会社員だった。仕事に忙殺され、疲労も有給休暇も溜まっていた。
30歳を迎える、節目の年でもあった。
「どんな1年にしたいか? 20代のうちにやり残したことはないか?」と聞かれた。
「強いていえば、ひとり旅? ひとりでニューヨークに行ってみたかったかも」
そんな他愛もない会話から、自分が昔、ニューヨークに漠然とした憧れを抱いていることを思い出した。
そして、ひとり旅に出かけることにした。
行き先は、ニューヨーク。目的は、リフレッシュするため。
「自分探し?」と何人かに笑われたけど、「そんなアホな(笑)」と返しながら、あながち、その面も少なくなかったと今では思う。
留学経験もなければ、TOEICを受けたこともない。
語学に関してからきしダメだった僕が、3週間ひとり旅を全力で楽しむことができたそのコツを、旅の思い出とともに少しだけ紹介したい。
会社員だった僕はどうやって長期休暇を勝ち取ったのか
前述したとおり、当時は会社員だった。
働き方はかなり自由な会社だったが、それでも3週間席を空けることは怖かった。
仕事が終わらずズルズルと長引く可能性もあるから、「行きたい、行きたい」と言いながら、願望だけで流れる可能性も多くあった。
それでも、沸いて出てくる数々の言い訳をなんとかやっつけて、どうにか長期休暇を確保することができたのは、ひとつのきっかけがあったように思う。それは、先に航空券を取ってしまったことだ。
キリが良さそうな日付を決めたら、そのまま最安値の航空券を検索して、購入まで10分で終わらせた。思い立ったとき動かないと、一生やらない気がした。
航空券さえ買ってしまえば、後戻りはできない。
キャンセルするのもバカバカしいから、「出発日までに終わらせること」に全精力をかけて、職場や家族を改めて説得し、仕事をした。
引き継ぎはできるだけ少なく済むように、キリがいいところまで得意先と詰め続ける。あらゆるトラブルを想定し、その対策を打っておく。
段取りが元から苦手だから、結局、出発前日の深夜まで仕事をした。
それでも、翌日から僕は、本当に自由な時間を勝ち取ることができた。
背水の陣ではないけれど、仕事ではないことこそ、自分を奮い立たせる何かが必要なのだと思った。
決めたのは、「できるだけ決めない」ということ
いよいよ始まるひとり旅において、ひとつだけ決めたことがあった。
「できるだけ、決めない」ということだ。
直前まで仕事に忙殺されていた僕は、とにかく自分自身のためだけに時間を使いたかった。
誰にも制限されず、邪魔されず、その日の気分で、好き勝手に行動する。
気に入った場所があれば2日連続で通ってもいいし、海外旅行によくある「せっかくだから、現地の食べ物をたべよう」なんて肩肘も張らずに、米が食べたければ高くても迷わず和食店に行く。
それこそが、自分自身にしてあげられる最高の贅沢だと思った。
(ちなみに大戸屋のタイムズスクエア店は高級レストランみたいな内装で、「チキン母さん煮定食」がその親密そうな名前とは程遠い価格設定で提供されている。一風堂もマンハッタンに2店舗あるが、これも普通にウマい)
そのコンセプトを忠実に貫いたところ、初日の宿すら決めずに現地に到着することになった。
初めての海外ひとり旅。英語はほぼ使えないし、物価も高いニューヨーク。
それでも宿なしでいることに不安がなかったのは、友人と、若干名のSNSフォロワーが現地にいるからだった。
普段からインターネットにどっぷり浸かっているせいか、情報の仕入れ先を確保するのがうまくなっていたのだと思う。到着してからフォロワーに連絡を入れたら、いくつかのゲストハウスのURLを送ってくれて、想定通り、事なきを得た。
「最悪、スマホとお金とパスポートがあればどうにかなるでしょ」
その甘い考えは、想像以上に的中していたと思う。
ソフトバンクには「アメリカ放題」という強引な名前のプランがあって、その名のとおりアメリカでも日本と全く同じ感覚・金額でLTEが使えるから、地下鉄に乗らない限りは常に電波も入るし、迷子になることは一度たりともなかった。
あのときの僕は、片手に納まる魔法の道具で、少し先の未来の自分をつくることができた気がする。
知っていればいいのは、自分が何処にいて、何処を向いているかだけ
ニューヨークに3週間滞在して好きになったエリアは、タイムズスクエア周辺と、ブルックリンハイツ周辺だ。
(そして一番好きだった時間は、「ブルックリンのコインランドリーで洗濯物が乾くのを待ちながら、文庫本を読む」というミーハーすぎる夢を叶えた自分に酔いしれたときだ)
タイムズスクエアには、小さなころから思い描いていたニューヨークそのままの姿があった。いろんな肌をした人たちが、いろんな想いを持ってこの街にいる。
