2018年03月17日
2018受験世界史悪問・難問・奇問集 その1(上智大・慶應大)
昨年に2巻を発売して一区切りつき,本業も計画的に仕事を進めた結果,それなりに余裕ができたので,本年は全編公開とすることができた(追加で少し日本史までできた)。協力してくれている校正者の皆さんにも感謝したい。
・収録の基準と分類
基準は例年とほぼ同じである。
出題ミス:どこをどうあがいても言い訳できない問題。解答不能,もしくは複数正解が認められるもの。
悪問:厳格に言えば出題ミスとみなしうる,国語的にしか解答が出せない問題。
→ 歴史的知識及び一般常識から「明確に」判断を下せず,作題者の心情を読み取らせるものは,世界史の問題ではない上に現代文の試験としても悪問である。
奇問:出題の意図が見えない,ないし意図は見えるが空回りしている問題。主に,歴史的知識及び一般常識から解答が導き出せないもの。
難問:一応歴史の問題ではあるが,受験世界史の範囲を大きく逸脱し,一般の受験生には根拠ある解答がまったく不可能な問題。本記事で言及する「受験世界史の範囲」は,「山川の『用語集』に頻度�でもいいからとりあえず記載があるもの」とした。
総評
早慶上智の総数は2017年の29個より少し増えて36個となった。2016年度までと比べると,昨年から継続して極端な悪問・奇問は少なめで,このまま無くなってもらうに越したことはない。一方で前年同様,「用語集の片隅に載っているからセーフ」「マイナーな教科書にちらっと書いてあるからセーフ」という巧妙な“かわし方”があからさまに増えていて,こちらとしては難問として収録すべきかどうかの判断に随分と悩まされた。昨年の総評にも書いたが,同じ難問でもどこの教科書・用語集にも載っていないレベルのものだとかいうよりはマシなのだけれど,最終目標としてあるべき適正な入試問題からは程遠い姿であり,これを改善というのははばかられるところ。また,悪問・難問がいくつかの学部・日程に集中しており,改善の意識があるところと,吹っ切れてしまったところに分かれているような印象もある。
今年は阪大と京大の出題ミスが一年越しに発覚したことに加えて,センター試験地理Bのムーミン騒動もあり,やたらと出題ミスが騒がれた受験シーズンであった。その明らかな影響として今年は出題ミスを指摘された大学がさっさと認めて公表する傾向が強く,特に上智大が世界史の出題ミスをはっきりと認めたという極めて珍しい現象も起きた。ミスは出ないに越したことはないが,隠蔽されるよりは公表してもらったほうが受験生にとって有益であるし,学問に対する姿勢としても正しかろうと思う。
以下,上智大と慶應大。
・収録の基準と分類
基準は例年とほぼ同じである。
出題ミス:どこをどうあがいても言い訳できない問題。解答不能,もしくは複数正解が認められるもの。
悪問:厳格に言えば出題ミスとみなしうる,国語的にしか解答が出せない問題。
→ 歴史的知識及び一般常識から「明確に」判断を下せず,作題者の心情を読み取らせるものは,世界史の問題ではない上に現代文の試験としても悪問である。
奇問:出題の意図が見えない,ないし意図は見えるが空回りしている問題。主に,歴史的知識及び一般常識から解答が導き出せないもの。
難問:一応歴史の問題ではあるが,受験世界史の範囲を大きく逸脱し,一般の受験生には根拠ある解答がまったく不可能な問題。本記事で言及する「受験世界史の範囲」は,「山川の『用語集』に頻度�でもいいからとりあえず記載があるもの」とした。
総評
早慶上智の総数は2017年の29個より少し増えて36個となった。2016年度までと比べると,昨年から継続して極端な悪問・奇問は少なめで,このまま無くなってもらうに越したことはない。一方で前年同様,「用語集の片隅に載っているからセーフ」「マイナーな教科書にちらっと書いてあるからセーフ」という巧妙な“かわし方”があからさまに増えていて,こちらとしては難問として収録すべきかどうかの判断に随分と悩まされた。昨年の総評にも書いたが,同じ難問でもどこの教科書・用語集にも載っていないレベルのものだとかいうよりはマシなのだけれど,最終目標としてあるべき適正な入試問題からは程遠い姿であり,これを改善というのははばかられるところ。また,悪問・難問がいくつかの学部・日程に集中しており,改善の意識があるところと,吹っ切れてしまったところに分かれているような印象もある。
今年は阪大と京大の出題ミスが一年越しに発覚したことに加えて,センター試験地理Bのムーミン騒動もあり,やたらと出題ミスが騒がれた受験シーズンであった。その明らかな影響として今年は出題ミスを指摘された大学がさっさと認めて公表する傾向が強く,特に上智大が世界史の出題ミスをはっきりと認めたという極めて珍しい現象も起きた。ミスは出ないに越したことはないが,隠蔽されるよりは公表してもらったほうが受験生にとって有益であるし,学問に対する姿勢としても正しかろうと思う。
以下,上智大と慶應大。
1.上智大 2/4実施
<種別>悪問
<問題>1 A (編註:李淵は)隋の首都( イ )に入り,唐を建てた。
問3 空欄イにはいる語は何か。
a 洛陽城 b 長安城 c 大同城 d 大興城
<解答解説>
おそらくあまり解説せずとも,何が悪いのかすぐにわかる人が多いだろう。隋の首都は「大興城」であるからdが正解になるが,そもそも「城」が首都というのは違和感のある話である。これは,隋の文帝が前代までの長安から少し離れた場所に宮城を建てて,ここに政治機構を整えたことから,前代までの長安と区別する意味で,高校世界史でも大興城と呼称しているに過ぎない。宮殿のあった都市の名前は当然「長安」である。さらに言えば,次の唐は引き続きこの大興城の地を継承し,改装して自らの宮殿としているが,唐の首都は高校世界史上でも一般的にも「長安」と呼ぶし,その宮殿の呼称は「長安城」あるいは「隋唐長安城」である。後者の呼称を見ればわかる通り,そもそも大興城と長安城を峻別する意味はあまりない。
ということを踏まえるに,bの「長安城」を誤答と見なすのは,かなり性格が悪いし,隋の「大興城」と唐の「長安城」の区別をさせようという意図の出題だとするなら,上述の通り,歴史学的見地から言ってほとんど意味が無い。要するに,クイズ的な価値しかないのである。問題としては成立しているものの,あまりにもクイズ的なテクニックの世界であり,大学入試問題とは呼ぶまい。
この他,アウステルリッツの三帝会戦が行われた場所(現在の国名)として「チェコ」を問う問題があった。範囲内ではあるが,過度に難しいという指摘だけしておく。また,今年は算数問題が復活していた。問われたのはマンデラの投獄されていた期間で,1962年に投獄というヒントがあるから,解答はそれほど難しくない(約27年)。
2.上智大 2/5実施
<種別>(高校世界史側のせいで)出題ミス
<問題>3 問12 下線部(サ)(編註:二つの宗教,すなわち旧教とアウクスブルク信仰告白を用いる宗教[ルター派])に関連した以下の出来事を年代順に並べ替えた時に,三番目に来るものを選択肢(a~e)から1つ選びなさい。
a ヴォルムス帝国議会へのルターの召喚
b オスマン帝国による第一次ウィーン包囲
c カール5世の退位
d ドイツ農民戦争の勃発
e ルターによる『新約聖書』のドイツ語訳の初版本出版
<解答解説>
これは,初見では普通の問題と思ってスルーし,増田塾の解答速報と自分の出した答えが食い違っていて,難問と気づいた問題。aは1521年,bは1529年,cは1556年,dは1524年。ここまでは比較的見る年号であるし,はっきり覚えていなくてもヴォルムス帝国議会に召喚→法的保護を剥奪されて,ザクセン選帝侯の保護下に→ドイツ農民戦争を契機に保守化→宗教改革の表舞台が神学論争からドイツ諸侯の内戦に遷移→ハプスブルク家包囲網が構築され,第1次ウィーン包囲でピンチ→アウクスブルクの和議の翌年にカール5世が退位,という宗教改革の流れがわかっていれば,a→d→b→cを並べるのは容易である。
さて,困ったのがe。ルターが『新約聖書』のドイツ語訳を行ったのはザクセン選帝侯の保護下においてであるし,ルター訳『新訳聖書』が世に出回ったことも影響して農民戦争につながった,という流れで考えれば,ルター訳聖書の初版発行は1521~24年の間と推測がつき,eはaとdの間に入ってa→e→d→b→cになるから,正解はdである。私が初見で出した答えもこれ。しかし,東進・増田塾ともに答えはbになっていて,a→d→b→e→cと並べていた。これはどういうことか。ここで基本の山川の用語集に立ち返ると,なんとルター訳『新訳聖書』の初版発行年は「1534年」となっているではないか(2017年版でp.158)。東進・増田塾の正解の根拠はこれであろう。
