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ぼくらは異世界転生作品をどう咀嚼すればいいのか?

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最近、マンガの世界にも異世界転生を銘打った作品が増えた。
嫌いなものを無理やり探しに行ってるつもりとかではなく、むしろ異世界転生作品が少ない方だったマンガから動かないでいた。

好きとか嫌いとか以前の問題として、雑な異世界転生作品にエンカウントする度に
「え?これは何が面白いの?」
とそもそも書籍化されている事実自体に困惑してしまう。

…と言っても、「あーあー異世界転生ね」と言ってくれる人も、「わかる」と言ってくれるのも、最近の作品をキチッと見ているオタクだけだから、異世界転生ラノベをざっくりと定義しておく。

異世界転生作品の定義(あるある)

高確率で、現実社会では優秀ではなかった冴えないやつ…少なくとも普通以下が主人公

異世界とか中世ヨーロッパ風と言いつつ、十中八九ドラクエを焼き写したような世界観。ひねってると、オンラインゲームの中だったり、少数部族のエルフや原始的な民族の中に迷い込むがやはりドラクエ(周辺の「剣と魔法のファンタジー」)を踏襲した世界観。

なぜか、エルフに会えるとか、獣耳の女の子に会えるとか、動物園にでも行く感覚で異世界に行くのを楽しみにしている。(確率的なことはわからないが、GATEやリゼロなど人気作品にはなぜかこの傾向を持つ作品が多い)

主人公が現実の世界から持ち込んだ料理またはゲームの知識が、高確率で役に立つ。それを特にローカライズしなくても使える環境が整ってる。しかも、保守的な人・懐疑的な人からの抵抗も受けずに、進んだ文化として受け入れられる。

・しかも、時間が経ったり現実とは全然違う立場になっても主人公は特にローカライズせず、いつまでも「現実世界から迷い込んだニューカマー」という考え方が崩れない。

・下手したら、現実世界から持ち込んだ知識や能力据え置きのまま、転生先で得た能力もガンガン取り入れられてパワーアップしていく。(パワーダウンや、異世界に来たことによる悩み・弊害も少ない)

・比較的早い段階で、女の子から一方的にモテる。デレるまでの紆余曲折が極端に少ない。下手すると3話ぐらいでもう複数名の女性から抱きつかれまくってる作品も。

 

…なにこれ?

いいも悪いもないよ。
これのどこに感情移入しろっていうわけ?

…こんなストーリーの起伏もなきゃ、世界観もありふれてるにカネ払ってるやつ…何!?

一番わからないのは、これにお金を払って楽しんでいる人がいるということ

いや、マンガやアニメだったら「絵が綺麗」とか「アクションや演出がキレッキレ」とかあるだろうから百歩譲ってストーリーや設定の雑さに目をつむって見られるかもよ?

でも、現実問題として、こんなのに何時間もパソコン開いて読んでる人がいたり、ノベルとして連載されてそれが買われているわけ。
買われているから続いているし、ネットで読むだけほどの時間をかけることにも抵抗感のある作品が売れていたり、下手すると数十巻続いていたりする。

 

しかも、作品によっては、すご~く売れているものもあって、アニメのDVDが1万枚売れる作品の中に異世界転生系の作品が複数入ってるというのは、その世代の中の代表的な作品をいくつか挙げたら、異世界転生も入ってくるということ。

 

 

売れてるってことは受け入れられてるか、それが好きで好きでしょうがないジャンキーがいるってことなんだろうけど…そういう人が魅力を感じてる連中の気持ちが全くわからんわけ!!

「だから悪い」って言ってんじゃなくて、「この状況をまず飲み込めてない」って言ってるわけ。

 

…どう言えば伝わるのかな?
例えば、アフリカの人が虫とかラクダの頭を食べてることにいいとか悪いとかないわけ。
普段虫なんか食べないぼくから見ると「食べ方次第では美味しいのかもしれないけど、食べ方から調理法まで皆目見当がつかない」って言ってるわけ。

見当がつかないものを嫌うのは食わず嫌いだから良くないと思うよ?
だけど、実際に虫を食べたら独特の苦味があって、色も形も普段食べてる食べ物からは想像できないほど生々しい形をしている食べ物を「なんであんなにうまそうに食えるかな?」って思うでしょ?

