「ブラックパンサー」はここ数年で最も期待されていた作品の一つだ。キャストのほぼ全員が黒人で、ブラックパンサーというキャラクターのイメージが凝り固まっていないこと、そして、文化的な意味合いもあり、成功する見込みは高いと思われた。

アフリカでの興行収入もそれを裏付けている。南アフリカ共和国において、本作は初週末に1680万ランド(=約1億5013万円)の興行収入を叩き出し、20万人を動員した。これは南アフリカ共和国においてマーベル史上最高の成績であり、南アフリカで公開された映画の中で史上3番目に高い数字だ。東と西アフリカにおいても、史上最高の初週末興行成績を記録している。

黒人文化が前面に押し出された作品

「ブラックパンサー」は近年なかったほど黒人のオーディエンスの共感を得た。これまでスーパーヒーロー映画というジャンルが有色人種のキャラクターや彼らの物語にあまり興味を示してこなかった事実を考えると、なおさらすごいことだ。「ブラックパンサー」は黒人らしさやアフリカ文化を押し出すことに一切の躊躇いを見せず、それに対しアフリカは心温まる反応を見せた。

「ブラックパンサー」を見た観客が上映後に踊りだす現象がアフリカのあちこちで見られた。南アフリカのとある劇場では、観客が上映後に輪を作り、一人ずつ中央に飛び出しては踊りを披露した。彼らは高揚のあまり叫び、手を叩き、リズミカルに腕を振り、「ブラックパンサー」が残していった喜びを全身で表現していた。それは本当に特別な光景だった。

大人から子供まで「ブラックパンサー」のコスプレをする人々も現れた――彼らはコスプレをすることで、本作へのプライドとサポートを表現した。目立ったのはコスプレだけではない。多くの人々が伝統的なアフリカの衣装を身に付けて劇場に足を運んだ。多くの人々は首に円形のリングを着けていた(西洋の文化ではネックリングと呼ぶが、南アフリカのヌデベレ族はそれをdzillaと呼ぶ)。アフリカの伝統的な模様をあしらったシャツや帽子が、劇場を色鮮やかに染めた。

南アフリカのコサ族がingcawaと呼ぶ衣装の上に、伝統的なローブやブランケットを身につけ、それに合わせたビーズのアクセサリを着けた人々も見られた。「ブラックパンサー」はアフリカ大陸中で自分たちの文化を誇らしいと思う気持ちを呼び起こした。

「ブラックパンサー」は躊躇いなく黒人らしさやアフリカらしさを押し出しただけではなく、それを正確かつ誠実に描いた。南アフリカの公用語の1つであるコサ語が大作スーパーヒーロー映画に使われたことは、ほとんど非現実的な出来事だった。ワカンダの言語にはコサ語が選ばれており、劇中にコサ語が口にされるのを耳にするのは感動的だった。

黒人女性が男性の助けを必要としないことも、本作のテーマの一つだった。これは、何世紀にも渡る黒人の苦しみを議論する際、頻繁に持ち上がるテーマでもある。アメリカにおける公民権運動は、それを成功に導いた強い女性たちに助けられていた。南アフリカの女性は1956年、アパルトヘイトに抗議して行進した。黒人の人種差別撤廃運動において、女性は全世界で活躍しており、「ブラックパンサー」はその事実を正しく反映している。

本作は黒人の怒りという重要なトピックも巧妙に取り上げ、多くの人々の共感を得た。システム的な圧政に対する怒り、何世紀にも渡る差別に対する怒り――これらの問題は、黒人が毎日のように接するものだ。「ブラックパンサー」はこのような敏感で、難しいトピックをうまく扱った。また、それによりマーベル・シネマティック・ユニバース最高のヴィランの一人、エリック・キルモンガー(マイケル・B・ジョーダン)が生まれた。

 
エリック・キルモンガー

アフロフューチャリズムを取り入れた「ブラックパンサー」のビジュアルは野心的で息を呑むほど美しい。1990年代に生まれたアフロフューチャリズムとは、「文学、音楽、アートにおける運動で、SFや近未来的なテーマに黒人文化を取り入れたもの」を指す。このコンセプトは南アフリカのスーパーヒーローKweziのコミックや、ケニアの写真家Cedric Nzaka、アフリカのスーパースターを撮ることで知られ、VogueやAdidasといったブランドの仕事を手がけた写真家Trevor Stuurmanなどに見ることができる。