ブルックリンは、今風に言うならインスタジェニックな街で、クリエイターが多く住んでいる。個人商店が多くて、その一店舗一店舗が、とにかくオシャレ。歩くだけで自分もクリエイティブな存在であるような錯覚に陥ることができた。
(それでも、ブルックリンブリッジの近くにあるチェーンのハンバーガーショップ「SHAKE SHACK」にばかり通っていた。オーダーが簡単だし、こじんまりした店内が、恵比寿駅前のソレとは違って好きだった)
どこも印象深い思い出ばかりだが、楽しめた理由は、ガイドブックを見ながら歩かなかったことにあると思う。
ニューヨークは観光都市ではないからか、どこに行ってもガイドブックを広げている人はそんなにいない。それに、ガイドブックに載ったお店に行くと、必ずと言っていいほど日本人に会って、そのたび萎えた。
そのため、早々にガイドブックは捨てて、グーグルマップに頼って行動するようになった。
レストランや観光地についても、グーグルマップだけで事足りた。
お腹が空いたら「カフェ」などを安易に入力するだけで、近くのお店をレコメンドしてくれる。大体は、地元の人が星を付けるので、人気店に行っても日本人はほとんどいない。そして、驚くべきことに、どの店もほとんど外れがない。
(なぜか僕はアメリカに行ってから無償に小龍包が食べたくなって、3週間で4回は小龍包の店を検索した。全部ウマかった。本当に幸せだった)
ガイドブックは不要になった。出発前に下北沢のヴィレッジヴァンガードで4冊も買ったのに、活用できたことは3度とないまま、ゴミ箱に捨てた。
自分が何処にいて、どちらの方角を向いているか?
それだけわかれば、行きたいところに行けた。
ニューヨークは地下鉄が24時間動いていて、乗りこなせれば行動範囲が数倍に拡がる。大まかなルートはグーグルマップで調べて、乗り換えの細かな情報はオフラインで使える路線図アプリ「NewYork Subway」を見ていれば解決できた。
ブルックリンでは中心街を外れるとやや地下鉄の駅が少なくなるが、その場合は配車アプリ「Uber」を使って、知らない外国人と乗り合いのハイヤーに揺られて移動した。
コミュニケーションを取りたがるラテンなノリの運転手にも何度か当たったが、基本は黙っていれば目的地に着いた。どうしても喋らなければいけない場合も、向こうがリードしてくれることが多い。
「Where are you from ?」
「……Japan.」
「Oh! I love Sushi~!」
大体は、中学1年レベルでいけた気がする。
日本でも「Uber」は使われているけれど、アメリカのほうが普及率は圧倒的に高い印象だった。アプリを開けばすぐ近くにうじゃうじゃと待機している車を見つけられるし、日本にはまだない乗り合いシステムを使えば圧倒的に安い値段で目的地に辿り着けた。
慣れてくればそれだけ、フットワークは軽くなった。
そういうときほどスリや強盗などに巻き込まれそうな気もしたが、程よい緊張感は保てたまま、何事もなく旅は終わった。
憧れを実現させることの喜びは測り知れない
結果的に、誰ともつながりたくなくて海外に飛んだのに、日本にいるときよりもスマホに頼りっぱなしの旅となった。
「旅人」や「バックパッカー」と呼ばれる人たちからすると、こうした旅行の仕方は、邪道に思えるのかもしれない。
でも、邪道であっても、自分が楽しんでいれば、それがベストなのだとも思う。
たとえば「せっかく海外に来たのだから、観光スポットは全て回ろう」と言う人もいる。一方僕は、3週間もニューヨークにいたのに、自由の女神もワールドトレードセンターも見ないまま帰国した。そのことを伝えたら、「なんてもったいない!」と、声を荒げる人さえいた。
でも、セントラルパークでパンを食べた朝は6回もあって、僕はその時間がとても幸せだった。
人生で一度、やってみたかったことだからだ。
やってみたら、6回やっても幸せなほど、素晴らしいことだとわかった。
自分が憧れていたことを、誰のペースにも合わせずに飽きるまで堪能する。それは、ひとりで行くからこそ叶えられる、究極の贅沢だったように思う。
好きな場所で、好きなことをするのは、簡単なようでなかなか難しい。
でも、3週間くらいだったら、少し頑張って貯金をすれば、叶えられなくもない。
僕はひとり旅を通して、それを実証できたように思う。
別に、意識高くひとり旅をすることを押し売りしたいわけじゃない。
まずは航空券を取ってしまうこと。計画はあえて立てず、気持ちの行くまま過ごすこと。スマホのアプリで多くのことは足りること。気持ちに余裕ができるくらいには貯金をしておくこと。
たったいくつかの決め事をクリアしたら、自由な自分が待っている。
平凡な暮らしに慣れきってしまったら、世界へ飛び出してしまうのもアリだ。
文:カツセマサヒコ