容易なわけだ。この技術は相手が達人であり、かつ本能で急所を狙える者……つまりレウスのように直感で戦うような相手だからこそ使える方法でもある。
 誘導されていると、己を客観的な目で見られる強者であれば気付けるのだが、ジュリアはすでにそこへ到達しているようだ。

「ならば、私も戦い方を変えようじゃないか!」

 先程から全く攻撃が当たらないのに、ジュリアは焦るどころか寧ろ楽しそうに笑い始めている。
 まるでライオルの爺さんみたいだなと苦笑していると、ジュリアの構えと気配に変化が見られた。

「ははは! これだけ見事に避けられてしまえば、意地でも当てたくなるな!」

 いや……まるでどころか、ほぼ同じ人種だな。
 今の台詞、あの爺さんとほとんど一緒だし。
 余計な事が頭をよぎる中で笑いながら攻めてくるジュリアだが、先程と違って動きが明らかに変わっていた。
 本能の赴くままに相手の隙を突く怒涛の攻めが、防御やフェイントを交えた、先を計算された攻めになっているのだ。
 徐々に獲物を追い込む、布石のような攻撃を避け続けていると、どこか覚えのある笑みをジュリアが浮かべていた。

「素晴らしい! 私の剣がここまで当たらないのは初めてだ!」
「それ以上、喜ばない方が……」
「何故だ? こんなにも楽しいのだぞ!」

 個人の生き方にあまり口出しはしたくないが、これ以上あの爺さんと同じになってもらいたくないと思うのは我儘だろうか? 少なくとも、ジュリアはライオルの爺さんとすぐに仲良くなれそうだ。
 とまあ、非常に興奮しているジュリアだが、剣は冷静かつ的確に振るっているのだから、色んな意味で恐ろしい女性である。

 そんな風に、お互いの隙を狙う、または隙を作る為の応酬がしばらく続いたが、均衡を崩したのはジュリアの方だった。
 脇腹を狙った俺の一撃を屈んで避けたジュリアが、そのまま低空の横薙ぎで俺の右足を狙ってきたのである。
 咄嗟に右足を上げて避け、無防備な背中へ向けて木剣を振り下ろすが、それよりも速くジュリアは屈んだ体勢から掬い上げるような突きを放ってきたのだ。
 点の攻撃である突きならば避けるのは難しくはないが、ジュリアの狙いは俺ではなかった。
 僅かな反応の遅れを逃さなかったジュリアは、手にした木剣の柄を正確に撃ち抜き、俺の木剣を上空へ弾き飛ばしたのである。武器を弾くのは俺もよくやる技だが、やられる側になったのは初めてだな。
 昨日は見られなかった動きからして、彼女はレウスとの戦いによって成長したらしい。

「もらったぞ!」

 まさか、一度の模擬戦だけでここまで学ぶとはな。
 その末恐ろしい才能に思わず笑みを浮かべてしまうが、その間にも止めを刺そうとジュリアが迫ってくる。
 ジュリアに油断は一切見られず、俺が回避する先も想定しているであろう一撃が振るわれたその瞬間……。

「まだ方法はありますよ!」
「なっ!?」

 俺は極限まで集中力を高め、ジュリアが振り下ろす木剣を両手で挟み込むように掴んだのである。所謂、白刃取りというやつだ。
 まさか素手で受け止められるとは思わなかったのか、ジュリアが動揺している隙に俺は手首を捻って木剣を奪い、そのまま剣先を彼女の喉へ突き付けた。

「これで終わり……ですね?」
「くっ!? むぅ……」

 寸止めされて不本意そうだが、さすがに喉は不味いと理解しているのか何も言えないらしい。
 しばらく葛藤を続けていると、上空へ飛ばされていた木剣が俺の背後に落ちたところで、ジュリアは溜息を吐きながら負けを認めた。

「はぁ……参った、完全にやられたよ。まさか私の剣を素手で止めるどころか、奪ってしまうとはな」
「並大抵の技では通じないと思いましたから、こちらも奇策で攻めてみたのです」

 攻撃魔法を使えばもう少し早く決着が着いたかもしれないが、この模擬戦は剣によるものだと思うし、こちらにも事情があって使わないようにしていた。
 経験上、彼女のような者は正面からぶつかって勝てば、こちらの言い分を素直に受け入れる可能性が高いからだ。

 とはいえ純粋な剣技ではジュリアの方が上なので、中々隙が見つからず苦労したものだ。
 勝敗の鍵となった白刃取りも、何度も剣をぶつけ合って力の差が大きく変わらないと確信したからこそ踏み切れたからな。
 余談だが、レウスの場合は掴めたとしても力で押し切られてしまうので通じない技だったりする。

 それから木剣を返し、自分の木剣を回収したところで、ジュリアは不満気な表情で俺へ語り掛けてきた。

「実に有意義な戦いだったが、これだけは言わせてもらいたい。レウスといい、お前たちは何故そんなに甘いのだ?」

 急所だろうと、やはり寸止めされるのが許せないらしい。
 リーフェル姫から、過去に女性という理由だけで手加減されてきたせいだと聞いたが、こちらにも事情があるのでしっかりと説明させてもらうとしよう。

