原宿かぁ。
原宿というと、ボクの場合、やっぱりライヴハウスのクロコダイルだ。
でも店の広告には「原宿 クロコダイル」と書いてあったけど、渋谷と原宿の中間ぐらいだ。
80年代前半から、90年代前半ぐらいにかけて、ボクのバンド・モダンヒップのライヴの拠点が、クロコダイルだった。クロコダイルではその間、年に数回はライヴをやっていた気がする。
ボクは学生時代にバンドを始めて、学外のライヴハウスに初めて出たのは、高円寺のJIROKICHIだ。マンガのデビューと同じ1980年。
その時のバンドはすぐ無くなって、次にボクが作ったバンドが「モダンヒップ」だった。大学5年の時だ。81年に結成して、83年頃には最大ホーンセクション5人、女性コーラス2人、ダンサー2人がいる大所帯バンドになっていた。
結果的に20代半ばから30代半ばまで、このバンドだけを続けていた。
原宿クロコダイルは確かにボクの「青春」だった…のカモ。
クロコのライヴが終わったら、必ず渋谷あたりの居酒屋で打ち上げをしていた。
全員でいつも大酒を飲んで、終電を逃して、夜更けにタクシーに乗り合いして帰った。
女性ファンとどうのこうの、というバンド特有の色っぽい話は、驚くほど無かった。
それよりビールを何杯も何杯もお代わりして、焼き鳥や生キャベツをかじりながら、冗談ばかり言ってゲラゲラ笑って、酔っ払って記憶を無くしていた。
若かったから、クロコには同年代あるいは少し年下の若いお客さんがいっぱい来た。マンガのファンもすでにいたから、そういう人たちもいた。若いというのは、それだけで集客ができるのだ。
当時からおかしな曲をやっていた。「猛烈にUNCOが死体」とか「Small Tree(相撲取り)」とか。馬鹿馬鹿しい歌詞を、いかにかっこいいサウンドでやるかもバンドのテーマの一つだった。おかしい歌をやっても、いわゆる「コミックソング」みたいなネタものスタイルの歌は、大嫌いだった。
マンガの初単行本『かっこいいスキヤキ』の発売記念ライヴもクロコダイルでやった。83年。クロコダイルは超満員だった。観客席で単行本を頭上に振り上げていた人は、ギタリストの吾妻光良さんだった。大好きだったから嬉しかった。
初のレコーディングも、モダンヒップで84年。インディーズレーベルで12インチシングル「堂々たるシングル」という4曲入りのアルバムを作った。発売記念ライヴはもちろんクロコダイルだった。そのあとCDの時代が来て、また4曲入りのミニアルバム『原子人』を出した。
クロコダイルでは、メジャーデビュー直前の米米CLUBとも対バンした。
人気が出る直前の、清水ミチコさんともご一緒した。初めて見て笑い転げた。
まだボクが26、7歳の話だ。まさに「クロコダイルの青春」だった。
葉っぱまみれのジャケットを着たり、ボーカルの袖に電飾が回ったり、いろんなことした。
ライヴに来た人には必ずアンケートをとって、最後に住所書いてもらって、次回のライヴのDMハガキを出す。DMはプリントゴッコで印刷していた。そうやって観客を増やした。何しろインターネットもケータイもない時代だ。
すでにマンガや文章の仕事がけっこう忙しくなっていたけど、ミュージシャンとして売れたい夢はもちろんあった。ただ、がむしゃらに売れたい欲が、どうにもこうにも弱かった。今もそうだけど。それがもっとあったら、と後悔した時期もある。
あの頃、20代の時、もっと音楽で売れようとしたら、今はどんな仕事をしていたんだろう。
チャンスは逃すと二度と来ない。
人は歳をとるからだ。それはオリンピックがいつも見せてくれる。
この歳になって振り返り、その冷酷な真実を、自分の身になって思い知る。
モダンヒップは、何度かのビッグチャンスを逃した。
クロコダイルは毎回のように満員になった。
そして人気番組の「冗談画報」にワンマンで出た。
ソニーの素晴らしいスタジオで、タダでデモ録音もさせてもらえた。
でも、次に繋がる結果を出せなかった。リーダーのボクがボンヤリしていたせいが大きい。
「今、そしてこの次、どうするべきか」の強い判断や転換ができなかったからだ。
でも、苦手なんだ。これはどうしょうもない。
ボクらと一緒にクロコに出た米米CLUBは、歌謡路線に大変換して、大胆なメンバーチェンジもして、大成功した。当時、テレビで眩しく見えたな。
モダンヒップは若い勢いを失うと、メンバーも皆自分の生活のための仕事が忙しくなり、バンドとしてなかなか集まれなくなっていった。今昔どこにでもあるバンド物語だ。