では増田塾の答えが正しいかというと,これは大きな罠である。実は用語集の年号が間違っている。ルターが『新約聖書』の初版本を発行したのは1522年9月のことで,これは間違いない。なにせ「九月聖書」という名前さえ付いている。要するに,先ほどの私が「年号がうろ覚えの場合の解き方」で示した推測で正しいのである。1534年は新・旧両聖書がそろったバージョンの初版が発行された年で,用語集の執筆者が何かの勘違いでこちらを拾ってしまったものと思われる。ルターは『新約聖書』の翻訳を1年余りで完遂しているが,『旧約聖書』は彼自身の学識不足により,約12年かかっている。
してみると,上智大も被害者の可能性がある。1522年を想定して問題を作ってみたら,高校世界史の教材が間違った年号を記載しているなんてさすがに予想しないところだろう。上智大はキリスト教問題に限って出題ミスを出すという法則があったが,大学側がちゃんと問題を作ってもなぜか答えが1つに定まらない問題になってしまうというのは,もはや何かの呪いにかかっている領域では。あるいはカトリック系なのに宗教改革で問題を作ったのがダメだったのか。なお,一つ前の課程(2008年)の用語集ではきちんとドイツ語版『新約聖書』の刊行年が1522年となっていた。なぜ改悪したのか。
3.上智大 2/6実施
<種別>出題ミス(複数正解)
<問題>2 問6 下線部(オ)の初代国王(編註:パフレヴィー朝のレザー=ハーン,パフレヴィー1世のこと)の説明として誤っているものはどれか。
a クーデタによってカージャール朝の実験を掌握した。
b 国名をペルシアからイランへ改称した。
c 第二次世界大戦中に米・ソの圧力で退位した。
d モサデク政権と対立して一時国外退去した。
e 立憲君主政にもとづく近代国家の形成をめざした。
<解答解説>
a・bは正文。eもパフレヴィー1世の独裁色が強かったものの,立憲君主政には違いなかったので一応正文と見なせる。dはパフレヴィー2世の説明なので誤り,これが作題者の想定する正解。残ったcが曲者で,この時圧力をかけたのはアメリカではなくイギリスであるから,厳密に言うと誤文になる。極めて珍しいことに上智大学から公式発表があり,受験生全員に得点を与える旨の発表と謝罪があった。これを指摘している予備校はなく,受験生からの指摘か,自主的に気づいたものと思われる。
4.上智大 2/7実施
<種別>難問・悪問
<問題>2 問5 下線部(ウ)(編註:ブラジルの領有)に関する記述として誤っているものはどれか。
a トルデシリャス条約で定められた勢力圏に基づいている。
b メソアメリカ地域やアンデス地域のような発達した古代文明はなく,先住民が分散して居住していた。
c 当初は染料となる木以外に目立った作物や資源がなかったが,16世紀半ばに黒人奴隷をもちいたコーヒーのプランテーションが急速に発展した。
d 17世紀に入ると,ポルトガルはアジアの制海権をオランダに奪われ,ブラジルを中軸とした大西洋の海洋交易に力を注ぐようになった。
<解答解説>
cの内容が難しいが,aとbとdが明らかに正文だから,消去法でcが誤文=正解でしょ,と思った人が多かろう。東進・増田塾ともに正解をcとしている。
実はbについて,ほとんど知られていないがアマゾン文明(モホス文明)は存在したとする説がある。いや,『ムー』に載っていそうな話とかではなく,本当に。熱帯雨林ではなく,より上流のサバナ気候の平原地帯で,高度な土木建築技術を活かした大規模な灌漑農業を行っていた痕跡と,大規模な集落・墓地の遺跡が発見されている。どうもヨーロッパ人がアマゾン奥地に進出するよりも前に滅亡したようで,遺跡以外に何も見つかっていない。当然不明な点は多く,後のアンデス文明との接触も無かったとされる。これをとればbの文は誤文=正解になる。ただし,マヤ文明やアンデス文明のレベルで発達していたかと言われると,現段階で見つかっている遺跡の範囲ではそこまでの高度さはなさそうである。また,遺跡が発見されているのは多くがアマゾン川上流のボリビアであるので,アマゾン文明とブラジル地域の関連は深くないと見なすこともできる。これらの点で,bを完全な誤文と見なすのもまた難しい。あるいは,下線部を厳密にとって「ポルトガルがブラジルを領有したタイミングでのブラジルの状況」が問われているとするなら,その時点でアマゾン文明は崩壊しているので,確かに文明は存在しない。もっとも,これはこれで「紀元前後をそれなりにすぎるところまで存在していた文明を古代文明と称するのはいかがなものか」という議論が持ち上がってくるが。
cの文はやはり誤文である。初めてのコーヒーのプランテーションが作られたのは18世紀前半のことで,16世紀半ばではない。本問はおそらくcを正解として作問されたものの,作題者がアマゾン文明の存在を知らなかったというオチではないかと思う。
5.上智大 2/7実施(2つめ)
<種別>出題ミスに近い(複数正解)
<問題>2 (�) 16世紀には主要な商業ルートが変わり,イタリア半島の港湾都市が衰退する一方,( 4 )や( 5 )が繁栄した。
(編註:空欄5はアントウェルペンが入る)
問11 空欄( 4 )に入る都市名として適切なものを1つ選びなさい。
a バルセロナ b リスボン c マルセイユ d カディス
<解答解説>
商業革命の説明である。普通に考えるとbのリスボンが正解であるが,dのカディスも否定できない。確かにリスボンはしばしば「一時ヨーロッパ商業の中心地となった」と言われ,またその中心地の変遷はリスボン→アントウェルペン→アムステルダム→ロンドンと説明される。そしてアムステルダムまたはロンドン以降は「ヨーロッパ商業の中心地」というよりも「世界経済の中心地」という説明に変わる。ただし,本問は問題文で「ヨーロッパ商業の中心地」という言及を全くしておらず,単純に商業革命で繁栄した都市という制限しかかかっていない。この条件であれば,カディスはラテンアメリカとの交易で繁栄する港市に発展したので,これも該当してしまう。本問が出題ミスではなく「近い」で済んでいるのは,ひとえに高校世界史ではリスボンは重要語句として習うが,カディスは半ば範囲外(用語集未収録)であるという事情と,リスボンの方がより印象的に栄えたという点から,リスボンを優先させるべきという理屈が一応成り立つからに過ぎない。
6.上智大 2/7実施(3つめ)
<種別>誤植
<問題>2 問13 下線部(ク)に関する記述として誤っているものはどれか。
a ヨーロッパの銀貨が下落して,穀物などの価格が2~3倍に上昇した。
b 南ドイツの銀鉱山開発に関わっていたフッガー家の没落をもたらした。
c 領地の農民から固定の貨幣地代を受け取っていた領主層は打撃を受けた。
d エルベ川以東の地域では輸出用穀物を生産するための農場領主制がひろまり,農民は賃金労働者化した。
<解答解説>
こちらは価格革命についての問題。素直に解けばdが誤りでただの易しい問題だが,aの「銀貨」は「銀価」の誤植である。厳密に言えばaも誤文になるので複数正解。なお,上智大は全く同じ誤植をやったことがある(2013上智9番)。
7.上智大 2/7実施(4つめ)
<種別>難問・悪問
<問題>3 問2 下線部(イ)の戦い(編註:ペルシア戦争)の場所として誤っているものはどれか。
<解答解説>
誤植やら悪問やら不運な出題ミスやらが多かった今年の上智大としては珍しいストレートな難問。ペロポネソス半島はほとんど戦場になっていない(アテネまでは侵略にあっているがスパルタは逃れている)というところから,正解のdを導いてほしいということなのだろうが,知識としては非常に細かい部類に入り,無茶だろう。なお,cがマラトンの戦い(前490年),aはテルモピュレーの戦い(前480年)。eはミュカレの戦い(前479年)で,これは戦い自体が範囲外。bはプラタイアの戦い(前479年)の場所を指したかったと思うのだが,プラタイアの戦場はもう少し南である。bの位置はちょうどポリスのテーベがある。ここでも攻城戦はあったようなので,誤りとは言い切れないが紛らわしい。正解のdには中立都市だったアルゴスがある。
8.上智大 2/9実施
<種別>悪問
<問題>1 この王朝は(編註:パガン朝のこと),13世紀に( 7 )の攻撃を受けて滅亡した。
(7) a 明 b 李朝 c 元 d スコータイ朝