「レウスは大切な人を守る為に強くなってきたので、殺し合いでもない限りは自然と手を止めてしまうのです。あからさまな手加減をするような男ではないと、手合せしたジュリア様ならもう知っている筈ですよね?」
「……ああ。レウスの剣は気持ちがいい程に真っ直ぐだった」
「そして俺の場合は、模擬戦で使うには危険過ぎる技が多いのです。必要もないのに、相手を壊したくありませんから」
「何だと!?」

 レウスの理由は納得しているが、俺のは不愉快だとばかりにジュリアは睨んでくる。
 まあ手加減していると言ったようなものだし、彼女の性格からして怒りを覚えるのは当然だろう。
 だが……。

「使う技は限定していましたが、少なくとも俺は本気で戦っていましたよ?」
「技を使わなかった時点で本気なわけがあるか!」
「ジュリア様……これはあくまで模擬戦なのです。それと無礼を承知で申し上げますが、女性だから手加減されたと思ってしまうのは、貴方の心の問題なのですよ」

 今のジュリアには、正面からはっきりと指摘する者が必要だ。
 王女でありながら、国で頂点に立つ程の強さになってしまったせいで、彼女へ強く言える者がいないのだろう。
 それゆえに手加減されると怒りを隠せなくなる、精神的に未熟な面があるのだ。
 だからこそ、彼女に勝った俺が指摘してやらなければと思う。
 いずれ己で乗り越えたかもしれないが、これ程やる気に満ち溢れる者が、身勝手な人たちによって作られた壁に躓くのは勿体ないからな。

「昨日の出来事もあり、手加減されるのが気に食わない理由をリーフェル様から聞きました。ですが今のジュリア様ならば、手合せすれば相手が本気かどうかすぐにわかる筈ですよね?」
「……ああ」
「過去の記憶に流されず、己自身で鍛えてきたその感覚をもっと信じるべきです。これからも様々な相手と戦って経験を重ね、精神……心を鍛えていけば、ジュリア様は更に強くなれるでしょう」

 王女という立場から厳しいだろうが、彼女が世界の広さを知ればどこまでも成長していきそうである。
 レウスの良きライバルになってほしいと思いながら告げた助言に、ジュリアは納得するように頷いてくれた。

「そうか……心を鍛えるか。そんな事を言ったのは君が初めてだよ」
「当然でしょう。俺はジュリア様に勝ったのですから」
「むっ!?」

 俺の挑発するような笑みを見て眉を潜めるジュリアだが、すぐに大声で笑い始めていた。
 やはり剛剣の爺さんと同じく、こういう対応の方が好みのようだ。

「ははは! 確かに、敗けた者が何を言い返したところで無様なだけか。私が何を言おうと、今は君の方が強いというのは変わらないからな」
「ですがジュリア様の剣技は、俺の予想を遥かに上回っていましたよ。あの先を読む動きと、正確無比な剣技は本気で驚かされました」
「君に通用しなかった時点でまだまださ。次こそ、その予想を更に上回り勝ってみせるよ」

 晴れやかな笑みを浮かべているジュリアの姿に、俺は内心で満足気に頷くのだった。

「……何で兄貴だと怒られないんだ?」
「経験の違いですね。貴方は強さ以外にも、女性への対応力をシリウス様からもっと学ぶべきです」
「うっ!? け、けどさ、やっぱり女は難しいって」
「そのような弱気を口にするから駄目なのです。シリウス様へ忠誠と愛を捧げる私のように、ノワールちゃんとマリーナを夢中にさせるような男になりなさい」
「ノワールとマリーナが姉ちゃんみたいになるのは嫌ー……」
「…………」
「ふ、二人には今のままでいてもらいたいんだよな、俺!」

 何だか後ろの方で姉弟が妙な事を語り合っているが……気にするまい。
 個人的に言わせてもらうなら、レウスには天然の魅力があるので、そのままでもいいような気もするけどな。

 こうして模擬戦が終わり、エミリアが差し出したタオルと水で体の手入れをしていると、ジュリアが汗を拭きながら俺に質問をしてきた。

「そうだ、一つ聞きたい事があったんだ。シリウス君とレウスの戦い方が全く違うのは何故なんだ? 君たちは師弟なのだろう?」
「レウスに剣を教えたのは俺じゃないからですよ」
「どういう事だ?」

 レウスの剣技が剛破一刀流なのは昨日の模擬戦で理解していたので、当然師である俺も同じ流派だと思っていたらしい。
 実際、先程の模擬戦では一撃に対する警戒が非常に強かったからな。
 とりあえず俺の詳しい経歴は伏せて、子供の頃に偶然ライオルの爺さんと知り合いになり、レウスが剣を教わった経緯を簡単に説明した。

「俺が剣に興味を持った切っ掛けは兄貴なんだ。剣を振っている兄貴が凄く恰好良くてさ、俺もあんな風に振りたいって思ったんだよ」
「わかる……わかるぞ! 私も初めて剣を見た時は、体中に衝撃が走ったものだ。しかし……剣を使うと決めたのならば、レウスの師は剛剣殿になるのでは?」
「だって兄貴から教わった事の方が多いし、ライオルの爺ちゃんも気にしていなかったからな」

 大抵は剛剣が偽物ではないかと怪しむものだが、ジュリアは全く疑っていないようだ。レウスの実力が何よりの証拠なのだろう。
 これでジュリアも少しは納得してくれたかと思っていると、今度はレウスへ熱い視線を向け始めたのである。

「それにしても……レウスが羨ましいな。剛剣殿はかつて我が国に仕えていたそうだが、私が生まれる前に事情があってこの国を去ったそうなのだ。何でも、剣を極める為に旅立ったらしい」

