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ゆとり男とミニマリストの融合ブログ

ゆとり世代のミニマリスト。ミニマリストネタを基本につぶやく雑記ブログです。

自己否定する人間は他人を否定するパターンが多すぎてもう辞めにしてほしい

 

 

 

 

どうもたんたん(@tantan4423)です。

 

 

何か世の中には謙虚でいなくちゃいけない病みたいなのが流行していて、嫌でも自分を下げないといけない文化がありますよね?

 

 

文化っていうか人々が作った謎の風習なので、どんどん無くなるべきだと僕は思うのですけど、多分僕が生きている間には変わることはないのかなと個人的には思っています。

 

 

僕の場合は自分が好きであることを公言するタイプで謙虚とは遠い姿で、結構周りの人から「ナルシスト乙」みたいに言われますけど、全然間違っているとは思ってはいません。

 

▼こんな記事を書いているほどだしww

 

 

 

 

逆にみんな謙虚じゃなくちゃいけないって言う人間のほうがこの社会において足を引っ張っていて自己肯定感が低い子なのかなって思ってもいます。

 

 

謙虚であるべきという人間が他人を攻撃する謙虚とは程遠い醜い姿

 

「謙虚」の画像検索結果

 

 

 

そもそも謙虚って何なんだ??って思うんですよね。みんなの迷惑にならないように黙っておくこと?

 

 

多分その人の言う謙虚っていうのはただ単に自分に都合良くいるべきという単なる傲慢な態度なのではないかと思っちゃったりもします。

 

 

よくいる「察して欲しい」系の人間も単なるコミュ力不足で、周りとの波長が合わせられないだけなのにその責任を相手に求めているあたりどうなんだろう?って思ったりもする。

 

 

 

少し話が逸れましたけど、謙虚であることを求めること時点で他人を自分の都合の良いようにコントロールしたいだけであって、そう言う人間とは自然に距離をおいたほうが身のためだと思ってしまう。

 

 

そういう人たちって自分が謙虚で誰にも迷惑をかけていないと思っているのだけど、実際は迷惑をかけない人間なんかいないわけだ。

 

 

 

それよりも理不尽に相手の自由を奪うような言動をしないように心がけたほうが良いようなきがする。

 

 

実際にこの国の悪い風習は人の自由を理不尽に奪うようなものもあるわけで、みんなが同じであるべきという同調圧力はそれに該当すると思うし、もう少し多様性を認めてゆるくなれば良いのかなって思う。

 

 

結局同調圧力を強めようとする人間自体、 他人に自分の都合よくいてほしいという傲慢な考えが強くて、それのなにが健全で謙虚なんだろうと疑問に感じたりする。

 

 

自己、他人否定人間とは基本関わらないほうが良いようなきがする

 

「関わりたくない」の画像検索結果

 

 

こういう感じに線引きをしてしまうのもどうかと思われそうですけど、自分を肯定できないくせに他人に対しても厳しい人間と付き合うだけで消耗しちゃうから距離をおきたい。

 

 

 

 

それも仕方ないことかもしれないけど、だからって言ってみんなと仲良くする必要なんて無いと思うし、自分で付き合う人をしっかり選択することは豊かな人生を送る上でも大事なことだと思っている。

 

 

そもそも自分の事肯定できないのに、すべてを僕のせいにされたらたまったもんじゃないじゃないですか??そんな面倒くさい人間と一緒にいたら疲れてしまうし、流石に人間関係で損得を考えるのもどうかとは思われますけど、そういう人と付き合っても損しか無いです。

 

 

自己肯定感に関して育った環境とか遺伝とかが大きな影響を受けていると思うのだけど、だからと言って自己肯定感が低くて人に自分の人生を投げてしまっているのはどうかとは思ってしまう。

 

 

それに付き合ってしまっては疲れてしまうし、なにより面倒くさい。

 

 

なんでわざわざ自分を下げるようなことをしなくちゃいけないのか??

 

「自己肯定感」の画像検索結果

 

 

 

僕は自分のことが大好きなんだけど、それを快く思わない人がいるらしい。

 

 

僕が自分のことを肯定できるのは他人とできるだけ比べないようにしているだけだ。

 

 

ぶっちゃけ自己肯定をしている人の足をすくうようなことをする人間が理解できない。別に自分の事でもないのにそんなに肩入れして・・・何がしたいのだろうか??

