<img height="1" width="1" style="display:none" src="https://www.facebook.com/tr?id=115009129170003&ev=PageView&noscript=1" />
menu

「少数民族をいじめている」のは中国政府なのか? 徐一睿「日本に漂う中国の虚像を暴く」第2回

徐一睿(ジョイチエイ) 経済学博士、専修大学経済学部准教授。

ウイグル民族が圧迫されているのは事実だ。だが30年前のいまより貧しい時代に戻るわけにもいかないことが、問題解決を難しくしている
PHOTO:RAT0007

  • Facebookで送る
  • Twitterで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

データとエビデンスで中国に対する「虚像」をくつがえして大反響を呼んだ渾身連載。第2回は中国の経済成長とともに激化した印象のある「少数民族への圧迫」について“本当の話”をお届けします。

論点を「雇用」に絞ることができる

前回では、私が教えている学生から聞いた「中国に対するイメージ」でもっとも悪かった「食の安全」問題について書いたが、今回は中国における少数民族の問題について話をしてみたい。

学生から「漢民族は少数民族をいじめている、その結果、新疆ウイグル自治区やチベットなどで暴動が起きているのではないか」との指摘があったのだ。

中国における少数民族問題については、日本国内のメディアも常に注目している。
2000年以後、日本の主要全国紙のデータベースに、キーワードとして「新疆」や「暴動」を入力して検索したところ、「朝日新聞」では213件、「読売新聞」では175件、「産経新聞」では201件、「毎日新聞」では221件もヒットした。
ニュースを見た学生であれば、漢民族が少数民族をいじめているという印象を得ることは極めて自然のことであろう。

たとえば、13年10月31日の「読売新聞」の社説「天安門突入事件 中国社会の不安定さが見える」においては、こう書かれている。

ウイグル族は、事実上、政治的には共産党、経済的には多数派の漢族の支配下に置かれている。「自治」や「宗教の自由」は名ばかりの状態だ。平均的な所得水準は低く、生活は豊かでない。
ウイグル族住民の間では、党と漢族への反感が広がっており、くすぶり続けてきた新疆独立を目指す動きも活発だ。

この記事のロジックは、ウイグル族の平均的な所得水準は漢民族よりも低く、生活が豊かでないゆえに、漢民族への反感が広がっているのだ、というものである。
つまり、高度成長を実現している中国において、漢民族だけが経済成長の恩恵を受けて、少数民族はその恩恵を受けることができなかったということだ。

ならば、逆説的に言えば、「改革・開放」の前、つまり中国の経済が停滞していた計画経済のもとでは、少数民族も漢民族も同じ収入を得られていた。そして同じように豊かとは言えない生活を送り、低いレベルの平等が実現していた結果、少数民族は漢民族に対する不満をさほど持つことはなかった――こういうロジックも正しいということになろう。

まず、ここで「自治」や「宗教の自由」といった論点を整理しておこう。こうした問題で議論を展開すると、往々にして話はややこしいことになる。
だが、少なくとも現在と比べて、改革・開放前までの「自治」や「宗教の自由」は明らかに優れていた――と設定するのには無理がある。なので、いまこの論点に深入りする必要はないだろう。

そこで、第二の論点としてあげられている「経済成長」と「不平等」の問題について議論を進めていけば、話がわかりやすくなる。

かつて、漢民族と少数民族の間の融合は、低いレベルでの平等において実現していた。ならば、その理由はなんであろうか。そして、いまの中国は昔と比べて相当豊かになったにもかかわらず、なぜそれゆえに民族間の融合ができなくなったのか。
こうした問いにぶつかることになるだろう。

問題を解くキーワードは「雇用」である。
新疆における暴動などの参加者を見てみると、ほとんどの人は仕事を持っていない。実際、漢民族の人々は仕事に就くことができるのに、ウイグル族の人々は仕事に就くことができない。ウイグル族は差別的に扱われているではないか――。
こういう考えを持つことは自然である。

かつての計画経済の時期において、少数民族の雇用はしっかり確保されていた。逆に中国経済が飛躍的に成長を遂げたいま、なぜ少数民族の雇用が確保できなくなったのだろうか。

かつて、中国が実施していた計画経済においては、経済活動に必要なヒト・モノ・カネに対する厳しい統制が強いられていた。
たとえばヒトについては、厳しい戸籍制度のもと、人々は中国国内といえども自由に移動することが許されなかった。また、モノやカネの国内移動も、政府によって厳しく統制されていた。
国有企業や国営農場における雇用も、政府の指示・命令のもとでおこなわれていた。

つまり、政府が統制することで、漢民族が少数民族の住む地域へ過度に流入することがないよう、コントロールすることが可能であったのだ。
そして、実際に雇用の現場においては、「民族融合」という大義名分のもとで、少数民族の人々の雇用が確保されてきたのだ。

しかし、中国が改革・開放の路線に転換してから、国内における市場化と自由化が進められた。特に1990年代後期以後、国有企業の改革がおこなわれ、民営化が進められている。
2000年以後、中国はWTOに加盟し、飛躍的な経済成長を遂げるようになる。それとともに、国内におけるヒト・モノ・カネに対する移動の制限も緩和されていった。

1 2
  • Facebookで送る
  • Twitterで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る
Comment0

※コメントにはログインが必要です。

コメントを残す
  • シェア:
コメントはありません。
おすすめの関連記事
FEATURES