<解答解説>
もう何度目だこの問題。cの元と答えさせたいと思われるのだが,実際には異なる。モンゴル軍侵攻のどさくさ紛れの簒奪であり,簒奪がなる前後にアサンカヤーによってモンゴル軍が追い返されているから,元がパガン朝を滅ぼしたと言ってしまうと語弊が生じる。2巻のコラム1(p.75)を参照のこと。
9.上智大 2/9実施(2つめ)
<種別>難問・悪問・出題ミスの可能性
<問題>3 問13 下線部(サ)に関して(編註:第一次世界大戦後のアメリカ合衆国),この時期のアメリカ合衆国の国際的地位と行動に関する記述として誤っているものはどれか。
a 連合国への軍需物資の輸出で経済発展を遂げ,戦後には債権国となった。
b 第一次世界大戦後で疲弊したヨーロッパ諸国に代わり,欧米地域の新たな安全保障体制の構築を主導した。
c 19世紀末の大海軍論を受けて,海軍力が大幅に強化された。
d 建艦競争の激化を抑制するため,イギリス・フランス・日本と軍縮条約を結んだ。
<解答解説>
下線部(サ)の指す年代が曖昧であるが,受験世界史の常識と下線部周辺の文脈から言って,1918~29年頃を指すと判断して,解答を出す。aは問題なく正文だが,b・c・dはいずれも文意がよくわからない。昔の上智大を彷彿とさせる曖昧さである。
bはドーズ案とパリ不戦条約を鑑みると全く間違いとは言えないが,一般的に言って戦間期のアメリカはモンロー主義への回帰,すなわちヨーロッパ情勢への不干渉を原則としていた。南北アメリカ大陸まで考えても,アメリカ合衆国が支配的な立場であったにせよ,変化があったわけではないので「新たな安全保障体勢の構築」とは言えない。受験テクニックとしても,アメリカがより主導的な立場を担ったのは太平洋地域(ワシントン体制)であるから,太平洋地域を欧米地域に置き換えた誤文のように読める。一応,bが最大の正解候補。東進・増田塾ともにこのbを正解としている。
cは,いわゆるマハンの地政学の影響や米西戦争の影響を受けて海軍が増強されたことを指している。一応,知らなくてもワシントン会議の軍縮でイギリスと並ぶ最大規模を許されたことから逆算して正文と推測できると思うが,アメリカ海軍が大幅に増強されたのは米西戦争から1920年にかけてであり,1918~29年にはほとんど重なっていないというのが少し気にかかる。それこそワシントン会議から連想すればcは誤文に見えなくもない。
dはそのワシントン海軍軍縮条約(ワシントン海軍軍備制限条約)のことを指していると思われるが,とすると条約締結国はこの4カ国に加えてイタリアが入っており,締結国が誤りだから誤文と見なせる。また,同じワシントン会議で締結された四カ国条約はこの4カ国が締結国であるが,内容は太平洋地域の安全保障についてであるから,軍縮条約とまでは言えない。これも受験テクニック的な見方をすれば,ワシントン海軍軍縮条約と四カ国条約の締結国を混同させるべく作った誤文というようにも見える。
というように詰めていくと,実は正文選択として作った問題で,aが正解のつもりだったのではという疑惑がふつふつと。
10.上智大 2/9実施(3つめ)
<種別>悪問とまでは言わないが気持ち悪い
<問題>4 問2 (E)の例として(編註:政党),以下の政党の設立年を年代順に並べると,3番目に来るのは何か。あてはまる記号を選びなさい。
a イギリス労働党 b ドイツ社会民主党 c ドイツ社会主義労働者党
d ロシア社会民主労働党 e ロシア共産党
<解答解説>
設立年が明確なのはまずc,ドイツ社会主義労働者党の成立は1875年。これが1890年に改名してbのドイツ社会民主党になる。eのロシア共産党は1918年。ここまでは問題ない。困ったのが残り。aは以前に論じたことがあるが(2015上智1番,2巻のp.224),イギリス労働党への改称は1906年であるが,当のイギリス労働党自身は1900年の労働代表委員会の成立をもって労働党の創設年としており,1906年の改称を重視していない。したがって,高校世界史の範囲内で考えれば1906年としてよいが,実態を鑑みると1900年説も浮上して絞れない。一応,ドイツ社会主義労働者党とドイツ社会民主党を両方出題していることを鑑みると,「改称にこだわってほしい」という出題者の意図が透けて見えるので,ここは1906年として解答を出してあげるのが優しさかもしれない。
最大の問題はd。ロシア社会民主労働党は1898年のミンスク大会で結党の方針が固められた。しかし,このミンスク大会は主要メンバーのプレハーノフもレーニンも国外亡命中で不参加である上に,参加した残りの主要メンバーも大会後にほとんどが逮捕されていて,大会後に活動した実態がない。ゆえに,次の1903年のロンドン大会が事実上の結党大会とされている。もっとも,この大会中に早くもボリシェヴィキとメンシェヴィキに分裂しているのだが。こうした状況ゆえに,各社教科書・用語集の対応もばらばらで,山川は教科書が「20世紀初頭」で用語集は1903年。東京書籍は年号を明示せず,実教出版と帝国書院は1898年である。
以上を整理すると,並び順を確定できるのはc(1875年)→b(1890年)→e(1918年)までで,あとはa(1900 or 1906年)とd(1898 or 1903年)でどちらの年号をとるかによって4パターンの並びが存在する。
� c(1875年)→b(1890年)→d(1898年)→a(1900年)→e(1918年)
� c(1875年)→b(1890年)→a(1900年)→d(1903年)→e(1918年)
� c(1875年)→b(1890年)→d(1898年)→a(1906年)→e(1918年)
� c(1875年)→b(1890年)→d(1903年)→a(1906年)→e(1918年)
問われているのは「3番目に来るもの」であるから,�の時だけaが,���の時はdが正解になる。もっとも,前述の通り優しさをもってaを1906年と見なせば(�・�),dが1898年でも1903年でも,いずれにせよ正解はdになる。年号がぐらぐらながら,ギリギリで正解が出る問題。悪問とまでは言わずとも,解答を出す過程がふにゃふにゃしていて,ちょっと気持ち悪い。
そういえば,全日程を通して今年は不思議地図の出題が無かった。良いことである。
1.慶應義塾大 経済学部
<種別>難問
<問題>3 問17 下線部Cに関連して(編註:冷戦体制),次のa~cが起きた時期を,下の年表中の空欄1~8の中から選びなさい。(重複使用不可)
a 米・英・仏などがドイツ連邦共和国の主権回復を認めるパリ協定調印
b 米・加・英・仏など12カ国が北大西洋条約調印
c マーシャル国務長官がマーシャルプランを発表
〔 1 〕
チャーチル前首相が「鉄のカーテン」演説
〔 2 〕
トルーマン大統領がトルーマン=ドクトリン演説
〔 3 〕
コミンフォルム結成
〔 4 〕
ベルリン封鎖開始
〔 5 〕
ベルリン封鎖解除
〔 6 〕
ドイツ民主共和国の成立宣言
〔 7 〕
ワルシャワ条約機構結成
〔 8 〕
<解答解説>
月単位シリーズ。戦後史が月単位になるのはある程度仕方のない面もあるが,であれば理屈で解けるようにすべきである。トルーマン=ドクトリン演説・マーシャル=プラン発表・コミンフォルム結成が全て1947年でこの順番というのは教科書的に学習するところであるから(ちなみに3月・6月・9月),cは3で容易。パリ協定が1954年で,西ドイツのNATO加盟が決まったことへのカウンターとして,翌1955年にソ連がワルシャワ条約機構を結成させるのも通常の学習で出てくるところであるから,aが7というのも難しくない。
問題はb。これは1949年というのは習うところだが月まではやらない。一方,ベルリン封鎖解除も1949年5月であり,ほとんどの受験生は5か6かまでは絞れるものの,明確な答えを出せないだろう。北大西洋条約調印は4月であり,正解は5になる。
慶應大の経済学部の入試問題は早慶の全13日程の中では近年ずば抜けて質が高く,実際に今年もほとんどが適正難易度で良いところを突く良問であった。しかし,この1問を含めて戦後史の時系列問題だけ過剰に細かかった。今年の作問担当のこだわりということか。
2.慶應義塾大 商学部
<種別>難問・悪問・出題ミスの可能性
<問題>2 (編註:東南アジア諸国連合の諸国は)1976年には (35)(36) を結び,これが先進諸国に歓迎されて援助や投資が加盟国に集中した。現在の加盟国10か国は,(37)(38) を形成して,域内貿易と域外貿易を活発に行っている。