 確か……爺さんが鍛えていた弟子が貴族の嫉妬で殺されたから……という理由で国を去った筈だが、やはり都合のいいように情報操作されているようだな。

「その時に私がいれば、絶対に引き留めて……いや、いっそ追いかけてでも剣を教わっただろう」
「俺は止めといた方がいいと思うけどなぁ」

 あの爺さんの場合、剣を教わるというより、剣で襲われるとも言うからな。
 素直に教わる弟子より、殺意を持って挑んでくる弟子の方が嬉しいという、剣の変態だと知ればどんな顔をー……いや、彼女なら逆に喜びそうだ。

「剛剣殿に教わる事は無理だったが、君たちと戦う事はいい経験になるな。どうだレウス、これから私と一勝負しないか?」
「いいけどさ、また剣を止めるかもしれないぜ?」
「君はそういう男ではないと知っているから大丈夫だ。剛破一刀流をもっと知りたいから、早く戦おうではないか!」
「んー……ならいいぜ。実は俺も体を動かしたくてさ!」

 俺とジュリアの戦いを見て体が疼いたのだろう、俺から木剣を受け取ったレウスは嬉々としてジュリアの前へと立っていた。
 そのまますぐに模擬戦は始まり、俺とは違う激しい剣のぶつかり合いを眺めていると、隣に寄り添っていたエミリアが苦笑しながら呟いていた。

「二人とも、楽しそうに戦っていますね」
「差はあれど、根は似た者同士だからな」

 強さに貪欲で、鍛え甲斐のありそうな彼女がサンドールの王女でなければ、助言の途中で俺たちの旅に誘っていたかもしれない。
 レウスにとって良い刺激にもなるし、一国で埋もれるには勿体ないと思う程にジュリアの才能は光って見えるからな。
 そんな俺の些細な葛藤に気付いたのか、エミリアは優しい笑みを浮かべながら俺へ視線を向けてきた。

「……話だけでもしてみたらどうでしょうか?」
「わかるのか?」
「はい。レウスだけではなく、ジュリア様と戦っている時のシリウス様も楽しそうでしたから。あれは、将来が楽しみな人を見つけた目ですよね?」
「まあ……な。エミリアはどう思う?」
「そうですね、もしジュリア様が私たちの旅に同行するようになれば、様々な問題が生まれるでしょう。ですが、私がやるべき事は何も変わりませんので」

 どのような結果になろうと、俺を支える事は変わらない……それが全てだと微笑むエミリアの頭を、俺はそっと撫でながら礼を言った。
 そして嬉しそうに振られる尻尾を何となく眺めていると、遠くからジュリアを探す声が聞こえてきたのである。
 振り返ってみれば、必死の形相でこちらへ走ってくるフォルト将軍の姿があった。

「姫様! 剣の鍛錬をする時は城でやってくださいと、何度も言ってー……」
「ははは! もうこの技が通用しないのか! 君たちは本当に面白いな!」
「そっちこそ、兄貴の時と全く違うぜ!」
「ええい、またか! 姫様、そろそろお時間ですぞ!」

 二人は戦いに夢中で聞こえていないらしく、呼び掛けても止まらないと察したフォルトは、溜息を吐くなり二人の間へ躊躇なく飛び込んだのである。
 木剣とはいえ、まるで暴風のような二人の剣閃の中を入るなんて正気と思えないが、フォルトに迷いは一切見られない。
 そんな暴風の中に入ったフォルトは、両腕の小手で二人の木剣を受け止めたのである。
 驚くのは、頑丈そうな手甲があるとはいえ、あの二人の攻撃を受けても痛がるどころか体の軸が全くぶれていない点だ。将軍と呼ばれているのは伊達ではなさそうだ。
 そこまでされたらさすがに止めざるを得なかったのか、手を止めたジュリアは不満気にフォルトを睨んだ。

「せっかく面白いところだったのに、一体どうしたんだ?」
「お楽しみのところ申し訳ありませんが、朝のお勤めと朝食の時間が迫っております。そろそろ城へお戻りください」
「何!? もうそんな時間か」

 俺との模擬戦が結構長引いたので、すでに朝食の時間になっていたようだ。
 楽しくても空腹には勝てないらしく、これで朝の訓練を切り上げる事になったのだが、城へ戻る途中でもフォルトの小言は続いていた。

「全く! 朝早くから姫様が部屋にいないと、従者たちが騒いでおりましたぞ。あまり皆に心配をかけないでください」
「だって爺やに言えば止めるだろう? 私はシリウス君やレウスともっと戦いたいのだ」
「彼等はサンジェル様のお客人ですぞ。そんな気軽に接するのではなく、もう少し王族としての振る舞いをですなー……」

 すでに慣れたやり取りなのか、ジュリアは涼しい顔で小言を受け流している。
 一方、剣を受け止められてから気になり始めたのか、会話の合間を縫うようにレウスが話し掛けていた。

「この国の人たちは凄いな。俺の一撃をあんな風に止められるとは思わなかったぜ」
「防御に関しては国で一番だからな。爺やの守りを突破出来るのは、この国で数えるくらいしかいないぞ」
「姫様、私を持ち上げて誤魔化そうとしても無駄ですぞ。そこのお主も、他人の事を考えている暇があったら己を鍛えるといい」
「もちろんだぜ! けど一度でもいいから、フォルトさんと本気で戦ってみてえな」
「ふん、お主たちと違って私は忙しいから無理だろうな。だが……考えてはおこう」