ゲテモノ食いの人達が集まったら「この中華屋さん、虫も食べさせてくれるよ」と言う話になって食べることもあるけど…ほんと、そんな感覚。

 

今って、山のように娯楽が溢れてるし、なんならストーリー的にも文学的にも飲み込みやすい作品なんて、異世界転生作品に比べたら死ぬほどあるわけ。

だから、「よりによってなんで、一番ちぐはぐな作品群が流行り、しかもそれを楽しんでるのか」がわかんないわけ。
リゼロがいいとか悪いとか以前に、「なんで、牛肉や豚肉が食べられるこの国で山や田んぼに入って、虫を取ってきて、焼いて食わないといけないんだ」って感覚に僕は思えてしまうわけ。
虫は虫で美味しいんだけど、別にスーパーで簡単に変えるわけじゃないし、買えたとしても「もっと料理しやすい細切れの肉が一緒に売ってたら普通そっちを買うよね?」って思うわけ。

 

そのぐらい不思議。

…とはいえ、ティーンが終わって、着実におじいさんに向かってる28歳が、28歳のものさしで「もっと面白いもんあるでしょ」といっても、絶対わかってもらえない。
そこで、僕もティーンのものさしに僕なりになって考えてみたい。

 

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そうか、異世界転生って大学デビューだったんだ!!!

もう一回、異世界転生ラノベの定義をサラッとおさらいしとくと

・前にいた世界で中の下以下の凡人またはクズが、
・ゲームの世界のような知らないし、この世にはないけど、憧れの世界に入って、
・特に酷く苦痛なこともなく、自分の知識や個性を活かして、地位を築いたり、女の子にモテる
・でも、自分は心ここにあらずで、前の世界にいた自分から変わらないでいられて、なおかつ前の世界から持ってきた知識を活かしながら、今の世界でパワーアップ

…これ、現実で近いのは「上京して大学デビュー」なんだよ。

・地元ではいじめられっ子または大量の黒歴史がある高校生が過去を清算し、
・憧れの都会もとい首都圏とキレイなキャンパスと一人暮らしを実現させて、
・自分が過去に培った知識や個性を生かして、周囲から受け入れられて女子からモテて、
・でも、自分の気持ちは地元にいたときと変わらなくて、東京の人とは同化せず、程よい距離感でいながら東京の人から自分の能力は受け入れられながらパワーアップ。

現実世界を地元、異世界を東京と置き換えたら、見事にハマったでしょ?

で、ラノベを楽しんでるのが、中高生だとすると…そりゃ、願望として大学デビューでうまくいく自分の姿…それもできるだけ努力せず、ありのままの自分を受け入れられる姿を想像できたら、そんな楽しいことはないだろうなぁ…と、言う気持ちはわかんなくもない。

 

関西から上京して、文化的なギャップや競争のギャップに苦しんだ僕からすると「夢みたいな話を信じてるバカを、今すぐ西麻布に投げ捨てて、東京もんの冷たさと、都会の怖さを思い知らせたい」って思うけどね。

自分の会社のことしか知らないアラサーが「社会知らない」が口癖と若者相手にイキッてるみたいで、ただただダサいんで、実際にはやらないけどね。

 

ただ、異世界転生作品に対してどうやって飲み込んでいこうか、僕なりに考えたら
「高校生だもん。大学デビューぐらいしたいよね」
という結論にしかならなかった。

いや、もうちょっと粗暴な言い方をしてもいいなら、
「これ、踊り念仏だよね?」
という、異世界を来世に置き換えると、そんなことにもなりかねない気がしたけど…これも、無教養な人が聞くと怒り出すから、丁寧に説明するね。

