2018年03月16日

「チーズバーガー二つ買った方がダブルチーズバーガー買うより安いやん」とか言ってるヤツは何もわかってない

まず第一に、「チーズバーガー二つ」は「ダブルチーズバーガー」の代替にはならない。絶対に、ならない。味が違う。食感が違う。重量感が違う。何もかも違うのだ。

「ダブルチーズバーガーを食べる体験」と、「チーズバーガーを二つ食べる体験」は全く別のものだ。どちらが好きかというのは好みの問題だから、別に「チーズバーガー二つの方が好き」という人を否定はしないが、後者で前者の代替が出来ると思っている人は完全に何かを勘違いしている。

ダブルチーズバーガーは、口に含んだ時のあの充実感、パティとチーズが贅沢に絡み合うあの重量感が何よりのポイントなのだ。チーズバーガーを二つ食ったところで、あの充実感は再現出来ない。再現できるとしたらカロリー程度のものだ。

贅沢っていったって、たかが340円の贅沢やん、ってか?その通り、たかが340円の贅沢だ。340円が「たかが」なら、何故チーズバーガー二個との差額、80円程度を「たかが」と呼ばないのか?


「チーズバーガーをバラしてダブルチーズバーガーに組み替えればええやん」ってか?それも全然違う。

ダブルチーズバーガーに必要なものはバランスであって、具のバランス、ケチャップのバランス、パティのバランス、どれが失われてもダブルチーズバーガーにはならない。ダブルチーズバーガーは、最初からダブルチーズバーガーとして形成されなくてはいけない。つまり、そもそも味が再現出来ない。

仮に味が再現できたとして、「チーズバーガーを二つバラして、それを元通り組み合わせる」という面倒くさい作業に関するコストはどう評価するんだ?手を動かすコストだってれっきとした人件費だぞ。マックのテーブルでわざわざ手をケチャップまみれにしながらリビルド作業をするのか?

余ったバンズは食うのか?捨てるのか?捨てるなんて勿体ないことをしたくないし、バンズだけ食うなんていう余計な体験もしたくない。それは、「食事」というバリューの価値を純粋に下げる行為だ。折角の「食事」という体験に、余計な体験など混ぜ込みたくないのだ。


「ダブルチーズバーガーよりチーズバーガー二個の方が安いやん」と言っている人は、要は原価厨だ。構成物の金銭的コストだけを見ていて、それ以外のコスト、あるいはバリューというものを全く評価していないのだ。こういう人が往々にして、リンゴ2個あれば足りるところを、「まとめて買った方が一個当たりのコストが安いから」などといってリンゴ5個をまとめて買って、3個を腐らせたりする。

物事は、コストとバリューという二つの側面から考えなくてはいけない。単に「コストを安く」ということだけ考えていては、バリューがどんどん犠牲になっていく。それに何より、「コスト」というのは単に金銭コストだけでなく、作業コスト、時間コスト、精神的コストから移動コストまで、ありとあらゆるものがコストなのだ。


だから私はこういう。

コストが金額だけだと思うな、と。

コストだけでなくバリューを見ろ、と。

そのコストを削ることで、それ以上のバリューを削ってはいないか、と。


「ダブルチーズバーガーよりチーズバーガー二個の方が安いやん」というのは、典型的な「金銭コストしか見ておらず、他の種類のコストも、バリューも考慮していない」発言だ。少なくとも私はそう思う。


あと全然関係ないけど、ダブダブチ美味しかったよね。常設にして欲しい。


今日書きたいことはそれくらい。


posted by しんざき at 18:17 | Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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