 武人同士による共感というのか、ぶっきらぼうに見えてレウスの事は認めているらしい。
 レウスのいい経験になりそうだし、俺からも頼んでみようと考えながら、彼等の後姿を眺めていた。




「あ、おかえり」
「おかぁ……」

 ジュリアとフォルトと別れ、部屋に戻った俺たちを迎えてくれたのは、寝ぼけ眼で椅子に座っているカレンと、その背後に立っているリースだった。
 身嗜みを整えようと、ブラシでカレンの髪を梳いているリースだが、まだ半分眠っているカレンが首を頻繁に動かすので苦戦しているようだ。

「ほら、カレン。皆が帰ってきたから、ちゃんと起きよう」
「起きてるー……」
「まだ駄目なようですね。リース、後は私にお任せください」
「ところで、フィア姉はどうしたんだ?」
「……おかえり」

 少し遅れてフィアの声が聞こえたが、珍しい事に彼女はまだベッドの上で寝転がったままだった。
 ゆっくりしていろとは言ったものの、いつものフィアならとっくに起きている時間の筈だが。

「体調でも悪いのか?」
「んー……ちょっと飲み過ぎちゃったみたい。あのワイン凄く美味しかったけど、結構きつかったし……」
「美味しかったのはわかるが、限度があるだろうに。ほら、ちょっと額に触るぞ」
「はぁ……手が冷たくて気持ちがいいわね」

 とりあえず診断しようとフィアに触れて『スキャン』を発動させていると、部屋の扉がノックされたのでレウスが応対していた。
 やってきたのは昨日城を案内してくれた兵士のようで、俺の姿を確認してから深々と頭を下げてきたのである。

「シリウス殿、朝食の用意が出来たのでご案内します。それと、ジラード様から伝言がありまして」

 兵士の話によると、サンジェルたちと一緒に朝食を食べる予定だったが、急な政務が入って無理になったらしい。
 食事の用意は済んでいるので、目の前にいる兵士に案内してもらって食べてくれ……というわけだが、朝食と聞いたフィアは口元を手で押さえていた。

「うぅ……悪いけど、とても食べる気分じゃないわ。私は水で十分だから、貴方たちだけで行ってきていいわよ」
「とはいえ、フィアを一人きりにさせるわけにもいかないからな。分かれて交互に行くとするか」
「クジ紐を用意しました。赤い模様のある紐が、シリウス様の組という事で」

 あの一瞬で、クジ紐をどこから用意したのかはあえて聞くまい。
 結果……執念によりエミリアは俺と行く事が決まり、残ったリースとレウスの二組に分かれて食べに行く事となった。
 ちなみに、カレンはまだ眠気の方が強いので部屋に残し、何か食べる物を持って帰る事にした。

 そんなわけで別れて朝食を食べに行った俺たちだが、特に問題は起こらず、豪勢な朝食を存分に堪能させてもらった。
 いや……一つだけあったか。
 先に行かせたリースとレウスの後で、俺とエミリアが食堂へ向かってみれば……。

「も、申し訳ありません! 今朝作ったパンの在庫が、もうほとんど……」
「スープも残り十杯分が限界でして……」
「フルーツ類も、現在奥の倉庫から補充していますので、もう少しお待ちいただければと……」
「……俺たちは普通で構いませんから」

 給仕をしている人たちから、畏怖と申し訳なさが混じった視線を向けられ、俺は心の中で深々と謝罪していた。 
 食欲旺盛な方が俺としては嬉しいのだが、時と場合によるので難しいものだ。

「シリウス様程ではありませんが、味付けが整っていて美味しいですね。もう一杯お願いします」
「いかん。二人程じゃないが、こっちもよく食べるんだった」

 結果……残った分で俺たちは十分だったというのが救いか。
 毒見の手間が省けそうだし、次から俺も料理させてもらえないか頼んでみるとしよう。




 俺たちはサンジェルたちに招かれて城へやってきたが、本来の目的はリーフェル姫たちを守る事である。
 サンジェルは昼まで手が離せないとの事なので、後でリーフェル姫の下へ向かおうと考えながら部屋へ戻れば、すでに向こうの方からやってきていた。

「全くもう。油断しないようにって言っていたのに、二日酔いなんてだらしないわね」
「予想以上に疲れが溜まっていたみたい。我ながら情けない話だわ」

 呆れた様子でフィアを咎めているリーフェル姫だが、険悪な感じは一切なく、すでに親友同士のように気さくなやり取りであった。
 その隣では、持ってきた朝食をカレンが眠そうに食べており、リースとセニアが口元を拭いたりと甲斐甲斐しく世話を焼いている。

「でも、フィアさんがお酒で失敗するのは珍しいよね」
「そうですね。私も二、三度くらいしか見た事がありません」
「あれだけ飲んでいれば、こうなるのも当然だと思うけどな。俺なんか、コップ二杯も飲んだら気持ち悪くなるし」
「無理にとはいわないが、少しは酒に慣れておいた方がいいと思うぞ。酔っぱらわせて隙を突く……なんて話もあるからな」
「そうね、お酒に強くなって損はないわよ。前にリースと一緒に飲んだ事があるんだけど、この子ったら全然酔わないから手が出せなかったもの」
「あれ? 私、姉様と一緒にお酒を飲んだ事があったかな?」
「ほら、エリュシオンを旅立つ前に私が食事に誘ったじゃない。あの時よ」