19 AEC 20 AFTA 21 ANZUS 22 ASEM 23 ARF 24 RCEP
25 SEATO 26 TAC
(編註:関係のある選択肢のみ抜粋)
<解答解説>
選択肢に見慣れぬ略称ばかり並ぶ異様な問題。なにせ範囲内の用語が21のANZUSと22のASEM,25のSEATOの3つだけで(それもASEMは用語集頻度�で通常の学習では覚えない),3つとも正解ではないのは明白,そして残りの5つは純粋な範囲外である。 (35)(36) はまだマシで,調べれば1976年に結ばれた条約がこの中だと26のTAC(東南アジア友好協力条約)しかないので,正解が絞れる。一方,(37)(38)の方は,ただでさえ範囲外からの出題であるのみならず,年号が無いせいで,19のAEC(ASEAN経済共同体),20のAFTA(ASEAN自由貿易地域)の2つから正解が絞れない。一応,「域内貿易と域外貿易」への言及に着目して考えればAFTAを正解と想定して作成されたのではないかと思うが,AECでも域内関税撤廃,外資規制の緩和などの取り決めはあるので,当てはめても違和感がない。
そもそもAFTAとAECの違いとはなんぞやという。調べてみると,AFTAの方が先行していて1992年に創設され,域内関税の撤廃を主な目標として活動している。AECは2015年発足,より広い経済分野において地域経済の統合を図る組織となっている。ここから,問題文を「結成時点で10か国であった」という点をヒントにしてほしいと解釈すれば,1992年時点でのASEAN加盟国は6か国であるから,解答はAECに絞れる。しかし,この解釈を強いるには日本語が曖昧すぎて無理がある。
予備校の解答も綺麗に割れており,代ゼミ・東進・城南はAFTA,河合・駿台・増田塾はAECという解答。各社とも分析で困惑していた。
3.慶應義塾大 商学部(2つめ)
<種別>難問・悪問・出題ミスの可能性
<問題>2 フィリピン=アメリカ戦争に敗れたフィリピン共和国はアメリカによって (55)(56) にされた。(中略)フランスは,ベトナムの南部を (67)(68) ,北部の阮朝を (69)(70) とした。
34 自治領 41 直轄植民地 42 直轄領 48 保護国
<解答解説>
完全に作者の脳内をエスパーするしか正解が出ない問題。 (69)(70) は保護国が入るが,残りがおかしい。この文脈での直轄植民地と直轄領の違いは何か,全くわからない。少なくとも高校世界史上使い分けはしない。無理やり考えれば,フランスはベトナムを植民地化しているが,その北部を保護国,南部を直接統治としているので,保護国と並列させられている時点で植民地であることは自明として「直轄領」を当てはめる。残ったアメリカのフィリピンは「直轄植民地」といったような考えはできるが,自分で言っておいて意味がわからない。あるいは重複利用不可とはどこにも書かれていないというふざけた理由でどちらも直轄植民地(41を2回使う)ということなのかもしれない。事実,東京書籍の教科書はどちらも「直轄植民地」という言葉を使っている(p.318,p.321)。そうだとしても,直轄領と選択肢を並べているのは区別させようという意図にしか見えない。さらには「紛らわしい選択肢が並んでいても重複利用する勇気を試している」のかもしれないが,そういう意図だとしてもほとんどの受験生は「直轄領と直轄植民地の区別をさせようとしている」としか解釈しないから,すれ違いであろう。
こちらは予備校間での解答は不思議と一致していて,フィリピンが「直轄植民地」で,ベトナムが「直轄領」であった。おそらく私と同じような思考を辿ったと思われる。こちらも各社とも分析で混乱していた。慶應大学さんにあたっては,別に本問を出題ミスと認めなくてもいいので,どういう論拠があり(是非とも明確な言葉の定義とそれに用いた典拠も),どちらの正解が何なのか,ご教示いただきたい。
慶應義塾大の文学部は収録無し。ただし,用語集頻度�,「ガンジス平原に建てられ,1856年にイギリス東インド会社に併合されるまで約100年間存続した,シーア派の王国」の名で「アワド王国」は過剰な難易度で,正答率は恐ろしく低かったと思われる。ガンジス平原のシーア派王朝という珍しい事例であり,イギリス東インド会社の厳しい藩王国取りつぶし策の代表例であり同年のインド大反乱発生の契機の一つになった点など,おもしろい王国ではあるが。
4.慶應義塾大 法学部
<種別>難問・出題ミス
<問題>2 [設問] 下線部(イ)の東南アジアへの遠征(編註:元朝による遠征のこと)に関する最も適切な記述を下から選び,その番号を (43)(44) にマークしなさい。
[01] ジャワ島東部に栄え,元を撃退して建国されたのが,ヒンドゥー教国のシンガサリ朝である。
[02] イラワディ川中流域に成立したビルマ最初の統一王朝であるパガン朝では,大衆部仏教が導入され,仏教文化が栄えた。
[03] 元との戦いを通じて民族的自覚が高まったこともあり,陳朝では漢字を基にしたベトナムの文字チュノムを用いて自国の歴史書が編纂された。
[04] 李朝大越は,儒教や仏教を取り入れ,科挙の制度を置く等,中国化を進め,元の侵攻を3度撃退した。
[05] スマトラ島に起こったサンジャヤ朝は,宋代の中国では三仏斉として知られた。
<解答解説>
[01]はシンガサリ朝がマジャパヒト王国の誤り。[02]は大衆部が上座部の誤り。なお,大衆部は部派仏教の1つで,パガン朝の時代にはそもそも存在していない。大衆部はそのまま上座部に埋没して消滅したという説と,大乗仏教につながったという説があるが,私も詳しくないので深入りはしない。仮にこれを大乗仏教と見なしたとしても誤文であるが。大衆部は高校世界史範囲外。[03]は陳朝の時代に編纂された歴史書は『大越史記』を指していると思われるが,これは漢文であるので誤り。チュノムはもっぱら文学作品に用いられており,硬い文章は漢文であった。これは朝鮮王朝の訓民正音と同じような扱いである。『大越史記』は高校世界史範囲外。[04]は元の侵攻を受けたのが李朝ではなく陳朝なので誤り。[05]はサンジャヤ朝がジャーヴァカの誤り。サンジャヤ朝は古マタラム王国の王朝で,ジャワ島の王朝になる。サンジャヤ朝は高校世界史範囲外。ついでに言うと「起こった」は「興った」の誤字。また,そもそもこの選択肢,元代ではなく宋代の話をしていて下線部とのかかわりが無い。
よって正文=正解が不在である。おそらく作題者の想定した正解は[03]で,『大越史記』を漢字チュノム混淆文と勘違いしていたのではないかと思う。河合・駿台・代ゼミから同様の指摘有り。かなり早い段階で大学当局から謝罪と全員正解にした旨の発表があった。まあ,これは言い訳しようがない。高校世界史範囲外から出題しておいて出題ミスになるというクソダサの極みが今年も。せめてそれだけはやめればいいと思うのに,大学の先生方も懲りない。
5.慶應義塾大 法学部(2つめ)
<種別>奇問
<問題>3 [設問] 下線部(ア)に関し(編註:Brexitの国民投票),この国民投票においては,EUに加盟する東欧諸国からの外国人労働者の増加も争点の一つとなった。イギリス国家統計局が発表した2016年の統計によると,イギリスに在住する外国籍の住民のうち,その国籍国として最も多い国は (57)(58) である。
12.ギリシア 35.ブルガリア 41.ポーランド 48.ラトヴィア 50.リトアニア
54.ルーマニア
<解答解説>
ここから別の問題を引っ張って歴史的経緯を深掘りしていくならまだ理解できるが,単純に現在の状況だけ問う問題は世界史ではなく公民の問題であり,奇問であろう。正解のポーランドは,海外ニュースをマメに追っている社会人なら楽勝だろうが,受験生には厳しい。あれですよね,「高校生たるもの,常に最新の時事くらい追っていないと」というやつですよね。このレベルの高度な情報となると無理がある。
6.慶應義塾大 法学部(3つめ)
<種別>難問
<問題>3 [設問] 下線部(ウ)に関し(編註:イングランドの七王国),7~8世紀の人物である (61)(62) は,イングランドにおけるキリスト教の伝道の歴史を記した『イングランド教会史』を著した。
03.アルフレッド 05.エウセビオス 06.エグバート 07.エドワード(懺悔王)
21.聖パトリック 37.ベーダ
<解答解説>
