「少数民族をいじめている」のは中国政府なのか? 徐一睿「日本に漂う中国の虚像を暴く」第2回
少数民族を抑圧・差別しているのは誰なのか?
日本の一部メディアでは、「中国政府が意図的に少数民族地域に漢民族を移動させて、漢民族による統治の強化を図ってきた」という見解がある。
しかし、それはまったく的外れだ。
なぜなら、市場化・自由化の流れが進展すると、ヒト・モノ・カネは利益を追求するために移動する。少数民族地域といえども例外ではない。ビジネスチャンスがあれば、そこへ向かってヒト・モノ・カネも移動し続ける。
つまり新疆にビジネスチャンスがあれば、そこへ中国の他地域からヒト・モノ・カネが流れ込むことは極めて自然であり、経済の法則に従うものである。
しかし、ヒト・モノ・カネが新疆に流れ込むと、かつての国有企業を中心としたものとは大きく異なる経済システムができあがってしまう。つまり、「誰を雇用するか」について、国の指令に従うことが困難になってしまう。
さらに、かつての中国政府が採用していた少数民族への教育政策も逆に足枷になってしまうのだ。以前の教育政策では、少数民族に対して、その民族言語での教育がおこなわれていた。そのため、標準語(政府の定めた公式の中国語)の教育は、あまり力を入れられなかったのだ。
それゆえに、たとえばウイグル族の人々が仕事を求める際に、標準語で意思疎通がしっかりできなかったりすることもしばしば起きるのである。
あなたが標準語しかできない社長で、これから従業員を採用しようとしているとする。3人の応募者がやってきたが、その技能や学歴に差はない。つまり外部基準はまったく同じである。
しかし、言語能力は差がある。1人は漢族で、言うまでもなく標準語ができる人。もう1人はウイグル族で、ウイグル語はもちろん、標準語もできる。そして最後の1人は、ウイグル族でウイグル語しか話せない人である。
さて、あなたなら誰を採用するだろう。おそらく、1人目の漢族を雇うか、2人目の標準語ができるウイグル族の人を雇うかで悩むところだろう。
1人目の漢族と比べて、2人目の標準語ができるウイグル族の人は、2つの言語ができるので有利になるかもしれない。しかし、3人目のウイグル語しかできない人は、前の2人と比べるとどうしても不利になることは自明であろう。
言い換えると、市場化・自由化が進めば進むほど、ウイグル語しか話せない人たちの就業環境はますます悪化してしまうことになる。
その理由がわかっていても、政府が民間企業に無理やり「標準語のできないウイグル族を採用しろ」と言えるだろうか。
現在、政府部門や国有企業においては、いまだに現地の少数民族が優先的に採用されている。中国の公務員試験においては、明らかな少数民族への優遇がある。
また、民族自治区において、首長を強制的に少数民族にすることもある。実際、2015年では新疆ウイグル自治区所管の5つの自治州、6つの自治県、そして43の民族郷において、それぞれの州長、県長、郷長が少数民族出身者である。業務能力において漢民族出身者の人が高くても、国の指令に従い、トップが少数民族になるケースも決して稀ではない。
そして、自治区全体において、少数民族籍の公務員は41万7000人あまりで、公務員総数の51%を占める。
中国において「民族差別」や「民族抑圧」が存在しない、というのはもちろんおかしい話である。実際、近年の一連の暴動以後、現場では民族間のピリピリした緊張状態が続いている。
しかし、これまで見たとおり、こうした「抑圧」や「差別」の多くは政府によるものとはいえないのだ。
むしろ市場化と自由化が進められている今日、政府の役割は限定的になり、民間レベルにおける「抑圧」や「差別」が進んでいる。こう考えたほうがいい。
少数民族問題は、中国に限らず多くの国々を悩ませている大きな問題である。
しかし、少数民族問題があるからといって、中国を昔のような「低いレベルの平等」へと戻すわけにはいかないのである。
徐 一睿(じょ いちえい)
2003年慶應義塾大学経済学部卒業、2009年同大学大学院経済学研究科博士課程修了(経済学博士)。慶應義塾大学経済学部助教、嘉悦大学講師などを経て、現在は専修大学経済学部准教授。専門は、中国経済、財政学、金融論。
著書『中国の財政調整制度の新展開』(日本僑報社)で第8回華人学術賞、第11回日本地方財政学会佐藤賞を受賞。近著は『中国の経済成長と土地・債務問題』(慶應義塾大学出版会)。
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