 確か……姉妹だけで食事がしたいという事で、内密にリーフェル姫と食事会をした時の話だな。
 だがあの時のリースは酒を飲んだような様子は一切見られなかったので、俺たちもリースと同じく首を傾げていた。 

「言われてみれば、あの時飲んだ果実水、変な味ばかりだったような……」
「あれ、実は全部お酒だったのよね。美容にいい特製の果実水だと言ったら信じて飲んでくれたけど、最後まで顔が赤くなるどころか普通に歩いて帰っちゃうんだから驚いたわ」
「えぇ……何でそんな事をしたの?」
「お酒の嗜み方を教えようと思っただけよ」

 他にも酒に慣れさせる意味もあったらしいが、あの残念そうな表情からして、酔っぱらったリースの姿が見たかったとか、歩けなくなればお泊りさせる等の打算もあったかもしれないな。
 そんな姉からの暴露話にリースが呆れている中、フィアから離れたリーフェル姫は俺へ視線を向けながら部屋の扉に手を掛けていた。

「じゃあシリウスが戻ってきたところで、早速行くわよ」
「行くって……どちらへ?」
「昨日話したじゃない。貴方たちが王様の診察をしてくれるんでしょ?」

 リーフェル姫はジュリアと一緒に朝食を食べたらしく、その時に話したらしい。
 確かに容体を見てみたいとは言ったが、相手は国の頂点に立つ人物だ。断られても仕方がないと思ってはいたが、こんなに早く許可が出るとは思わなかったな。
 何でも、話を聞くなりジュリアは二つ返事で許可してくれたそうだ。
 元からの性格もあるだろうが、リーフェル姫の説明と、模擬戦によって俺たちの事を信頼するようになったからだろう。

「でも全員はさすがに無理だから、行くのはリースとシリウスだけね」
「まあ、当然でしょう。すまないが……」
「はい。フィアさんとカレンはお任せください」
「兄貴とリース姉ならすぐに終わりそうだな。俺は部屋で体を鍛えているよ」
「うぅ……気を付けていってらっしゃい」
「行ってきますぅ……」
「カレンは残る側だからな」

 皆に見送られながら部屋を出た俺とリースは、リーフェル姫たちの案内で王の寝室へと向かった。
 城の奥へ進むに連れて、すれ違う兵士や臣下たちの目が鋭くなっていくが、リーフェル姫は物怖じ一つせず進んでいくので実に頼もしい。
 そして次の角が目的の部屋だと聞いたところで、突如フォルトの怒声が響き渡ったのである。

「何故そのような事を許可したのです!」
「そんなに怒鳴らなくても、自分が何をしているのかは理解しているさ」

 角からこっそり覗いてみれば、王の寝室と思われる部屋の前で、フォルトがジュリアを怒鳴っている光景が広がっていた。
 今までの小言と違って本気で怒っている様子から、王の診断を許可したのはジュリアの独断で、フォルトがそれを知って駆けつけたといったところだろうか?

「そこまで理解していながら、何故このような事を? 王に何かあったらどうするのです!」
「これ以上、父上の何が悪化するというんだ? そして彼等が暗殺を企むような者ではないと、剣を交えた私がよく知っている。父上に害を成す事は決してないだろう」
「気持ちはわかりますが……」
「リーフェルから聞いたのだが、シリウス君は難病をあっさりと見抜く目を持ち、あの青い髪の女性は優れた治療魔法を使えるがゆえに、エリュシオンでは聖女とも呼ばれているそうだ。そんな二人に診てもらって損はあるまい?」
「む……ぐ……」

 模擬戦の時と違い、王族として振る舞うジュリアの威厳と発言にフォルトは言い返す事が出来ず、やがて負けを認めたのか重々しく頷いた。

「私も同席して見張るから心配はいらないさ。もちろん、お前も来るのだろう?」
「当然でございます。私は王の盾ですから」
「それでこそ爺やだ」

 何だか、とある王女様と初めて出会った時を思い出すやりとりだな。
 臣下の礼を取るフォルトの姿を見て満足気に頷いたジュリアは、振り返って角で待っていた俺たちを呼んでくれた。俺たちに背中を向けていたが、彼女程の実力者となれば気配で気付いて当然か。
 そして兵士による厳重な警備が敷かれている部屋の前で、リーフェル姫はここまでだと言って立ち止った。さすがにリーフェル姫でもこれ以上進むのは無理か。

「ジュリア、後はよろしくね。それと何度も言ったけど……」
「ああ。何を見たとしても、私の心だけに留めておくよ。もちろん爺やもだぞ?」
「……姫様の意向に従おう」

 俺やリースの能力を見ても、周囲へ漏らさないように徹底してほしいと、事前にリーフェル姫が説明してくれたようだ。
 リーフェル姫の気遣いに感謝しながら王の寝室へと入れば、部屋に常駐し王の世話をしている従者たちの視線が一斉に向けられる。
 その中の代表と思われる女性の従者が一歩前に出るなり、俺たちを一瞥しながらジュリアへと頭を垂れた。