厳密に言えば山川の『新世界史』に記述があるので範囲内だが,用語集未収録であり『新世界史』の発行部数が極めて少ないことを鑑みて収録対象とした。2017年の文学部でも同じことがあり,慶應大のあからさまな「教科書のどこかに書いてあればいいんだろ」という開き直りが見て取れる。正解は37のベーダ。私自身全く知らない部分であるし,知っているか知らないかだけの問題なので,これ以上解説しようがない。エドワード懺悔王もほぼ範囲外であり,聖パトリック(アイルランドへの伝道者である)も用語集頻度�であるから,消去法も極めて困難。増田塾の解答速報は「常軌を逸した難易度」と評していた。そう言われても仕方が無い問題。
7.慶應義塾大 法学部(4つめ)
<種別>難問
<問題>3 [設問] 下線部(エ)に関し(編註:アングロ=サクソン系の王朝),ウェセックス王家から王位に就いた (63)(64) が1066年に死亡した後の王位継承争いが,ノルマン=コンクェストの一因となった。
03.アルフレッド 06.エグバート 07.エドワード(懺悔王) 14.クヌート
21.聖パトリック 27.ハロルド2世 37.ベーダ 53.ルッジェーロ2世
<解答解説>
これも帝国書院の教科書に出てくるので厳密に言えば範囲内だが,用語集未収録で極めてマイナーな事項であるから収録対象とした。多くの受験生は27のハロルド2世で間違えたのではないだろうか。ハロルド2世も範囲内と言い切れない極めてマイナーな人物だが,こちらは一応用語集の「ノルマンディー公ウィリアム」の説明文中に「1066年ハロルド2世をヘースティングズの戦いで破ってイングランドを征服し」とあるので,これが記憶の片隅にあると,ハロルド2世が正解だと思えたはずである。しかし,実際にはエドワード懺悔王が子を残さずに亡くなったことで王位継承戦争が生じ,イングランド現地のハロルド2世に対して,ノルマンディー公のウィリアムが上陸作戦を仕掛けたという流れであるので,ここに入るのはエドワード懺悔王になる。
この他,この年の慶大法学部はこの4問の他にも,日朝首脳会談(2002年)と六カ国協議(2003年)の時系列を問う,韓ソ国交樹立(1990年)と韓国国連加盟(1991年)と中韓国交樹立(1992年)の時系列を問う,洪景来の乱を聞くなど,範囲内でも異様に細かい出題が散見された。「世界史はあくまで暗記科目」という,時代に逆行する強いメッセージを世間に発した。高大接続改革にまじめに取り組んでいる先生方は,抗議文を出した方がいいと思いますよ,マジで。
<種別>悪問
<問題>1 A (編註:李淵は)隋の首都( イ )に入り,唐を建てた。
問3 空欄イにはいる語は何か。
a 洛陽城 b 長安城 c 大同城 d 大興城
<解答解説>
おそらくあまり解説せずとも,何が悪いのかすぐにわかる人が多いだろう。隋の首都は「大興城」であるからdが正解になるが,そもそも「城」が首都というのは違和感のある話である。これは,隋の文帝が前代までの長安から少し離れた場所に宮城を建てて,ここに政治機構を整えたことから,前代までの長安と区別する意味で,高校世界史でも大興城と呼称しているに過ぎない。宮殿のあった都市の名前は当然「長安」である。さらに言えば,次の唐は引き続きこの大興城の地を継承し,改装して自らの宮殿としているが,唐の首都は高校世界史上でも一般的にも「長安」と呼ぶし,その宮殿の呼称は「長安城」あるいは「隋唐長安城」である。後者の呼称を見ればわかる通り,そもそも大興城と長安城を峻別する意味はあまりない。
ということを踏まえるに,bの「長安城」を誤答と見なすのは,かなり性格が悪いし,隋の「大興城」と唐の「長安城」の区別をさせようという意図の出題だとするなら,上述の通り,歴史学的見地から言ってほとんど意味が無い。要するに,クイズ的な価値しかないのである。問題としては成立しているものの,あまりにもクイズ的なテクニックの世界であり,大学入試問題とは呼ぶまい。
この他,アウステルリッツの三帝会戦が行われた場所(現在の国名)として「チェコ」を問う問題があった。範囲内ではあるが,過度に難しいという指摘だけしておく。また,今年は算数問題が復活していた。問われたのはマンデラの投獄されていた期間で,1962年に投獄というヒントがあるから,解答はそれほど難しくない(約27年)。
2.上智大 2/5実施
<種別>(高校世界史側のせいで)出題ミス
<問題>3 問12 下線部(サ)(編註:二つの宗教,すなわち旧教とアウクスブルク信仰告白を用いる宗教[ルター派])に関連した以下の出来事を年代順に並べ替えた時に,三番目に来るものを選択肢(a~e)から1つ選びなさい。
a ヴォルムス帝国議会へのルターの召喚
b オスマン帝国による第一次ウィーン包囲
c カール5世の退位
d ドイツ農民戦争の勃発
e ルターによる『新約聖書』のドイツ語訳の初版本出版
<解答解説>
これは,初見では普通の問題と思ってスルーし,増田塾の解答速報と自分の出した答えが食い違っていて,難問と気づいた問題。aは1521年,bは1529年,cは1556年,dは1524年。ここまでは比較的見る年号であるし,はっきり覚えていなくてもヴォルムス帝国議会に召喚→法的保護を剥奪されて,ザクセン選帝侯の保護下に→ドイツ農民戦争を契機に保守化→宗教改革の表舞台が神学論争からドイツ諸侯の内戦に遷移→ハプスブルク家包囲網が構築され,第1次ウィーン包囲でピンチ→アウクスブルクの和議の翌年にカール5世が退位,という宗教改革の流れがわかっていれば,a→d→b→cを並べるのは容易である。
さて,困ったのがe。ルターが『新約聖書』のドイツ語訳を行ったのはザクセン選帝侯の保護下においてであるし,ルター訳『新訳聖書』が世に出回ったことも影響して農民戦争につながった,という流れで考えれば,ルター訳聖書の初版発行は1521~24年の間と推測がつき,eはaとdの間に入ってa→e→d→b→cになるから,正解はdである。私が初見で出した答えもこれ。しかし,東進・増田塾ともに答えはbになっていて,a→d→b→e→cと並べていた。これはどういうことか。ここで基本の山川の用語集に立ち返ると,なんとルター訳『新訳聖書』の初版発行年は「1534年」となっているではないか(2017年版でp.158)。東進・増田塾の正解の根拠はこれであろう。
では増田塾の答えが正しいかというと,これは大きな罠である。実は用語集の年号が間違っている。ルターが『新約聖書』の初版本を発行したのは1522年9月のことで,これは間違いない。なにせ「九月聖書」という名前さえ付いている。要するに,先ほどの私が「年号がうろ覚えの場合の解き方」で示した推測で正しいのである。1534年は新・旧両聖書がそろったバージョンの初版が発行された年で,用語集の執筆者が何かの勘違いでこちらを拾ってしまったものと思われる。ルターは『新約聖書』の翻訳を1年余りで完遂しているが,『旧約聖書』は彼自身の学識不足により,約12年かかっている。
してみると,上智大も被害者の可能性がある。1522年を想定して問題を作ってみたら,高校世界史の教材が間違った年号を記載しているなんてさすがに予想しないところだろう。上智大はキリスト教問題に限って出題ミスを出すという法則があったが,大学側がちゃんと問題を作ってもなぜか答えが1つに定まらない問題になってしまうというのは,もはや何かの呪いにかかっている領域では。あるいはカトリック系なのに宗教改革で問題を作ったのがダメだったのか。なお,一つ前の課程(2008年)の用語集ではきちんとドイツ語版『新約聖書』の刊行年が1522年となっていた。なぜ改悪したのか。
3.上智大 2/6実施
<種別>出題ミス(複数正解)
<問題>2 問6 下線部(オ)の初代国王(編註:パフレヴィー朝のレザー=ハーン,パフレヴィー1世のこと)の説明として誤っているものはどれか。
a クーデタによってカージャール朝の実験を掌握した。
b 国名をペルシアからイランへ改称した。
c 第二次世界大戦中に米・ソの圧力で退位した。
d モサデク政権と対立して一時国外退去した。
e 立憲君主政にもとづく近代国家の形成をめざした。
<解答解説>
a・bは正文。eもパフレヴィー1世の独裁色が強かったものの,立憲君主政には違いなかったので一応正文と見なせる。dはパフレヴィー2世の説明なので誤り,これが作題者の想定する正解。残ったcが曲者で,この時圧力をかけたのはアメリカではなくイギリスであるから,厳密に言うと誤文になる。極めて珍しいことに上智大学から公式発表があり,受験生全員に得点を与える旨の発表と謝罪があった。これを指摘している予備校はなく,受験生からの指摘か,自主的に気づいたものと思われる。
4.上智大 2/7実施
<種別>難問・悪問