救われたのは、ボーカリストとは幼馴染だったので、家も近く、近所で2人でリハをして、生ギター2人のユニットで活動を続けられたことだ。2人だけでも、何度かクロコダイルに出ている。バンドが尻窄みになって、気を落としていたから、彼に救われたことも大きい。今でも感謝している。
逃したチャンスは、確かに二度と来ない。
でも自分が歩みを止めなければ、必ず新たなチャンスが、思わぬ形で訪れる。
ボクは音楽をやめなかったおかげで、自分が原作のドラマ「孤独のグルメ」の劇伴音楽を制作するというチャンスに恵まれた。2012年、今から6年前のことだ。
この時、それをあるレベル以上の音楽に仕上げるための、気心の知れた音楽仲間ができていた。
ボクはこの仕事のために彼らと「スクリーントーンズ」を結成した。
そして「孤独のグルメ」のために、どんな音楽を作るべきかを、入念に考えた。
ボクは楽譜も読み書きできないし、楽器も下手だ。でも仲間がいれば、自分のアイデアを実現できる。ギターを弾きながら、口でメロディーを歌えば、やりたいことは伝わる。
すでに気心の知れた仲間だったから、いつも笑いながら、面倒なアレンジや演奏ができた。今もそれは変わらない。音楽を作るのに、現場が暗いのは大嫌いなのだ。
その結果、生まれて初めてたくさんのCDが売れた。もちろんミリオンセラーには程遠いけど。そして「孤独のグルメ」のために毎シーズン50曲近くの音楽を作り、サントラ盤も6枚出した。
スクリーントーンズは、呼ばれるままに日本中でライヴをして、2015年には初の海外、台北公演を果たした。去年2017年には、台北の10倍ぐらいの規模の上海公演も成功させた。
クロコダイルで一喜一憂してた20代のボクは、海外で演奏する夢を描くことはできなかった。
でもやめなかったから、このチャンスは来て、今度はそれを逃さずにモノにできた。
自慢しているように思われ、不愉快だったらごめんなさい。もうすぐ60にもなるんだから、たまにはいいでしょう。
スクリーントーンズを始める頃は、もうすっかりクロコダイルとはご無沙汰していた。
ドラマの「孤独のグルメ」が始まる少し前、クロコダイルで何かのセッションにゲストで呼ばれたことがあった。その時、店長の西さんに、
「うわー、クスミくん、懐かしいなあ!」
と驚かれた。そんなに驚かなくても、とちょっと思ったけど、クロコから足が遠のいてから30年近くが経っていると気づき、何か愕然とした。時はそんなに経ってしまったのか。
昭和天皇の「大喪の礼」の当日、モダンヒップはクロコダイルでライヴが入っていた。
世の中の自粛ムードの中、西さんは「俺は普通にやろうと思うんだよ」と言って、普通にライヴをやらせてくれた。コンサートなど軒並み中止になっていた日だ。だからテレビの取材も来た。僕らには何も負担ないように西さんは配慮してくれた。
雨の日で、お客は満員ではなかったけどたくさん来てくれて、普通に盛り上がった。
あれが30年前のことか。それがクロコダイルに出た最後ではないと思うが、その頃からだんだん活動地域が変わっていった。
クロコダイルのことを書くと、今までの音楽の長い年数が全部出てきてしまう。
忘れていたことをどんどん思い出してしまう。
いつも今だけ見ていた気がする。まだボクの音楽の道は、その頃と変わらない途中だ。
どんどん原宿話と遠ざかってしまった。
セントラルアパート。ラフォーレ原宿。カッコイイ流行の塊への微妙な距離感
原宿といえば、80年代には、原宿セントラルアパートというのがあって、突如現れグーンとその名を知らしめていった、コピーライターの糸井重里さんの事務所があった。
ボクが糸井さんと初めて会ったのは、そこから事務所を移転した場所だった。狸穴だったかな。
原宿には、糸井さんに勧められて、原宿に仕事場を構えたみうらじゅんがいた。同じマンションに泉麻人もいたはずだ。ボクがクロコダイルに出てた頃だ。80年代半ば。彼らとはすでに知り合いだったが、仕事場を訪ねたことはない。
原宿で買い物なんてしなかったなぁ。でも表参道から細い道をくにゃーっと曲がりながら入っていったところにあるコーヒー専門店には、よく行った記憶がある。どうしてそんなところに通ったのか、全然記憶にない。でもコーヒーがおいしかった。もう無いだろう。