「ジュリア様。見慣れぬ方々がいらっしゃいますが、彼等は一体?」
「ああ、父上を診てもらおうと思ってね。こう見えて、エリュシオンの王女に認められた医者なんだ」

 本当は医者ではないが、その方が説得しやすいと思ったのだろう。
 後はフォルトと同じような説明をすれば、女性の従者は静かに頭を下げながら道を譲ってくれた。

「しかしこれから行う事は他言無用の方法でね、皆には悪いが少しだけ部屋を出てくれないか? 父上は私と爺やが見張っているから心配は無用だ」
「……わかりました」

 話が早くて助かるが、素直に部屋を出ていく従者たちの表情は一様に暗い。
 おそらく今の俺たちのように医者が訪れ、匙を投げられるという光景を何度も見てきたからだと思う。その度に己の無力感に打ちひしがれ、精神的に疲れているのだろう。
 せめて手の施しようがある状況でいてほしいと願いながら、俺とリースは王が眠るベッドの前へと立って診察を始めた。



 緊張する診察を終え、結果を報告して部屋へ戻ってきた俺は、椅子に座って大きく息を吐いていた。
 この部屋を出てから一時間も経っていないが、俺のやり方に興味を持ったジュリアからの質問攻めに加え、終始フォルトの威圧をぶつけられていたので精神的に疲れたな。

「お疲れ様でした。すぐに紅茶を用意しますね」
「おかえり。首尾はどうだったの?」
「それが、何て言えばいいのか……」

 多少は調子が戻ってきたのか、テーブルに着いて水を飲んでいるフィアの質問にリースは言葉を詰まらせている。
 一方カレンは完全に目が覚めたらしく、部屋の隅でレウスと一緒に腕立て伏せをしていたのだが、俺たちが戻ってくると中断してこちらへ近づいて来た。

「王様の病気は治ったの?」
「いや、まだベッドで眠ったままだな」
「兄貴とリース姉でも駄目だったのかよ!?」
「そうじゃない。王を診察しただけで、まだ本格的な治療に取り掛かっていないのさ」

 その言葉に首を傾げる皆を見渡してから、俺は王の寝室で起こった事について説明していた。



『では、診察の為に腕を触りますね』
『リーフェルに聞いた通りだな。さて……せめて原因がわかればいいのだが』

 年齢は五十を過ぎているそうだが、サンドールの王は立派な髭や髪を生やす、見た目が随分と厳つい男であった。
 だがそんな王も長き眠りによって肉体が痩せこけており、床ずれもあってかなり衰弱しているようだ。
 それでも呼吸はしているし、脈はきちんとある。
 目を閉じている以外は普通なのに、俺が腕に触れても王は何一つ反応を見せなかった。

『こんな状態でも、口元へスープを近づけると多少は飲んでくれるのだ。父上を世話してくれる皆の御蔭で何とかなってはいるが、こうも反応がないと心労が酷くてな』

 無意識ではあるが、食事を促せば反応はするらしい。
 前世で例えるなら植物状態に近い感じだろうが、それとは違う気がする。

『倒れる以前に、何か怪我や病気を患っていましたか?』
『いや、父上は健康そのものだった。食事や刃物で毒を盛られた形跡もないのに、突然このような状態になってしまったのだ』

 倒れるまでは普通に活動していたので、病気や後遺症の線は薄い……と。
 俺は魔力を高め、『スキャン』を体全体から一点に集中した診断へと切り替えてみれば……王の首筋に妙な反応を捉えたのである。
 これは……。

『……原因は不明ですが、王を目覚めさせる事は出来るかもしれません』
『本当か!?』
『待て! 何を根拠にそのような事が言える? 貴殿は腕に触れただけではないか』
『触診によって確信を得たんですよ。それに似たような症状を過去に見た事がありますので、ある薬を使えば目覚めると思います』
『薬? 今まで診せてきた医者が様々な薬を試していたが、どれも効果がなかったぞ?』
『特殊な調合薬なんですよ。作り方は俺が覚えていますので、後でメモに書いた素材を用意してくれませんか?』
『本当に効果がー……』
『待て、爺や。前例を知っているなら試す価値はあると思うぞ。すぐに用意させるが、その薬はいつ出来るのだ?』
『作業が面倒な上に、抽出方法も特殊なので多少時間が必要です。早くても、薬が出来るのは明日になるでしょう』

 どれ程急かされても無理だと念を押すように伝えてみたが、ジュリアは晴れやかな笑みで頷いてくれた。

『目覚める可能性があるとわかれば十分だ。すぐに皆へ伝えなければ』
『姫様、それは止めておくべきです。下手に城の者へ知れ渡り、もし王が目覚めなければ、彼だけでなく城全体に影響を及ぼしかねません』
『……そうだな。これ以上、兄上に突っかかる連中を調子付かせるのはよくないか。しかし黙っているのもな……』
『せめてご兄弟には伝えてはどうでしょうか? 家族ならば知る権利があると思います』
『王を診てくれた事には感謝しているが、あまりこちらの事情に口出ししないでもらいたい』
『いや……彼の言う通りだ。後で私から兄上とアシュレイに伝えるとしよう』

 複雑な表情だが、ジュリアに言われては逆らえないのだろう。
 フォルトが仕方なく下がったところで、悲痛な面持ちで王を眺めているリースに、俺はある治療を施すように耳打ちで頼んでいた。

『ついでに体調も整えていた方がいいでしょう。リース、頼んだよ』
『難しそうだけど、何とかやってみるね。えーと、悪いものを流すイメージで……』
『ほう……水で体全体を覆うなんて初めて見る魔法だな。彼女は何をしているんだい?』
『体の外と中から同時に治療しているんです。効果はすぐに表れますよ』