<問題>2 問5 下線部(ウ)(編註:ブラジルの領有)に関する記述として誤っているものはどれか。
a トルデシリャス条約で定められた勢力圏に基づいている。
b メソアメリカ地域やアンデス地域のような発達した古代文明はなく,先住民が分散して居住していた。
c 当初は染料となる木以外に目立った作物や資源がなかったが,16世紀半ばに黒人奴隷をもちいたコーヒーのプランテーションが急速に発展した。
d 17世紀に入ると,ポルトガルはアジアの制海権をオランダに奪われ,ブラジルを中軸とした大西洋の海洋交易に力を注ぐようになった。
<解答解説>
cの内容が難しいが,aとbとdが明らかに正文だから,消去法でcが誤文=正解でしょ,と思った人が多かろう。東進・増田塾ともに正解をcとしている。
実はbについて,ほとんど知られていないがアマゾン文明(モホス文明)は存在したとする説がある。いや,『ムー』に載っていそうな話とかではなく,本当に。熱帯雨林ではなく,より上流のサバナ気候の平原地帯で,高度な土木建築技術を活かした大規模な灌漑農業を行っていた痕跡と,大規模な集落・墓地の遺跡が発見されている。どうもヨーロッパ人がアマゾン奥地に進出するよりも前に滅亡したようで,遺跡以外に何も見つかっていない。当然不明な点は多く,後のアンデス文明との接触も無かったとされる。これをとればbの文は誤文=正解になる。ただし,マヤ文明やアンデス文明のレベルで発達していたかと言われると,現段階で見つかっている遺跡の範囲ではそこまでの高度さはなさそうである。また,遺跡が発見されているのは多くがアマゾン川上流のボリビアであるので,アマゾン文明とブラジル地域の関連は深くないと見なすこともできる。これらの点で,bを完全な誤文と見なすのもまた難しい。あるいは,下線部を厳密にとって「ポルトガルがブラジルを領有したタイミングでのブラジルの状況」が問われているとするなら,その時点でアマゾン文明は崩壊しているので,確かに文明は存在しない。もっとも,これはこれで「紀元前後をそれなりにすぎるところまで存在していた文明を古代文明と称するのはいかがなものか」という議論が持ち上がってくるが。
cの文はやはり誤文である。初めてのコーヒーのプランテーションが作られたのは18世紀前半のことで,16世紀半ばではない。本問はおそらくcを正解として作問されたものの,作題者がアマゾン文明の存在を知らなかったというオチではないかと思う。
5.上智大 2/7実施(2つめ)
<種別>出題ミスに近い(複数正解)
<問題>2 (�) 16世紀には主要な商業ルートが変わり,イタリア半島の港湾都市が衰退する一方,( 4 )や( 5 )が繁栄した。
(編註:空欄5はアントウェルペンが入る)
問11 空欄( 4 )に入る都市名として適切なものを1つ選びなさい。
a バルセロナ b リスボン c マルセイユ d カディス
<解答解説>
商業革命の説明である。普通に考えるとbのリスボンが正解であるが,dのカディスも否定できない。確かにリスボンはしばしば「一時ヨーロッパ商業の中心地となった」と言われ,またその中心地の変遷はリスボン→アントウェルペン→アムステルダム→ロンドンと説明される。そしてアムステルダムまたはロンドン以降は「ヨーロッパ商業の中心地」というよりも「世界経済の中心地」という説明に変わる。ただし,本問は問題文で「ヨーロッパ商業の中心地」という言及を全くしておらず,単純に商業革命で繁栄した都市という制限しかかかっていない。この条件であれば,カディスはラテンアメリカとの交易で繁栄する港市に発展したので,これも該当してしまう。本問が出題ミスではなく「近い」で済んでいるのは,ひとえに高校世界史ではリスボンは重要語句として習うが,カディスは半ば範囲外(用語集未収録)であるという事情と,リスボンの方がより印象的に栄えたという点から,リスボンを優先させるべきという理屈が一応成り立つからに過ぎない。
6.上智大 2/7実施(3つめ)
<種別>誤植
<問題>2 問13 下線部(ク)に関する記述として誤っているものはどれか。
a ヨーロッパの銀貨が下落して,穀物などの価格が2~3倍に上昇した。
b 南ドイツの銀鉱山開発に関わっていたフッガー家の没落をもたらした。
c 領地の農民から固定の貨幣地代を受け取っていた領主層は打撃を受けた。
d エルベ川以東の地域では輸出用穀物を生産するための農場領主制がひろまり,農民は賃金労働者化した。
<解答解説>
こちらは価格革命についての問題。素直に解けばdが誤りでただの易しい問題だが,aの「銀貨」は「銀価」の誤植である。厳密に言えばaも誤文になるので複数正解。なお,上智大は全く同じ誤植をやったことがある(2013上智9番)。
7.上智大 2/7実施(4つめ)
<種別>難問・悪問
<問題>3 問2 下線部(イ)の戦い(編註:ペルシア戦争)の場所として誤っているものはどれか。
<解答解説>
誤植やら悪問やら不運な出題ミスやらが多かった今年の上智大としては珍しいストレートな難問。ペロポネソス半島はほとんど戦場になっていない(アテネまでは侵略にあっているがスパルタは逃れている)というところから,正解のdを導いてほしいということなのだろうが,知識としては非常に細かい部類に入り,無茶だろう。なお,cがマラトンの戦い(前490年),aはテルモピュレーの戦い(前480年)。eはミュカレの戦い(前479年)で,これは戦い自体が範囲外。bはプラタイアの戦い(前479年)の場所を指したかったと思うのだが,プラタイアの戦場はもう少し南である。bの位置はちょうどポリスのテーベがある。ここでも攻城戦はあったようなので,誤りとは言い切れないが紛らわしい。正解のdには中立都市だったアルゴスがある。
8.上智大 2/9実施
<種別>悪問
<問題>1 この王朝は(編註:パガン朝のこと),13世紀に( 7 )の攻撃を受けて滅亡した。
(7) a 明 b 李朝 c 元 d スコータイ朝
<解答解説>
もう何度目だこの問題。cの元と答えさせたいと思われるのだが,実際には異なる。モンゴル軍侵攻のどさくさ紛れの簒奪であり,簒奪がなる前後にアサンカヤーによってモンゴル軍が追い返されているから,元がパガン朝を滅ぼしたと言ってしまうと語弊が生じる。2巻のコラム1(p.75)を参照のこと。
9.上智大 2/9実施(2つめ)
<種別>難問・悪問・出題ミスの可能性
<問題>3 問13 下線部(サ)に関して(編註:第一次世界大戦後のアメリカ合衆国),この時期のアメリカ合衆国の国際的地位と行動に関する記述として誤っているものはどれか。
a 連合国への軍需物資の輸出で経済発展を遂げ,戦後には債権国となった。
b 第一次世界大戦後で疲弊したヨーロッパ諸国に代わり,欧米地域の新たな安全保障体制の構築を主導した。
c 19世紀末の大海軍論を受けて,海軍力が大幅に強化された。
d 建艦競争の激化を抑制するため,イギリス・フランス・日本と軍縮条約を結んだ。
<解答解説>
下線部(サ)の指す年代が曖昧であるが,受験世界史の常識と下線部周辺の文脈から言って,1918~29年頃を指すと判断して,解答を出す。aは問題なく正文だが,b・c・dはいずれも文意がよくわからない。昔の上智大を彷彿とさせる曖昧さである。
bはドーズ案とパリ不戦条約を鑑みると全く間違いとは言えないが,一般的に言って戦間期のアメリカはモンロー主義への回帰,すなわちヨーロッパ情勢への不干渉を原則としていた。南北アメリカ大陸まで考えても,アメリカ合衆国が支配的な立場であったにせよ,変化があったわけではないので「新たな安全保障体勢の構築」とは言えない。受験テクニックとしても,アメリカがより主導的な立場を担ったのは太平洋地域(ワシントン体制)であるから,太平洋地域を欧米地域に置き換えた誤文のように読める。一応,bが最大の正解候補。東進・増田塾ともにこのbを正解としている。
cは,いわゆるマハンの地政学の影響や米西戦争の影響を受けて海軍が増強されたことを指している。一応,知らなくてもワシントン会議の軍縮でイギリスと並ぶ最大規模を許されたことから逆算して正文と推測できると思うが,アメリカ海軍が大幅に増強されたのは米西戦争から1920年にかけてであり,1918~29年にはほとんど重なっていないというのが少し気にかかる。それこそワシントン会議から連想すればcは誤文に見えなくもない。