 

 

別に他人が自分のこと大好きって言っていいじゃないか??自分のことをわざわざ下げて他人の肯定を切り崩すのはさすがにゲスな気がする。

 

 

そもそも人間自分が一番大事でしょ??自分より他人に尽くしているって言ってしまう人間もいるかもしれないけど、それは「他人に尽くしている自分すげー」という思いが絶対何処かにあるはずでしょ。

 

 

結局物事の全ては自分というフィルターでしか見ることが出来ないわけだから、自分より他人のほうが大事というなるわけがないと思っている。

 

 

別に自分を犠牲にしなくても他人に貢献することなんかできるし、他人に貢献して自分に余裕がなくなるぐらいなら自分のことをしっかりやるべきだと思う。

 

 

ソッチのほうがみんなしたくない他人に迷惑をかける機会も少なくなるんじゃないかと思う。

 

 

「自分の事は二の次、社会や他人に貢献しなさい」っていう感じが広まってきたのはそっちのほうが他人をコントロールしやすいと思っている人がいて、他人をコントロールすることに快感を覚えている人がめっちゃ多いということかもしれない。

 

 

もうそろそろそういうの辞めにしないか??

 

「もうやめたい」の画像検索結果

 

こういう流れに参加してしまうのは非常に時間のムダだし。キリがない。

 

 

別に適応できないわけではないけど、自分を肯定して生きていったほうが明らかに人生の満足度が違うし、自分の頭で考えて自分で行動したいと思う僕からしたら、それを切り捨ててまで世間一般的な正しい人間になりたいと思わない。

 

 

自己肯定感が低い人が多いのは自己肯定感を下げてしまうような教育や風習やクソみたいな人間関係があると思っている。遺伝もあるかもしれないけど、人間ちょっとしたことで自分の人生を肯定することができるから環境が大事だと思っている。

 

 

僕の場合も「他人に迷惑をかけたら絶対ダメ」みたいなかんじで育てられてきたけど、その反面「そんなの無理ゲーやんww」と思って自分の生きたいように生きていくことが一番いいと思うようになった。

 

 

迷惑って言葉自体結局は相手の都合が悪いというだけの話で、その人の関係が薄かったら切っていけばいい。

 

 

そもそも関係性が強くて、自分が好きだと思う相手がそういうことをしたって別に迷惑と思うのだろうか??本当に好きな人間なら、その人がしたことを受け入れて仲良くしていくことが可能だと思っている。

 

 

まぁそこは人それぞれかもしれないし、そこで自己肯定感が低いと他人を否定してしまうという結果になってしまう事もある。

 

 

自分や他人が「迷惑をかけているか?」ってことを気にしすぎるのはどうかと思ってしまう。そんなの迷惑をかけるのは当たり前だし、自分や他人だけが迷惑をかけているわけじゃないことを思えば別に他人がしたことに関しても怒りが湧いてこないと思う。

 

 

 

別に僕は寛容的な人間ではなくて、理不尽に相手を傷つけていないだけで、過干渉しなさすぎていますかね。

 

 

そもそもそんなにどうでもいい人が何をしようと気にならないしww

 

 

 

 

まぁそういうことを言っても人の意識はなかなか変わらないし、僕の周りの人間はそういう人が多いという事実は変わらないから、自分で好きな人とつながっていくということをやってくべきだと思う。

 

さいごに・・・

 

何か長い記事になってしまいましたけど、けっこう周りにこういう感じの人が多くてうんざりしていました。

 

 

しかし上京を機に一気に距離を置くことに成功しました。

 

 

 

今はすごく自由で自分のすることに関してウザく言ってくる人間はいないし、自分のすることを自分である程度決めれることに関してすごく満足しています。

 

 

 

結局自分の事を自分で決めれない人が他人の行動に左右されてしまって、それを人のせいにしちゃうという構図が生まれているのかなって思ってしまいます。

 

 

特に田舎とかそういう人間関係の部分でクソなことが多いし、居心地悪いと僕は感じていて上京してよかったと思っています。

 

 

なんかまとまらなくなりましたけどこれにて終わります。閲覧ありがとうございました。