明治通りと表参道の交差点のすぐ近くに、原宿とは思えないようなおばちゃんのやってる定食屋があった。そこはクロコのリハーサルと本番の間によく食べにいった。
その頃からそういう店にばかり惹かれていた。そういう店でビールを飲むのも大好きだった。
表参道駅の近くのスパイラルビルの地下にあるCAYにはいろんなライヴを観にいった。
韓国のサムルノリの、熱い熱いパーカッションと歌に興奮して踊った。
「バンドネオンのジャガー」を出して、何度目かのピークを迎えていたあがた森魚さんのライヴも見た。お洒落で、かっこよかった。
なんか素朴なアフリカのバンドも見た。ワールドミュージック・ブームというのがあった。
こんなお洒落なところでいつかボクもやってみたいなぁ、と思ったら20年のちにスクリーントーンズでそれは実現した。以来何度も出演し、去年のボクのソロアルバム『HONE』の発売記念ライヴも満員のCAYでできた。
スクリーントーンズでは、一昨年スパイラルビルの上の方のホールで、なんとファッションショーの音楽を生演奏する、という仕事もした。見上げるようなモデルさんたちが、珍しく全員スーツ姿のボクらの音楽に合わせて歩くのは、非現実的で夢みたいだった。
ラフォーレ原宿では、みうらじゅん、安斎肇、和泉晴紀と絵画の4人展を何回かした。
しかしそれはちょっと前のことだよな、と思って今調べたら2003年だ。15年前か。驚いた。
それぞれ自分の好きなロックスターの絵を、大きなキャンバスに描いた。ボクはニール・ヤング、ボブ・ディラン、キース・リチャーズ、マディ・ウォータースを油絵で描いた。
絵を描いても、結局、好きな音楽関連の絵を描いているボクだ。
原宿にはなんだかんだ断続的に長いこと来ていたのだな。竹の子族も見た、竹下通りの生写真ブームや、クレープの甘い匂いも知ってる。表参道に黒いビロードを敷いてバッジを売ってる人がたくさんいたのも覚えている。LEDができる前の、電気代がかかったであろう暮れのイルミネーションも覚えている。でもどれにもあんまり興味がなかった。
全部が流行に見えたからだ。
ボクは若い頃から流行っているものが、あまり好きじゃなかった。
今思えば原宿は流行の塊に見えた。
糸井さんが原宿にいるのも流行に見えた。みうらくんや泉さんが事務所を借りてるのも、流行にみえた。だから羨ましいともなんとも思わなかった。思った通り、今や誰もいない。
そしてやっと2018年だ。お待たせしました。
編集者男と編集者女と別の仕事で会って、そのまま原宿に来た。
編集者男が、
「せっかくだから、表参道ヒルズ、ちょっと見ていきません?」
というので一応行った。入って中の吹き抜けを眺める。坂道の細長い立地を、坂道をそのまま使って面白く建てられた建物だな。以上。中に並んでる店は、高級有名店や有名飲食店の支店ばかり。
ボクが入ってみたいと思う店が、見当たらない。というか、これも流行の塊に見える。
ボクが好きなのは、例えば10年後や20年後に、もっとよくなっていそうな、地味渋店だ
こんなだから、俺は若い時、売れなかったんだろうな。
さぁいよいよとんかつ屋を食べるゾ!…って、献立の豊富さに一瞬だじろぎます
さあ、とっととメインのとんかつ屋に行こう。
とんかつ・まい泉 青山本店。
ここにはきて食べたことがあるが、たぶん20年前ぐらいだろう。味なんて覚えていない。
編集者女の案内についていきながら、記憶にある場所と、ちょっと違った。
場所は昔から同じなんだけど、隣りにあった銭湯が廃業したので、そこを買い取って、そこもレストランにしているのだという。
どういうことか、よくわからないままに店に入り、奥に奥に進むと、急に天井の高いレストランスペースが現れた。
促されて席について、見上げた途端、すぐわかった。これは銭湯の脱衣場部分だ。その男女の壁を取り去って、ひとつのホールにしている。
しかし、すごい大きさだ。原宿に古い銭湯が残っている話は、10年前くらいから知っていて、いつか行って見たいと思っていたら、廃業していた。この脱衣場は相当広い。かなり立派だ。古典的銭湯独特の木の天井。木がよさそうだ。これは潰してしまうのは惜しい。
いけない、とんかつ屋のことを忘れて、失われた銭湯に想いを馳せていた。銭湯は、流行ではない。流行ではないからこそ、残って欲しい。
でも、このとんかつ屋もまた老舗だ。
編集者男は、いつからか、とんかつで熱燗を飲む、という楽しみを覚えて「これはいいんじゃねえか」と一人ほくそ笑んでいたらしい。