 正確には、浄化作用のある水で体内の悪いものを洗い流す……所謂デトックスのような事を行っているのである。
 膨大な魔力を秘めた精霊を、繊細かつ自在に操れるリースだからこそ可能な魔法だ。
 王には様々な薬を投与されていたせいで中毒症状のようなものが見られたが、これで大分緩和されるだろう。

『おお、父上の顔に生気が! リーフェルから聞いた以上の腕前だ』
『これは……一体……』
『後は薬を飲めば目覚めるでしょう。それまで他の薬を試したり、下手に触れたりしないようお願いします』
『そんな事は言われずともわかっている!』
『父上に近づく者には気を付けるよ。君たちを城へ招いてくれた兄上に感謝しないとな』



 こうして、必要な素材を書いたメモを渡してから、俺とリースは部屋へ戻ってきたわけだ。
 説明しながらエミリアが淹れてくれた紅茶を飲んでいると、メモを覗き見した時から微妙な表情をしていたリースが俺へ質問をしてきた。

「ねえ、シリウスさん。あのメモに書いた素材、どこかで見た事があるんだけど……」
「あって当然だと思うぞ。あれはカレー粉を作る為のスパイス類だからな」
「カレーの匂いで王様が起きるの?」
「なるほど、カレーの匂いって凄く美味そうだもんな。何か……カレーが食べたくなってきた」
「私も……」
「カレンは甘いカレーがいい!」
「……後でな」

 食いしん坊な子たちは脱線し始めているが、エミリアとフィアは真剣に考えているようだ。フィアの場合は、二日酔いで悶えているようにしか見えないが。

「調合法によって、カレー粉も薬になるのでしょうか?」
「それは考え過ぎだな。あれは薬に使う分じゃなくて、リーフェル姫たちに振る舞うカレーに使う予定なんだよ。薬は馬車に置いてある物で十分だからな」
「馬車の薬って、常備薬とか言ってたあれの事? 昏睡状態を治すような薬があったかしら?」
「気つけ薬があっただろ? 前にレウスに飲ませた、かなりきついやつだ」
「……あれか。確かにあの薬なら、死んでいても起きそうだな」

 味を思い出したのか、レウスは苦々しい表情を浮かべながら体を震わせていた。
 あの薬は苦味や辛味を究極に高めた俺オリジナルの気つけ薬で、訓練で気絶したレウスが飛び跳ねる勢いで目覚めさせる程の代物である。

 そこまで説明したところで、俺はフィアに目線で合図をし、魔法で外に声が漏れないように頼んでいた。
 気分が悪そうながらもフィアが魔法を発動したところで、リースが首を傾げながら質問してきた。

「あれが強力なのはわかるけど、似たような気つけ薬がすでに試されているんじゃないの?」
「いや、起きるさ。実は王が目覚めない原因はすでに掴んでいるからな」

 薬を飲ませる時に、その原因も取り除く予定だと伝えれば、リースが不服そうな表情で目を細めていた。

「原因が判明していたのなら、すぐに取り除いて治療すれば良かったのに……」
「説明出来なくてすまなかった。実は、相手の出方を伺う為に一芝居打とうかと思ってな」

 城の……国全体の騒動を影で操る黒幕の意図と目的がハッキリとしないので、行動を起こさざるを得ない状況を作ってみたのである。
 王が治るという話を知れば、何かしらの動きを見せる筈だ。

「王には悪いが、もう一日だけ眠っていてもらおう。可能なら、明日中に相手の正体や目的を完全に見極めたいところだ」
「何か事情が深そうですね」
「ねえ、王様が眠っている原因はなんだったの?」
「あれは眠っているんじゃなくて、目覚める事が出来ないのさ。ここに埋め込まれた物によってな」

 『スキャン』で調べた時に首筋から感じた僅かな反応……それが王の覚醒を阻害しているのだろう。
 最初は毒針でも打たれた痕かと思っていたが、そこから過去に似たような反応を感じたゆえに、俺は咄嗟に原因はわからないと誤魔化したのである。

「獣王が治めていたアービトレイの城で見ただろう? 人の体内に潜み、宿主の体を操って騒ぎを起こした存在をさ」

 そう……王の体内にあったのは、非道な実験を繰り返し、獣王の娘を攫おうとした謎の石と同じ反応だったからだ。
 アービトレイの時と違ってサイズはかなり小さく、それに意志らしきものはなかったが、微妙な魔力の反応も感じる点からあれが原因なのは間違いあるまい。

「思った以上、この国は危険な状況のようだ。予定だと前線基地にいる王たちが今日中に戻ってくるから、すぐに相談するとしよう」

 俺が宿主を操る石の話をしたところで、冗談だと思われるか、あれの危険性が伝わる可能性は低い。
 だが実際に被害を受けた獣王から説明してもらえば、少なくとも流される事はないだろう
 今後の予定を改めて決めながら、俺たちは頼んだ素材が届くのを静かに待っていた。



 しかし……予想より早く事態は動いた。

 頼んでいた素材が届き、調合……カレー粉を作っている内に昼食となったので、俺たちはようやく手が空いたサンジェルたちと昼食を食べる事となった。
 相変わらず勧誘はされたが、特に何事もなく昼食が済んだところで、ジラードから内密の話があると部屋に呼ばれたのである。
 俺だけ……という事なので、警戒をしながら一人でジラードの私室を訪れてみれば、そこで重大な話を聞かされたのだ。

