前代未聞のスキャンダルが起きた。森友学園問題に絡む文書書き換え事件だ。これは、これまでの森友問題とはまったく質が異なる「財務省及び官僚機構のデタラメさ」が問題の核心である。全容の徹底解明と組織の抜本改革が必要だ。
第一報を目にして、私は「決裁文書の書き換えなど、ありうるのか」と思った。民間で言えば、他社との契約書を後で書き換えて、詳しい内容を知らない社長や取締役会に説明したような話ではないか。そんなことしたら、社員は懲戒処分を免れない。まずクビだろう。
それが、こともあろうに「霞が関の最強官庁」と言われる財務省で起きた。ある財務官僚は「財務省でも99.9%の人が『何が起きているのか、まったく理解できない』と言うでしょう」と嘆いた。その通りと思う。
3月14日になると、さらに驚くニュースが流れた。問題の財務省近畿財務局が「2015年6月ごろにも、書き換えられた文書の一つに添付されていた書類1枚を決裁後に削除していた」というのである(http://www.yomiuri.co.jp/politics/20180314-OYT1T50029.html)。
15年6月といえば、森友問題がまったく世間の注目を浴びていない時期だ。朝日新聞が森友問題を初めて大々的に報じたのは2017年2月だったから、その2年前である。
安倍晋三首相はもとより、政権中枢の政治家や官僚が森友問題に関心もなかったはずの時期に、近畿財務局の役人は決裁文書の一部を勝手に削除していたのだ。この時期に間違いがなければ「官僚の首相への忖度」など、入り込む余地はない。
なぜ、勝手に削除していたのか。財務省の説明によれば、問題の書類は森友学園が借り受ける国有地の賃貸料について、本省と近畿財務局が相談した内容に係るものだった。
森友学園に請求する賃貸料から建物にかかる固定資産税分を控除できるかどうか、近畿財務局が理財局に問い合わせたところ、答えは「イエス」だった。森友側は情報公開請求で書類の公開を求めたが、公開されると財務局側が不利になるため削除したという。
よほど罪の意識が薄かったのだろう。こんな程度の話で決裁文書の書類を削除したとなると、当然「他にもあるのではないか」と疑わざるをえない。財務官僚に対する信頼を根底から覆すような所業である。
もう1つ、これまた驚く話が明らかになっている。
書き換え前の文書を入手していた国土交通省が3月5日、書き換えに気付いて、財務省に通知しコピーも渡していたのに、財務省は3日後の8日、国会議員に「私たちが持っているのは、これだけ」といって書き換え後の文書だけを説明していた(http://www.yomiuri.co.jp/politics/20180313-OYT1T50096.html)。
他省から動かぬ証拠を突きつけられていたのに、平然とウソをついていたと言わざるをえない。こんな単純なウソがバレないと思っていたとしたら、どうかしている。国交省は首相官邸にも別の文書があることを報告し、官邸は財務省に徹底調査を命じていた。
ただ、以上の話とは別に、今回の事件について、まったく別の解釈もある。それは「そもそも、決裁文書にあれほど細かく契約の経緯や関係者の話を書き込むこと自体が異常だ」という見方である。
ある元官僚は「私がいた省では、決裁文書なんてぜんぶ事が終わった後で、新人が書くものでした。それを上司が多少、手直しし決裁して終わり。ごく簡単な文書です。契約に至る経緯なんて普通は書きません。財務省も同じでしょう」と語る。
ところが、今回の決裁文書は「これでもか」と思うほど、政治家や昭恵夫人の言葉、関係者のやりとりを事細かに盛り込んでいる。昭恵夫人と籠池理事長夫妻との写真にまで言及していた。元官僚は「あれはまったく異常です。あんな決裁文書は見たことがありません」と語った。
なぜ細かな経緯が書き込まれたのか。別の関係者は「それは近畿財務局の中に『安倍政権を倒したい』と思っている組織的な勢力がいて、その人たちが後で問題が時限爆弾のように破裂するのを期待して、故意に書き込ませたのではないか」「理財局はそれに気付いて、文書を修正したのではないか」と語った。
このあたりは、まだ裏が取れない話である。ただ、そういう見方もある点には留意すべきだ。