dはそのワシントン海軍軍縮条約(ワシントン海軍軍備制限条約)のことを指していると思われるが,とすると条約締結国はこの4カ国に加えてイタリアが入っており,締結国が誤りだから誤文と見なせる。また,同じワシントン会議で締結された四カ国条約はこの4カ国が締結国であるが,内容は太平洋地域の安全保障についてであるから,軍縮条約とまでは言えない。これも受験テクニック的な見方をすれば,ワシントン海軍軍縮条約と四カ国条約の締結国を混同させるべく作った誤文というようにも見える。
というように詰めていくと,実は正文選択として作った問題で,aが正解のつもりだったのではという疑惑がふつふつと。
10.上智大 2/9実施(3つめ)
<種別>悪問とまでは言わないが気持ち悪い
<問題>4 問2 (E)の例として(編註:政党),以下の政党の設立年を年代順に並べると,3番目に来るのは何か。あてはまる記号を選びなさい。
a イギリス労働党 b ドイツ社会民主党 c ドイツ社会主義労働者党
d ロシア社会民主労働党 e ロシア共産党
<解答解説>
設立年が明確なのはまずc,ドイツ社会主義労働者党の成立は1875年。これが1890年に改名してbのドイツ社会民主党になる。eのロシア共産党は1918年。ここまでは問題ない。困ったのが残り。aは以前に論じたことがあるが(2015上智1番,2巻のp.224),イギリス労働党への改称は1906年であるが,当のイギリス労働党自身は1900年の労働代表委員会の成立をもって労働党の創設年としており,1906年の改称を重視していない。したがって,高校世界史の範囲内で考えれば1906年としてよいが,実態を鑑みると1900年説も浮上して絞れない。一応,ドイツ社会主義労働者党とドイツ社会民主党を両方出題していることを鑑みると,「改称にこだわってほしい」という出題者の意図が透けて見えるので,ここは1906年として解答を出してあげるのが優しさかもしれない。
最大の問題はd。ロシア社会民主労働党は1898年のミンスク大会で結党の方針が固められた。しかし,このミンスク大会は主要メンバーのプレハーノフもレーニンも国外亡命中で不参加である上に,参加した残りの主要メンバーも大会後にほとんどが逮捕されていて,大会後に活動した実態がない。ゆえに,次の1903年のロンドン大会が事実上の結党大会とされている。もっとも,この大会中に早くもボリシェヴィキとメンシェヴィキに分裂しているのだが。こうした状況ゆえに,各社教科書・用語集の対応もばらばらで,山川は教科書が「20世紀初頭」で用語集は1903年。東京書籍は年号を明示せず,実教出版と帝国書院は1898年である。
以上を整理すると,並び順を確定できるのはc(1875年)→b(1890年)→e(1918年)までで,あとはa(1900 or 1906年)とd(1898 or 1903年)でどちらの年号をとるかによって4パターンの並びが存在する。
� c(1875年)→b(1890年)→d(1898年)→a(1900年)→e(1918年)
� c(1875年)→b(1890年)→a(1900年)→d(1903年)→e(1918年)
� c(1875年)→b(1890年)→d(1898年)→a(1906年)→e(1918年)
� c(1875年)→b(1890年)→d(1903年)→a(1906年)→e(1918年)
問われているのは「3番目に来るもの」であるから,�の時だけaが,���の時はdが正解になる。もっとも,前述の通り優しさをもってaを1906年と見なせば(�・�),dが1898年でも1903年でも,いずれにせよ正解はdになる。年号がぐらぐらながら,ギリギリで正解が出る問題。悪問とまでは言わずとも,解答を出す過程がふにゃふにゃしていて,ちょっと気持ち悪い。
そういえば,全日程を通して今年は不思議地図の出題が無かった。良いことである。
1.慶應義塾大 経済学部
<種別>難問
<問題>3 問17 下線部Cに関連して(編註:冷戦体制),次のa~cが起きた時期を,下の年表中の空欄1~8の中から選びなさい。(重複使用不可)
a 米・英・仏などがドイツ連邦共和国の主権回復を認めるパリ協定調印
b 米・加・英・仏など12カ国が北大西洋条約調印
c マーシャル国務長官がマーシャルプランを発表
〔 1 〕
チャーチル前首相が「鉄のカーテン」演説
〔 2 〕
トルーマン大統領がトルーマン=ドクトリン演説
〔 3 〕
コミンフォルム結成
〔 4 〕
ベルリン封鎖開始
〔 5 〕
ベルリン封鎖解除
〔 6 〕
ドイツ民主共和国の成立宣言
〔 7 〕
ワルシャワ条約機構結成
〔 8 〕
<解答解説>
月単位シリーズ。戦後史が月単位になるのはある程度仕方のない面もあるが,であれば理屈で解けるようにすべきである。トルーマン=ドクトリン演説・マーシャル=プラン発表・コミンフォルム結成が全て1947年でこの順番というのは教科書的に学習するところであるから(ちなみに3月・6月・9月),cは3で容易。パリ協定が1954年で,西ドイツのNATO加盟が決まったことへのカウンターとして,翌1955年にソ連がワルシャワ条約機構を結成させるのも通常の学習で出てくるところであるから,aが7というのも難しくない。
問題はb。これは1949年というのは習うところだが月まではやらない。一方,ベルリン封鎖解除も1949年5月であり,ほとんどの受験生は5か6かまでは絞れるものの,明確な答えを出せないだろう。北大西洋条約調印は4月であり,正解は5になる。
慶應大の経済学部の入試問題は早慶の全13日程の中では近年ずば抜けて質が高く,実際に今年もほとんどが適正難易度で良いところを突く良問であった。しかし,この1問を含めて戦後史の時系列問題だけ過剰に細かかった。今年の作問担当のこだわりということか。
2.慶應義塾大 商学部
<種別>難問・悪問・出題ミスの可能性
<問題>2 (編註:東南アジア諸国連合の諸国は)1976年には (35)(36) を結び,これが先進諸国に歓迎されて援助や投資が加盟国に集中した。現在の加盟国10か国は,(37)(38) を形成して,域内貿易と域外貿易を活発に行っている。
19 AEC 20 AFTA 21 ANZUS 22 ASEM 23 ARF 24 RCEP
25 SEATO 26 TAC
(編註:関係のある選択肢のみ抜粋)
<解答解説>
選択肢に見慣れぬ略称ばかり並ぶ異様な問題。なにせ範囲内の用語が21のANZUSと22のASEM,25のSEATOの3つだけで(それもASEMは用語集頻度�で通常の学習では覚えない),3つとも正解ではないのは明白,そして残りの5つは純粋な範囲外である。 (35)(36) はまだマシで,調べれば1976年に結ばれた条約がこの中だと26のTAC(東南アジア友好協力条約)しかないので,正解が絞れる。一方,(37)(38)の方は,ただでさえ範囲外からの出題であるのみならず,年号が無いせいで,19のAEC(ASEAN経済共同体),20のAFTA(ASEAN自由貿易地域)の2つから正解が絞れない。一応,「域内貿易と域外貿易」への言及に着目して考えればAFTAを正解と想定して作成されたのではないかと思うが,AECでも域内関税撤廃,外資規制の緩和などの取り決めはあるので,当てはめても違和感がない。
そもそもAFTAとAECの違いとはなんぞやという。調べてみると,AFTAの方が先行していて1992年に創設され,域内関税の撤廃を主な目標として活動している。AECは2015年発足,より広い経済分野において地域経済の統合を図る組織となっている。ここから,問題文を「結成時点で10か国であった」という点をヒントにしてほしいと解釈すれば,1992年時点でのASEAN加盟国は6か国であるから,解答はAECに絞れる。しかし,この解釈を強いるには日本語が曖昧すぎて無理がある。
予備校の解答も綺麗に割れており,代ゼミ・東進・城南はAFTA,河合・駿台・増田塾はAECという解答。各社とも分析で困惑していた。
3.慶應義塾大 商学部(2つめ)
<種別>難問・悪問・出題ミスの可能性
<問題>2 フィリピン=アメリカ戦争に敗れたフィリピン共和国はアメリカによって (55)(56) にされた。(中略)フランスは,ベトナムの南部を (67)(68) ,北部の阮朝を (69)(70) とした。
34 自治領 41 直轄植民地 42 直轄領 48 保護国
<解答解説>