衣装デザインは、実際のアフリカのデザインを正確に取り入れつつ、文明国ワカンダに相応しいものに仕上がっている。建築物のデザインも、近未来とテクノロジーをかけ合わせ、アフリカらしさを加えた素晴らしいアフロフューチャリズムの一例だ。アフロフューチャリズムに馴染みがないであろう大半のオーディエンスにとっては、このコンセプトに触れる素晴らしい方法だったのではないだろうか。

「ブラックパンサー」はアフリカの人々にお互いの文化を共有することも教えた。私のTwitterのタイムラインに上がってきたツイートによると、こんな素晴らしい出来事があったという――ある黒人女性が「ブラックパンサー」に登場するものとそっくりなレソトのブランケットを羽織っていた。すると、全く知らないカップルから、そのブランケットの模様がそれぞれ物語を秘めていることを教えられたのだという。彼女は、我々と同じように、そのブランケットの模様に隠された意味に驚き、他のアフリカの国の文化を知ることができたことを喜んだ。

アフリカ大陸に暮らさない人々は、アフリカを一つの国と考える傾向にあるが、それは全くの間違いだ。アフリカはそれぞれ大きく異なる国々からなる複雑な大陸であり、「ブラックパンサー」はその多くの文化から様々な要素を違和感なく取り入れ、アフリカの文化と伝統を美しく描き出した。

上記のTwitterのスレッドを開くと、「ブラックパンサー」がいかにして異なるアフリカ文化を取り入れたのかがわかってもらえるだろう。本作にはエチオピアのムルシ族のリッププレートや、マサイ族の伝統的な模様を近未来的にした衣装が登場し、ラモンダ女王(アンジェラ・バセット)のヘッドドレスはズールーの伝統衣装を取り入れている――これら全ての要素を織り交ぜつつ、不自然に感じさせない技術は見事だ。

黒人らしさを歓迎し、称える

アフリカ出身の黒人として、ほぼオールブラックのキャストが、アフリカが誇る文化や、黒人らしさを称えている姿を見るのは、言葉に言い表せない気持ちだった。そして、キャストがそれぞれアフリカのルーツをもっていることも嬉しかった。主演のチャドウィック・ボーズマン(ティチャラ)はシエラレオネのリンバ族を祖先にもつ。ルピタ・ニョンゴ(ナキア)はケニア人の両親のもとに生まれ、ケニアで育った。オコエ役のダナイ・グリラはジンバブエの血筋だ。また、ダニエル・カルーヤ(ウカビ)とフローレンス・カサンバ(アヨ)はウガンダの祖先をもっている。黒人らしさを全面に押し出し、アフリカ文化を堂々と、そして誠実に描いたものを目にした私は、上映開始後30分で涙がこみ上げた。

本作は私を含め多くの黒人オーディエンスが現実に直面している問題からも逃げていない。それはとても新鮮で、まさに我々が求めていたものだった。すでに言及した黒人女性の役割や、黒人の怒り、システム的な差別に加え、「ブラックパンサー」はもっと微妙な問題にも果敢に挑んでいる。

Okoye (Danai Gurira), Nakia (Lupita Nyong'o) and Ayo (Florence Kasumba) in Black Panther
「ブラックパンサー」のオコエ(ダナイ・グリラ)、ナキア(ルピタ・ニョンゴ)。アヨ(フローレンス・カサンバ)

たとえば「ブラックパンサー」は成功した黒人がさらなる権力や栄光を求め、同胞を置き去りにしてしまう問題から逃げなかった。また、黒人間に存在する白人的なものに対するネガティブな見方も、正面から描いている――たとえばシュリ(レティーシャ・ライト)はCIAエージェントのエヴェレット・ロス(マーティン・フリーマン)を遠慮なく「植民地支配者」と呼ぶ。「ブラックパンサー」は歴史的文脈において白人らしさが何を意味するのかを正直に描いている。何世紀にも渡る黒人の苦しみは簡単に解決する問題ではないのだ。

このように黒人らしさを正直かつ誠実に描いた作品は珍しい。確かにハリウッドは近年多様性を受け入れるようになっている――「ゲット・アウト」や「ムーンライト」がアカデミー賞を受賞したことは記憶に新しい。しかし、まだまだ改善の余地はある。マーベル映画が黒人文化を描き、かつ成功したことはパワフルなメッセージを送るだろう。

「ブラックパンサー」は今後も長い間、語り継がれるような作品だ。ちょっとした欠点がないわけではないが、視聴者は「ブラックパンサー」の熟練した技術に息を呑むだろう。本作はここ数年において文化的・社会的に最も重要な作品の一つといっても過言ではなく、本作への反応――アフリカだけでなく全世界の反応――はそれを証明している。本作はアフリカへのラブレターであり、アフリカ大陸はそれに愛をもって応えた。