高校生が大学デビューしたいのも、
昔の人が踊り念仏で極楽浄土に行きたがったのも、
恋愛することで「男性にココデハナイドコカに連れて行ってもらえる」という願望を持って、結局自分のことを大事にしてくれない間違った意味でのオレサマな男性ばかりに恋をしてしまう女性も、
全部いっしょ。

 

人間は本能的にリセット願望や、変身願望があって、それをあまりにも安易に実現させてくれる作品や思想・宗教は、人類の歴史の中で何回か流行ってる。
人類の歴史とまで言わなくても、世代や年代的に「そういう時期・そういう気分」になる人がいて、それで失敗したり、逆に救われたりする人がいる。

 

ぼくは、「自分が強くならないと、変わらないと、仮にお金を持とうが、彼女ができようが、ダメなままじゃ幸せになれない」って思うから、困難が伴わない作品や、無条件に受け入れられすぎる主人公を見ると違和感を覚える別の思想宗教だから、共感はできないよ?
でも、一定数またはある時代・年代には必ず流行ることなので、悪いとも言えない。

 

それが僕の中の異世界転生作品の位置づけ。
…と言っても、ちゃんと読めてる人しか納得できなそうなので、最後にわかりやすい図にして終わろう。

時代を変えたのは西尾維新…かもしれない

少し話を戻すのだが、ぼくは
「あんな中身が支離滅裂な作品を読むのにお金や時間をかける人の気が知れない」
と言いまくっていた時、ある人から
「君だって、Twitterの数分で書いたイラストにはリツイートしているじゃないか!」
「小説やマンガに対してのみ高いハードルを求めすぎてるだけで、実は雑でわかりやすくしたコンテンツなんて世の中にたくさんあるのでは?」
という指摘をもらった。

 

それに対してぼくは

「Twitterと作品では求めてるものが違う。カップ麺だって美味しいし、お店のごはんだって美味しい。ただ、もしラーメン屋で僕の大好きなサッポロ一番塩ラーメンを出されたら怒るし、お店で食べるからにはやっぱり美味しいものを食べたい」

的な話をした。

 

この話をしていて気づいたことが1つ。

「あー異世界転生作品って、お店の体をとってるけど、実態はレトルト食品を食べることよりも、むしろそこでくつろぐ・誰とでも来られるファミリーレストランなんだ」

と。

 

正直、ファミレスに対して本当に安いと感じているのはサイゼリヤとマクドナルドだけ。
この2つは、個人のお店でイタリアンを食べたり、ハンバーガーを食べてこの値段にはならないため、本当にリーズナブルだと思う。

パスタを400円500円で出してくれるお店は同じファミレスか、企業や学校の食堂、あるいはフードコートしかないから、「あの値段であのクオリティ」ならめし屋としての価値も高いと思う。

 

ところが、すかいらーく系のファミレスや、各種回転寿司チェーンはそうじゃない。
1000円強でステーキを食べるなら、個人のお店や専門店でもっと美味しいところはいっぱいあるし、回転寿司の1000円だって、個人の寿司屋でもっとうまくて雰囲気もいいところでうまいお寿司を食わせてくれるところは腐るほどある。

でも、そういうお店に小さい子どもと一緒に入れないし、さび抜きはさび抜きと言って注文しないとダメだから、共有したりもできないし、注文も煩わしい。
だから、「何であるんだろう?」と思ってた時期もあった。

でも、冷静に考えると「入りやすい」とか「くつろぎやすい」という観点で見ると、ああいうファミレススタイルは大事で、それをオタク的な作品でやったのが、異世界転生なんだと気づくと、妙に納得できた。

 

そこで、自分が異世界転生作品を受け入れられない理由や、逆にどのように変わっていったのかを図にしたものがこれ。

28歳の僕は、大学受験の会場で涼宮ハルヒの憂鬱を読んでた時期で、ちょうど「エヴァンゲリオンから影響を受けてるめんどくさいアニメ」の全盛期だったわけ。

だから、めんどくさいアニメを読みながら、辛い目に遭ってる主人公や、何話もかけて親や恋人と距離感を見つけるようなフィクションにすごく納得したりしていた。

 