「……それは本当なのか?」
「はい。サンジェル様にたてつく連中を扇動し、城を混乱させている黒幕の正体が遂に判明したのです」
「わざわざ俺を呼ばなくても、捕まえてしまえばいいと思うんだが」
「彼を裁くには、他の者たちから罪状を吐かせる必要があって時間が掛かるのです。その審議をしている間に行動を起こす可能性が高いので、彼が動く前に対処しなければなりません」
「つまり俺に確保を……いや、もっと血生臭い方か?」
「話が早くて助かります。これは貴方の実力を見込んだ上での頼みでして……」

 そして椅子から立ったジラードは深々と頭を下げながら……。

「革命を起こそうと企むフォルト将軍を……密かに始末していただけないでしょうか?」

 俺に暗殺を依頼してきたのである。



 おまけ その時、何が起こっていたのか?(エミリアの執念編)


 俺と朝食を食べに行くペアを決める為、クジ紐による選抜が始まっていた。

「赤色の線が入った紐がシリウス様と行く組です。覚悟を決めて引きなさい」
「よし、俺から行くぞ」

 先陣を切ったレウスが紐を引けば、先端が赤いー……。

「あら、間違えて全部赤い紐になっていました。すぐに変えますので、少々お待ちください」
「え? わ、わかった……」

 とんでもない力技だが、姉の凄みにレウスは何も言えないようである。
 そして新しい紐に変えて再びレウスは引くが……。

「お、赤だ!」
「違います。それは赤ではなく、フレイゴン色ですね」
「大人気ないぞ、姉ちゃん!」

 レウスの言う通りであるが、そもそもお前が参加している理由がよくわからない。
 ちなみにフレイゴンとは、全身が赤色に染まった蜥蜴の魔物である。

「なあ、レウスは護衛でもあるから、俺とは別々にした方がいいぞ」
「あ……それもそっか。久々に、兄貴だけと飯を食いに行きたかったんだけどな」
「相変わらず、勘と幸運だけは油断出来ない弟ですね。ですが最大の障害を越えた今、相手はリースのみ。さあ、正々堂々勝負です!」
「……私がレウスと行くよ」

 エミリアの熱意によってリースが辞退したので、俺とエミリアは一緒に朝食へ行く事となった。







 おまけ ホクトの肉球は万能です


 ジュリアと早朝の訓練を終えて城へ戻る途中、俺はホクトの様子を見る為に馬車へ寄る事にした。
 時間がない筈だが、一緒に行くと言い出したジュリアと共に馬車へと向かってみれば……。

「……オン!」
「くっ……こっちも塞がれたのか!?」

 ホクトの前に座っているアシュレイが、何故か真剣な表情で頭を抱えていたのである。

「こんな朝早くから、アシュレイ様が起きているのは珍しいですな」
「ああ、やはりホクトが気になって仕方がないようだな。しかし……あいつは一体何をしているのだ?」

 首を傾げながら近づいてみれば、ホクトとアシュレイの間に、この世界における戦略型盤ゲーム……所謂チェスのような物が置かれていたのである。

「何だと!? あの狼はゲームも出来るのか!」
「百狼となればそれくらい可能ではないのか? それにしても……」

 ゲームの状況を確認してみれば、アシュレイは明らかに劣勢であった。

「あのゲームでアシュレイをあそこまで追い込むとはな」
「姫様……まずは魔物相手に盤ゲームを挑んでいるアシュレイ様に突っ込むべきかと」
「実際にやっているんだから今更だろう。よし、次は私が挑んでみるとしよう」
「時間がありませんと、先程から何度も言っているではありませんか!」

 コントのようなやり取りをしている王女と将軍を余所にゲームは進んでいく。
 それにしても、自分より遥かに小さい駒を、肉球で上手く掴んで移動させているホクトの姿は実にシュールだ。
 そして数分後……。

「あっ!?」
「オン!」
「王手……だってさ」

 最早どこにも逃げ場がない、見事な王手によってアシュレイは破れた。

「畜生、負けちまったぜ。ほら、約束の銀貨な。もう一勝負といきたいところだが、これ以上小遣いを使ったら、フリージアのプレゼント代が……」

 どうやら緊張感を得ようと金を賭けていたらしい。
 ホクトに金は必要ないだろうが、俺の助けになると思って素直に受け取っていた。
 というか、そこまでホクトとコミュニケーションが取れているアシュレイに驚かされる。

「そうだ! 次は俺の王位を賭けて勝負だ! 俺は別にいらねえからよ」
「何を言っているのですか!?」

 当たり前だろうが、そんな重大なものを賭けようとしたアシュレイはフォルトに説教されていた。
 一方、ホクトはじっと俺の顔を見つめ……。

「…………オン」
「いや、必要ないから。王位はいらないからちゃんと断りなさい」
「……クゥーン」
「それに王族になったら、忙しくてブラッシングの時間がー……」
「ガルルルッ!」

 全力で断っていた。







 お待たせしました、更新となります。
 だらだらと不穏な空気を纏わせながらも、ようやく話が大きく動き始めるところまで来られました。


 それと、この話と同時に更新する活動報告の方で、ある発表がありますので良ければ確認してくださいませ。


 次の話が、己が想像する通りに描けるか不安ですが、書籍の締切りの問題もあって次回の更新は未定となります。

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