完全に作者の脳内をエスパーするしか正解が出ない問題。 (69)(70) は保護国が入るが,残りがおかしい。この文脈での直轄植民地と直轄領の違いは何か,全くわからない。少なくとも高校世界史上使い分けはしない。無理やり考えれば,フランスはベトナムを植民地化しているが,その北部を保護国,南部を直接統治としているので,保護国と並列させられている時点で植民地であることは自明として「直轄領」を当てはめる。残ったアメリカのフィリピンは「直轄植民地」といったような考えはできるが,自分で言っておいて意味がわからない。あるいは重複利用不可とはどこにも書かれていないというふざけた理由でどちらも直轄植民地(41を2回使う)ということなのかもしれない。事実,東京書籍の教科書はどちらも「直轄植民地」という言葉を使っている(p.318,p.321)。そうだとしても,直轄領と選択肢を並べているのは区別させようという意図にしか見えない。さらには「紛らわしい選択肢が並んでいても重複利用する勇気を試している」のかもしれないが,そういう意図だとしてもほとんどの受験生は「直轄領と直轄植民地の区別をさせようとしている」としか解釈しないから,すれ違いであろう。
こちらは予備校間での解答は不思議と一致していて,フィリピンが「直轄植民地」で,ベトナムが「直轄領」であった。おそらく私と同じような思考を辿ったと思われる。こちらも各社とも分析で混乱していた。慶應大学さんにあたっては,別に本問を出題ミスと認めなくてもいいので,どういう論拠があり(是非とも明確な言葉の定義とそれに用いた典拠も),どちらの正解が何なのか,ご教示いただきたい。
慶應義塾大の文学部は収録無し。ただし,用語集頻度�,「ガンジス平原に建てられ,1856年にイギリス東インド会社に併合されるまで約100年間存続した,シーア派の王国」の名で「アワド王国」は過剰な難易度で,正答率は恐ろしく低かったと思われる。ガンジス平原のシーア派王朝という珍しい事例であり,イギリス東インド会社の厳しい藩王国取りつぶし策の代表例であり同年のインド大反乱発生の契機の一つになった点など,おもしろい王国ではあるが。
4.慶應義塾大 法学部
<種別>難問・出題ミス
<問題>2 [設問] 下線部(イ)の東南アジアへの遠征(編註:元朝による遠征のこと)に関する最も適切な記述を下から選び,その番号を (43)(44) にマークしなさい。
[01] ジャワ島東部に栄え,元を撃退して建国されたのが,ヒンドゥー教国のシンガサリ朝である。
[02] イラワディ川中流域に成立したビルマ最初の統一王朝であるパガン朝では,大衆部仏教が導入され,仏教文化が栄えた。
[03] 元との戦いを通じて民族的自覚が高まったこともあり,陳朝では漢字を基にしたベトナムの文字チュノムを用いて自国の歴史書が編纂された。
[04] 李朝大越は,儒教や仏教を取り入れ,科挙の制度を置く等,中国化を進め,元の侵攻を3度撃退した。
[05] スマトラ島に起こったサンジャヤ朝は,宋代の中国では三仏斉として知られた。
<解答解説>
[01]はシンガサリ朝がマジャパヒト王国の誤り。[02]は大衆部が上座部の誤り。なお,大衆部は部派仏教の1つで,パガン朝の時代にはそもそも存在していない。大衆部はそのまま上座部に埋没して消滅したという説と,大乗仏教につながったという説があるが,私も詳しくないので深入りはしない。仮にこれを大乗仏教と見なしたとしても誤文であるが。大衆部は高校世界史範囲外。[03]は陳朝の時代に編纂された歴史書は『大越史記』を指していると思われるが,これは漢文であるので誤り。チュノムはもっぱら文学作品に用いられており,硬い文章は漢文であった。これは朝鮮王朝の訓民正音と同じような扱いである。『大越史記』は高校世界史範囲外。[04]は元の侵攻を受けたのが李朝ではなく陳朝なので誤り。[05]はサンジャヤ朝がジャーヴァカの誤り。サンジャヤ朝は古マタラム王国の王朝で,ジャワ島の王朝になる。サンジャヤ朝は高校世界史範囲外。ついでに言うと「起こった」は「興った」の誤字。また,そもそもこの選択肢,元代ではなく宋代の話をしていて下線部とのかかわりが無い。
よって正文=正解が不在である。おそらく作題者の想定した正解は[03]で,『大越史記』を漢字チュノム混淆文と勘違いしていたのではないかと思う。河合・駿台・代ゼミから同様の指摘有り。かなり早い段階で大学当局から謝罪と全員正解にした旨の発表があった。まあ,これは言い訳しようがない。高校世界史範囲外から出題しておいて出題ミスになるというクソダサの極みが今年も。せめてそれだけはやめればいいと思うのに,大学の先生方も懲りない。
5.慶應義塾大 法学部(2つめ)
<種別>奇問
<問題>3 [設問] 下線部(ア)に関し(編註:Brexitの国民投票),この国民投票においては,EUに加盟する東欧諸国からの外国人労働者の増加も争点の一つとなった。イギリス国家統計局が発表した2016年の統計によると,イギリスに在住する外国籍の住民のうち,その国籍国として最も多い国は (57)(58) である。
12.ギリシア 35.ブルガリア 41.ポーランド 48.ラトヴィア 50.リトアニア
54.ルーマニア
<解答解説>
ここから別の問題を引っ張って歴史的経緯を深掘りしていくならまだ理解できるが,単純に現在の状況だけ問う問題は世界史ではなく公民の問題であり,奇問であろう。正解のポーランドは,海外ニュースをマメに追っている社会人なら楽勝だろうが,受験生には厳しい。あれですよね,「高校生たるもの,常に最新の時事くらい追っていないと」というやつですよね。このレベルの高度な情報となると無理がある。
6.慶應義塾大 法学部(3つめ)
<種別>難問
<問題>3 [設問] 下線部(ウ)に関し(編註:イングランドの七王国),7~8世紀の人物である (61)(62) は,イングランドにおけるキリスト教の伝道の歴史を記した『イングランド教会史』を著した。
03.アルフレッド 05.エウセビオス 06.エグバート 07.エドワード(懺悔王)
21.聖パトリック 37.ベーダ
<解答解説>
厳密に言えば山川の『新世界史』に記述があるので範囲内だが,用語集未収録であり『新世界史』の発行部数が極めて少ないことを鑑みて収録対象とした。2017年の文学部でも同じことがあり,慶應大のあからさまな「教科書のどこかに書いてあればいいんだろ」という開き直りが見て取れる。正解は37のベーダ。私自身全く知らない部分であるし,知っているか知らないかだけの問題なので,これ以上解説しようがない。エドワード懺悔王もほぼ範囲外であり,聖パトリック(アイルランドへの伝道者である)も用語集頻度�であるから,消去法も極めて困難。増田塾の解答速報は「常軌を逸した難易度」と評していた。そう言われても仕方が無い問題。
7.慶應義塾大 法学部(4つめ)
<種別>難問
<問題>3 [設問] 下線部(エ)に関し(編註:アングロ=サクソン系の王朝),ウェセックス王家から王位に就いた (63)(64) が1066年に死亡した後の王位継承争いが,ノルマン=コンクェストの一因となった。
03.アルフレッド 06.エグバート 07.エドワード(懺悔王) 14.クヌート
21.聖パトリック 27.ハロルド2世 37.ベーダ 53.ルッジェーロ2世
<解答解説>
これも帝国書院の教科書に出てくるので厳密に言えば範囲内だが,用語集未収録で極めてマイナーな事項であるから収録対象とした。多くの受験生は27のハロルド2世で間違えたのではないだろうか。ハロルド2世も範囲内と言い切れない極めてマイナーな人物だが,こちらは一応用語集の「ノルマンディー公ウィリアム」の説明文中に「1066年ハロルド2世をヘースティングズの戦いで破ってイングランドを征服し」とあるので,これが記憶の片隅にあると,ハロルド2世が正解だと思えたはずである。しかし,実際にはエドワード懺悔王が子を残さずに亡くなったことで王位継承戦争が生じ,イングランド現地のハロルド2世に対して,ノルマンディー公のウィリアムが上陸作戦を仕掛けたという流れであるので,ここに入るのはエドワード懺悔王になる。
この他,この年の慶大法学部はこの4問の他にも,日朝首脳会談(2002年)と六カ国協議(2003年)の時系列を問う,韓ソ国交樹立(1990年)と韓国国連加盟(1991年)と中韓国交樹立(1992年)の時系列を問う,洪景来の乱を聞くなど,範囲内でも異様に細かい出題が散見された。「世界史はあくまで暗記科目」という,時代に逆行する強いメッセージを世間に発した。高大接続改革にまじめに取り組んでいる先生方は,抗議文を出した方がいいと思いますよ,マジで。
Posted by dg_law at 16:18│Comments(1)
この記事へのコメント
恒例企画、首を長くして待ってました。
今年の一橋の第2問の論評が楽しみです。
今年の一橋の第2問の論評が楽しみです。
Posted by jus at 2018年03月17日 16:40