過去には、サブブログで簡単に親と和解できてしまうフィクションに「親との和解と言うテーマは、少年マンガだとシリーズかけて実現する重厚なテーマだから、付け焼き刃に親子の和解を描かれるのは不快だ!!」という話を書いたこともある。

 

一方で、Twitterの「こういう女の子いいよね」とか「こんなアイテムほしい」と言った、辛さや人生訓ではない、カジュアルに理想や美意識、ニーズを描いた作品は…あんまり馴染みがない。
いいとは思う反面で、そこにお金を出す文化があるかと言われると…ない。

 

強いて言うなら成人向けの作品になりがち。
無条件に相手の女の子が自分のことを好きで…みたいなことが受け入れられるのは
「まぁ、ヤラないとマンガにならないし」
という種類の作品になってしまう。

 

だから、醜悪なまでに、無条件に「何も変わらない主人公が、当たり前のように受け入れられるフィクション」は、ぼくらアラサーからすると、隠れて読む恥ずかしいもの、または甘すぎる考えで人に言いづらい…と言う感じがあって、受け入れづらかった。

 

だから、今の子に対して…いや、異世界転生作品に対して思うのは、

「それ、女の子と共有して楽しむの、絶対無理だよね?何一つ、リアルじゃないから、男がこっそり楽しむものが、なんでオタク全般の傾向の中で受け入れられちゃってるの?」

というすごーく不思議に感じるわけ。

 

で、そういう作品の中でも、難解な作品って何だろう?
難解は言い過ぎにせよ、解釈を議論できるだけの理解力や読解力を求めるだけのなにかがある作品はなんだろう?と考えたら、西尾維新と新海誠にたどり着いた。

 

特に、「君の名は。」という作品に対して
「ヒロインがなぜ、男を好きになったのかがまるでわからない」
と多くのオタクが言うのに対して、
「人を好きになるのに理由なんていらない」
と一般層が受け入れている逆転現象が起こった。

…ちなみに、僕は「吊り橋効果の一種なので、理由がないと思ってる一般人も、理由として成立してないと思ってるオタクも、どっちもバカだな」と思ってる。
入れ替わりみたいな数奇な運命を共有したら、そりゃ絆の一つも生まれるし、相手に興味も湧くだろうなぁ…もっと小さいことでも吊り橋効果なんていくらでも働くし…というのが君の名はの感想。

 

君の名は。って徹頭徹尾、新海誠の願望の垂れ流しだし、主人公の都会暮らしという、自分の生活圏の人なら誰も憧れないことに憧れてもらえる異世界転生みたいな要素が備わってる「プチ異世界転生」なのね。

 

だから、僕は「ご都合主義だなぁ~」とか「理由がないと受け入れられないのでは?」と感じるけど、若い子や一般層にはむしろ理由のない受け入れられ方もあり、これはこれで1つの正解のようだ。

ぼくは理由がないことで受け入れられるのは占いと偶然だけなので、よーわかりませんが、偶然人が幸せになったり、理想が叶うと思っていられる人もいるらしい。

 

いいとか悪いじゃないよ?
むしろ、この場合悪いのはぼくだから気にしなくていいよ。
「楽観的だね」と嫌味に母親に言われすぎて、根拠なくいい気分な自分を人前で出せない人間になってるぼくの方がおかしいことはもうわかってる。
だから、根拠なく楽観的でいられる人を尊敬するし、そのままでいてほしいと思う。

 

そういう意味では、きっと異世界転生みたいな話が信じられる人のほうが幸せだと思うし、人生楽しいよ。
強くないかもしれないし、批判されるかもしれないけど、自分が好きなものは好きって言える人はそれだけで強いから、そうやって生きていけばいいと思うよ。

 

 

異世界転生作品への疑問が大爆発するきっかけになった作品。
くまにまでなったんだから、「くまっぽい習性に逆らえなくなるのが文学的には相場だけど」とおもったら、1ミリもくま要素がなくてあんぐりしたため、「え!?異世界ノベルって今こんな事になってるの!?」と驚いてあれこれ考え始めてこの記事を書いた。

 

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