とんかつで熱燗を飲んだことはない。じゃあそれをやろうと、ここに来たのだ。
が、やっぱり最初はビールをもらう。
とんかつ以外にも食べてみたいメニューがいろいろあるからだ。
「カニと胡瓜のサラダ」と「甘い誘惑欲張りセット」をもらった。
「甘い誘惑」というのは、とにかく珍しい豚を手間暇かけて飼育した豚だそうだ。
他にも「茶美豚」とか「東京X」とか、変わった名前の、いろんな豚のとんかつがある。それぞれに詳しい説明がある。
こういう説明は店のパンフレットに出ているから、知りたい人は店に行って、読んでください。ボクはそういうのはあまり読まないで食べるようにしている。その方が無垢な気持ちで、自分の舌でおいしさを見つけられる。
説明したい作り手の気持ちはわかるが、苦労しているのは誰だって一緒だ。
でもその「甘い誘惑欲張りセット」は、厚切りのベーコンを焼いたのがすごくおいしかった。脂身がおいしい。赤身との味のバランスがよくて、普通のベーコンとは別物。ビールにサイコー。
ソーセージ類もブキョブキョして、甘みがあって、おいしかった。
カニと胡瓜のサラダも、とんかつ屋らしからぬメニューだけど、この定番ということで、おいしかった。こういうものには、とんかつ屋ではお目にかかれない。
お目にかかれない、という意味で、この店のメニューにはあらためて驚いた。
なんと、お刺身がある。とんかつとぶつかりすぎだろ。と思ったら、それどころか握り寿司がある。蕎麦がある。さらに鍋がある!
店員さんによると、昔からここの客は地元の人が多く、法事の帰りなどにもよく利用されるので、頼まれるうちに、だんだんメニューが増えたんだそうだ。
しかも「寿司?じゃあ、寿司職人入れよう。蕎麦?じゃあ蕎麦打ちを雇おう」のように本格的に揃えていって、今のスタイルになっちゃったんだそうだ。
それは面白い。さすが銭湯の隣という感じがする。銭湯といえば地元だ。そういう地元と密着して出来上がっていった店は大好きだ。それがまさかの元銭湯そのものを取り込んだ店になっちゃてるなんて。
この店は、流行ではない。好きだ。新しくなっても古いスタイルを残したまい泉を知ることができてよかった。
ボクはカツサンドが大好きなんで、ビールを飲んでいるうちに、3人で1人前のヒレかつサンドを頼む。これがおいしかったぁ。なかなかありつけない、できたての温かいカツサンド。
手のひらのあたたかさ、口に持って行った時の香ばしさに、中学の学校帰りに買い食いしたコロッケを思い出してしまうボクは、ビンボーだろうか。
この後、黒豚と茶美豚のとんかつと、お新香を頼み、燗酒を頼む。
うん。熱燗ととんかつ、なかなかいい組み合わせだ。
ソースもいろいろあるので、一切れずついろいろ試せて楽しい。
いろいろな食べ方で食べ過ぎて、何が何やらわからなくなった。でもボクは黒豚に黒豚ソースかけたのが、一番おいしいような気がした。
広いホールでは、いろんな世代、いろんな仕事をしていそうなお客さんがいたが、みんな楽しそうだった。ボクらも楽しくて結構飲んだ。
この天井による、空気というか、空間の柔らかさみたいなのは、銭湯が作ったものだと思う。
無くなった銭湯が、こうして別の形で生き残って、そのやさしく大きな度量を発揮している様子に、ボクはジーンとしながら酔っていた。
紹介したお店
とんかつ まい泉 青山本店
- ジャンル:会席料理
- 住所: 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前4-8-5
- エリア: 表参道・青山
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TEL:0120-428-485 (フリーダイヤル10時~22時30分)
営業時間:11時~22時45分(L.O.22時)
定休日:なし
※掲載された情報は、取材時点のものであり、変更されている可能性があります。
著者プロフィール
文・写真・イラスト:久住昌之
漫画家・音楽家。
1958年東京都三鷹市出身。'81年、泉晴紀とのコンビ「泉昌之」として漫画誌『ガロ』デビュー。以後、旺盛な漫画執筆・原作、デザイナー、ミュージシャンとしての活動を続ける。主な作品に「かっこいいスキヤキ」(泉昌之名義)、「タキモトの世界」、「孤独のグルメ」(原作/画・谷口ジロー)「花のズボラ飯」他、著書多数。最新刊は『ニッポン線路つたい歩き』。