中国産の食べ物は米国産の食べ物より安全だった! 徐一睿「日本に漂う中国の虚像を暴く」第1回
徐一睿(ジョイチエイ) 経済学博士、専修大学経済学部准教授。
大学から日本で学びはじめた中国人でありながら、日本語の著作で学術賞を受賞した経済学者が、日本の大手メディアを中心に漂う中国への「虚像」をデータに基づき一刀両断する新連載。
第1回は誰もが気になる「中国産食材」の“本当の話”をお届けします。
なぜ対中感情は逆転したのか
内閣府が行った「外交に関する世論調査」をみると、日本国民の対中感情の変化がよくわかる。
1980年代は「中国に親しみを感じる」割合が70%台だった。それが89年の天安門事件以降は5割前後まで下落し、その後は横ばいで推移。
そして2001年の中国WTO加盟以後、中国経済の飛躍的成長に伴い、日本国民の対中感情は冷え込みはじめた。13年のデータによれば、「中国に親しみを感じる」割合はわずか18.1%。
それに対して「親しみを感じない」割合は80.7%にも達する。
日本のほぼすべての書店において、中国関連書コーナーが設けられている。そこには「嫌中」本がずらりと平積みにされている。一部の書店では嫌中特設コーナーも設けられている。
現代の日本において「嫌中」は「売れる」ことになっているのだろう。
その一方で、小泉純一郎内閣時代、2003年の「観光立国懇談会」開催をきっかけに、2006年に「観光立国推進基本法」が成立し、2009年には中国への個人観光ビザ発給を開始してから、日本国内における中国人観光客は急速に増加した。
日本政府観光局(JNTO)の統計によると、2015年の1年間で合計499万人の中国人観光客が日本にやってきた。これは訪日客全体の25.3%を占める。
いまや、中国人観光客の「爆買い」という言葉は誰もが知るようになった。
日本企業も自治体も、中国人観光客を必死に取り込もうとしている。メディアも連日のように「爆買い」を報道している。なんとも異様な状況であろう。
私は1997年に、一留学生として日本にやってきた。
日本に来てから、よく周りの日本人の方から聞かれた質問があった。
「なぜ君は、日本への留学を選んだの?」
その理由は簡単である。
父親が私に「日本はいい国だから、お前も行くんだ」と勧めたからだ。
私の父親は「改革・開放」以後の1980年代に、第1代目の留学生として日本にやってきた。
80年代の中国と日本の経済格差はきわめて大きく、所得も雲泥の差である。
父親の言葉を借りると、「日本で1日アルバイトをすれば、中国の社長の1ヵ月分の所得になる」ぐらい、日本は中国人にとって夢のような国であった。
また、当時の日本人は中国人に対してとても親切であった。元慶応義塾大学法学部長、現防衛大学長の国分良成教授が、編著『中国は、いま』(岩波新書)において実体験を語っている。
「私が大陸からの中国人に直接会って話をしたのは、79年が初めてである。その時私は興奮し、周囲に自慢したのを今でもよく覚えている」
こうした事情を帰国後の父親から聞かされた私は、高校卒業後、大学を半年で中退して日本にやってきたのだ。
もちろん、97年に日本に来た私は、父親が語ったようなVIP待遇を受けることはなかった。
とはいえ、それでも寛容な生活環境において勉学ができた。
しかし近年、明らかに環境が変わってきたことを身をもって感じている。
統計にしろ、私と父親の実体験にしろ、ただ一つの方向を指し示しているといえよう。
「国民的な接触が少ない時期には親近感や信頼感が高いのに、相互依存関係が深まって往来が拡大するほど、逆に親近感や信頼感が低くなる」
このような不思議な構造ができあがっているのだ。
私が日本に来てからの20年間は、まさに日中両国にとって大きな変動の時代だったといえよう。
2000年当時、日本の対中国のGDP差が4対1で、中国が日本を抜くのは2020年代だろうという予測が多かった。
しかし蓋を開けてみると、中国経済の飛躍的成長もあって、中国のGDP総額は2009年に日本を抜いた。その後も差は開き、2015年において、日本のGDP総額は中国の3分の1ぐらいになってしまっている。
急伸する中国と停滞する日本、この20年はまさに逆転の20年といえよう。
だから巨大化する近隣である中国に危機感を感じるのは、何も不思議なことではない。
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